「それでさぁ、その時はキャットがすごい踏ん張ってくれて…」
「熱い展開デスネ〜。そのガッツを、どこぞのジャガーも見習うべきだと思いマス!」
「そういえば、結構一緒にいるの見るんだよね、あの二人。ネコ科同士、通じるものでもあるのかな」
カルデアのマスター・藤丸立香の話し声に、物思いに耽っていたエウリュアレは顔を上げた。
背の高い南米の女神と気さくに笑い合っている少年の姿に、彼女は細い眉を寄せる。
「それじゃあね、コアトル姐さん。また後で」
「ええ。トレーニングルームで待ってマース!」
叉路で手を振り、別れる二人。
一人になった立香は、数歩進むと、廊下の先に佇むエウリュアレの姿に気付いた。
「おはよう、エウリュアレ。何してたの?」
「おはよう、マスター。立っていただけよ」
「つれないなぁ、ほんと……」
苦笑いにも愛嬌がある辺り、この少年の人たらしたる才能も大したものである。
自らもまた、愛される女神として生まれ落ちたエウリュアレだが、どうも彼は違ったベクトルを持っている。
何となく面白くないエウリュアレは、早々に彼との会話を打ち切って歩き出した。
「あ、そうだエウリュアレ。ステンノ様見なかった?」
ピクンと、エウリュアレの肩が跳ねる。
ゆっくりと振り返った彼女の顔は、字で書いてあるほどにわかりやすく不機嫌そのものであった。
「知らないわ」
「……そ、そうか。ごめん」
青い顔で謝罪する立香を尻目に、今度こそ立ち去るエウリュアレ。
残された立香は、自分の会話のどこに彼女の逆鱗があったのか、頭を悩ませるのだった。
〜〜〜
「やっぱりおかしくないかしら、ステンノ『様』?」
同一存在といっても過言ではない姉のことを、妹は普段、こんな風には呼ばない。
興奮気味のエウリュアレに対し、ステンノはビロードの髪を揺らして首を傾げた。
「おかんむりのようね」
「納得がいかないだけよ」
華奢な肩をいからせながら、エウリュアレは言い募る。
「私は呼び捨て。主神クラスですら姐さん。あの身を弁えないマスターが、ステンノのことだけ様付けなのは、一体どういうことなの」
姉妹に隠し事はなしよ、と迫るエウリュアレ。
カルデアに召喚されてから、二人は明確に、別存在として定義されつつある。故に、不安なのだろう。
いじらしいところもあるのだな、とステンノは自らの片割れを愛おしく思う。
さて、それにしても。
ステンノは、妹の要求にどう答えたものか思案する。
藤丸立香が、ステンノを敬称で呼び続ける理由。察しがつかないわけではないが、あまり胸を張れた事情ではない。
そして、自信なさげに物事を語るというのは、ステンノ自身のプライドが許すところではなかった。
そう、褒められた話ではない。
ステンノ自身のことを置いておいても、立香のために秘匿するべき事柄だ。
そっと目を閉じれば、昨日のことのように思い出す。
少年が走り出した頃のこと。
弱く儚い英雄と、彼を騙し続けた女神のことをーー
〜〜〜
不可視の刃が走る。
ワイバーンの羽ばたきは、破壊を伴う暴風となり、戦場を切り刻んだ。
間一髪、立香は飛び退いて直撃を避けるも、弾けた岩片がその頬を切る。
「マスターっ!」
「ッ…大丈夫!それよりチャンスだ!」
マシュは敵の懐に飛び込んでいる。振り返っていては、彼女が危険だ。
立香の声に震えはなく、それが彼のサーヴァントを奮い立たせる。
次の瞬間、マシュの目から怯えは消えていた。そして、重厚な盾による痛打がワイバーンを地に叩き落としていた。
「無事ですか!」
同様に、一体のワイバーンを排除したジャンヌ・ダルクが立香に駆け寄る。
どうやら、この群れの襲撃は凌ぎ切ったらしい。ワイバーンの吠え声も風切り音も、付近からは聞こえてこなかった。
「マスター、怪我をしています…!早く手当を……」
「心配しすぎだよ、マシュ。俺は大丈夫」
繰り返す立香の表情は柔らかく、マシュもすぐに平静を取り戻す。
その様子を見て、ジャンヌが感嘆のため息をつく。
「まだ、戦場に出て日が浅いと聞きました。……勇敢ですね、貴方は」
「そうかな……そんなこともないと思うけど」
笑う立香に影を見る。
私には、その笑顔が痛々しく映った。
〜〜〜
「入るわよ、マスター」
厳しい状況ながら、ささやかな談笑もあった夕食が終わった。
ここ、オルレアンで出会ったサーヴァント達は、寝る必要がないため、周囲の警戒に当たっている。二つのテントは、生身の人間である立香と、デミサーヴァントゆえに人間の習慣から抜け切っていないマシュのためのものだ。
