2056年 8月
例年に比べて暑さの厳しい夏がバルカン半島にやってくる。
内陸部の森に囲まれたブゴイノ周辺ではこの暑さにもかかわらず、豊かな自然を目当てとするハイキングや森に棲む動植物を狩猟するためのハンターが訪れていたりする。
のどかな自然と穏やかに暮らす人々……だが市街地の郊外にてある日、何台もの警察車両が早朝の時間帯に集結し付近の住人たちは何ごとかと窓から顔を覗かせる。
ボディーアーマーを着用した警察の特殊部隊が先陣をきってとある民家に突入…その中に79式の姿もあり、民家には2番目に入り込む。
「警察だ! 両手をあげて床に伏せろ!」
玄関を強引に蹴り開けられた住人は驚いた表情で現われるが、警官隊に銃口を向けられると大人しく両手をあげて床に伏せる…それをすかさず警官たちが取り押さえ手錠をかけて確保する。
そんな時、家の裏口から男が一人飛び出したのを連邦警察特殊部隊員であるルカが発見する。
「79式、男が一人裏口から逃げたぞ!」
「了解!」
すぐさま79式は銃を肩にかけると、全速力で逃げる男の後を追いかける。
男は必死で逃げるが戦術人形である79式の足の速さからは逃げられず、あっという間に追い詰められていく…しかし逃げる男は振りかえると、ベルトに挟んでいた銃を引き抜くと79式に向けて発砲したではないか。
幸いにも銃弾はあらぬ方向にそれていったが、万が一周辺住人へ危害を与える可能性があることも予測し、79式は自分が傷つくのも覚悟で一気に飛びかかる。
抵抗する男を人形の力でねじ伏せ、うつぶせに拘束する…素早く銃をその手からひったくり手錠をかけると、男はようやく大人しくなるのであった。
「ルカ先輩! 逃げた容疑者の確保に成功しました!」
「お、よくやったな。そいつは他の警官に任せて、お前はオレと一緒に来い」
ルカに言われた通り、逃げた容疑者を他の警官に預けると、79式は彼の後ろをついて行く。
残りの容疑者は全員逮捕されたようで屋外にて拘束されているが、79式は念のため警戒を怠らない…しかし家屋内には既に他の警官も入っているようで、調査をしている最中である。
「銃を下ろしとけ79式、さてと……おいマルコ、ブツは見つかったか?」
「いや、まだだ。もしかしたら外の納屋かもな」
「よし、じゃあここは他の奴らに任せて一緒に行こうぜ」
「あいよ。おお79式お前もいたんだな、手柄はあげたか?」
「犯人を一人捕まえたんですよ、撃ってきたのでやっつけてやりました!」
「撃たれただって?けがはないのか?」
「ええ、平気ですよ」
身体のどこにも怪我していないことを79式はアピールして見せる。
銃声はその時の一発のみで、他の容疑者は抵抗することなく投降していた。
「おいラドミル、お前も一緒に来い。それとボルトカッターを持ってこい、納屋を開くぞ」
連邦警察特殊部隊のもう一人の隊員へそう伝えると、三人は家屋の裏手にある納屋へと向かう。
苔むしてツルが壁を覆い、ところどころ板が剥がれていて長く使っていないようにも見えるが、ルカは扉の前に生える草だけが短いことに気付いていた。
そう間を置かずにカッターを持ってきたラドミルが、納屋の扉を施錠している錆びた鎖を断ち切る……納屋の中は薄暗く、埃っぽい匂いに満ちていた。
真っ先に納屋に入って行ったルカは、古臭い藁に目をつけると、積まれた藁を払いのける……藁で覆い隠すようにしてあった木箱を強引に開くと、彼はお目当ての物を見つけたのか小さな口笛を吹く。
「こりゃあ……ずいぶんかき集めたもんだな。戦争でもするつもりなのか?」
開かれた木箱を覗いたマルコがそう言った。
後に続いてやって来た79式も一緒に覗く…木箱には緩衝材と一緒に様々な銃器が詰め仕込まれていたのだ。
旧式のライフル銃から猟銃、自動小銃や手りゅう弾なども発見された。
今回79式がここへやって来たのは、武器密輸犯の情報を入手したということで出動命令が下ったためだ……先日隣国クロアチアで民族主義的な政策を掲げるグラーニッチが大統領に当選し、同時期にボスニア=ヘルツェゴビナ構成国であるスルプスカ共和国の代表に過激な言動で知られる政治家が当選してからこういった犯罪が少しづつ増えていた。
「ちくしょう、めんどくさいことになって来たな」
「まったくだ」
後の処理は地元警察に引き継いで、ルカ達は車へと乗り込みブゴイノの警察署へと戻っていく。
