ある日、ラケルが書いた魔導書をウェンディが手にしているのをグレンが見つける。
魔術師にとって、魔導書というのは自らの成長を促すと共に、危険に飛び込むようなものだということを、生徒達はまだ理解できていなかった。
だからといって、手痛い目に遇うかどうかは別のお話。
課外授業も終え、少し季節の変わり目だろうか。外の風が少し冷たく感じられるころ。学生達は変わらずに制服を着ている。温度調節が可能な制服なのだから当然と言えば当然なのだが。なんでもない日の放課後に、ラケルの研究室で、それは起こった。
「ウェンディ、何読んでるんだ?」
よく食料面でラケルにたかりに来るグレンもこの部屋の常連だ。そして、ほぼほぼ毎日のようにここに来てはだらけたり、本を読んだり、アナログゲームに手を出したりとやりたい放題しているのが、今読書をしているウェンディだ。
「ラケルの本……の写し? 何が書いてあるのか良くわかんないけど、魔術の本だし、パズルというか、クイズみたいで面白いですわ」
そう言ってグレンがさらっと取り上げると、中身をパラパラと読み進める。
「なぁ、ラケル。確か芋が実家から届いたって言ってたよな?」
その言葉に嫌な予感を覚えたのか、グレンから本を取り返そうと努力したが、叶わず凹んでいるウェンディだった。
パチパチと小気味よく音を立てるたき火、秋に似つかわしい雰囲気に男二人がアルミホイルに巻いた芋に棒を突き刺し、焼き加減を見ている。芯まで火が通っていることを確認して、芋をたき火の中から取り出す。両端を持ち、真ん中から割ると、ほかほかの湯気、ほんのりと香る甘いにおい、焦げ付いた皮の中から現れる黄金の実。それを口に運び、ウェンディが叫んだ。
「なんで私の本燃やしているのよー!?」
当然だが、たき火の一部に、先ほどウェンディから取り上げた本が含まれている。残りは枯れ葉と枯れ枝、それと着火剤ぐらいだろうか。
「芋うめぇ」
ウェンディの声に全く耳を貸さないグレン。ラケルも同様に、返答をしようとするいしすら感じられない。
「無視しない、ですわ! どうして私の本が燃やされなくてはならないのですか?」
そう感情を吐き出しながら、あつあつの芋にしゃぶりついている。
「坊やだからさ」
鼻で笑い、グレンが芋を食べる。
「ぐぬぬ」
「なーにが、ぐぬぬ、ですか。教諭には生徒が危険をもたらす可能性がある物の処分を校内に限り有しているのは校則できまっていますよ」
ラケルが平然と言葉を放つ。それに対し、ウェンディが反論する。
「だ、か、ら、何故あの本が私に危険をもたらすのか分からないのですわ。まだあの本の解読が一割も出来てませんのに。ラケルさんも、様々な魔術が書き込まれている、特別な魔導書だと仰っていましたわ」
それに対し、グレンがSAN値が下がりそうだな、と呟く。
「内容がそもそも学院で習う範疇を逸脱してる、っていうのもあるが。さっきの解読が出来ていない、って時点で駄目だろ」
平前と話すグレンがウェンディが首を傾げているのを見て言葉を付け足す。
「魔導書の解読なんか、数ヶ月掛けて行うもんだ。しちゃいけない規則はないが、解読って行為自体に読者に負担を掛ける行動だ。ましてや、学院の範疇にない魔導書がやばくないわけないだろ……せめて俺か、ラケルいるところでやれ。と言うわけで、写本は不要な」
そう言うと、芋をがつがつと食べきってその場を去ろうとするが、ウェンディが一言口を滑らした。
朝日が昇り、学院も門を開く。幾多の生徒が学院にむかったり、路上で商売をしていたり、行き交う人々は様々だ。その中に、道ばたに咲いた花のように少しだけ華やかな二人が歩いていた。
「システィ、ホントに大丈夫?」
「大丈夫よ、平気平気」
ルミアは通常通りだが、システィは顔が赤く、目の下にクマができている。それともう一つ厚めの本を一冊大事そうに抱えている。
「あっ、グレン先生。おはようございます」
ルミアが学院までの道中にグレンを見つけ手を振って挨拶をする。システィも挨拶はするが、普段よりボリュームもトーンも数段低い。
「おいシスティ、珍しい本持ってるな。どうしたんだ?」
大事そうに抱えた本を見て、グレンが尋ねる。
「べ、別にいいでしょ。人が何読んでも」
そう言うと、本を隠すようにそっぽを向く。だがしかし、ルミアが代わりに返事をする。
「ラケルさんに貰った魔導書の写本です。風の魔術についての本みたいなんですけど、とても難しくて……システィも夢中になって寝不足なんです」
その言葉に、へぇと生返事をする。システィーナが文句を言うために振り返った瞬間、グレンがその本を奪い取る。
