「――ち」
舌打ち一つ。わずかながら真実を悟った相澤。その吐き気のするような真実に悪寒が止まらない。……もっとも、それでさえ真実の断片に過ぎないのだが――
(毒を飲んだか)
球磨川が死にかけている状況はこういうことだった。蹴りつけたのも飲んだはずの毒を吐かせるため。虐待どころか治療行為なのだ――ドライアイの死んだ目がそんな善良な行為をやっているように見せないだけで。
『あー。うー』
うわごと。焦点が定まらない目。間違いなく球磨川がここで息絶える。そんな風に思わざるを得ない状況。ヒーローの生命力なら帰還は可能だろうが彼の体力のなさでは……
(……馬鹿な。なぜこんなことを――ッ!)
対応できるのは彼だけだ。いや、ここはヒーロー養成校、対応できるだけのプロヒーローは他にも何人かはいるが……逆に言えばその人以外の先生に来られても邪魔になるだけだ。
――こんな口封じの真似をするような悪意に満ちた凶悪ヴィランの相手など、相手できるような強靭な精神力を持ったプロは限られてしまう。
「病院の手配を……いや、江迎の処置が先か……!」
とにかく行動を起こす。こんな混迷にあって即応できるようなヒーローは彼くらいのものだ。ましてや、生徒など――騒ぐかうろつくかで邪魔にしかならない。
「……うふ」
江迎がほほ笑んだ。彼女もまた死にかけだ。コイツも毒を飲んだかと思いつつ足を踏み出して……相澤の足が崩れ落ちる。
「――な、に?」
意味が分からない。目を盗んで歯に仕込んだ毒を飲み下すならまだしも……毒薬を盛られるようなヘマはしてないはず。そう思うが――視界が反転する。大きな音が響く。倒れた自分が机を蹴倒してしまったのだ、と後から認識して。
さらに机の倒れる音が連続する。人の倒れる音。絶望感とともに錆の浮いたような感覚がする首を無理やり回してそちらを見る。
生徒たちもまた……毒を受けていた。
(……毒ガスか!)
球磨川、そして江迎が毒を飲んだと思ったのは勘違いだった、吸っていたのだ。毒ガスを散布……やられたと思うしかない。
目を白黒させて、なんで自分が倒れているかさえ分からない有様で倒れている生徒たち。酩酊感、吐き気、悪寒、世界が回る――最悪なのが嘔吐だ。それを見抜いた自分と違い、生徒たちは何の覚悟もできていない。嘔吐してしまえば気道が詰まって、窒息死すら考えられる。
(だが、発生源はどこだ……? 毒ガスなど、そうそう手に入るものでもないはず。そして、それを使わせるような隙など見せていないはず)
それが疑問。そもそもの問題として――これは自爆だ。毒ガスが教室に満ちたことはどうでもいい……閉め切れば最近の建物はガスが充満するだけの気密性はある。少し漏れることはあるだろうが濃度が薄まるほどではない。逆に言えば幸運にも被害はこの教室でとどまるということだが。
だが、自爆……そんなものを選ぶ精神性がこの場合は問題となる。ちょっとやそっとの大物ヴィランでは選択肢に上げることすらできない悪意が過ぎた代物。使い捨ての顔も知らない下っ端じゃないのだ。ひとつ前の社会では宗教で”それ”をやらせたという話だが、それは一種の社会的狂気だろう。歴史が醸成し、宗教が火をくべ、国家単位で煮詰まった絶大な域に達した”悪意”。
ゆえ、ただの集団一つがそれだけの悪意を実行したとなれば――
(恐ろしい。恐ろしい奴らだ。ここで奴らを拘束しなければマズいことになる……!)
ゆえに相澤は気力のみで物理的限界を超える。化学物質によって力の入らなくなった足を叱咤して無理やり立ち上がる。震える小鹿のような足、だがそもそも毒に侵された体で立ち上がることはできないはずなのに。
「球磨川――貴様はあの”ヴィラン連合”すら超える悪だと理解した。……潰す。絶対に、ここで――ッ!」
それを支えるのはもはや狂気とすら呼べる領域の決意。殺すことすらためらわない。この悪魔を社会から断絶させることができるのならば。
『あは。必死ですね、ねえ相澤先生――』
立ち上がる。虫の息だったはずなのに……なにも影響を受けていないかのように。そして、拘束の緩んだ江迎、相手の爆豪が倒れた麗日も立ち上がる。
「それがオールフィクションか……ッ!」
回復――だから毒ガス作戦ができた? 最初から死ぬつもりがなかったから実行できただけ? 安全は確保していたから実行できただけで、ならば脅威は薄い……
(そんなわけがあるか……ッ! むしろ、危険は天井知らず。”知った”上で自爆作戦……! そんなことをさせるだけのカリスマ。死柄木 弔は完成には程遠かった。だが、こいつは……ッ!)
