欲しかった物を手放したり、改めて身近な人の手を繋いだり……
目を覚ますと、真っ白く清潔感のある部屋だった。
「ここは?」
グレンが起き上がると、隣にルミアが座っている。グレンをベッドに寝かせてから、起きるまでの間、ずっと看病していたようだ。
「看病っていっても、少しの間治癒魔術を掛けていただけなんですけどね」
時計を見ると先ほどの闘いから十分も立っていない。マナ消費の疲労はあるが、体を動かす分には問題ないようだ。
「ちなみに、他のやつらは?」
グレンがルミアに尋ねると、ルミアが少し困った顔で返事をする。
「アルベルトさんは先に目を覚まされて、所長さんとライネルさんを引き渡すために外に出られました。ラケルさんは戦闘で破壊された部分で今後の研究活動に支障が出る分の直しをする、と」
そう言うと、グレンはルミアの言いたいことを何となく察したようだ。優しい声音で呟く。
「リィエルは、どこに?」
グレンは一人で道を歩いていた。感覚的には徐々に下に降りていき、地下の空間に出るだろう。だが、進行方向から流れてくる空気は清らかで、どこまでも透き通っている。
「ルミアの奴、一人で行けって……まぁ、そんなもんか」
ようやく目的地に辿り着いたようだ。底には上流から流れてくる水が辿り着く湖のようで、岸壁からゆっくりと透明な水が流れてくる。そこに一人、少女の姿があった。
「リィエル、そこに居るのか?」
そう言うと、リィエルが振り向く。清らかな湖と一糸纏わぬ少女は、どこか絵画的な荘厳ささえ感じられた。
「なんで服着てないんだよ」
照れるわけでも無く、恥じるわけでも無く、普段通りにグレンが喋る。
「……サービス?」
何故か疑問系になっているリィエルに肩を落として落胆するグレン。だが、彼女の体をよく見ると、生傷古傷も含め、とても年相応の傷跡には見えない。特に今回のラケルとの闘いは、数え切れないほどの傷跡を残していっただろう。
「取りあえず、体冷やす前に体を拭け」
ルミアから渡されたタオルを手渡す。そうすると、リィエルが水から上がり、体を震わせ犬のように水気を払う。
「ちょ、お前、俺にもかかるだろうが!?」
グレンがそう叱るが、何事も無かったかのようにタオルを受け取り体を拭き始める。ある程度吹き終わったところで、衣服を着て、近くに設置されたベンチに腰掛ける。互いに少し距離を開けて座るが、沈黙が流れる。気まずさを感じたのか、グレンが口を開く。
「あ~、悪かったなリィエル」
謝罪を口にしたことにリィエルは疑問を覚えたようだ。
「どうして、グレンが謝るの?」
リィエルの言葉に、更に頭を抱えるグレン。確かに、謝罪はしたが、何については言及していない。そして、リィエルは更に話す。
「私はグレンを一度裏切った、むしろ謝るべきは私。それに、ルミアやシスティも……傷つけた。許されないかもしれないけど」
「あいつらが許さない訳ないだろ! もっと俺達を信じろよ! つか……お前が裏切ったのも、俺がお前の悩みを理解出来なかったからだろ」
そこで、リィエルが初めて最初に謝られたことを理解する。
「私は、少しだけ記憶を取り戻した。シオン兄さんやイルシアのこと」
唐突に話しているリィエルに耳を傾けるグレン。
「今までは、断片的な記憶が私だと思い込んでいた。それ以外の記憶が無いから、記憶という物は、自分じゃ無いような物だとおもってた。でも、グレンと一緒に過ごした日々の記憶は、鮮やかで鮮明で……それが変わってしまうと思うと、とても怖かった」
所詮記憶をコピーしただけで、その者の記憶では無い。肉体や魂と合致するはずが無いのだ。それを理解出来ず、簡単な記憶の障害として接していたグレンには、分からなかった痛みだろう。そのこと自体を理解するだけの能力もリィエルには無く、端から見れば常識の無い行動も、彼女自身にとっては適切な行動、のつもりだったのだ。
「そう、か。イルシアの記憶は、そういう風に見えてたんだな。少し思い出したって事は、やっぱり、まだ断片的に思い出しただけなのか?」
その言葉に、リィエルは首を傾げる。
「わから、ない。これが全てなのか、思い出すまで分からなかった。だけど、多分全てじゃ無いと思う」
