METAL GEAR DOLLS   作:いぬもどき

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灰色の記憶 6

 内戦が勃発してもうすぐ3年が経とうとしている…。

 

 ボスニア北部の森林地帯、豊かな自然が残されていたはずのそこは最近連邦空軍による激しい空爆の影響を受けて山火事が起こり、辺り一面は焦土と化していた。

 山の中に流れる川を境に一方には森が、一方は焼け焦げた山肌が露出している。

 そんな川のほとりで、79式は一人バケツを手にして川から水を汲み、すぐそばのキャンプの場所まで運び入れる。

 

 キャンプ地には焚火をたくルカが、毛布に包んだ赤ん坊を大事そうに抱えながら79式を出迎える。

 汲んできたばかりの水を焚火の火で温め、79式は調理道具をすぐそばの切り株に広げると早速食事の準備を行う。

 

「79式、何か手伝おうか?」

 

「いえ、先輩はゆっくりしててください」

 

「そうか」

 

 手伝おうとするルカに微笑みかけながら、79式は森でとれた山菜と魚の調理に取り掛かる。

 杖を手に立ち上がろうとしていたルカは再び地面に腰掛け、赤ん坊をその腕に抱き抱える……ルカの右足は、膝から下が無くなっていた。

 あの日クロアチア民兵の蛮行にそれ以上付いていけなくなったルカは、憎悪に染まりつつあった79式をなんとか連れて部隊を脱走した…民兵に軍規などは無いも同然だが、敵前逃亡や脱走は厳しく処罰される。

 民兵たちの追撃から逃れる最中にルカは不運にも仕掛けられていた地雷を踏んでしまい、その右足を失ってしまったのだ。

 

 79式の応急処置のおかげで死は避けられたが、片足を失ったルカは手助けなしでまともに動けず、そしてクロアチアとセルビアの両勢力から命を狙われる最悪の状況に立たされてしまっている。

 長引く内戦で二人のように脱走する兵士はそこまで珍しくない。

 元々共存して暮らしていたというのに、ある時から敵対しろという命令を受け入れなかった理性的な者たちもいる。

 民兵よりも連邦軍兵士の方が練度は遥かに上だが、この内戦に消極的な軍人も多く士気はそこまで高くないのだ。

 

 

 だがクロアチア与党と連立する政党である"ウスタシャ"は独自の私兵を編成し、反体制的な者や脱走兵を見張り捕らえ殺す…現代に甦ったかのファシスト政党は秘密警察とも連携し、部隊に裏切りの気配がないか監視し逃げる脱走兵を追い立てる。

 ウスタシャの台頭は、この内戦をますます混沌へと導いていった。

 

 今のところ二人のもとに追手が近付く気配はなかった。

 近くに人が住んでいない森や山を選び、洞窟などの穴倉などで寝泊りをする…原始的だが文明のある場所に近付くよりも遥かに安全だ。

 だがそれはあくまである程度経験のある大人などに限られる。

 今二人は、無垢な赤ん坊の命を守らなくてはならないのだ…。

 

「ルカ先輩、粉ミルクがもうすぐ無くなります…」

 

 二人なら魚や木の実、昆虫などを捕まえて腹を満たせるだろうが、赤ん坊はそうはいかない。

 2、3日は持つだろうがそれ以上は……焚火を囲む二人は赤ん坊をじっと見つめたまま黙り込む。

 やがて79式が森を抜けることを提案し、ルカはそれに同意した…。

 

 

 

 

 

 

 人里まで降りてきた二人は夜になるまでじっと待ってから町へ忍び込むことを決めた。

 そこがどの勢力の支配地域であるのかは分からない、通常なら町の見やすい位置に勢力の象徴である旗がなびいているものであるがその街にはなかった。

 夜になると、唯一身軽に動ける79式が町へと潜入する準備を行う。

 黒地の布で素顔を覆い隠し必要最低限の荷物だけを持ち、出来るだけ装備を軽くする…いざ町へ赴こうとした際、ルカに引き止められる…彼は銃を手渡そうとしていた。

 しかし79式は首を横に振ってそれを受け取ることはしなかった。

 

