好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された   作:小賢しいバドミントン

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はねバドss増えてるのいいゾ~




仲直りしよう

メンタル。それは時として試合の勝敗をわけるほどに重要な力。

いつもと違う体育館。異なる相手。雑誌に載るような強敵。いつもは各々で行う審判も線審も居て、一枚でもシャトルの羽が折れたら新しいのに変える。相手のファインプレイに対してもめげず、自信のないショットも時には信じて一か八かで打たなければならない。

 

それは慣れはあれど、練習だけでは鍛えることのできないもの。人によっては三桁近くの場数を踏んでようやく慣れる者もいれば、たった数回目での試合でも緊張しない人もいる。まさに生まれ持っての性格。

 

秦野弦羽早はというとメンタルは強い方だった。伊達に小学校の頃、どれだけ努力しても綾乃との試合でスコンクで負けて、それでもめげなかっただけはあり強い方だ。

大舞台でも常に力み過ぎない、適度な緊張感で臨むことができている。大舞台へ挑むスポーツプレイヤーとしてはよい才能である。

 

 

だがしかし、そのメンタルも今は崩壊寸前だった。

 

家族のいないシーンとした家に鳴るのは微かなシャワー音。これまで意識すらせず、精々聞こえた時に誰か使っているのかと思う程度の日常のありふれたシャワー音が、現在弦羽早の精神をゴリゴリと削り取っている。

 

羽咲綾乃。

彼が好意を抱く、二癖はある少女だ。

 

健太郎との練習を終え、少し小腹が空いたので回り道をしてコロッケを片手に帰るさ中、ビュンとタコの滑り台がある公園から聞きなれたラケットの空を切る音がしたので少し顔を出してみたら、フラフラの足取りで今にも気絶しそうなくらいに青ざめていた彼女がそこにいた。

 

「…今日、帰りたくない。秦野の家に泊めて」

 

あまり綾乃に対して深く追求しない弦羽早も流石に理由を聞いた。そしたら彼女は”泊めてくれたら教える”と言ったので、家に連絡する事を条件に一先ず家に連れて来た。勿論正直に異性の家に泊まりに行くとは言えないので、のり子の家に泊まりに行っている事にしている。

その時の弦羽早には下心はこれっぽっちも無く、綾乃の状態を回復させたい一心で彼女を家までおぶって、まずはスポーツ飲料を飲ませ水分と塩分を取らせて横にさせた。

 

そこまではジェントルメンの秦野弦羽早であったが、汗が気持ち悪いと彼女はシャワーを欲し、そこから今に至る。

 

「(落ち着け落ち着け落ち着け。たかがクラスの女子が家でシャワーを浴びているだけ。別に藤沢や三浦が家でシャワー使っててもなんとも思わない………多分、うん。

……いや!無理だろ!羽咲だぞ羽咲!無理無理無理!こちとらもうすぐ片思い歴七年だぞ!)」

 

ゴンと勢いよく額を机にぶつけるものの、思考は一向に爽やかな秦野弦羽早にはならずに、男としての願望がメラメラと燃えてくる。

家族のいない家、男女が二人っきり、彼女はシャワーを浴びていてそれはつまり裸であって。

 

一瞬頭の中でシャワーを浴びる裸身の綾乃を想像し、ガゴンと先程以上に額を強くぶつけた。

 

「ヤバい、ホントにヤバい…。だけど…だけど…」

 

彼女をどうこうするつもりはない。いや、願望としてはあるが、それは絶対にやってはいけないと強固な理性が何重にも押さえつけていた。

だがその隙間から溢れ出てくるように年頃の男子の欲望というのは出てくるもので、押さえつけるのが辛いと素直に綾乃の実家に真相を伝えようかと思う反面、こんなに美味しい状況を手放したくないと思う自分も当然いた。

 

「とりあえずあれだ。何でもいい、家事をしよう。いや待て、コニーに電話して相談でも……いやぁ、あれで結構子供(ウブ)そうだったし、陸空(りく)は全く参考にならない。ならコーチは……羽咲が速攻で回収されるだろうな」

 

それはそれで腹が立つ。もし女性のコーチであれば弦羽早も素直に相談しただろうが、男、それも成人とはいえまだ大学生の健太郎に、仮にその気が一ミリたりともなくとも、今の綾乃を預けられる程に弦羽早は冷静ではなかった。

