生徒会庶務戦『毒蛇の巣窟』のルールはハブの上、固定されていないリングでのバトル。しかも、あの球磨川を降参させる必要があると言うのだから――
「正直、棄権すべきだと思うわよ。飯田君。それは決して恥ずかしいことじゃないんだから」
人吉瞳に言わせれば何一つ勝ち目のない戦いだった。
「それでも、僕は彼が許せない」
震えながら、足を踏み出す。
「ヒーローが諦めて、誰が悪を倒すと言うんだ!」
こちらもリング上に足を踏み入れた。
――実のところ、危険度で言えば……ただ状況と飯田のステータスを見比べるならば、という条件ならそうでもなかったりする。というか、危険度のレベルで言えば普段の授業と同じくらい……決定的な失敗でもしない限りは命にかかわらない。
それも当然の話なのだ。垂直な穴の底、なんて言っても実は凸凹が無数にある。機械を使って均したわけでもなければ油を塗っているわけでもないのだ。普段の飯田であれば凸凹を足場に登ることは可能だし、もしダメならターボを使って無理やり自らを押し上げればそれでいい。
”そう、普段ならば”。
人間とは不思議なもので、命の危険があると普段はできていたことが急にできなくなる。冷静な判断ができなくなるくらいならまだ良い方で、悪い時には手が震えてものを握ることすらまともにできなくなる。本当に整備不良でもない吊り橋からだって、落ちてしまう。それが人間らしさというものだ。
ヒーローならば恐怖など克服していると言うだろうか? 確かに、本物のプロヒーローならばそうだろう。けれど、このヒーロー社会においては玉石混交だし、飯田に至ってはまだ生徒だ。
毒蛇の巣窟、その上に居るということは否応もなくストレスを感じてしまう。
『さーて。それじゃ早速おっぱじめよっか。生徒会庶務戦! と言ってもいきなり仮章を奪っちゃってもつまんないし』
『最初はちょっと遊ばせてもらうね飯田ちゃん――』
ストレスを微塵も感じていない様子の球磨川は躊躇なくリングの上を走る。
「……ヒーローはーー恐れない!」
一喝。そして、蹴り飛ばした。球磨川は上空でぐるんと一回転してべしゃりと落ちる。
『い、ったーい』
だが、それしきでこの男が止まるわけがない。
『うわー右腕が動かないー。呼吸もなんだか怪しいぞー』
気色悪い動きで立ち上がる。ダメージなど微塵も感じていないような、一瞬先には死んでしまいそうな重傷者のような矛盾した気配。過負荷。
『鎖骨が折れて肺に突き刺さったかなー。一生後遺症が残るなーこれは! あー、でも痛くなくなってきた? 直る兆しかなー。それとも壊死する兆候かなー』
見る者を奈落に突き落とすがごとき
『まっ。どっちでも似たようなもんかあ!』
螺子でもって特攻して。
「っらあ!」
対する飯田は顔面狙い。水平に靴裏を叩き込んだ。
「――すごいわね。完全とは言わないまでも、戦いになるくらいには恐怖心を克服している。貴方の仕業ね? 相澤君。医者として絶対安静を申し付けていたはずなんだけど」
「俺だけ休むなど冗談じゃない。飯田にはいくつか合理的戦略を仕込んでおいた」
「どうやったの?」
「奴らは見るだけで心を折られる――ならば合理的解決手段は目をつむればいいだけのこと」
「……そんな、ことが」
「もちろん、この一週間は目の見えない戦い方を仕込んでおいた。丁度、そのやり方は開発済みでね。俺の個性は『抹消』……目を使えなくなった際の対抗手段を用意しておくのはプロとして当然だ」
「そんな簡単なことで対策できるなんてね――けれど」
「ああ、金網の上でのバトルはさすがに怖いらしいな……幾度も蹴りが入っているが、下向きに向けたものはない。ダメージが入る蹴り方じゃないな」
(それだけじゃないのよね……過負荷相手に戦えるというのは、少し……致命的ではないかしら……?)