町の通りはいつもと変わらない様子……ボスニア内だけでなく連邦領内の都市では一番治安が保たれ、民族間の融和も上手くいっている、それが79式が常々聞かされていることだ。
車内ではルカが下らない話をネタに仲間たちの笑いを誘う。
クロアチア人のルカとマルコ、セルビア人のラドミル…同じ町に住み、同じ仕事をする、そこに民族の隔たりは無い。
ニュースでは過激な言動の政治家らが台頭しているが、争い事に繋がるわけなんてない…争い合う理由なんてどこにもないんだ、そう79式は窓の外を眺めながらそう思っていた。
「結婚おめでとうマルコ!」
仕事を終えたルカたちの、乾杯の声が酒場に響き渡る。
同じ警察署に勤務する同僚の他、地元の友人らも招いたその会は、最近結婚したというマルコを祝うという名目で開かれたものだ。
「マルコさん結婚おめでとうございます!」
「おぉ79式、ありがとうな!」
「これ、お祝いのケーキですよ! ルカ先輩と一緒に買ってきたんです!」
「こいつは美味そうだな。ありがとう79式……ルカ、お前もありがとうな!」
同僚からの感謝の声に、ルカは酒瓶を掲げて応えて見せる。
賑やかな酒場には招かれた客以外もやってくるが、何故だか顔見知りのものばかりがやってくるため、一人また一人と彼の結婚を祝う人が増えていく。
「おい79式、サッカー始まってるぞ」
「あれ、今日でしたっけ!?」
「ははは、すっかりサッカーに夢中だな。この間までは興味ないとか言ってたのにな」
「ザグレブとベオグラードチームの対決ですよ! 因縁の一戦です、興奮しないはずがありません!」
瞳を蘭々と輝かせる79式はカウンター席へと飛んでいき、酒場内に設置された小さなテレビ画面を食い入るように見つめている…青のユニフォームのザグレブと赤のユニフォームのベオグラード、双方ともクロアチアとセルビアの首都の名を冠したチームだ。
試合開始前だというのに熱心にテレビを見つめている79式にマルコが苦笑していると、そこへルカとラドミルがやってくる。
「まったく、せっかくの結婚祝いなのにもう一人の主役がいないのはどういうことだ?」
「勘弁してくれ、嫁は体調がすぐれないんだ」
「なに? 生理が遅れてるとかそういう話じゃないよな?」
「あぁ、実は…」
「おいおいほんとかよ……おーいみんな聞いてくれ! 今日のこの集まりはマルコの結婚祝いだが、もう一つ名目が増えるぞ。こいつに子どもができたんだってよ!」
ルカがテーブルの上に立ってそう叫ぶと、酔っ払いたちが口々にお祝いの言葉を述べる。
テーブルに上がったルカはすかさず店のマスターに引きずり下ろされたが、友人を祝う場の雰囲気は最高潮に高まっていた。
一度はサッカーに夢中になっていた79式もそこへ加わると、マルコに詰め寄り子どもの性別だとかどんな名前にするのかだとか、興味津々で尋ねる…しかしまだ妊娠して間もないので、話が早いぞとマルコは笑った。
「へぇー、子どもですか…いいですね!」
「オレもようやく父親になるってわけさ。おいルカ、お前もいつまでも独身貫いてんじゃねえで身を固めろよ」
「そうですよルカ先輩。マルコさんとラドミルさんを見習って、先輩も早く結婚した方がいいですよ」
「余計なお世話だこのやろう」
「いやいや、こいつが結婚なんてありえないだろう。何人女泣かせてると思う?」
「え゛……そうなんですか先輩? そういうのは、ちゃんとお付き合いして結婚を約束した上でするんじゃ…」
「おいラドミル、余計なこと言うんじゃねえ」
からかうように言ったラドミルをギロリと睨む。
既婚者に周りを囲まれて居心地が悪くなったのか、ルカは酒瓶を手にどこかへと行ってしまった。
ルカがいなくなると標的は79式に移り替わる。
「なあ79式、ルカの奴を貰ってやってくれよ。お前ならあいつを任せられる」
「え? えぇ!? な、なんですかそれは!?」
「だってお前が一番仲いいじゃないか。あいつの女の扱い方っていったら、抱く以外に考えてねえってのに。お前に対してはそうはしないじゃないか」
「それはえっと、同僚だし私が人形だからじゃないでしょうか…?」
「そんなことは無い、きっとアイツはお前に惚れてるぞ?」
「そ、そうでしょうか…?」
79式は戸惑いつつ自分の頬に手を当てる。