因みに顧問である美也子はほとんど顔を見せないので完全に頭から抜けている。

 

こんな時に一番頼りになるのがエレナだが、かなりの地雷臭がする。というのも、綾乃はエレナと一緒に帰っていた筈だ。それが夜の公園で一人で無理やり何かに取り付かれたように素振りをしていたので、現時点ではもっとも原因の可能性が高い相手だ。

 

「……う、動こう。よく考えたら、出てきたら風呂上がりって訳で…。なるべく、匂いの強い料理を作るか」

 

 

 

そんな弦羽早の苦労は露知らず、綾乃はごく普通の一般家庭の湯舟に体を浸からせてだらんと表情を崩していた。部活と過剰なフットワークで疲れ、更には汗で冷えた体にお風呂というのは至高そのものだった。おまけに入浴剤も使ってよいとのことで、遠慮なく使わせてもらっている。

 

「秦野、すっかり優しくなったな~」

 

小学校の悪ガキで、ちょっとしたことで自分に意地悪しようとしていた彼はどこに行ったのやらと、ぼけーと浴室の天井を見上げる。

 

弦羽早は好きな子を苛めたくなる小学生男子特有の症状から、更に中学生特有の病気を乗り越え、ようやく今の彼になったのだが、独特な人生を歩んでいる綾乃には、弦羽早の変化のきっかけはある種普通過ぎて想像のしようがなかった。

勿論、年功序列が強い強豪の中学校で三年間揉まれたのも変化のきっかけだろうが、一番はやはり単なる年齢的なもの。

 

もし綾乃が弦羽早が変わった理由を聞けば、普通過ぎて腹を抱え涙を流して笑うだろう。

 

「それに強くなった…。負けて強くなる、ほんの一握りの存在…」

 

放課後のエレナとの一件が思い浮かぶ。湯船で疲れが取れたせいか、考える余裕が出てしまったようだ。

 

「あぁ…イライラする…」

 

ようやく”今の状態で”少しずつ前に進むことが出来ていたのに、エレナの一言で全てぶち壊しだ。

 

バドミントン部のみんなと少しずつ打ち解け、なぎさとは部活で一悶着合ったけどちゃんと謝りに行った。後ろから一声かけるだけだったが、気付いているはずだ。

練習も楽しくなってきていた。健太郎の練習は厳しいが、しかし吐いたり、血が出たり、気絶したりしない。

何より弦羽早と一緒にやるノック練習が一番楽しい。通用する練習相手がいないので試合はあんまりしないが、健太郎がコート中に鋭く放ってくる球を二人でカバーし合いながら返すのは、どこか母親とやっていたラリーゲームを思い出す。

エレナものり子もマネージャーになってくれて、あとは時折感じる弦羽早への苛立ちと、なぎさと仲良くなるだけだと思っていたのに。

 

「エレナも。私の練習見といて緊張感がないって、あんまりだよ…」

 

今にも泣きそうな声で綾乃はポツリとそう呟き、お湯をすくって顔を洗う。今顔を濡らす水が全てお湯だと言える自信が綾乃にはなかった。

 

綾乃の言い分は決して歪んだものではなかった。確かにインターハイを目指すと言うには、北小町の雰囲気は決して重苦しいものではないが、運動量は並みの部活よりかははるかに動いている。特に綾乃は個人シングルス、弦羽早とのミックス、団体戦でシングル、ダブルスと、個人ダブルスを除く全てに出場する為、練習の負担も明らかに人一倍大きい。

そんな自分を、大事な親友であるエレナにだけは褒めてもらうことはあれど、あんな風に言って欲しくなかった。

 

だが綾乃もハッキリそう告げればよかったが、エレナを大切に思っていた反面、彼女からの一言は重すぎたせいで、頭に血が上って完全に我を忘れていた。

 

「(イヤだ、誰にも会いたくない…)」

 

今の綾乃は人の声を聞くだけでもかなりきつかった。何があったと説明するのも嫌だし、もし自分の怒りを否定されたらと思うと心が重い。かといって、エレナの言葉が正論と分かっている分、自分以外がエレナを否定するのもまた嫌だった。つまるとこ、綾乃の感情は矛盾だらけの我が儘で身勝手なものとなっていた。

 

でもここは自分の家ではなく、弦羽早の家。祖父祖母や店の人に会うよりかは遥かにマシだが、弦羽早にも、弦羽早の家族にも会うと想像するだけでも気力を使う。

 