そうしている間にもバトルは進む。
『それで、僕を――』
「……そこ!」
蹴る。そう――
「そして、こいつは奴の口八丁を封じる手段でもある。飯田は声の方向を蹴るだけだ。内容なんてどうでもいい。機械的に! 合理的に! ただひたすら悪を倒すだけだ」
それこそが相澤の仕掛けた戦術。声など、ただの合図――その内容など気にしない。ゆえに、飯田はこう吠える。
「僕は君のことなど眼中にない! 事情とかそういうのが色々あるのだろうが――そういうのは裁判官にでも話してくれ!」
目を閉じたままのファイティングポーズ。気合十分……過負荷に対する気持ち悪さを今は忘れている。
『やれやれ、目の前にいる僕を無視するなんて酷いなあ。これはジャンプだったら規制されかねないいじめの描写だよ』
立ち上がる。
『――でも、そんなんで過負荷を克服したような気になるなんて、それこそ現実から目をそらしているようにしか思えない』
けれど、それこそが隙だ。本当の意味で暗闇を克服するなどヒーローにすらできたものではないし、極論として目が二度と見えなくなった場合に立ち上がることができる人間が居たら、それはヒーローですらない
「……そこだ!」
飯田が蹴りを繰り出して。
『っぐは!』
あっけなく飛んでいく――だが、飯田も苦い顔だ。だって
「痛……い! だが、目を開けるわけには――」
そう、足が抉られた――カウンター攻撃だ。痛みに目を開けそうになるだけではない。足を傷付けられたということは機動性が落ちるということ。しかも、足を怪我した状態ではこの穴を這い上がることが多少でも難しくなってくるために焦りも出る。もちろん、この程度の傷だけで登れなくなるわけではないにしろ。
『君は怖がっている。この僕も! そして、この蛇の巣窟すらも! その
ニタリと笑う。それは――勝機を感じたから。球磨川だって、負けるために戦っているのではない。むしろ、逆……ちゃんと勝つためにさまよい続けてきた男だから。
「――ッチ! 飯田、気を取り直せ! まだ金網はほとんど沈んでいない! 過負荷の脅威はむしろルール無用の虐殺、ルール外の一手だ。ルールのある戦いではお前が有利だ!」
「――はい!」
相澤の激励の声に飯田はファイティングポーズを取り直した。
(けれど、それもルール次第よね? ルールがあること自体が過負荷にとっては致命的……相澤君はよく気付いたけど、それでもこの『まいったと言わせた方が勝ち』というこのルールは……)
人吉瞳は慎重に状況を見定める。言っては悪いが、冷静なのは戦っているのが息子でもなんでもないからだろう。
「……黙ったか!」
しかも、球磨川は次なる戦略に出た。黙る、簡単だが痛い――方向が分からなくなる。
「だが、そこだ!」
タックル。機動性を殺されないよう、足をかばって体ごとぶつかっていく。
「見えなかろうが聞こえなかろうがお前の気持ち悪さは肌で感じるぞ! 球磨川ァァァ!」
そもそも、人は居るだけで呼吸音や体温などいくらでも気配を発している。はっきりとした位置は分からずとも――タックルならば関係ない。
『っぐ。う――それ、で……』
球磨川はなすすべもやられる。タックルによって足を狙うこともできず、ぼろぼろになっていく。
「これで!」
フィニッシュの一撃。
『――君は負けるんだ』
カウンター。先ほど攻撃を受けた足が”また”。偶然ではなく球磨川はその一撃を狙っていた。狙い澄ましていた。その攻撃が来るのを――いくら足をかばおうが、最期の全力を振り絞った一撃は利き足で来ると見抜いて。
「っむ! く……!」
飯田は後ろに下がる。非力な球磨川の攻撃ごときでは完ぺきなカウンターも勝負を決めるほどではない。まだ、戦える。少なくとも、身体の損傷で言えば。
『痛いだろ? すぐ治療を受けなきゃ腐って二度と使えなくなるかもしれないぜ? 足は大切なんだろ? だから、さあ――降参しちゃいなよ、飯田ちゃん』
ニタリと球磨川は笑う。
――けれど、なんだかその笑みは普段と違った。そして、それに最初に気づいたのはなぜかオールマイトだった。
「球磨川君。君は……」
そして、次に江迎。
「あれ? なんだか球磨川さん。嬉しそう……?」