「それは持って行きません…粉ミルクをとってくるだけですから」

 

「だが、お前の武器だ79式…」

 

「いいんです…私は人形ですが、もう人形のまま(・・・・・)でいたくはないんです。では、行ってきます」

 

「ああ、気をつけてな」

 

 ルカにそう言い、赤ん坊の頬を撫でた後、79式は坂を下って町へと入り込んでいった。

 警察時代の訓練から身についた身のこなしを活かし、夜に紛れて町の路地に身を隠す…そっと通りを覗いてみれば、酔っぱらった様子の男がふらふらと千鳥足で歩いている。

 相手が何者なのか探ろうとするが分からない…。

 クロアチア人もセルビア人も血統的には同じ民族、民族をわけ隔てているのは信仰する宗教の違いでしかない。

 見た目から人種を見分けるなど到底不可能なことだ…それがクロアチア人なのか、セルビア人なのか、はたまたそれ以外の近隣諸国の人間なのかは分からない。

 文化や言語、宗教が民族をわけ隔てる。

 言い換えてしまえば、たとえ血統が違くても似てさえいれば文化を合わせるだけで違う人種になってしまうことだろう……民族について考える時、79式はいつもそのあたりで混乱してしまう。

 

 酔っ払いをやり過ごした79式は猫のように身をかがめながら、粉ミルクがありそうなところを探る。

 雑貨屋などは無いか周囲の建物を見回すがほとんど民家ばかりだ。

 むやみやたらに町を歩きまわるのも危険が伴う、だいたいの目星をつけておきたいところであるが…路地裏に身をひそめている時、79式は、通りを歩く男たちの何気ない会話に耳を傾ける。

 

「配給がようやく届いて良かった、うちのチビにやるミルクも間に合って良かったよ」

 

「そいつはいい。まだ4か月だろう、これから大変だな」

 

 男たちの会話を聞いていた79式は、自宅に赤ん坊がいるという男の後をつけていく。

 男が家の中に入って行ったあと、79式は近くの物陰で息をひそめる…そして家の明かりが消えたのを確認、時間を置いてから79式は静かに家の中へと忍び込むのであった。

 真っ暗な家の中に忍び込んだ79式はまず息をひそめ、住人が起きていないことを確認する。

 それから79式は家のキッチンへと向かうと、戸棚や引き出しを探る……台所には哺乳瓶もあるため粉ミルクがあるのは間違いないはずだが、なかなか見つからない。

 仕方なく、ペンライトをとりだして出来るだけ外に明かりが漏れないよう細心の注意を払いながら粉ミルクを探していく。

 

「あった…」

 

 粉ミルクはキッチンではなく、リビング側のカウンターに置かれていた。

 持ってきたバッグに粉ミルクの缶を全て入れたところで79式はハッとする。

 この家には同様にこの粉ミルクを必要とする赤ん坊がいる…それにさっきの会話を思い出せば、この粉ミルクはようやく配給で手に入れられた貴重なものだということが分かる。

 迷った末に79式は、ほとんどの粉ミルクをカウンターに戻すと、封が空けられた缶と真新しい粉ミルクの缶を一つだけバッグにおさめて静かに家を出ていった。

 

 後はルカの待つ町の外へと戻るだけ、であるが79式は真逆の方向へと進む。

 79式が向かったのは、小さな診療所…先ほど民家を探った時に見つけた地図からこの診療所の場所を探しあてたのだ。

 診療所は鍵がかけられてたが、身軽な79式は屋根まですいすい上っていくと、天窓を静かに開いて診療所の中へと入り込む。

 79式は真っ先に薬棚へと向かおうとするがそこも鍵が仕掛けられている。

 鍵を探す手間を惜しんだ79式は持っていたナイフを使って強引に鍵を破壊すると、79式は薬棚を調べると、見つけた抗生物質をバッグの中へと入れる。

 この抗生物質は赤ん坊ではなくルカのためだ。

 地雷で足を吹き飛ばされたルカは応急処置をしたが、適正な治療とは言えない…彼は気丈に振る舞ってはいるものの日に日にやつれ、傷口は酷くなっている。

 感染症の疑いがあるのだ…粉ミルクと同時に欲しかった抗生物質を手に入れた79式は早速ルカの元へと戻るべく、薬の保管室を出た瞬間、何者かに襟を掴まれて投げ飛ばされた。