そんな時、コンコンと洗面所からノックがされる。チラリと給湯機についている電子時計を確認すると、既に入ってから四十分近く経っている事に気付いた。そういえば指先もふやけてきている。

おそらく心配してくれたのだろうと、重たい唇を開いて大丈夫であると告げようとする前に、先に弦羽早が話しかけて来た。

 

「は、羽咲。遅いけど大丈夫? ご飯だけど、カレー作ったからちゃんと食べてね。えっと、今、一人になりたいと思うからさ、俺はもう部屋にいるから。家族も帰ってこない。リビングの隣の部屋に布団敷いてあって、テレビとか冷蔵庫のものとか、全部好きに使っていいから。もし何かあったら階段上がってすぐ正面が俺の部屋だからいつでも呼んで。トイレの場所も昔と変わってないから。それじゃ」

 

「ッ……」

 

ズキリと痛む胸に綾乃は手を当てる。

何で彼はこんなにも優しくて、今の自分がもっとも望んでいるものをこんなにも当たり前のように施してくれるのだろう。

自分が同じ立場でそんなことができるだろうか。いくら幼馴染とはいえ突然異性を家に泊めて、訳を聞かずに優しくし、家を自由に使ってよいと言ってくれて。

 

無理だ。家に家族がいるとかそんな物理的な理由ではなく、綾乃はそう思う。

 

自分だったら理由を聞くだろう、原因を聞くだろう。興味深々という顔で根掘り葉掘り聞いて、それで納得出来たら家に泊めてあげるかもしれない。こんなにも無償で、何も聞かずに優しくなんてできない。

 

「ズルい…。秦野は、私が持ってないものをまだ持ってるの…」

 

それまで堪えていた感情が爆発し、綾乃はそれまで溜め込んでいた悲しみを吐き出すように静かに泣いた。

 

 

 

 

すすり泣く綾乃の声が浴室から聞こえ、弦羽早は軽い自己嫌悪に陥っていた。

あんな状態になるまで追い詰められていた彼女に対して、少しでもやましい気持ちを抱いたのが彼の罪悪感を突き刺していた。

せめて綾乃には落ち着ける場所を提供しようと、リビングを見渡す。

着替えは渡したし、バスタオルもある。料理は作って、歯ブラシも新しいのをリビングの机の目立つところに用意した。テレビとエアコンのリモコンも分かりやすいところにある。

 

今すぐホテルマンにもなれそうな手際の良さだったが、彼がここまでやる気になる客は一人しかいないというのが最大の欠点だろう。

 

よし、と万全の状態なのを確認し終えると、二階の自室へと戻る。

普段はトレーニングなどをしているが、今日は物音を立てないようにいつもは授業開始直前に行うレポートを済ませる。

 

レポートを始めて一時間近く、何度目かの集中力の切れた弦羽早はカチカチとシャープペンシルを押しながら、机に肘をつけてやる気のない様子でぼんやりと将来について考えていた。

 

進路はまだ決まっていないが、一番の目標は選手として食べていける程のプレイヤーになること。

だがそこまで稼げる日本の選手はほんの一握りで、その中の更にメダリストがようやく努力に見合った収入を得られる。バドミントンの強い中国でのトッププレイヤーの収入はかなりのものらしいが、競争率はより激しい。

 

現実は分かっているものの、だがやはり弦羽早にとって生活そのものと言えるバドミントンで稼げるというのはまさに天職。プレイヤーに限らずとも指導者としての道もあるだろうが、指導者の立場で稼ぐのも狭き門には変わりない。

健太郎レベルのコーチですら、ボランティアなのだから。

 

あまりお金の話に繋げるのはよくないと思いつつも、勉強をしていると嫌でもそう考える。この時間をバドミントンの練習に注ぎ込みたい。

 

またカチカチとシャーペンの芯を長く出して、すぐに引っ込める。そんな無駄な事をやりながらも、持ち前の集中力で何とか全教科の提出分を一気に終わらせた。これで一週間以上は持つだろうと一息つくと、机の上のパソコンを起動してイヤホンをセットする。

 

 

待ちに待った時間だ。

 

夜遅くに男子がパソコンの前でやることと言えば―――――バドミントンの試合を見る事だった。

 