純粋な疑問。
「まあ、当然でしょう。敵は足を使って戦うタイプ。利き足を潰したのだから勝ちも同然。まずは一勝――我々の悲願に近づくのですから球磨川さんだって嬉しいに決まってます。幸先もいいですしね」
「ま、確かに勝つのは嬉しいしな――もちろんあたしも嬉しいぜ。球磨川さんが勝つのはさ」
そう、球磨川は勝つために戦っていた。過負荷らしく、勝負前に言っていた”負けてなお悲惨な勝負にしてやるよ”なんて言葉は忘れ去って。
『さあ、降参したまえ。飯田くん』
這いつくばる飯田を見下ろした。
「――」
だが、それでも……と降参の声は出さない。そんなことを口にするなど許せなかった。
『もう君に勝ち目はないぜ』
そして、球磨川の傷が治っていく。よほど飯田より重傷だったその傷は痕すらない。
「……ッ!」
努力が無駄になり、飯田は打ちひしがれる。また、一から……しかも、やっても無限に回復されるいたちごっこ。自分の足は酷く鈍痛を発していて、熱すら持っているのに。……立ち上がれもしない。ただ、そこに座って何かを口にも出せず。
「――飯田! 約束だ。降参しろ!」
「相澤君!?」
人吉瞳が驚く。
「対策を教える代わりに条件を付けた。治療が必要な傷を負ったら即座に降参する、と。最初のアレで降参してもよかったくらいだ。……ッだが、これはもはやどんな言い訳も聞かん。降参して治療を受けるんだ!」
生徒を想う心は本物。しかし。
「――それでも、ヒーローが諦めれば悪は滅びない!」
立ち上がった。”立ち上がって”しまう。それが彼の強さで……
「飯田ァ!」
やめさせたい、心から。
「まだ戦うさ。貴様も、降参などしないんだろう?」
『当然さ。勝てる勝負を諦められるほど、僕は
向かい合う。共に勝利を目指して。
「――行くぞォ!」
『来いよ。君はこれからこの
目をつむっている上、利き足は引きずっている。その有様では速度など出ない。それでも球磨川以下はあり得ないが、”見えない”以上は当たり前に状況を把握しきれない。球磨川が狙う場所が分からずただ突進して――
「そこまでだ」
球磨川の頭を第三者の蹴りが打ちぬいた。
『っか。は――』
あまりにも研ぎ澄まされた蹴りに球磨川は意識を絶たれた。
「さて。長者原君。ルールには規定されていなかったが、これは明らかにルール違反というものだろう。こちら側の敗北だね」
オールマイトが落ち着いて長者原に確認する。
「ええ。そうなりますがオールマイト様。しかし、このような運営に支障をきたす行為は今後控えていただきたく――」
「分かっているさ」
オールマイトは飯田をお姫様抱っこして、リングの外へ連れ出す。……リングはひらりと飛び越えられる程度にしか沈んでいなかった。
皆が集まり、飯田の無事を喜ぶ。
そして、過負荷たち。
「よくやってくれたぜ、大将」
こちらは平然と金網の上で球磨川を抱き起している。
『でも、勝っても”これ”じゃちょっと格好がつかないかなー、なんて』
照れた様子でそんなことを言う。
「何言ってんだよ。それこそあたしららしいだろ? あんたでも勝てるって見せてくれた――大将はやっぱり過負荷の星だよ」
「――あの! とっても、かっこう良かったですぅ」
江迎が抱き着く。
『江迎ちゃんの勝利の抱擁だなんて、嬉しすぎて調子に乗っちゃうじゃないか。……蝶ヶ崎ちゃん?』
「――」
彼は無言で手を挙げた。
『……っふ。言葉は要らない、ってことだね。ジャンプのお約束だ』
パァン、と高らかに手を打ち鳴らした。
『また勝てなかった』は仲間のノリのせいで言えなくなった球磨川くん。
ちなみに作者は最初からヒロアカサイドに球磨川を改心させるのは不可能だと考えていました。そもそもヒーローの救う対象は『無辜の人々』です。なので、過負荷とはただただ決定的に対立する以外にない。当然、次の戦いの「負けたら出ていく」宣言もありません。それはヒロアカサイドにとっては完全な勝利条件だから。
ただ事件の解決を目指すヒロアカ。そして、そんな彼らに勝とうとする過負荷。この一勝が後にどう出るか。引き分けなしの三連勝すらあり得る混沌の状況。
先が見えないわくわくと不安を感じてもらえたら幸いです。