 

 咄嗟に起き上がった79式、睨んだ先には不敵な笑みを浮かべる黒髪の女性がいた…その手にはブレードが握られており、79式を品定めするように眺めている。

 

「精が出るなこそ泥。オレが見張ってる町に堂々潜入してくるなんてずいぶん調子に乗ってるじゃないか」

 

「あなたは…!?」

 

「あぁ? なんだよ…オレたちが誰か分からずに盗みに入ったのか? へへ、教えてやるよクソガキ……オレは処刑人(エクスキューショナー)、お前がどこの回し者かじっくり吐かせてやるよ」

 

 残忍な笑みを浮かべた彼女を見た79式は即座に診療所の扉に走りだしたが、後ろ襟を掴まれて再び床に叩き付けられる。

 それから無理矢理79式の身体を起き上がらせると、その腹を殴りつける…苦しさに呻く79式は反撃しようとするが、処刑人の力は強く一方的にねじ伏せられる。

 もみあいの最中に、処刑人の指に79式は噛みついた。

 痛みに一瞬顔を歪めた処刑人は、指を噛まれたまま79式の身体を持ちあげると、診療所の窓に勢いよく叩きつけるのだ……窓を突き破って投げ出された79式は酷い痛みに苦しむが、急いで立ち上がるとバッグを手に持ち走りだす。

 

 

「敵だ! 敵が町に入り込んだぞ、追撃しろ!」

 

 

 背後から処刑人の怒鳴り声が聞こえてくる。

 町はすぐにサイレンが鳴らされ、牛の鳴き声のような駆動音があちこちから聞こえてくる…。

 79式はがむしゃらに町を走りぬけ、追手の追跡を振り切って森の中へと逃げこんだ……森で追跡をかく乱した後に79式は、ルカの待つ場所へと向かう…。

 そこへ着くと、異変に気付いたルカが驚きに満ちた顔で79式を迎えるが、説明は後回し…79式は赤ん坊を片手に抱くともう片方の肩をルカに貸してすぐさまその場を移動するのであった。

 

「パルチザンだ…」

 

「え?」

 

 逃げる最中、ルカは苦しそうな顔でそう言った。

 

「町に赤い旗が見えたんだ、あいつらはパルチザンだ……セルビアでもクロアチアでもない。革命軍、って奴だな……どっかの傭兵を雇ったって話を聞いたことはあるが…ちくしょう」

 

「逃げましょう、先輩……今は一刻も早くここを離れるんです」

 

 ルカは頷いて応える。

 夜道を歩くのは片足のルカに相当な負担がかかっているのは承知だが、捕まればただでは済まされない。

 後ろから追手が近づいてくる恐怖感を感じつつ、二人は懸命に逃げる……だが、小川の傍までたどり着いたところでルカは力尽きその場に倒れ込む。

 

「少し休みましょう、大丈夫です、きっと撒きましたよ」

 

「いや……」

 

「それに、抗生物質も見つけてきたんです。これでルカ先輩の傷も完全に治せるはずです!」

 

「79式、お前……オレなんかのために危険をおかしたのか?」

 

「ドジ踏んで見つかっちゃいましたけどね……でも、先輩を助けたかったから…」

 

「バカ野郎が……だが、ありがとうな…」

 

 二人は小さな声で笑い合う…。

 だがそんな二人も、ついに別れの時は近付いてきていた……追手の声が森の奥から聞こえて来た時、ルカは決心するのであった。

 

「79式…もういい、もう十分だ……オレの事はここに置いて行け」

 

「先輩…? 何を、言ってるんですか…?」

 

「オレはもう足手纏いだ、お前の事も…赤ん坊の事も守れやしない。むしろ危険な目に合わせてしまっている…これ以上お前の邪魔になりたくない、だからオレのことは…」

 