毎月様々な国で行われるプロの試合をいつでも見られるように、公式配信のチャンネル会員になっている。ノートを開いてシャーペンを片手に持つ弦羽早は、先ほどのダラダラと勉強する少年とはまるで別人で、一つのラリー毎に気になるプレイや面白い配球があれば、逐一メモしていく。

 

最初は向上心から行っていた事だが、今ではすっかり趣味の一つとなっている。中学校時代は基本的に男子ダブルスの試合を中心に見ていたが、最近は男子シングル、女子シングル、ダブル、そしてミックスと可能な限り見るようにしている。おかげで時間がいくらあっても足りない。

 

その中でも最近面白いと思えるペアは、中国の王麗暁(ワン・リーシャオ)朱紅運(シュウ・コウウン)の世界ランク一位のミックスダブルス。王麗暁は女子シングルスランキング一位、紅運はダブルスランキング二位。その二人のミックスダブルスは圧倒的で、一ゲームも落とさずにストレートで勝つなんてことはざらで、攻撃においても防御においてもこの二人を上を行くペアは存在しない。

 

二人の試合はお気に入りだが、上手すぎて参考になる範囲がかなり限定的だ。これでも一部は参考にできるようになった辺り、自分自身の成長は感じられるが。

 

「うおっ!今のをクロスに打つか。てっきり間に打つかと」

 

ネット前の攻撃で麗暁が相手を崩し、後衛である紅運が強打で決める。圧倒的攻撃力を前に、トップアンドバックになった彼らを止められる者はいない。

 

時に一時停止や巻き戻しをしたりしながら試合に魅入っていると、コンコンと扉がノックされる。

 

その音に嫌でも弦羽早の心臓は高鳴ってバドミントンへの集中力が一気に切れる。チラリとパソコンに記された時間を確認すると、既に11時。二階に上がってから二時間以上経っていた。

弦羽早はガタリと忙しなく立ち上がると、見られて困るようなものはないと部屋を見渡し、自分の中でOKサインを出して扉を開く。

 

扉の前には母親のパジャマを着て髪を解かせた綾乃が立っており、覚悟していたがいつもと違う服装と髪型は弦羽早の男心をくすぐった。これで母親のパジャマで無ければ完璧だが、理性と戦っている弦羽早にとっては今はそちらの方がよかった。

 

「どうかした?」

 

「…声が聞こえたから、何してるのかなって」

 

「え? あっ、ごめん。静かにしてるつもりだったけど」

 

フルフルと綾乃は首を横に振る。

 

「ありがと、しばらく一人でいたらだいぶ落ち着いた。ご飯も美味しかった」

 

「ん、なら良かった」

 

綾乃から香るほのかなシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐる。ほどけかかっていた緊張の糸を再び結び直し、年頃の青少年にとっては健全ともいえる欲望を何重にも縛り上げたのち、金庫の中に押し込めるが如く鋼のメンタルを心掛ける。

 

「…秦野が夢中になるってことは、バドミントン関係?」

 

「だね。ちょっとトップランカー達の試合見てたんだ。……廊下で話すのもなんだし、入る?」

 

ここで部屋に案内しないのは不自然よりも失礼が勝る。

しかし案内しながらだが、できることなら綾乃には断って欲しかった。弦羽早に下心があるのではと予期して、身の危険を感じてやんわりと断ってくれた方が、女の子として安心できる。

しかし朴念仁の綾乃がそのような危機感を覚える訳もなく、あっさりと中に入ってくる。

 

「うん、お邪魔します。久しぶりだな、秦野の部屋」

 

小学校の時に何回かだけ来たことがあるが、基本は有千夏がいたこともあって弦羽早が綾乃の家にお邪魔するパターンが多かった。それでも大抵はあの小さな体育館で練習してそのまま解散だったので、互いの家に遊びに行くことは稀だった。

 

綾乃は懐かしそうに部屋を見渡す。ポスターなどはほとんどなく、壁に掛けられているものは最低限のもので、物の多くは机を含めて部屋の隅っこに集中している。代わりにできた部屋のスペースで、素振りをしたり壁打ちやトレーニングなどをしているのだろうと、散らばった機材や束ねられたシャトルで見て取れる。

 

トレーニング機材を除いてあの頃と違うのは、充電器に突き刺したスマートフォンと机の上のパソコンくらいだろうか。

 

「まだやってたんだ。参考になる試合のメモ取るの」

 

