朝食を終えた私は、セシリアを伴い屋敷の廊下を歩いていた。
銀髪の少女は背筋をピンと伸ばし、楚々とした様子で歩を進めている。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花とはよく言ったものだ。
その洗練された所作を見れば、男は皆息を飲むことだろう。
我が姪もこれだけ美しく成長していて欲しいものだ。
そんな彼女へ、私は軽く話しかける。
「今日のスケジュールはどうなっている?」
「坊ちゃまの承認待ちである案件が16件入っております。
また、10時より商工ギルドのギルド長と会議、13時よりギリー様と学院について打合せ、15時より冒険者ギルドのギルド長との会議の予定です」
「承認案件の書類はどこに?」
「執務室に纏めてございます」
私の問いにスラスラ答えるセシリア。
彼女の頭の中には、執務の予定が数か月先まで記憶されている。
メイドというより、秘書官と言った方が相応しい。
スケジュールについて困った時は、セシリアに聞けば大抵なんとかなる。
流石は侯爵付きメイドというだけあって、ずば抜けた頭脳の持ち主なのだ。
予定の管理も彼女に丸投げしているので、大分楽をさせて貰っている。
「ありがとう。
いつも助かっている」
「過分なお言葉ありがとうございます。
しかし労いは不要です。
坊ちゃまのお仕事に比べれば、
「そんなことは無いだろう」
どうもこの少女は自分のことを過小評価しすぎるきらいがある。
認識を改めて欲しいとは思うものの、彼女が正しい現実を知った場合、大した仕事をしていない私は蔑まれてしまうかもしれないので、善し悪しだ。
――ところで。
今の会話を見て、不思議に思ったことは無いだろうか?
そう、“時間”だ。
この世界では、現代社会と同じ時刻制度を使用している。
これは単なる偶然か?
あくまで私の推測になってしまうのだが、“違う”。
偶然ではなく、“何者か”の意図により現代社会と同じ仕様にされたのだ。
証拠は単位系。
時間だけではなく、長さや重さの単位も現代社会のそれと“同じもの”が使用されている。
ここまで来れば、決して偶然で片づけることなどできない。
ではその“何者か”とは誰か?
おそらくだが、私と同じ転生者――現代社会の記憶をもったままこの世界へと生まれ落ちた人物なのではないかと考えている。
私がココに居る以上、私以外にも地球から転生した者がいると考えた方が自然であり、その“転生した人物”が地球の知識を広めたのだとすれば、この状況にも納得がいく。
ここで“模範的な物語の主人公”であればこの“何者か”を探るべく冒険に出るのかもしれないが、残念、私にそのつもりは一切ない。
そんな行動に意欲は湧かないし、そんなことをしている暇があったらこの“侯爵生活”を満喫していたい。
……まあ敢えて言うなら、その人物は“アメリカ人”ではないだろう。
使われている単位は
アメリカの人であれば、インチやポンドあたりを流行らせるのではないか、と考えるわけだ。
もののついでに技術系についても軽く紹介しておこう。
朝食の場で“技術レベルに差がある”と話したが、この世界の技術は大雑把に中世後期程度の発展具合となっている。
日本の小説や漫画によくあるヒロイックファンタジー的な世界観、といった方がいっそ分かりやすいだろうか?
アラフォーに差し迫ったおっさんが何を言うか、という指摘は甘んじて受け止めるが、別におっさんがラノベを読んだっていいじゃないか。
私が子供の頃から既に、そういう娯楽モノはあったのだから。
ただ、中世後期と言いつつ、ゼンマイ式の懐中時計が存在していたりと、
これを“世界が違うのだから技術発達速度も違って当然”と考えるか、“転生者により現代技術が一部導入されている”と考えるか。
どちらも有り得そうではあるし、案外両方とも正解なのかもしれない。
ああ、そうそう。
ヒロイックファンタジーという単語から連想したかもしれないが、この世界に“魔法”は――ある。
正しく“剣と魔法”の世界というヤツだ。
地球には存在しなかった(少なくとも私は見たことが無い)“魔法”の存在もまた、前述した技術発達の歪さを助長しているのかもしれない。
実際、かなり便利な“力”で、私も何かと重宝――
「坊ちゃま」
「うん?」
セシリアの声に、足を止める。
「執務室に到着いたしました」
「ああ、そうか」
私の目の前には木製の扉。
ここを通れば目的の執務室である。
考え事をしている最中に、到着してしまったらしい。
“魔法”の説明は、また後にしよう。
「何か、お体の具合でも悪いのですか?
先程から、心ここにあらずといった様子でしたが」
「いや、問題ない。
君の横顔に心を奪われていたんだ」
「なるほど、そうでございましたか。
では前方不注意があってはいけませんので、次回より坊ちゃまの後ろを歩くことにいたします」
「…………」
澄ました顔でさらっと流された。
相変わらず動じない少女である。
……単に私が相手にされていないだけなのではないか、という指摘については黙殺させて貰う。
さて。
ここで、私の仕事ぶりを軽く見て貰おうか。
大して面白いものでもないだろうが、我慢して欲しい。
「エイル様!?」
“部屋”に入ると、驚きの声が上がった。
ここは、ウィンシュタット家の応接室。
豪奢の作りの一室で、中央に大きなテーブルが鎮座し、それを挟む形でソファーが設置されている。
セシリアの言った“商工ギルドとの会議”を行いに、この部屋を訪れたわけだ。
「どうした?
