『あーあ。負けちゃった』
球磨川は空を仰ぐ。
『……でも、少しすっきりした気分だ。僕はもしかしたら、ちゃんと負けたかったのかもしれない。皆で一生懸命やって――勝ったり負けたりしながら唯一の
首を振って、晴れ晴れとした表情を浮かべた。よれよれのシャツはそのままだけど、こうなってはもはや”やりきった”感まで出てくるのだから不思議なものだ。
『悔しい気分はもちろんあるさ。けれど、不思議と憎しみは浮かんでこないんだ。心に吹く清らかな風を感じるなんて、生まれて初めてのことかもね。全ては君のおかげだ、緑谷ちゃん』
手を差し出す。……握手。おそらく、彼が純粋な気持ちで人と手を握り交わすのは史上初めての事象であろう。
「……球磨川君」
理解不能に思えた過負荷も想いを伝え合えば分かり合えるのかもしれない。そんな暖かい感情が溢れてくる。
『僕はこの学園を去るよ。でも、その前に――』
「僕は君を敵としてしか見ていなかったけど――でも」
涙が止まらない。ヒーローであろうとしたのは間違いなかったと確信して……
『おいおい。野暮なことは言うなよ。口に出さなくても大切なことは分かっているさ。――でも、最後に握手だけしてくれないかな』
手を差し出す彼の姿が一瞬、きれいに見えたからこそ――
「ああ」
差し出された手を掴もうとして――
『甘いんだよ、間抜け』
螺子が緑谷を貫いた。
「……球磨川ァ! 不意打ち! 闇討ち! 騙し討ち! てめえ、何も変わってねえな!」
『そうだよ、切島ちゃん。殴るだけで改心できるなら、この世はもっと簡単だったろうさ』
打って変わってニヤニヤとした笑み。そう、”何も変わってなどいなかった”。彼は改心などしていないし、さっきの言葉もすべては口から出まかせ。騙すための演技でしかない。
「長者原選管! 今の攻撃は反則ではないのでしょうか!?」
『おいおい、飯田ちゃん……いい加減にしろよ。彼を困らせるような迷惑行為は慎みたまえ。もう戦挙は終わってるんだから、これは僕と緑谷ちゃんの個人的な喧嘩だ。委員会がしゃしゃり出る理由なんてないんだよ』
「なら、俺がてめえをぶっ潰しても構わねってことだなァ!?」
『やめてよね、爆豪ちゃん。そんな好きな人が傷つけられたみたいな反応――そんなに緑谷ちゃんが大事かい? そんなによその女子の黄色い悲鳴をあげさせたいのかい』
「ボケが! なに訳のわかんねえこと言ってやがんだ、てめえは! 俺はデクの野郎がクソ大嫌いなんだよ! ふざけんな!」
『あはは。うん、分かった分かった。そういうことにしておきたいんだね? 爆豪ちゃんはシャイだなあ。僕は外から生ぬるく見守らせてもらうぜ。どうせ、負けたら学園を去るつもりだったしね』
「……でも、球磨川さん。少し悔しいのですが」
「そうだぜ、大将。ここはひと暴れしねえと収まんねえな」
殺気をにじませた二人。心から勝利を願ったことだけは”本当”だから。
『やめてよ。志布志ちゃんも蛾々丸ちゃんもさ――そんな暴れなきゃ収まりがつかない野蛮なヒーローみたいな物騒なこと。平和が一番、僕は君たちがいたずらに傷つけられるのを見たくないんだよ』
悲しそうな顔を見せる。……これは演技か、それとも多少なりとも真実を含んでいるのか。判断なんて誰にもつかない。
「――球磨川さん。でも、ここを出て何をすればいいんでしょう」
『何でも、さ。迎江ちゃん……廃校にする学校なんていくらでもある。次こそは勝つさ』
そう、つまり”何も変わらない”。強大な過負荷が集合し、そして撃退されたとはいえ解散などしていない。凶悪な群れとなり、無力な”誰か”に牙を向ける。ヒーローではない、誰かに。
『そして』
改めてA組に向き直る。
『今はいい気になることだ、A組の諸君。この僕を倒したところで、第二、第三の僕が現れるだろう。――その時こそ、貴様らの最期だ』
コテコテの負け惜しみを言い放った。
『ふふふ。はーはっはっはっは……ごほっ! げほっ!』
そして、最後の高笑い――をやり切れない。もっとも、高笑いを失敗してせき込むのだってどこかの悪役がやったそのままだ。
「――待てよ」
”コイツはヤバイ”と分かりきった事実を再確認して後ずさりする者たちをよそに、オールマイトは笑っている。私が居るから大丈夫だ、とそこにいる誰かを安心させるために。
『何ですか? オールマイト。もう僕はこの学園の生徒じゃない。貴方の命令に従ういわれはないんですよ』
「勝ちたいと言ったこと、あれは嘘か?」
『僕は嘘しか言わないよ?』
「私と戦え。種目は人比べ。一度、きちんと勝ってみたいんだろ。私ならば申し分ないはずだ」
球磨川の、嘘も本当もごちゃ混ぜにして全てを台無しにする言葉などオールマイトは無視する。仲間と勝利を願ったこと、それだけは真実だと思うために迷いはしない。
『いやー、個性を失った元オールマイトに勝ってもねえ』
「勝利から逃げるなら、好きにしたまえ。だが、ここで逃げたならば――本当の勝利は決して手に入らないぞ……二度とな」