仲間に自爆をさせるだけのカリスマ、それは絶対値で言えばオールマイトすら上回りかねない。様子を見れば騙していたなんてことはなく、覚悟を持って臨んでいたことは分かる。そんな団結力。
『あは。一転して窮地ですね。その有様じゃあ他人をかばうことすらできませんよね?』
へらへらと笑う球磨川の手には螺子が。明らかに倒れた生徒を狙っている。相澤はほとんど死にかけと言ってもよく、押せば倒れそうになっているのにも関わらず。狙ったのは虫の息の、偶然近くにいただけのクラスメイトだ。
「貴様、どこまで――ッ!」
『やだな、どこまでなんて言われたら――最期までやっちゃいたくなるじゃないか』
「やめろ! やるなら、俺を狙え!」
『立派ですね。そんな立派な人に手を上げられるはずないじゃないですか――』
うなりを上げる螺子が倒れ伏せる生徒を狙って。
「……やらせねえ」
螺子が氷に止められた。轟焦凍……彼が動けたのは単に身体強度の問題だ。幼いころからヒーローの訓練を受けていた彼は毒の苦しみの中でもわずかに個性を使えた。
『へえ、君誰だっけ? すごいなあ、あこがれちゃうなあ。こんな、いつ誰が狙われてもおかしくないような状況で目立つなんて――まるでヒーローだね』
そして、彼がやったことは一目瞭然。細く伸びる氷の道が主を指し示す。そして、その一撃は最後のあがきのようなものなのだ。少し体が丈夫だから動けただけで、だから少し動いただけで当然のように気力を使い果たして動けなくなってしまう。
「轟君だよ。クラスメイトでしょ」
『そういえばそんな名前の奴もいたっけ。なんか燃えてるけど、これ建物燃えたりしないの? 麗日ちゃん』
「さあ? 知らないけど、それで燃えたのは見たことないな」
『へえ、そっちを使っていればなんとかなったのかもしれないね?』
ニタニタと笑う顔。そして、その言葉は轟の心を鋭く抉る。彼は個性と身体能力は強いがメンタルが弱い――少なくとも教師はそれが共通認識。実はその言に反論はいくらでもできる。というか、炎がこの状況で何の役に立つ? 毒ガスを燃やして無害化なんて連想ゲームじみたトンチキ、〈個性〉では不可能だ。
けれど――
「……ぐ……ううう……! うう――」
涙が落ちる。メンタルが弱い――良くも悪くも素直だから敵の言葉をまじめに受け取ってしまう。”氷一本でNo1になる”という決意にして現実逃避、緑谷の本気の言葉を聞いたことで改善の兆しは見せたものの、手がかり程度ではトラウマに直面したときには意味がない。
ああ、やはり炎がなければどうにもならないのか。それほどまでに俺は弱いのかと涙を流し――毒による気分の悪さで指先一本すら動かせやしない。動けるうちに炎を使っていればなんとかなったかもしれない、そんな考えが毒のように心に侵食する。
炎を使ったところで、毒ガスが引火性だったら爆発して大惨事になっただけなのに。
「さよなら、ええと……思い出した。NO.2ヒーロー、エンデヴァーの息子だったね。炎使ってないから忘れてたよ、君なんて。ええと――世間は彼のこと次期NO.1だのと言ってるけど、息子を守り切ることもできない男じゃ2番すら危ういかもね」
覚えてるじゃないか。あの男の足を引っ張れるならそれもいいか、と一瞬思いかけて。それがさらなる自己嫌悪を引き起こす。轟は何もできない状況で無力さを嘆くしかない。限界を突破できるだけの気力があるわけもなく。
「させるものか!」
立っているのが奇跡の状況で相澤は立っている。けれど、だからと言って”そこ”で立てるような
「ラフラフレシアァ!」
江迎の腐食の手が襲う。防御も何もかも、すべて腐り落ちてしまえと。
「邪魔はさせないよ」
さらには投げたロッカーによるバリケード。麗日ならば人の手には動かせないような重量物でも数十kmの速さで投げられる。5mはある荷物を満載した鉄の塊……江迎の腐食の手を避けられたとて、この馬鹿でかい鈍器は彼女ごと殴り殺す。
「――ッああああああ!」
絶望。もはやどうしようもない。万策尽きた相澤は吠える――もはや気力による覚醒というバカげた手段でしかどうにもできない。しかし、ギャグマンガではないのだ……そんな都合のいい超常は個性社会にあってもありえない。
『堕ちろ。正義を謡う無力な
堕ちるときはすぐそこに。絶望は至近距離から顔を覗いている。もはやどうしようもないというやるせなさを噛み締めるしかなく……
「……私が来た!」
静かな声が均衡を破った。
オールマイト、原作ではフェードアウトしていきそうで残念です。無個性になった彼、戦いに出ればけっこうおいしいと思うのですが。怪我によるタイムリミット、鍛えた肉体に莫大な戦闘経験。活躍できるだけの土台はあると思うのですけど……