「今じゃすっかり趣味だよ。まあ人様に見せないから汚いけどね。おかげで大分ノートも増えたよ」

 

弦羽早が指した本棚は、昔は漫画本も混ざっていたが、今はそのほとんどがノートやバドミントン関係の本で埋め尽くされている。どれだけ好きなんだと、綾乃ですら呆れるほどの熱意である。

 

「ちょっと見てもいい?」

 

「え? まあ、面白い物じゃないけど」

 

ニ十冊以上は並んでいるノートの中から、綾乃は適当に右から二番目のノートに手を伸ばす。ノートには題名が書いてあり、中三・全国大会とあった。

パラパラとめくっていく。毎回試合ごとの対戦相手、スコア、配点が出だしにあり、そこから試合内容について細かく書かれている。

 

そして一際分厚いページを要していたのが、個人ダブルスの決勝。

対戦相手は埼玉県の光彩中高学校の”花立(はなだて)伊月(いつき)”と”朝霞(あさか)夕霧(ゆうぎり)”。バドミントン界では花朝月夕と言われているこのペアは、実力だけでなくその名前に似合った華やか容姿から、バドミントン女子の間ではかなり人気なのだが、その手の興味が薄い綾乃は聞いたことすらない。

 

この二人がどれだけ強かったかは、びっしりと並んだ反省点を見れば聞かずとも分かった。ただスコアは21‐19、18‐21、24-22とかなりの接戦だったようで、だからこそ悔しかったのだろう。ところどころ、濡れて乾いたあとがノートにはあった。

 

「…この試合の録画ってある?」

 

「あるけど、まさか見るの?」

 

「駄目なの?」

 

「駄目じゃないけど…男ダブだし、こっちの王麗暁と朱紅運の試合の方が――」

 

「これが見たいの…」

 

全国で勝ち続けた末に、最後に負けた弦羽早の試合を綾乃は見てみたかった。

昔の彼でなく、今の彼が負ける姿を。そしてその試合の末に彼がどんな様子だったかを。

 

自分が負けた試合からか、あるいは先程まで世界トップの試合で盛り上がっていたからか。内心あまり綾乃に見せたくない弦羽早だったが、それは顔に出さずにパソコンを操作する。

 

「(この試合を見るのも久しぶりだな)」

 

カチリと左クリックを押すと録画が再生される。綾乃を椅子に座るように促すと、彼はその後ろからジッとパソコンの画面を見つめる。

こうやって自分の試合、特に負け試合を見るのは多くの事を学ばせてくれる。だがやはり、過去の自分と言えど自分が負けている姿を見るのはメンタリティが必要だ。弦羽早も試合に負けた瞬間に泣くことは決してなかったが、何度も自分の至らないミスや甘い動きを見る度に悔しさが込み上げ、それが今綾乃が手に持っているノートのシミに繋がった。

 

綾乃は一言も口を開かなかったので、弦羽早もまた静かに画面をジッと見つめる。

 

女子よりも大きな体格、早いフットワーク、高い身体能力。それらは試合のゲームスピードに直結し、やはり男女の違いを痛感せずにはいられない越えられない差がそこにあった。

 

響き渡るシャトルの音も、高く飛び上がるジャンピングスマッシュも、一歩の歩幅や手の長さも違う。だが一番は純粋な技術だった。

ようやくダブルスを齧り始めたからこそ分かる。画面に映る四人のコンビネーションの高さを。フォーメーションに無駄は無く、的確にカバーに入り、攻守入り乱れる激しいラリーが当たり前のように何回も続く。

中学生同士とは思えないミスの少ないラリーは、毎度観客が盛り上がる。そんな中でも綾乃はやはり、弦羽早の背中に目が行く。

どんなスマッシュに対してもブレずにレシーブするその姿は同じコートに立つ彼そのままで、スマッシュを連打しても崩れない弦羽早から逃げるようにクロススマッシュが放たれる。

 

”これでもスマッシュを打たれない程度には警戒されてたよ”

 

以前弦羽早とダブルスの取り決めをした時の彼の言葉を思い出す。

確かに決勝戦でも相手のスマッシュをここまで悠々と返していたら、相手としたら打ちたくなくなる。

 

激しいラリー。一点毎に変わるサービスは、一向に点差が開かない五分五分の試合。

一ゲーム目は相手が勝ち、二ゲーム目は弦羽早達が勝ち、そして三ゲーム目。デュースにまで伸びた最後のラリーで、夕霧のスマッシュをカウンタードライブで打ち返そうとした弦羽早のシャトルがネットに引っ掛かり、勝敗が決した。