そして、勝利を譲るつもりもない。何の言い訳も許されないほどのすっきりした敗北をくれてやるつもりだった。そして、それには相手が骨も残さずきっちりと勝つつもりでなくては意味がないゆえに挑発する。
『……そこまで言われるのはちょーっと不快かな、なんて! どうせ、そこにいる緑谷ちゃんの手で学園は終わるのにな……ってさ』
けれど、そう言うのであれば――球磨川の”手段”は残っている。それが残る限りは完全敗北ではない。学ランを羽織る。髪をセットする。どこまでも
「はい? えっと……いや。僕には荷が重いかなー。なんて」
そしてこちらは覇気がない。勇気がない。あるのは煉獄の果てのように濁った瞳――
「……緑谷少年?」
「はい。なんでしょう、オールマイト」
首をかしげる。オールマイトには見覚えのある光景。全てを諦め、面倒は全部あんたに押し付けると言わんばかりの無責任な瞳。大衆と言う責任を持たない”誰か”の集合。
『学園の破滅は君の手にかかっているんだぜ。しっかりしてくれよ、僕』
「そうは言っても、僕に大したことなんてできないよ――」
と、気持ち悪く言う緑谷。
「これは……これも、過負荷か……ッ!」
緑谷は変わり果てていた。そして、螺子が刺さったままだ――おかしなことに火傷が消えているが、そのことは何の救いにもならない。こんな瞳に力を失った緑谷は、初めて会った無個性を嘆いていたあの頃よりなお悪い。
『その通り! これこそが僕の初めの過負荷『
「ブックメーカー……! その過負荷、精神に作用するものだな!?」
『ちょっと違うね。精神”にも”さ! これを受けたやつはみぃーんな、僕と同じになる! だから緑谷ちゃんはああなっているというわけだ。僕が転校しても、彼がいる! 僕と化した
「第二、第三の敵……そういうことか!」
あの意味のない捨て台詞に思われたアレは実に的確に事態を現していたと言える。第二の自分をすでに作り上げていたのだから。
『そう。そして、第三の敵はすでにいる』
静かに宣言する。
「第三――もしや、根津校長か!」
そして、オールマイトも思考を巡らせる。彼だからこそ、すぐに気付いた。
『うわ! だいせーいかーい。予測されちゃってるねえ、僕』
嗤う。予測されたのは不利だが――不利なのは過負荷として嗜みみたいなものだ。それに、予測したところでどうにもならないこともある。
「……ッ!」
『さて、”貴方と戦え”でしたっけ? いいですよ――あなたが僕の
「――それは」
希望の象徴、オールマイトが球磨川に”なる”。それは、世界が終わるのと同義――個性を失ったことで役立たずと見る向きもあるが――後継が出てこない以上は未だその座に座っていると見ていい。
『そう! そうなれば、あなたも僕と同じになる! それでなお、平和のために戦えると言うなら見せてもらいましょうか! もっとも……そんなリスク、呑めないでしょうがね』
だからこそ、そんなことは呑めない。優先すべきは世界か学園かなど、問いからしても違っている。
「いや、いいだろう。やりたまえ」
だが、オールマイトはそんな
『――いいんですか? 皆、反対してるようですけど』
「ああ、分かっているさ。皆の声を聞かずとも、そうしたところで君が緑谷少年と根津校長を解放することなんてないことは自明の理というものだろう」
そして、”それ”はお花畑でもない。オールマイトは都合のいい展開を期待して周りに理想を押し付ける愚物ではない。そして自らを過信して何でもできるなどという自惚れ屋でもない。
『あれ? てっきりそんな勘違いをされるものかと思ってましたけど?』
「これでも、色々と人を見てきたからね。たかだか十数年しか生きていない小僧が見透かせると思うなよ」
だからこそ、きっと彼は人間じゃない。体は人間だろう。けれど、心は異形だ。強大すぎる精神力というのは人間が獲得できていいものじゃない。ゆえに、あらゆる弱さを理解できる球磨川にも理解不可能だ、なぜなら理解できると言う言葉には”人間の”という枕詞がつくから。
『なるほど。けれど、僕のことも見透かせるなんて思わないでほしいですね――だって、あなたが観察してきたのは”人”でしょう? 過負荷じゃあない』
が、それは球磨川も同じ。人の
「では、これから分かり合うとしようか。君の過負荷はそれができるんだろ?」
『できないよ。これは、ただ――僕と同じにするだけだ』
「やってみないと分からない。さあ、来たまえ」
オールマイトに恐れはない。己をそう言う存在と規定した、ならば曲げない。貫き通すのが異形であるがゆえ。あっちにこっちにと揺れ動く人間とは違うのだ。
『なら、遠慮なく。オールマイトと言う歴史を終わらせてあげましょう』
却本作りの螺子がオールマイトに突き刺さった。
ちなみに球磨川が大嘘憑きを使える状態で誰かに脚本作りを指したら、その人も脚本作りを使えるようになるんでしょうかね? 理屈としては使えても、普通に失敗しそうな気もします。