そして、放課後。いつもの日常――球磨川という異物は挟まっていて、それは常にプレッシャーを与えてくるけれども、それでも貴重な日常だ。友がいて、競い合う仲間がいる。それはうららかな春のように心を癒す貴重な瞬間。
……その時間は唐突に終わりを迎える。
「こんにちは☆ 今日は皆さんに殺し合ってもらいます♡」
朝の女……江迎怒江が現れた。禍々しい雰囲気――
「……てめえ、どういうつもりで――」
切島が叫ぶ。彼はまだ心が折れていない……この日々悪くなっていく空気の中でまだ空元気を出していた。他の皆の”学校生活など通過点に過ぎないからやりすごせばいい”などという消極的な空気を換えようとがんばることができている。
「ええ、仲間で争うのは悲しいことだものね。でも、仕方ないのよ。これはヒーローとして通らなければならない道……」
彼女はさも悲しそうに見えるように顔をうつむける――うつむいて見えないその顔には笑みが浮かんでいた。けれど、経験が浅い彼には気づけない。女性経験があるようなチャラチャラしたヒーローの卵はここにはおらず、悪と対峙した経験も少ない生徒たちに気づくことはできなかった。
「通らなければならない道……だとッ!?」
その言葉に動きを止めて。一番後ろの席にいる球磨川がニヤリと笑って。その視線が周囲を睥睨する。動くかと思われたその瞬間。
「くだらんな、そいつはいいことを言ってからが本番だろう」
包帯が球磨川を捕らえた。
『ぐ――相澤先生。あなたは、死んだはず……!』
さしもの球磨川も驚いた。……いや、驚いたように見せかけたのか。どちらかわからない、しかし何かの思惑が隠されていることが明白なその白々しさ。捕らえた本人、相澤はその馬鹿馬鹿しさに不安を抑えることができないが――それでも影など一切見せず。そうとも、ヒーローが不安がってどうして人々を安心させるなどできようか。
「いや、授業が終わったから職員室に帰っただけだからな」
油断なく。捕らえた? 拘束した? だからどうした。その程度でどうにかできるようならば、とっくにどうかできていた。油断なく構える――が、油断しないからと言ってその首を折れないのはヒーローの限界か。殺しはもちろん、駄目押しすらもできやしない。無抵抗を殴ることはできない
「……球磨川さん! 今助けます……!」
ラフラフレシアが牙をむき。
「お前の個性もどきは接触しないと効果がないと緑谷から聞いている」
その過負荷を発言する手に一切触れず、一瞬で組み伏せた。そうとも、これがヒーロー。殺せない? それがどうした、殺さずに無力化するからこそヒーローだ。
「……うそ。この、私が――」
悪くすれば自分の腕が折れるほど力を込めてあがいている。なのに、”自分に巻き付いた包帯に触ることすらできない”。触れたのなら、多少自分の肉が腐るのと引き換えに脱出できたのに。
「プロヒーローを甘く見るなよ小僧ども。おもしろ手品だけでのさばることを許すほど俺たちはお人よしじゃない。なぜ、こんな博打に出た? 実を言うとお前ら、戦闘が得意なわけじゃないだろう」
過負荷に頼る江迎と、個性を一つの手段としてしか利用しない相澤の実力の差だった。
『先生は――テトリスやりますか?』
球磨川はピンチだ。窮地のはず――増援を呼んだはずが、一瞬にして己ともども組み伏せられた。ただの悪人ならもう完全にあきらめてお縄につく頃合いだ。けれど球磨川はずっと薄気味の悪い笑みを張り付けている。まるで、全て計画通りと言っているような……
「暇つぶしの定番だな。連鎖をつなげて一気に消すのが合理的で、俺は好きだな」
『そうですか。僕はちょっと違いますね。僕はですね――ごちゃついている断片が一気に消える瞬間にこそ、心を奪われるんですよ。チマチマしたプレイなんて性に合わないんです』
「我慢が利かない奴だな。だから、切り替えたと」
『ええ、そういうわけです。実はですね……爆豪君を皆にいじめてもらって、心を壊してもらおうと思ったんですよ。そこまでいかなくても彼にヴィランになってもらうだけでも十分、雄英にヒーローを育てる資格はなくなります。あーあ、いい感じに集団いじめが発生してたと思ったのにな』
「……恐ろしい計画だな。だが爆豪は堕ちなかったし、お前が言うほど空気も悪くない――そう、貴様が計画したほどにはな。これではまだ雄英を堕とすには足りないだろう?」
『はい。だから、面倒くさくなって――この方法はやめちゃいました』
へらりと笑う。自分で腕まで折って罪をかぶせた割にはあっさりとその作戦を諦めてしまった。普通は代償を払ったのならば取り返そうとあがいて失敗を重ねるものだが、気味が悪いくらいあっけなく全部放り投げてしまった。
「だとしたら典型的な失敗例だな。ちょっと盤面が悪くなったらすぐに投げ出して突発的な行動に出る。ヴィランとしてはスタンダードだよ」
もっとも、それが無策だとは思えないのが球磨川の怖いところ。いや、考えというか――彼の行動すべてが回り回って周囲の人間すべてに災厄を及ぼすような。
『あはは、耳が痛いなあ――。ところで相澤先生。あなたは個性に頼り切ったヒーローじゃないって話ですけど……実は僕もオールフィクションなんて面白手品に頼ったことって意外と少ないんですよ』