私は、わざわざ入り口の前で霊体化を解いてから、ゆっくりと立香のテントに足を踏み入れた。
「…………」
明かりはない。
マシュも、恐らくジャンヌ達も、彼が既に寝入ったと思っている。
しかし、真っ暗なテントの中で、彼は体を起こしていた。
そこに、昼間の溌剌とした姿はない。あまりにも生気に欠け、さながら食屍鬼のようだった。
死んだ魚のように濁った彼の瞳が、ぎょろりと私を捉えた。
「なんて顔をしているの。可愛い顔が台無しよ」
刺激しないように、ゆっくり、ゆっくり、彼の隣に移動する。クセのある黒髪を撫でると、次第に、カチカチと歯を鳴らす音が聞こえてきた。
消えそうな亡霊が、怯える子供にまで戻ったことに、私は僅かながら安堵する。
「……俺は、生きていますか」
「ええ。生きているわ」
「……本当ですか。あの草原で、俺は切り刻まれていませんか。あそこには俺の死体が転がっているんじゃないですか。とっくに旅は終わっていて、ここにいる俺は……」
「馬鹿ね。貴方は死なないわよ」
令呪の刻まれた右手に触れると、氷のように冷え切っていた。強張ったその指を丁寧に解しながら、私は彼に囁きかける。
「大丈夫。私の加護を信じなさい。数多くの英雄が望みながら、誰も得ることが出来なかった、とびきりのおまじないなんだから」
首筋をついばむと、抑えた喘ぎ声が漏れた。彼の目を見て微笑むと、その表情が、恐怖以外の感情を取り戻す。
「私を信じて、マスター。恐ろしい風も炎も、貴方を避けていくわ。鋭い爪も牙も、貴方を傷付けられない。危機にはきっと味方が現れる。一瞬でもチャンスがあれば、必ず貴方はそれを掴める。大丈夫よ、マスター。私がついているわ。……目が覚めたとき、貴方はまた、英雄になれるから」
撫でられ、抱かれ、立香の瞼が落ちていく。脱力していく彼を寝かすくらいの腕力は、幸い今の私ならば持ち合わせている。
私が毛布を掛けるのと、立香が眠りに落ちるのは、ほとんど同時だった。
「ステンノ……様……」
零れたか細い声に、罪悪感が募る。
酷い女だという自覚はあった。
サーヴァントとして再構築されたものの、本来、守られなければ生きていくことさえできない女神ーーそれが私だ。多少マシになったところで、属性が変化するわけではない。
私は、戦力として十分な貢献をすることはできない。
当然、彼に語った「加護」など与えられる力はない。そんな魔術の覚えはない。
彼にかけたのは、ほんの少しの魅了魔術。言葉を重ねて、「その気にさせた」だけに過ぎない。
藤丸立香は、魔術となんの関係もない、一般家庭の出だという。
それが今、世界を救うために、凶悪な魔獣、強壮のサーヴァントと戦うことを強いられているのだ。
一歩間違えば死ぬという恐怖。死ぬことが即ち、世界の終わりを意味するという重圧。
その中で、彼は周りに心配をかけまいと振舞う。彼を頼りにする後輩に、「大丈夫」の言葉を振り絞る。
そんなの、壊れてしまうに決まっている。
誰かが直してあげないといけないのだ。
それが歪なものだとしても。嘘で塗り固めるような直し方しかできなくても。
「……もどかしいわね。力がないことを悔やんだことなんて、一度もなかったのに」
明日になれば、彼はまた笑顔で苦難に立ち向かうだろう。
まやかしを鎧い、偽りを纏って、彼は戦うのだろう。
その後ろで微笑むことしかできない我が身が、恨めしかった。
〜〜〜
「あ、ここにいた!ステンノ様!」
聞き慣れた声に、私は思い出の世界から立ち返る。
顔を上げると、歯を剥いた妹に威嚇される立香の姿があった。
「…………」
逞しくなった、と思う。
数多の経験が自信を与え、幾多の出会いが絆を結んだ。あの頃より、実質的にも精神的にも、彼は強くなった。彼を守る者もずっとずっと増えた。
まやかしの鎧も、偽りの守護も、今の立香には必要ない。
当時はとにかく、今の立香は知っているはずだ。私が、オルレアンで語ったような力を持たないこと。嘘を吹き込み続けて、死地へ送り込んでいたこと。
しかし、立香がそのことで私を責めたことはない。話題にすら上げない。
だから、私もまた、このことを敢えてまぜ返す気はなかった。
「どうしたのかしら、マスター?」
私は笑う。立香も笑う。
そこにあの日の影はない。
……多分、なのだけど。
真実か偽りかなんて、関係ないのかもしれない。
彼は私を信じた。そして、苦難を乗り越えた。それは事実だから。
その夢を、信仰を、裏切らないためにもーー
私はもうしばらく、彼の隣で微笑んでいたいと思う。