砦の“外”で行われる戦いは――戦争と言い換えても良い規模のそれは――依然と続いていた。
人と魔物が交じり合い、激戦が繰り広げられている。
ひと際目を惹くのは、骨でできた馬に乗った吸血鬼と、二本角の馬に乗った騎士との戦いだ。
戦場を所狭しと駆け巡りながら、火花を散らしている。
「……名乗るだけじゃあった。
“ワタシ”相手にあれだけやるとは、なかなかの腕だ――ブラッドリー男爵」
そんな2人を見やりながらそう呟くは“ドラキュラ伯爵”。
そう、ドラキュラだ。
ブラッドリー男爵と切り結んでいる吸血鬼に瓜二つな男が、砦の屋根の上に立っていた。
「だがすまないね、ワタシとしても優先順位を変えるわけにはいかないのだ。
キミ達はしばらくその『人形』相手に踊っていてくれたまえ」
多少の申し訳なさを滲ませた表情を作り、軽く肩を竦める伯爵。
つまりこういうことだ。
ドラキュラ伯爵は、自らの血から魔物を生み出す力を応用して、『自分と全く同じ外見の魔物』を作り出していた。
ブラッドリー率いる近衛大隊が戦っているのは、偽物なわけである。
「さて、ではこの間に目的を遂げさせて貰おうか」
そう言うと、ドラキュラはデュライン砦の中庭へと降り立った。
そのまま、落ち着いた足取りで砦の本棟である建物へ向かっていく。
ちょうど、
「やぁ、ドラキュラくん」
「!?」
十分に近づいてきたので、声をかけた。
驚愕に満ちた“奴”の顔を見るに、“自分”がここにいることは予想できていなかったようだ。
ドラキュラが叫ぶ。
「ルカ公子!?
馬鹿な!! 何故ここに!!?」
「お前の考えていることなんて、全部お見通しってわけさ。
ま、所詮は魔物の浅知恵ってやつだね」
澄ました顔でそう答えると、“ルカ・アシュフィールド”は軽く髪をかき上げた。
シルクのように滑らかなブロンズヘアが、その仕草に合わせてゆったりと波打った。
(本当にエイルの読み通りになったな)
そして内心で舌を巻いた。
エイルから話を振られた時には、いくら何でも用心に過ぎると思っていたのだが、こうもズバリ当たってしまうとは。
さらに彼は“パーティー会場に現れた吸血鬼も偽物”と断じていた。
だからこそ民衆を人質に取られた際、素直にドラキュラの提案に乗ったのだと。
(……この分だと、それも当たりだったのかも)
よくよく頭の回る友人だった。
味方にしてこれ程頼りになる奴はそう居ない。
「ま、そういう訳でチェックメイトさ、吸血鬼。
色々策を弄してくれたけど、最後に勝つのは僕達だったわけだ」
「チェックメイト?
ハハハ、それはどうかな」
未だ不敵な笑いを浮かべるドラキュラ。
この状況に至ってなお、余裕が崩れていない。
「諦めが悪いな――って何だそれ!?」
吸血鬼の身体が膨れ上がる。
……いや、違う。
膨れたように見えただけだ。
「まだ魔物を生み出せるのか!?」
ドラキュラは、またもや魔物を“生産”し始めたのである。
1匹2匹という単位ではない。
数十――いや、数百――下手をすれば、千――?
「……マジ?」
瞬く間に、中庭は魔物で埋め尽くされた。
吸血鬼の血肉で組み立てられた、おぞましい形状の化け物が目の前でひしめき合っている。
一万に及ぶ
(まさか無限に湧き続けるってことはないよな?)
そんな嫌な考えまで思い浮かんでしまう。
対して、吸血鬼は優し気に微笑んできた。
「――公子。
キミの強さは嫌という程理解している。
まともに正面から戦ってどうにかできるとは思っていないよ。
だから、こうして“対策”を用意していたわけだ」
吸血鬼の笑みが深くなる。
口元には、尖った牙が顔を覗かせていた。
「先程驚いたのはね。
まさかキミがこんな“都合の良い場所”に居てくれるとは思わなかったからさ。
キミはディアナ王女かエイル侯爵の傍に控えているものとばかり考えていた」
両手を軽く広げ、困ったようなポーズをとる。
「狭い場所で迎え撃たれると、“数で押す戦略”が使いにくくなってしまうのでね――どうしたものか、頭を悩ませていたんだ。
だが、キミがここで待ち構えてくれていたのなら、その必要は無かったな。
これだけ開けた場所でならば、存分に数の暴力がその効果を発揮してくれる」
こちらの戦意を挫くためだろう。
やたらと丁寧に解説してくれる。
ルカは大きく息を吐くと、
「……それで?」
「む」
こちらの表情に何かを察したのか、ドラキュラが笑みを消した。
そんな彼へ、ルカは語りかけた。
今度はこちらが不敵な笑みを浮かべる番だ。
「
満を持して披露してきた策が、こんな力業だったとはね。
これなら、なんの問題ない」
「ハッタリ――ではないのだろうな。
信じがたいが、君は我々に抗し切る“策”を持っているというのか?」
「策? そんなものないさ。
いや、必要ない――と言った方が正しいかな。
ふふん、どうせならその倍は魔物を用意すべきだったね。
「……言ってくれたな、公子」
吸血鬼の瞳が鋭く光る。
先日の邂逅では見せなかった、“本気の目”だ。
「そこまで言うならば見せて貰おう。
千の大群を問題にしないという、君の強さを!」
「言われなくとも見せてやるさ!」
目の前に蠢く怪物達が一斉に殺気だつ。
しかしその膨大な殺意を、ルカは一顧だにしなかった。
(この“場所”が有利なのは、お前だけじゃないんだよ)
胸中で囁く。
今の状況はルカにとっても望ましい代物であったのだ。
中庭の広さ、ではない。
地形でもない。
ルカ以外に
ここでなら、“アレ”が使える。
(例え親友相手であっても、
アシュフィールド家の秘奥。
血統によって受け継がれる、その血に連なる者にのみ許された御業。
門外不出であり、余人に見せる事を固く禁じられた絶技。
「……行くぞ」
ぽつりと呟き、瞳を閉じて神経を集中。
手で素早く印を組み、記憶の海から“術式”を浮かび上がらせる。
そして、“呪文”と共に式を完成させ、そこへ魔力を走らせた!
