「――緑谷君。少し話せないか」
飯田が話しかけた。
「うん、僕で良ければ」
すでに毒は抜けている。それでも確認の意味もあって帰宅できない緑谷はノートに敵の特徴を書き連ね、対策を考えていた。その手を止める。
「それは……」
「うん、対策を考えられないかなって」
「――すごいな。アレを前にそんなことを考えられるなんて。さすがはあのオールマイトの後継者候補だ」
「……いや、飯田君。それは違うから」
照れたように顔をうつむける。自慢したいことではあるが、そこは完全にオールマイトの言いつけを守ることが優先で、ばれてしまったかと焦るばかりだ。
「誤魔化す必要はないと思うがな。確かに羨ましい事実だが、それは君の手で捕まえたチャンスだろう? いや、経緯は全く知らないが……それがコネとか権力だとかいうものでないことくらい、見ていれば分かるさ。オールマイトは自分の意思で君を選んだんだ。誇るといい」
「――いやいや、それは違うって。あと、僕がオールマイトの後継者だなんておこがましいにもほどがあるっていうか……」
指をツンツンと落ち着かなげに、目はきょときょとと挙動不審だ。
「勘違いしないでほしい。オールマイトの後継者は君に譲るが――No.1の座まで譲った覚えはないのだから」
「……え?」
考えて。彼の言葉をやっと理解して。
「うん! 僕も負けないよ!」
にっこりとほほ笑んだ。
「――さて、話は変わるがあのヴィランたちの個性について話し合いたいのだが」
「あ、そうだね。誰かに話すことでまとまる考えもあるし」
未だに彼らはマイナスのそれを個性と勘違いしていた。もっとも、それも無理からぬこと――先入観と言うのはぬぐえないからこそ先入観だ。
「あの江迎と言う少女の個性は恐ろしかった。そして同時に意味が分からない――空気が腐ることはないと言うのは中学校で習う常識だ。そもそも、空気が腐るとはいったいどういうことなんだ?」
「――それは、分からない。でも、きっと空気の中に腐るものがあったんだと思う。それがとても少なくても、ほんのわずかな量で人を死に至らしめる毒の個性と言うのもあるから」
「なるほど。個性に関しては君の独壇場だな。そうだ、匂いというものがあるだろう? あれは微量な物質が飛散して鼻に入るから感じるらしい。つまり、匂いがあるところには窒素や二酸化炭素以外のなにがしかの物質が存在すると言うことであり」
「そうか! その微量な物質が体内に取り込まれて毒の症状を発症したのか! っだとしたら納得がいく――けど、そんなわずかなものに干渉できる個性なんて」
「だが、轟君の個性は空気中に存在するわずかな成分を氷として結晶させる。それを考えれば納得できないか?」
「なるほど。そう言った考えもあったね」
無論、全ては無駄だ。江迎が以前言ったようにマイナスは理解不能――起こった事実をあれこれ後付けすることはできる……けれど、それはどこまで行っても無関係なのだ。過負荷は過負荷、対策などできやしない。
「――」
「――」
議論を重ねる。そうやって時間を無駄にする。なによりも球磨川の個性……マイナスについて何も触れないことが良い証。全てをなかったことにする――などと、どうにかしようと考えること自体が難しい。
だって、そうだろう? 人間は無駄な努力が大嫌いだ。あんなのもの、どうしようもない――それが分かりきっているだけに考えたくもない。オ-ルマイトはかの大嘘憑きを見切ろうとしたが、それは並大抵どころかヒーローであろうともできることではないのだから。
「そう言えば、敵に回った麗日君の個性が強くなっていたな」
ついにそれに触れてしまった。考えたくもない球磨川と違い、仲が良かったと思っていたクラスメイトとの決別。
「……それは」
うつむく。仲良くなれたと思ったのに――と後悔する。そこで他人を責めずに自分を責めるあたりが緑谷たる由縁だが、まったく何もわからないだけに己への責め方もどこか的を外している。
「あ、すまない。君は特に仲の良い様子だったから……」
