『だが遅い……!』
よくある悪者のセオリー、人質を処分しようとしたところで声が響くと思わず手を止めてしまう――現れた敵に対応するわけでもなく驚いて、アホ面とともに隙をさらす。そんなお約束は知らぬとばかりに球磨川は螺子の速度を落とさない。
「まあ、君はそうだろうね」
だから、現れたオールマイトは球磨川の持つ螺子を弾き飛ばした。
『っな!? 遠距離攻撃? 個性は失ったはずじゃ……!』
さらに窓ガラスが割れる音が連続する。ドアが大きく開かれた。これだけで毒ガスは瞬く間に換気されてしまう。毒ガスを無効化するのに、”無毒化”などといった大仰な個性など必要ない、ただ換気してしまえば毒は散って無害なレベルまで濃度は落ちる。
「はは。個性じゃないよ。ただ石を投げただけだ」
こともなげに言う。もっとも、球磨川が受けた攻撃はただ石を投げただけではなかった。まったくもって訳が分からないが、さすがはオールマイトと言う他ない。”それ”が昔、武術などと呼ばれていた技であることはこの個性社会では誰にも見抜けない。
そう、それはただの技術だった。実践的武術ならどこにでもある技だった。しかし、そもそもバトルに関しては”個性をどう使うか”という話になるので話題に上がることすらない『それ』をオールマイトが復活させた。
「……でも、ロッカーがある!」
「そちらも、何とかしといたよ」
空飛ぶロッカーは何も轢かずに黒板に突き刺さる。軌道を変えられた――無重力状態ならわずかな力でもできるが、まさか来る前から知っていたとでも? その手品の種が扉を開いた瞬間に状況を理解して適切に行動した、なんて単純ゆえの無理難題だなどと想像することもできない。
オールマイトがただ単に最初の一瞥で何が起きているか理解して最善の行動を取ったからこの状況があるだなど、敵どころか見物客にだって分からない。だって、常識的に考えて最善の行動を起こすなら考える時間が必要だ。緑谷を見れば分かるだろう、彼の分析能力は幾度となく戦況をヒーロー側に有利にしたが……考えを整理するための時間は無防備を晒していた。その一瞬があれば間に合わないはずだった。
これが”今”のオールマイトの戦い方。正義の象徴としての膨大な戦闘経験、己をNo.1まで導いた生来の戦闘センスにより未来予知じみた戦術を実行できる。純粋な戦闘経験の積み重ねと磨き抜かれた戦闘センス――はたから見ればまるで魔法だ。
「――来て、くれた。オールマイト……!」
誰かが言った。
それがもたらすのは希望だけではない。空気が変わっただけで本当に状況は逆転されてしまった。今転がっている生徒の命を脅かしているのは実は球磨川よりも吐き気だ……幸いまだ吐いていないが、依然として吐しゃ物をのどに詰まらせて窒息死の可能性は十分ある。そして、”そう”なれば治療行為は難しい……動けるのは相澤一人で敵は三人、見逃してくれるほど甘くもなかった――今までは。
それが希望が見えたことで”気分がよくなった”。病は気からと言うように、効果は絶大だ。もちろん生徒を狙った攻撃も奴らはするだろうが――
「形勢逆転だ……! ガキども」
相澤が睨み付ける。気力で立っている。足が震えている。けれど、毒ガスが無効化された以上はこの誇り高きヒーローは動く。――毒ガスの影響もなかったことにできるわけもないのに。
『あは。何かやり遂げられたようにお感じになっているようですけど――いいんですか? 毒ガスを無制限にばらまいて。100のために1を切り捨てるのは
毒ガスの中にはわずか一滴で何千人と殺せるレベルのものがある。それが漏れたとなれば学園どころか都市レベルの災害だ。
「心配はいらない。そこの江迎少女と言ったか。彼女の腐らせる個性……いや過負荷だったかな。それで空気を腐らせたんだね。ならば拡散してしまえば無毒化するよ。化学兵器ではないのだから」
「……っなんで!」
さすがに江迎も驚く。朝に緑谷に会った時に能力の一端を知られて、それが彼にまで伝わっているのは、まあ当然だろう。
しかし、それでもなお――その真実にたどり着くのは難しいはずだ。そもそも過負荷は理外の力、予測することすら無意味なはずなのに。
「……は? 空気を腐らせるって、トンチですか」
そう、空気は腐らない。空気の主成分は窒素と酸素。あとはごくわずかに含まれる二酸化炭素など。それはただの気体だから何億年放置したところで変化しない。あくまで自然界における”腐る”とは餌となる炭化物を必要とする。
――そんなもの、都合よく空気中にあるはずないのに。
「まあ、それが個性と過負荷の違いなんだろう。君の個性でも消せないしね」
こともなげに言うが、巷で”先入観を捨てろ”とか気軽に言われるのはそれが無理だからだ。できっこないからこそ、我が物顔で”先入観があるから失敗するんだよ”と言える。失敗したから失敗したんだよ、みたいな意味のないアドバイスな故に使う場所を選ばない。聞いてしまえば簡単かもしれないが、思いつくのはほぼ不可能に近い――
「……ッ!」