その言葉に、グレンがリィエルの頭を撫でる。そして優しく呟く。
「安心しろ、俺達だって忘れることだってあるさ。ルミアもシスティも……ラケルは知らないけどな。だから、全然俺達と変わらないよ」
言い聞かせるように囁く言葉は、優しく甘く、身を委ねてしまいたい毒のようだった。そうだと理解していても、間違いかもしれないと思っても、従ってしまいたいほど。
「うん。だけど、違う。普通とは違う環境で生まれた人間。それでも、イルシアもシオン兄さんも、私を愛してくれた。グレンは……先生? になっちゃったけど、ルミアとシスティは友達、クラスの皆も……多分、友達だから」
その言葉は震え、続けるほどに細くなっていく。甘い毒に満たされてしまえば、己の思考を失う。イルシアから譲り受けた魂は、それを良とはしないのだろう。だけど、他の人間とは違う形であっても、繋がりはあった、絆を感じる事が出来た。孤独であっても、他の人間と同じように、感情の無いあの子達のようにはならないと決めたのだろう。
「ま~た小難しいこと言いやがって、らしくないぞリィエル」
そう言うと、肩を引き寄せ、リィエルを抱きしめる。
「頑張ったな、リィエル。でも大丈夫だ、怖いときも辛いときも一緒に居てやる……先生だからな」
そして、抱きしめられたまま、リィエルが震える声で問う。
「……兄さんは、偽物だったの?」
その問いに、疑問を抱き伺うように返答をする。
「ああ、あいつは偽物だったよ。本物じゃ無い」
グレンの言葉に、少しの間沈黙するリィエル。その沈黙の意味は、リィエルの言葉で伝わる。
「……シオン兄さんは、いないの?」
藁にもすがる様な気持ちで楽観的な思想でも、言葉にするしかなかったのだろう。例え嘘であっても、生きているかもしれない、そんな幻想で救われるかもしれないのだ。
「ああ、シオンは立派な兄だったよ。イルシアもライネルも助けようとして、努力していた。リィエル計画が完成したのも、あいつの努力が無ければあり得なかったよ。でも、あいつの最期は、確認した。非業だろうがなんだろうが、あいつが死んだことはまちがいない」
そういうと、リィエルはグレンにしがみつく。指は痛いほど食い込み、胸に埋めるその奥からは、押し殺した泣き声が聞こえる。認めたくなかっただろう、ほんの僅かの希望でもいい、縋り付きたかっただろう。それでも、前に進むために、過去と向き合わなければいけなかった。胸の傷をどれだけ深く抉られても、誤魔化すことだけは、したくなかったのだろう。グレンは何も言わずにリィエルを抱きしめる。強く、強く。過去を背負うには余りにも小さく、未来へと進むには余りにも細い体で、重さに潰されてしまいそうだ。けれども、グレンはそれを支えなければいけない、リィエルにとっての先生として。先に生きる者の役目として。
「リィエル!」
ホテルへと向かうと、クラスの皆が待っていた。特にシスティーナはリィエルとグレンの姿を見た瞬間に、涙を零していた。
「……ごめん、なさい」
リィエルは自分がしたことを噛み締めるように、絞り出すような声で謝罪した。今なら、システィーナの流す涙の意味が、理解出来るのかもしれない。システィーナが駆け寄り、リィエルを抱きしめると、耳元でリィエルに囁く。
「いいの、リィエルが帰ってきてくれたなら。皆無事に、帰ってきてくれたから」
リィエルは、人肌のぬくもりに触れ、触発されたのか、泣き出してしまう。だが決して、その涙は悲しい涙では無かったように見えた。
読了ありがとうございました。
今回で課外授業編が終わりです。
グレンが戦友から先生になり、リィエルの知らない存在になったこと。
嘘だと知りつつ、万が一の可能性に怯え、間違いを犯したこと。
己のもつ記憶は、決して「生きてきた証」ではないこと。
そのどれもが、リィエルを恐怖に陥れたはずですが、それでもなお、彼女はグレンと友達と歩む事を選びました。
恐怖に抗う姿こそ人間にあるべき姿なら、彼女もコピーである依然に、一個としての人間である証明かも知れませんね。
まぁ、あとがきの8割嘘で出来てますので、適当に読んで頂ければ幸いです(笑)