気恥ずかしさからなのか、酒に酔っているからなのか触れた肌はとても熱かった…その理由がなんなのかは分からずじまいであったが。
そうこうしていると、酒場のテレビからホイッスルの音が流される。
どうやらサッカーの試合が始まったらしい。
ここに集まった者たちのほとんどがサッカーファンらしく、みんな小さなテレビの画面を熱心に見つめ、互いの陣営を応援していた。
いつの間にか戻って来たルカもそこへ加わり、彼は79式のすぐそばに座る…。
先ほどの話もあって声をかけるのが気恥ずかしい79式は、ただサッカー中継を見続けていた。
サッカーの試合は前半を0対0で終了し、ハーフタイムを挟み後半戦が始まった。
後半戦開始間もなく、勢いよくゴールへとドリブルするクロアチアザグレブのチーム…ゴール間近へ接近した際、ベオグラード側のスライディングで選手が倒されて審判の笛が鳴る。
PKの権利を勝ち取ったザグレブ側に、チームを応援する主にクロアチア人らの拍手が酒場に鳴り響く。
ゴール前にボールをセットし、シュート…放たれたボールがゴールネットを揺らすと、画面と酒場から歓声が沸き上がった。
反対にベオグラード側を応援していたセルビア人たちからはため息が零れ落ちる…だがまだ後半戦は始まったばかり、まだ試合の行方は分からない、そう思っていた矢先のこと…それは起こる。
PKでゴールを決めたクロアチア人選手がサポーター席へと走り寄ると、サポータに向けて腕を斜め上に掲げる敬礼をとって叫んだ。
『
その選手が叫んだスローガンが聞こえた瞬間、酒場の空気が一気に凍りつく。
突然のことに79式は戸惑っていると、中継されているサッカー場では審判がそのクロアチア人選手の元へと駆け寄りレッドカードを示す…一発退場だ。
試合会場はクロアチア人サポーターの歓声に混じり、セルビア人サポーターの非難やブーイングが響く。
「わるい、今日はもう飲む気になれねえから帰る」
「おいラドミル、あんなの気にすんなよ…あんな時代遅れのパフォーマンスなんか…」
「分かってるが、もう気分じゃねえんだよ。悪いなマルコ、先に帰るわ」
セルビア人であるラドミルはため息をこぼしながら酒場を後にする。
残っていた他のセルビア人客も居心地の悪さを感じたのか、一人また一人と酒場を去っていき、後には少人数のクロアチア人の客とルカ、マルコ、79式だけであった。
「あの、ルカ先輩…? 一体どうして…」
「
「いや、いいんだよ。それにしても最近物騒なニュースばかりだ…聞いたか、スルプスカで独立の投票をするって話」
「ボスニアから独立して、そのままセルビアに合流するつもりだろう。だけどそんなことしたら」
「最悪の事態になるな……セルビアの後ろ盾にいる
「あの、一体何の話しですか…?」
「お前は…あまり気にすんな、酷いことにはならないさ。そこまで人間も、バカじゃないはずさ…」
ルカの大きな手が79式の頭を撫でる…。
不安に思う彼女を気遣い安心させようとしてくれることを感じるが、同時に…彼自身の不安を、79式はその手を通して感じ取っていた…。
クロアチア共和国 ザグレブ
ユーゴ連邦の主幹となる連邦幹部会、その議長を務めるヨービッチは受話器越しに相手方と激しい議論を交えていた。
相手はセルビア共和国側の連邦幹部の男だ。
『ヨービッチ議長、我々の我慢の限界にも限りがある。我々はクロアチアが主導とする連邦政府の体制に反対する。あなた方がセルビアから手を引かないのであれば、我々セルビアは連邦から分離する』
「たわごとを、お前たちが武器の密輸を扇動していることは分かりきっている。お前たちがこの危機を招いているという自覚はあるのか?」
『では我々は銃を手にせずペンを持てとでも言うのですか? それで紙にでも攻撃するなとでも書けばよろしいのですかな? ヨービッチ議長、あなた方がこれからも強硬な姿勢を貫くというのなら我々は
「図々しいことだ、武器の密輸を行うあなた方が"正規軍"に保護を求めるというのか? バカバカしい冗談だ」
『冗談などではない、元々我々が一つにまとまることなどあり得なかったのだ。セルビアは連邦の全ての機関から離脱し、独立する』
「なるほど……つまり、戦争だな?」
少しずつ…きな臭くなってきました。
過去編を描くにあたり、色々な資料を参考としていますので描写やセリフ回しがパクリっぽいかもしれませんが、よろしくお願いします…。