「ううん、きっと……そう思っていたのは僕だけだから」
「それは――」
”それは”を繰り返すのは飯田の番だった。
これこそがマイナスと戦うと言うこと。正義を胸に抱いて悪と戦う――それはなんと気分がよく楽な戦いなのだろう。正しいからこそ、否……相手が”
「「……」」
胸に痛い沈黙が下りる。繰り返すが、悪い奴をぶっ飛ばすならなんと楽なことだろう。けれど、
いや、悪いことなのだ。
麗日お茶子もまた、あの襲撃に参加した。もはやヒーローどころか罪人でしかない――
「緑谷君、もし彼女が君の前に現れたとして――戦えるか?」
「……」
その問いに答えられない。緑谷が目指したのはオールマイトのように誰かを助けられるヒーロー。でも、彼に並び立つ存在はいない。彼のような偉大な存在になってくると、関係者が関わってくるなら被害者としてしかありえない。”敵”というレベルではないのだ――あらゆるものが弱すぎて。本人の事情から見ればただの大間違いでも、これは他人から見たオールマイトの話だ。
だからこそ、友……もしくは仲間との死闘など”常識”の範囲外だ。オールマイトならこうするという指針が全く立たない。だって、オールマイトのそれは仲間であっても対等ではないと
「緑谷君。彼女はきっと、また僕たちの前に現れる。球磨川禊の配下として」
「……」
聞こえないふり……にも見えるが聞こえていないはずがない。飯田も聞いていることを前提に話を進める。
「球磨川禊を倒すにあたって、一番の障壁は彼が灰色ということだった。ヴィランとして認定できるか微妙な線で、実際に彼がヴィランであると認められることはなかった――今考えてみれば先生方もやりにくいようだったな」
二人とも純粋な性格だ。ゆえに球磨川が上層部と繋がりを持っていることなど想像もできない。とはいえ、悩む雰囲気くらいは分かるが。
「――しかし、今回のことは話が別だ。あのいじめ事件では罪が問えるほどではなかったが、Aクラス襲撃事件……言い訳も何もなく確実に黒。これでヒーローたちが大手を振って討伐できる」
「……」
確かにその通りである。球磨川の厄介なところは立場的には一般人と同等であったところ――灰色だ。その灰色が黒になった以上は。
「緑谷君。僕は君は麗日君と戦う必要はないと思っている」
「……ッ!」
うつむいた顔を上げた。
「無論、それはこの僕も。Aクラスの皆もそうだ。プロヒーロー達が何とかしてくれるはずだ。今日の事件を乗り切ったのだから、もう球磨川禊の方にも僕らに手を出す余裕なんてなくなるはずだ」
「そんな……」
どっちの意味だったのか。麗日お茶子が捕まえられてしまう方か。それとも事件の中心に関われなくなってしまうことだったのか。それは本人にもわからない。
「だから、僕たちはもう何もしないべきだ。先ほどのように情報をこね回してみるのはいい。おそらく、何らかの参考にはなるだろう。けど、もう首を突っ込むべきではない。君も、忘れるべきだ」
「忘れるだなんて!」
「一人落第した……それだけのことじゃないか。もとからNo.1ヒーローに皆でなることなどできはしない。ライバルが一人減ったと、そう思えば――」
肉のぶつかる音。
「……緑谷、君」
殴られた飯田は椅子から落ちる。
「そんなこと、できるわけないじゃないか! 麗日さんは僕たちの仲間だったんだ! それを――」
「すまない、そんなつもりではなかった」
本気ですまなそうに言う飯田にそれ以上言うことはできなくなって。
「う――」
「落ち着こう。時間はあるんだ。僕も、頭に血が上っていた」
「それは……僕のほうこそ、ゴメン。殴っちゃって」
「いや、それは僕が悪い。すまなかった」
立ち上がって、90度の謝罪をする。
「……ごめん」
緑谷も、もう一度。
「「……」」
そして、後は会話は続かない。負のループ。これこそが球磨川の残した置き土産。いじめを自演している最中もそれだけをやっていたわけではない――空気を捻じ曲げ、卵を腐らせる。
卵たちは孵化できないまま朽ちてゆく。球磨川禊の負完全に汚染されて。