 

「ッ…」

 

後ろに立つ弦羽早が、ギュッと拳を握りしめているのが気配で分かった。

 

ドッと歓声が沸き上がり、伊月に抱き着く夕霧と、倒れ込むように膝をつく弦羽早にパートナーの陸空が優しく肩を叩いたところで映像は終わった。

 

「(あれが強くなった秦野が負けた姿。再会してから全然負けてなかったけど、やっぱり今でも悔しいんだ)」

 

昔の自分に負ける弦羽早と映像の弦羽早が重なり、綾乃は小さく唇を噛んだ。

 

「…秦野はどう思う?」

 

「え?」

 

「負けて悔しくて、今以上に努力しようって思える人って、どれくらいいると思う?」

 

「ん? う~ん…中々難しい質問だね」

 

てっきり試合内容について何か聞かれるかと思ったが、綾乃の第一声は少し抽象的な質問だった。ただその質問に自分なりの答えを出すのが、綾乃にとって良いか悪いかは分からないが、小さな影響を与えられるのではと腕を組む。

 

バドミントンに限定したとしても、負けて悔しくなく、全く何もしない人間の方が少ないだろう。皆誰しも試合という舞台に立つ以上は努力はしている。だがその瞬間は悔しさを噛み締めたとしても、それを原動力に何か月も努力を続けられる人間となると途端に数は激減する。誰しもどこかでかつての悔しさよりも、今を優先してしまう。

負けを糧に、今まで以上の努力を続けられる人間は限られている。

 

「かなり少ないとは思うな。俺の周りは上手い人が集まっていたから割合的には多かったけど、そんな中でもやっぱりレギュラーメンバーは自主練は多かったし」

 

「……」

 

「でもそういう少数の人達が勝ち上れると思っている。俺も、そっちだって胸を張って言いたいからさ」

 

「秦野も、エレナと同じこと言うんだ…」

 

いや、分かってると綾乃は自問自答する。だってそれが正しいのだから。

でも弦羽早なら、自分が想像していなかった視点から目から鱗が落ちるのような何かを言ってくれるのではと、どこか期待していたところも少しあった。

 

「…藤沢と何かあったんだね」

 

コクンと頷いた綾乃は、椅子の上でうずくまるように膝を抱える。

 

「私だって分かってる…。負けて強くなった人を知ってるから。それが正しいって分かってる。私だって、思ったことある。でも、でも……私だって頑張ってたのに……。せっかく、楽しいバドミントンできてたのに……」

 

きっかけはエレナの一言が原因だったかもしれない。だけどここまでイライラしてしまうのは、自分のせいだとも理解していた。

 

バスケで賞を取った事もない、強豪校でもなく、三年生では実力よりも学年を優先してレギュラーメンバーになった、綾乃にとっては負けた癖に努力しない大多数に含まれるエレナに言われて、頭に血が上って反感した。

でもエレナの口から出る言葉は正論だらけで、反論しようにもこれっぽっちの隙も無くて、途端に自分が惨めに思えて逃げ出した。

 

「藤沢に、なんか言われたの?」

 

「……緊張感持てって……」

 

「う~ん、それはまた…」

 

未だ二人がどういった口論をしたかは分からないが、どちらの心境も何となくだが分かる気がする。

 

エレナにとっては心配なのだろう。いつもと変わらない綾乃の雰囲気に。

皆試合が近づけばピリピリと張り詰め、試合に対する下準備のような独特な空気を出す。それが全く変わらずほわほわとした空気のままだったので、本当に分かっているのかと確認したくなる気持ちは分からないでもない。例えば受験一週間前にヘラヘラと笑っている子供を見た両親も、似たような事を言うだろう。

それに綾乃は並みの選手より体力があるので、汗を掻きにくく、練習も涼しい顔でこなしている。選手としてはそれが相手へのプレッシャーになるが、練習中もそれだと手を抜いているように見られなくもない。

 

だが綾乃はブランクを取り戻す為に、部活での練習量も内容の密度も誰よりも高く、きつくない訳が無かった。その一日の疲れを癒すのがエレナといるひと時で、そんな彼女から緊張感を持てと言われたら、傷つくなという方が酷だ。