「――<
途端、視界から色が消える。
音が消える。
ルカの目に映るのは、何もかもが“止まった”世界。
即ち――今、彼は
(正確に言うと、時が止まったのと錯覚できる程、自分の時流を加速させてるってことらしいけど)
実のところ詳しいことはルカも分かっていない。
ただ、この静止した“時”の中、自分だけが自由に動くことができる、ということは理解している。
「僕がコレを使うと決心した時点で、お前は負けてたのさ、ドラキュラ」
最早聞く者のいない台詞を零し、ルカはサーベルを抜く。
たった一人によって行われる、“一方的な虐殺”の幕が開ける。
「――――あ?」
ドラキュラが遺したのは、ただその一言のみであった。
それはそうだ。
正真正銘、再生など不可能な程に身体を微塵に斬ったのだから。
本来であれば、声を出すことすら不可能な状態のはずなのだが、
(時間止めてると、斬っても刺してもピクリとも動かないんだよなー)
例え粉々になるまで切刻んだとしても、魔法を解除するまでは原型を保っている、というわけだ。
しかし、一度動き出してしまえばその崩壊を妨げることはできない。
吸血鬼は――お供の魔物も含めて――正真正銘五体がバラバラになりながら崩れていく。
「ふぅ、終わった終わった!」
全て見届けてから、一つ大きく伸びをする。
戦いの時間は実質1秒にも満たないのだが、その中でルカは千匹の魔物を斬っているのだ。
それは疲れもする。
「しかし、最後は呆気なかったなぁ」
“時流操作”の魔法を使った以上、そうなるのは仕方ない。
この技の前に、敵は抵抗することすらできないのだから。
「――ああいや、まあ、一部例外は居るんだけども」
唐突にルカの脳内へその“例外”な人達の顔がフラッシュバックしたため、慌てて頭を振る。
「……あ、れ?」
その勢いで、脚がもつれてしまった。
倒れないよう踏ん張ろうとするが力が入らず、その場に尻もちをついてしまう。
同時に、彼の身体に猛烈な疲労が襲ってくる。
「あー、早速反動が来たかー」
ルカはその現象を諦観と共に受け入れた。
時流操作魔法は、行使と維持に莫大な魔力と集中力を要する。
絶大な効果を生むためには、絶大な代償が不可欠なのだ。
その結果、この魔法を使うとルカは一両日近く強制的に睡眠状態へ入ってしまう。
無論、寝ている間は完全に無防備となってしまい――それもあって、時流操作魔法はなかなか使いどころに困る代物でもあるのだった。
「目が覚めたら、ふかふかのベッドへ運ばれていることを所望する。
エイルが添い寝したりしてくれてれば完璧」
瞼が重くなる中、そんな無茶を口にした。
いや、自分はこの戦い一番の功労者なわけで、それ位の恩恵は受けてもいいのでなかろうか。
「魔物の死体に囲まれて寝る、てのはぞっとしないけれども――ん?」
最後に自らの戦果を確認しようとして、あることに気付く。
通常、吸血鬼は死ねば灰となるのだが、その痕跡がどこにも無かった。
「まさか――」
その事実から導き出せる結論は一つ。
「――こいつも“人形”だったのかよ!?」
ドラキュラが作り出した偽物は2匹居たのだ。
一匹は砦の外で近衛軍と戦っており。
もう一匹はたった今ルカによって倒された。
「ど、どんだけ用心深いんだ、あの野郎」
つまりルカもまた、吸血鬼の陽動に引っかかってしまったというわけである。
本物はどこに居るのか?
戦場を遠くから眺めているのか、それとも既に砦内へ侵入しているのか。
「……後者、だよなぁ、絶対」
前者は、余りにも希望的観測に過ぎる。
早くこの事を伝えなければならない、のだが。
「あ、ダメだ、無理、眠い、寝る」
ルカの身体は、もうピクリとも動かなかった。
強烈な眠気が意識を刈り取りにきている。
「……すまん、エイル。
後、任せた……」
最後に親友へのメッセージを口にして。
ルカは眠りにつくのだった。
……こんな事態だと言うのに、その寝顔は非常に可愛らしかった。