相澤、イレイザーヘッドとしては「なんだ、その理論」としか思えない。自分の能力は異形系には通じない――ならば江迎のそれは何らかの異形としての個性と考えるのがこの個性社会にあっては当たり前というのに。
「さあ、やろうか。麗日少女にはヤンチャしたおしおきだ!」
――マッスルフォーム。絶大な威圧感が敵を襲う。そう、個性を使えなくなったからと言って全てが無為に化すわけではない。これを前にしてはオールマイトは依然と何ら変わっていないと思わざるを得ず……
「……うぅ」
麗日は目をそらす。叱られた子供の様に。
「――ち♧ ちょっとした手品でお茶子ちゃんはともかく私まで騙せるなんて思わないでくださいね☆ 私は一人でプロヒーローくらい束でやっつけられちゃいますからぁ――」
逆に江迎は駆け出す。
「中々イキがいいじゃないか。だが――」
「腐っちゃえ。元No.1ヒーロー!」
その巨体をただのでかい的としか思わない彼女が触れようとしたその瞬間。
「寝ていたまえ」
腹に拳が突き刺さっていた。全く見えなかった……否、超スピードではなかった。視界には映っていたはずなのに、全然反応できなかった。
「……」
その一瞬で江迎は完全に意識を断ち切られてしまった。オールマイトはそんな彼女を振り捨てることなく優しく床に寝かせる。
『まだオールマイトのヒーロー伝説は終わっていないってわけですか?』
球磨川は負の情感を煮込んだような、まさに”腐った”目で彼を見る。
「さて。マスコミはもう終わりだって言ってたね。案外そうかもしれない――けれど、助けを求める人がいるのなら、私は手を差し伸べる。それは、私がヒーローであろうとなかろうと関係ない」
『ご立派ですね。そんな
「確かにそうかもしれない。私は”やればできる”などと見せたけれど、しかし見せられた者は奮起しない。他人に
『あなたは自分が世の中をよくしていると――本当に思えているんですか? ただ悪を倒すだけで、理想の世界が出来上がると? ”ヒーローだったら見返りを求めない”なんて言われて不本意なボランティアを要求された人間なんて、いないと本当に思いますか?』
「――だが! それでも! 正義がなければ悪は滅びない!」
『お目出度いですね。僕たちの抹殺対象はエリートなんですよ? その意味を考えたことがありますかね――』
二人が近づいていく。
「オールマイ……!」
「相澤君は生徒を頼む」
短くやり取りをして。
『おおおおおお!』
「おおおおおお!」
殴り合う。殴打の乱舞……互角でさえなく球磨川が一方的に殴られる。球磨川もやられっぱなしではない――殴られては起き上がって螺子を突き刺そうとして、かわされ手痛い一撃で地に伏せられる。
倒れて、立ち上がり。
倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり。倒れて、立ち上がり――
「無駄だよ。いくら立ち上がろうともう勝機はない。これ以上痛い思いをすることはない。降参したまえ球磨川少年」
そう、促すも薄気味の悪い笑みを浮かべながら殴られる。
「そこまでやって、何の意味が――」
オールフィクションは無敵の回復能力という一面もあるはずなのに、それを使わずに立ち上がる姿は痛ましく、そして何よりも気味が悪い……何か、重大な見落としをしているような。
むしろ、観客の方がオールマイトの方を止めたくなってきた頃。コン、と小さい音がした。誰もが息を飲む、殴打音を除けば静寂に満ちた空間だからよく響いた。
その正体を悟ったオールマイトは叫ぶ。
「……相澤君! 生徒たちを捕まえろ!」
その声と同時、教室が崩れ落ちた。江迎のラフラフレシア――そして、オールフィクションがまさか”気絶”までなかったことにできるとは、と驚愕とともに戦慄が走る。もうなんでもありだ……
「オールマイト……くそ!」
その中で相澤先生はできるだけのことを行う。持っていた拘束具で生徒の安全を確保する。危険なのは墜落、そして上から落ちる破片。救助に特化した個性でない以上は破片を受け止めるのは不可能だ。ゆえに生徒をまとめて、拘束具の端をどこかに繋いで落下速度を落とす。幸いハリウッド映画でもないのだ、落下距離はそれほどでもない。雄英は高層建築ではないのだから。少しスピードを緩めてやれば怪我もしない。
「……あとは私が! テキサス・スマッシュ!」
瓦礫を砕いた。ワン・フォー・オール今だ健在といえればよかったのだが、今のオールマイトでは当たり前に威力は劣る。相澤先生がまとめてくれた生徒たちの上に落ちる破片だけを砕く。
悲鳴――それだけのことをやっても全てが無事だなどあるわけがなく。災害現場じみた地獄が現出する。
幸い、二人の尽力によりリカバリーガールの協力を仰ぐ必要もない程度のけがに収まった。もちろん、”生徒は”の話だが。
「だが、逃した……か」
二人、生徒には見えないように暗い目をする。完膚なきまでに撃退した、と言える状況ではあるが――それでも「もっとやりようがあったのでは」という思いが黒い炎のように胸を焼いた。
*校舎はセメントス先生が一晩で何とかしてくれました。