「そんじゃ、一生借りてくぜ~」
「なっ!?」
言うが早いか、まるで疾風のように走り去っていくグレン。システィーナがそれを追おうとしたが、体調が優れないからか足がもつれ、転びそうになるのを堪える。
「……それって、借りるって言わないんじゃ無いかな?」
ルミアはシスティーナの罵声に何の反応も示さず、グレンを見送る。
学院についたが、体調は悪いままのシスティーナ。それでも授業を受けようと教室に向かおうとすると、ラケルが道を塞ぐように立ちはだかる。
「ルミア殿は通す、システィーナ殿は通さない」
その言葉にルミアは驚く、普段他人の体調を気遣う事はほぼほぼないラケルが、態々他人に積極的に接触するのは、学院内では珍しい。
「もしかして、グレン先生から何か言われたの?」
思い浮かぶ節が今朝あったのだ、ほぼ間違いないだろうが、確認のためにラケルに質問をする。
「はい、システィーナ殿の寝不足と知恵熱を処理するようにと聞いて居ます」
処理って、と呟きながら肩を落とすルミア。仮にもクラスメイトなのだからもう少し言い方を考えてもいいものだろう。
「私は大丈夫、授業を受けてから休むから」
システィーナが横を通ろうとすると、ラケルに手を掴まれる。
「脳の過剰処理により、睡眠不足、ホルモンバランスの乱れ、血圧の変化、頭部の発熱の処置に二時間ほど必要ですので、教室では無く医務室にて処置します」
弱っていなくともシスティーナがラケルに力で勝てるはずがないのだ。力なく暴れるが、なすすべ無く引きずられていく。
「う……ん、いいのかな、これで?」
ラケルがシスティーナの現状を本人以上に把握していることを良しとするべきか、どういう治療の仕方をするのかを不安に思うべきか、複雑な表情で親友を見送るルミアだった。
医務室につき、ようやく諦めたのか、システィーナは大人しくベッドに横になる。彼女自身も体調不良にはきづいてるのだ。ただ、プライドと己の探究心による自己管理不足だからこそ、気丈に振る舞っていたいという気持ちだったのだろう。それも、抵抗するよりも休んで快復を待つ方が早いと思える状態まで来てしまった。
「はい」
そういって、ラケルがシスティーナの額にガーゼにジェルのようなものを貼り付けたものをおく。
「つめたっ!? はいって何よ!?」
見たことも無いものをつけられて動揺するシスティーナ。だが、貼り付けられた瞬間こそ驚いたものの、熱くなっている頭をほどよく冷ましてくれるそれに、心地よさを覚える。
「これは?」
システィーナの問いにラケルが答える。
「冷えピタです」
「そのまんま過ぎない?」
システィーナの言うとおり、そのままの効果を発揮する。少しずつではあるが、頭痛が治まりつつある。そして、コップの底に僅かに溜まった白く濁った液体をシスティーナの目の前に差し出す。
「どうぞ」
「違う、そうじゃない」
何から指摘すれば良いのか、何に怒れば良いのか分からないが、とりあえず現状が異常であることを強調するために声にするシスティーナ。
「まず、これは何?」
「医務室に来る前に話した症状を和らげるために必要な成分を混ぜ合わせた物です」
折角治まったはずの頭痛が、再度うねり出す。
「どうして、こんなにどろっとしているのかな」
「成分の中に、液体で摂取しないと吸収されにくい物がありますので」
液体と言うが、コップを傾けてもドロリとゆっくり流れるのみである。システィーナの感性にこれを飲料物とするものはなかったようだ。
「飲めるの?(危険性はないかどうか)」
「飲めます(経口摂取が可能)」
どうやらシスティーナがラケルに真実を問うことは難しい様子だ。あとはシスティーナの判断になるが。
「ええぃ、こうなりゃやけよ!」
コップをひっくり返し、口の中に流し込む。液体が舌に触れた瞬間、シビれる様な感覚が走り、瞬時に口を閉じる。だが、塊となって勢いよく落ちてきたそれは、全て口の中に入ってしまった。吐き出そうにも舌に張り付く。そもそも刺激が続く限り、口を開くことすら容易ではない。最早何かを考える余裕も無く、他に方法がない、と飲み込むとほぼ同時にシスティーナは意識を失った。
二時限目から授業に復帰したものの、ひらりひらりと質問を避けるグレンに苛立ちを覚えるシスティーナは、放課後直接グレンの研究室の扉を叩いた。
「ちょっとグレン先生! 本を返して下さい!」
怒鳴り込んで扉を開いたものの、中にはグレンの姿は無かった。教室を足早にさったグレンは研究室に向かったという目撃情報があったのだが、何故だろうか。