そう、オールマイトにやりこめられたあのときも、能力だよりで良ければさっさとカラスを消せた。狙いを外すのに二度目はない。負け惜しみでも驚かせるくらいはできただろう。それをしなかったのは……単にそんな
「拘束を消したところで、お前は能力を使うときに隙ができる。強大な能力を持つ者の宿命だな――狙いを定めるのに一瞬が必要なら、この距離で使わせはしない。攻撃を食らいながらも発動するなら更なる拘束を重ねるだけだ」
けれど、相澤先生の方だって現場にはいなくても話を聞いた。推測をもとに対策を立てるくらいのことはやっている。イレイザーヘッドは凡百の能力だよりのプロヒーローではないのだから。
『で、ところで先生。包帯を通して僕に触れていますね? 見せてあげますよ、僕の持つもう一つの過負荷を――』
「……はったりだ」
球磨川がニタリと笑って――
「っが!」
吹っ飛ばされた。球磨川ではない。どころか江迎ですらない――第三者。
「甘いですね、相澤先生。そんなだから――」
机を投げ飛ばした。ただそれだけだが、拘束が解けてしまった。生徒を疑えないという心の隙。そして、過負荷に対して抹消の個性は意味がないから使っていなかった。そして、もう一つ。
「相澤先生でもすぐに対応はできませんか? 私の
抹消で直前に個性を消しても意味がない。なぜなら、”それ”は能力を切ることによって発動する必殺技……否、ただの暴力。麗日お茶子――ついにAクラス生徒が過負荷側として参戦した。
『マイナスと言うのは関係性が本質だ。仲間に引き込むのだって、立派な過負荷なんだよ。ま、名前なんてないけどね――』
そして、自由になった球磨川は歪み切った笑みを浮かべる。
「さあ、まだ行きますよ――」
麗日は椅子を投げる。――あんぐりと口を開けて、信じられないと目を見開いているだけの何もできない口田甲司に。まったく関係ないともいえる彼。もちろん、関係ないから狙ったのだ。別に彼が特別相澤先生に気に入られているなんて事実もない。本当に手ごろだから狙っただけ。
「――え? 僕……」
そんな哀れな犠牲者の彼は、誰にも聞こえない声で呟いて。ただ茫然と迫りくる凶器を見つめることしかできない。よりにもよってクラスメイトがなぜ? と、疑問が渦巻く。状況がつかめなくてどんな顔をすればいいのかすらわからない……
「ぐあっ……ッ!」
そして、相澤先生に当たる。身を挺してかばった――無重力にしたものを投げるなんて使い方、今まで使っていなかった。できるできないで言えば可能だったが、制圧力よりも殺傷力が高いためにヒーローとして使うわけにはいかなかった技。
もちろん、当たりどころが悪ければ死に至ってもおかしくないのだ。無重力で高速で打ち出し、OFFにしてスピードをそのままに重さを取り戻した机は凶器と呼ぶには十分すぎる。
そして、それは――”必殺技”ではない。人を殴るときにはそれ以上に自分の心が痛むなどという言葉があるだろう、これは真逆。すべての責任を放り出して、”知ったことか”と嘲笑う暴力の本質。倒すも何も、それは偶然でしかない
「……麗日、お前が何でそんなことしてるのか俺は知らねえ。だけど――そんなこと、二度とさせねえよ」
”凍り付いた”――轟焦凍、半冷半燃の個性。氷であらゆるものを床につなぎとめてしまえば、投げるものはなくなる。彼とてヒーローとしての誇りを持っている。そして、自分の個性は捕縛には最適……ならば使わないわけがなかった。
『轟君、君が父親と同じ道を志す理由なんか知らねえけどさ。だけど、そいつはさせないぜ』
氷が消えた。オールフィクション、さらに皮肉も忘れない球磨川。
「轟君、助けて!」
麗日が叫ぶ。彼のもとへ飛び込んた。何言ってんだ、コイツとしか思えないような言葉。しかも手にはナイフ。”助けて”という言葉に轟は思考停止してしまって彼女を氷で拘束どころか、ナイフから身をかばうことすらできやしない。
「――逃げろ轟!」
相澤先生が怒鳴る。けれど、大半のクラスメイトはやっぱり何もできなくて。
「ざけんな!」
爆破。爆豪がやった。この混沌とした状況で、相澤以外で状況判断というものをやっていた、ただ一人の生徒。
「っぐ、爆豪君か!」
無重力では爆破を防げない。壁にたたきつけられる。
「死ねや裏切者ォ!」
「っあ! が――」
追撃。過負荷相手に手加減は無用。気絶するまでぶん殴る――すぐに沸騰する精神回路、そしてその裏では冴えわたる戦闘センスが最適解を弾き出す。爆豪は原石としてすでに完成している。ゆえに地力が劣る麗日ではもはや打つ手がない。当たり前に気絶して確保するまで殴られるだけだ。
「――舐めるなよガキども! これで破ったつもりか! 死んでもこの拘束は外さねえぞ!」
相澤先生が雄々しく叫ぶ。キャラではない……が、こうでもしないと意識を保っていられない。彼の個性は防御力に全く寄与しない。その状態で10㎏はある机を叩きつけられた、骨の一本や二本は折れている。
《おやおや……これは》
「これで――詰みだ!」
血とともに言葉を吐いて。拘束をさらに強く。切り札であったはずの
『――あ』
彼の唇が紫色に染まる。顔色が土気色になる。
「……ッ! 貴様と言う――マイナスが!」
思い切り腹を蹴りつけた。捕虜虐待じみたその光景にAクラス生徒は息をのむ。
『ひゅー……ひゅー……』
虫の息。誰が見ても末期だった。そう、主犯……球磨川禊は死ぬ。虫のように。