「嫌です…」

 

「79式、もうそうするしかないんだよ。仕方がないんだ」

 

「嫌です! なんで諦めるんですか…一緒に頑張るって約束したじゃないですか! 先輩、私を…独りにしないでください…」

 

「すまない…本当に、すまない…」

 

 涙を滲ませる79式に対し、ルカはただ力なく謝り続けることしか出来なかった…。

 そうしている間にも二人を捜す追手の気配は少しずつ近付いてくる……自分のことには構わず逃げて欲しいというルカと、それを受け入れられない79式。

 お互い償い切れない罪を犯して今日まで支え合ってきた、それももう終わりなのだ…。

 ルカの切実な想いを前に、79式は涙を流しながら何度も頷いた…。

 

「先輩……分かりました……分かりました…」

 

「ありがとう79式…」

 

 涙に濡れた顔で79式はバッグを背負うと、地面に横たわるルカの傍に近寄るとそっと彼の身体を抱きしめた。

 

「さようなら……先輩……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人、森の中に横たわるルカ…星空を見上げながら煙草をふかしていると、数人の足音が近づいてくる。

 ついにその時が来たのだと感じ取ったルカは身を起こし、そばにあった岩へと寄りかかる……森の奥からやって来たのは強化スーツを着た兵士が数人と、金髪の少女を傍に連れている黒髪の長身の女性だ。

 黒髪の女性以外はみな戦術人形のようであった…。

 

 黒髪の女性、イリーナは冷めた目でルカの着ている制服の部隊徽章を見下ろした。

 

「連邦警察か……モスタルの平和的なデモを力で叩き潰した一味か」

 

「イリーナ・ブラゾヴィッチ……こんなところで革命軍の指導者に会うとはな…」

 

「気安く私の名を呼ぶな、連邦の犬め…いや、見たところ脱走兵か? 戦いから逃げ続けてここまで来たわけか」

 

「オレを殺すか…? お前たちの事は知っている、お前たちも…」

 

 イリーナは変わらず冷たい目でルカを見下ろすと、しゃがみ込み彼の胸倉を掴んで引き寄せる。

 すぐそばにいた少女…スオミがイリーナの乱暴な素行に待ったをかけると、イリーナは胸倉を掴むのを止める。

 

「お前ら民族主義者のクズ共は残らず地獄に堕ちろ、地獄の業火に焼かれながら犯した罪の重さを知れ……殺してなどやるものか、自分の手で地獄に堕ちろ」

 

 イリーナはそう言うと、部下の一人からリボルバーを手に取り、弾を一発だけ残し装填する。

 一発だけのリボルバーをルカに投げ渡すと、一度イリーナは小川の向こうに目を向ける…。

 

「イリーナさん、エグゼの話によると侵入者は女だったようですが…」

 

「放っておけ、もうここらにはいない……撤収しろ、町に帰るぞ」

 

 イリーナの指示に従った兵士たちは銃を下ろし森へと戻っていく。

 イリーナ自身も町へと戻る……そんなイリーナの後を金髪の少女、スオミが追いかけて袖の端を引っ張る。

 振り返る彼女にスオミは口を小さく開き、一枚の写真を見せてくれた……その写真にはルカの姿と、79式の姿がある。

 警察官のチームで撮影した写真と思われるが、その写真に写る79式をスオミは必死に指差していた。

 

「知っているのかスオミ?」

 

 スオミは頷く……。

 そんな時だ、さっきまでいた場所から一発の銃声が響く。

 咄嗟に振り返り見たスオミは、一人の命が散ったことを感じ哀し気な表情で俯いた。

 

「行こう、スオミ……」

 

 うつむくスオミの肩に手を回し、イリーナは小さなため息をこぼし帰路につく…。




もしも79式がばったり会ったのがエグゼじゃなくて、イリーナだったら……そんなことを考えてしまう。
この頃のエグゼは幻肢痛と復讐心全開で容赦なかったから、79式も恐怖から投降するという選択肢も選べなかった…。


そしてついに独りぼっちになってしまった79式……。

次回、過去編ラスト…。

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