何かあったのか?」
私の登場に驚いている男性へ、話しかける。
相手は――未だ目を丸くしたまま――答えてきた。
「い、いえ、まさか今日おいで頂けるとは思いませんでしたので。
その、侯爵位授与式は本日だったかと記憶していたのですが――」
「間違いではないが、式まで時間はある。
そもそも、今日の会議は大分前から予定されていたものだろう」
「大事な式かと存じます。
英気を養っておられても良かったのでは?」
「君の仕事を滞らせるのも忍びない」
「もったいなきお言葉……」
恭しく一礼をしてくる。
彼の名はロイド・スターニング。
既に40歳を越える壮年の男性だ。
シュタットの商工ギルドで、ギルド長を務めている。
商工ギルドとは商人や職人を取りまとめている組織であり、その長ということはこの街の流通をほぼ掌握している男ということ。
きっちりと整えられた髪、一部の隙も無い身だしなみが、“できる男”具合を醸し出している。
……そんな人物が、外見はまだまだ若造である私に遜る様は、はたから見れば違和感があるかもしれない。
「そもそも、私が今日来ないと考えていたと言うなら、何故君は屋敷へ来たんだ?」
「万に一つということもありますし……それに、ここであれば誰にも邪魔されず雑務をこなせます。
ギルドでは何かと雑音が多いもので」
「体よく我が家を作業室として利用しようとしていたわけか」
なかなか太々しい。
そして一人作業を決め込んでいたところへ私が現れたからこそ、咄嗟に驚いてしまったわけだ。
納得したところで、私はソファーへ腰かける。
「それで、今日は商工会議所の建設について、だったな」
「はい。
詳細は既に提出したかと思いますが――」
「ああ、確認している」
私が頷くと同時に、セシリアがその書類をテーブルへ置いた。
いちいち記述していなかったが、この部屋には彼女も同伴している。
この屋敷で行動する限り、基本的に私とセシリアは行動を共にしていることがほとんどだ。
「おや?
こちらは私が提出したものとは――」
「悪いが内容を適当に纏めさせてもらった。
……どうにも、不必要な事項が多く記してある書式なのでな」
「昔からの慣例でして、申し訳ありません」
「君が謝ることじゃない。
この形式は国が定めたものなのだから。
もっとスマートな内容にするよう、上に具申すべきか」
「恐縮です。
そうして頂けると、私共も助かります」
又もや礼をしてから、ロイドは書類を手に取ってそれに目を通しだす。
「邪魔なものを排除しただけで、内容は変わっていないはずだ。
こちらの書類で話をして構わないかな?」
「――はい。
問題ありません」
確認時間は十秒足らず。
それだけで彼は私の用意した内容に不具合がないことを把握したわけだ。
流石はギルド長。
その有能さはこんなところでも発揮されていた。
「では始めるとしようか」
「はい、まずは――」
ここからの会議内容については、割愛する。
物凄く単調な代物だからだ。
ロイドのした説明に対し、私が2、3質問する――ただ、それだけ。
そんなことでいいのか、と思われるかもしれないが、これには私なりの経験則がある。
会社員として十余年働いたことで、私は幾つかの教訓を得た。
その内の一つが、“有能な部下の提言は滅多に退けてはならない”、ということだ。
職場において、基本的に部下の方がより現場を熟知している。
そんな相手の意見を、現場を知りもしない上司が己の独断で否定してはならない。
上の人間がやるべき仕事とは、部下の行動へ責任を負うことと、予算を勝ち取ってくることだけなのだ。
それだけ行えていれば、有能な上司として崇められることになる。
……大前提として、その部下が信頼に足るかどうか、しっかり把握しておかねばならないのだが。
これができない上司のせいで、幾人の有望な若手が涙を飲んだか。
かくいう私も大分苦しめられた。
提案したプロジェクトを大した理由もなく却下してくれた田上部長、お前がしでかしたことは忘れんからな。
――さておき、今回の場合は、実に分かりやすい。
ロイドが優秀な人材であることは、火を見るより明らかだ。
有能でなければ、こんな立場にはなれない。
実際、彼が行う説明は理路整然として分かりやすい。
もっと言ってしまうと、ロイドとの付き合いはもうかれこれ3年以上になるのだが、その間一度も失敗を犯していないのだ。
信頼する条件は十分以上に満たしている。
一方で私は、ド素人といって差し支えない。
侯爵嫡男であるからには一通りの教育を受けているものの、商工ギルドのトップと渡り合える知識などあろうはずもない。
故に、私はうんうんと頷いていればいい。
それだけで万事滞りなく進む。
下手な考え休むに似たり、だ。
――しかし、スケジュール管理は全てセシリアに任せ、いざ仕事となっても首を縦に振っているだけ。
侯爵というのは何とも楽な仕事である。
日本であくせく働いている人達にこのことを教えたら、嫉妬に狂ってしまうかもしれない。
だが自分の行動を改めるつもりは皆無である。
何の因果か降ってきたこの幸運、存分に堪能させて貰おう。