先程話したヘラヘラしていた受験生の子供も、受験勉強の合間の僅かなひと時だったのかもしれない。そこで両親から緊張感を持てと言われ、分かったと素直に頷ける出来た人間はまずいないだろう。

 

「確かに藤沢の気持ちはちょっと分かるな」

 

「なんで?」

 

拗ねた子供のように膝を抱えたまま唇を尖らせる綾乃の頭を、できるだけ刺激しないようにポンポンと優しく撫でる。

 

「そりゃあ、コニーとインターハイで会うって約束して、夏まで余裕あるって思う人は世間一般では能天気って言われるし」

 

「うっ…。で、でも、あんなに練習してたのに」

 

「藤沢もバドミントンのこと詳しくないし、ずっと同じ体育館にいる訳じゃない。今日だって洗い物してくれたり、買い出し行ってくれてたでしょ。

それに、俺は悪いとは言ってないよ。羽咲のそういうところは選手としても優れている。緊張せずにリラックスできるのは本番で実力を発揮するには必要な力だ。でも周りにはそう思われやすくなるっていうのも、確かじゃないかな?」

 

「……秦野は、私とエレナ、どっちの味方なの…?」

 

「そりゃ、言っちゃ悪いかもだけど、羽咲だよ」

 

「え~嘘だぁ…」

 

先程までエレナの肩を持っていたのにと、綾乃は訝し気な瞳で椅子の横に突っ立っている弦羽早を横目で見上げる。

綾乃の子供っぽい仕草に、弦羽早はますますエレナに共感する。今の綾乃は中学生という多感な時期をすっ飛ばして、そのまま高校生になったような精神的幼さがあり、そんな彼女を傍で見ている側としてはどうしてもちゃんと考えているのかと危惧したくもなる。

実際つい最近まで綾乃は思考するのを拒んでいたのも、エレナの一言に繋がったのだろう。

 

「その、自分で言うのも変な話だけど、かなり羽咲贔屓してるよ?」

 

「…ん~、そうかなぁ…」

 

まさか好意どころか贔屓している事すら気付いていないのかと、流石の弦羽早も少し心が折れそうだった。

 

「まあ、今回の一件はきっかけこそ藤沢だったかもしれないけど、悪意があったとか無神経だったとか、そういう話じゃないと思うんだ。羽咲のいいところと、藤沢の優しさがちょっとだけ噛み合わなかったんだ」

 

「…でも、悪いのはエレナだもん…」

 

「ほんとにそう思うなら、そこまで落ち込まないんじゃない?」

 

本当に100%エレナにしか非がなければ、綾乃は素直に家に帰って祖父と祖母に愚痴りそうだ。あとはのり子に電話したり、最近なら理子のところに行って泣きつくパターンも想像できる。でも一人で倒れそうになるまで素振りして頭を空っぽにしたくなるほどに、綾乃は思い詰めていた。

 

「ッ……やっぱり、秦野は全然私贔屓してない…」

 

顔を隠す様にして一層椅子の上で丸くなる綾乃。ここまでくるとアルマジロみたいだなと、少し不謹慎な事を思いつつ、その背中を優しく擦った。

 

「羽咲からすればそうかもしれないね。なんたってパートナーなんだから、甘やかすだけじゃ駄目でしょ?」

 

「…正論ばっかり」

 

「今回の一件に関しては第三者だから。それに、本当に羽咲が心の底から藤沢が許せないってだったら俺ももっと関与するけど、そうじゃないよね?」

 

綾乃の返事には数秒程の間があった。

 

「…私、エレナに酷いこと言っちゃった…」

 

やっぱりか、と心の中で納得しながら、綾乃の背中をさすりながら優しく相槌を打つ。

 

「あんな事、全然思ってなかったのに。エレナに嫌われちゃったら…どうしよぉ…」

 

グスリと鼻を啜りながら震える声で溜めていた思いを吐き出す彼女を、弦羽早は何度も優しく宥めた。後半は言葉になっていなかったが、何度も頷いて返し、泣き喚く彼女の頭を撫でて、そっと囁いた。

 

「明日、仲直りしよう」

 

 

 

 

 




前回の羽咲さんは魔王化というより、激おこでやっちゃった感じです。
ということでそこまでギスギスもなく、ラブコメの波動も弱く、お泊まりイベント終わり。


まあバドミントンメインやから…(震え声)
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