「ねぇシスティ、もしかしたらラケル君の部屋かもしれないよ。それか、セリカ教授の所にいるかも」
そう言って、ルミアが別の提案をする。余り納得出来ないような表情だったが、その場を後にする二人。
生徒達が全員帰った頃、グレンはセリカと校長のところで、頭を下げていた。
「お願いします! どうしてもこの論文を発表したいんです!」
論文の発表日は週末、提出期限は二週間前だ。基本的には問答無用どころか、いつも論文をすっぽかしているグレンに対しては処罰があって然るべしなのだが。
「お前の意気込みを汲んでやりたいのはやまやまだが、流石に直前に持ってこられてもどうにも出来ないぞ。普段真面目にやっていれば、そりゃあなんとか出来たかもしれないが……」
セリカは、複雑そうな、残念そうな表情をする。グレンの論文等、見るのは学生時代以来ではないだろうか。恐らく急造だと分かる整っていない紙の束。だが、量は多い。校長が先に中身を見ているので、分からないが、立場の有無を差し引けば、なんとか手を貸したい気持ちはある。
「……グレン君、条件次第では、考えよう」
「校長!?」
校長の意外な言葉に、心底驚いた声を上げるセリカ。校長から資料を受け取ると、驚きに目を開く。
「一つ、発表の選考には加えるが、君の実績にはならない。当然、今月の給与査定にも影響はしない」
その言葉にグレンは、息をのむ。万年金欠のグレンにとっては、衣食に関わる重要項目である。
「二つ、私達学院はこの研究を君が行う事を許可しない。よって、この論文を提出しても、君がこの学院でこの研究を進める事を認めない」
要求は更に過酷になる。必死に紡いできた研究を完全に閉ざされると言うことだ。組織に属する魔術師にとっては、解雇宣言に等しい。
「最後に、君にこの研究の所有権の主張を認めない。よって、学会に発表された後、君が黙秘権を行使する事は出来ない。それでも、構わないなら選考への参加を特別に認めよう」
その校長の言葉は、脅しでも何でも無く、本気でそれを実行するということだ。なんの躊躇いも無く、魔術師の努力を全て奪い取ると宣言している。
「それでも、お願いします」
グレンの言葉は、変わらなかった。
学会当日、参加する魔術師はそう多くなく、会場もそこまで大きくはない。その中にハーレイ先生の姿も、セリカや校長の姿もある。
「以上で、発表をおわります」
そして、グレンの前の発表が終わり、室内は少しざわつく。研究の発表はプレゼンに近い物があり、ここに来るのは、発表者の弟子や近い研究をしている者、スポンサーとして契約している者、己の利益の為にただただ参加している者ぐらいしかいない。発表内容や発表者によっては規模が変わることはあるが、年に一度あれば良い方だろう。その中で、グレンが檀に上がる。
「それでは、ルーンにおいて、風の定義について発表します」
一瞬、会場がざわつく。今まで耳にしたことも無い研究テーマだからだ。ルーン文字において風を意味するものがある。だが、そのルーン文字が意味している風を具体的に何かと問う文献は少ない。実際に研究したとしても、実を結ぶ事は少ないし、そもそも風が意味する範囲を決めたところで、意味があるのかというそもそもの疑問に行き着き、風魔術を得意とする魔術師ですら、議論することも少ない事だ。
「まず、風についてですが、基本的には温度差による空気の移動を一般的なイメージとしてあります。そこに自然現象の台風、北風、突風などの言葉で風のルーンを表す傾向があります」
ここまでは、誰にでも分かる自然現象としての風のことだ。
「しかし、もう一つ風のルーンに内包される意味に、ベクトル。つまり、力の向き、流れが含まれます」
会場が再びざわめく、各々に意見を呟く。否定する者、興味深いと前のめりになる者、ハーレイ先生は腕を組み、変わらずグレンを見ていた。
「その例として、水や炎の魔術に方向性を持たせる為に流れ、つまり風のルーンを用いる事が多く見られます」
そういうと、グレンは各自に配られている資料に目を向けるように誘導する。
「勿論、風魔術については三大魔術よりマナ変換効率が下がることは周知の事実であります。しかし、火、水属性の魔術の親和性については、他の追随を許さない数字を出しています」
誘導にしたがって資料に目を通す者は、一様に目を見張る。結果を疑う者もいれば、納得する者もいる。そして、ハーレイ先生が手を上げた。
「確かに、グレン先生の研究はもっともな内容だと感じました。しかし、風のルーンの性質が理解出来たとして、今後の魔術展開はどう考えられているのですか?」
ハーレイ先生の意見は感情的な者では無く、むしろ会場の総意といっても過言では無い。新しい発見である事には違いないが、無意識に行っていたことを明確にして、何がかわるいうのだろうか。
「え~、率直に申し上げますと、今後の展開については全く考えていません」
その言葉に怒鳴り上げようとしたハーレイ先生を校長が止める。
「グレン先生、何故ここまでの研究をして今後を考えていないのですか?」
校長の言葉に、迷うこと無く応える。
「それはですね、風魔術の為に研究していた訳ではないんですよ。勿論、僕の専攻も違いますしね。ただ、研究の途中に風のルーンに違和感を覚えて、何故そうなったのか追求した結果がこの発表になります」
一見他の研究者を馬鹿にしたような発言とも取れるが、あながち有り無くもない事でもある。専攻であるが故に、根本的な事に疑問を持てない事、万有引力の法則のように当たり前が何故当たり前なのかを追求するには、それこそ常識を覆す様な出来事に気付かなければならないのだ。
「それでは、何故この発表を?」
セリカが質問をする。それに対してもまた、即座に返答する。
「気付いて、研究したのはいいんですが、風のルーンについて研究を続けても、僕にはメリットがないんですよ」
その言葉に、再度全員がグレンに視線を集める。魔術師でなくとも、自分の発見をむやみにばらまく者はいない。つまり、学会で発表することにメリットはないはずなのだ。
「なので、この研究、論文の所有権を譲渡したいと思います。僕が抱えても意味は無くても、風魔術を専攻してる人や他の研究してる人にメリットになると思うんで」
異例過ぎる発言の連発に、ハーレイ先生は腰を抜かし、他の会場の人間も呆気にとられている。その中で、校長とセリカだけが、動揺していなかった。
「成る程、では学院がその研究を買い取りましょう。他が為というならば、研究者と生徒を抱える学院に、貴方の言うメリットが存在するはずです」
その言葉に、グレンは前のめりになって返答する。
「あ、いいっすね、それ。そうしましょう!」
グレンの研究発表はあっという間に終わってしまった。会場にいた人間にとっては何が起こったのかは分からないといった様子だ。
「……くそ、双方の合意による権利の発生前譲渡か。これで、学院は本来巨額で競われる著作権、所有権をアイツに少量の金を握らせるだけで手に入れる、というシナリオか」
更には、この発表は話題となり、直ぐに広まっていくだろう。そして、気付いたときには学院に許可を得なければ、閲覧することすら出来ないという状態だ。一教師一人に渡す金を考えれば、おつりが帰ってくるような話だ。
「通りで常識外の選考を学院がするわけだ、あのロクデナシが……」
文字通りグレンの発表が無ければ今壇上に立っていたのはハーレイのはずだったのだ。学会に出るというだけで、学院に所属する者としては箔が付く。上手く利用すれば、更に研究を進めるきっかけにもなり得るチャンスだったのだが、生憎逃してしまったようだ。だが、いつもほどの苛立ちは無い。グレンの態度自体に苛立つことはあっても、ハーレイもまた、この研究の恩恵を受ける側の人間だから、かもしれない。
研究発表の翌週、朝一番に、セリカの研究室にシスティーナが駆け込んできた。
「すみません! 風のルーンについての論文が学院内で交付されるとお聞きしたのですが、拝見することは出来るのでしょうか!?」
普段とは想像も付かない慌てように、セリカは微笑む。
「ああ、勿論だ。だがな、システィーナ。発行されたその日に閲覧は、少し気が早いんじゃ無いか?」
セリカに窘められ、頬を染め頭を下げるシスティーナ。
「ほら、確認用の論文だ。私個人の管理になるから、閲覧日にはちゃんと返しに来ること」
そう言って、セリカの手からシスティーナにポンとまだ一般に開放されていない論文が手渡される。
大きく頭を下げ、必ず約束は守ると宣言しシスティーナが退出する。名義は学院の物になっているので、システィーナがグレンが発表した者と気付くまで、まだ少し時間がかかるだろう。
「ふんっ、結局こうしたかったんだろう?」
その問いかけは、誰にも届かず、返事も無かった。きっと直接聞いても、正直には答えないだろう。そういう性格なのだ。だがそれでも、結果論でも構わないのかもしれない。一人の教師が行った事が、生徒の成長に繋がるのなら。
読了ありがとうございました。
今回はオリジナル魔術の前編システィーナ編です。
普段はやる気のないロクデナシも、やる時はやるかもしれない、そんな感じですね(笑)
あと、魔導書はやっぱりSAN値がピンチになるイメージですね(´・ω・`)