好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された 作:小賢しいバドミントン
次回は五巻開始辺りまで書き終わるまであきます。
前回を見るとやっぱみんなラブコメ(?)好きなんすねぇ!
大会始まっても合間に可能なら頑張るゾイ
「(安心する…。なんだろうこの匂い…)」
ぼんやりと覚醒する意識が包み込むような優しい匂いを認知する。瞼が重くて体が気だるいが、その正体が知りたくて徐々に意識を覚醒させて、瞼をゆっくりと開く。
物の少ない殺風景な部屋。白いコンクリートの壁には綾乃の身長より少し高いくらいの位置に、不自然にスッと線が引いてあり、ここが誰の部屋ということよりも、それがネットの高さを意識した線だというのを先に理解した。
「…秦野の部屋?」
目を擦りながら上半身を起こし、キョロキョロと辺りを見渡すが彼の姿は見当たらない。
どうして自分が
「ほんと、優しいな秦野は」
頬をやんわりと崩しながら、綾乃は起き上がってリビングへと降りる。
リビング隣に敷いてあった布団はもう片付いており、おそらく自分の代わりにそこで寝たのだろう。
机にはメモ書きが畳んだ綾乃の制服の横に置いてあった。
『朝練してきます。制服は洗って乾かしておきました。デリカシーがないけど下着も洗ってます。カウンターの上にご飯があるから食べてね』
フカフカの制服とカウンターの上のおにぎりとおかずが目に入り、思わず綾乃はおお、と感嘆の声を上げた。
「これが…女子力ッ!」
下着を洗って貰った事にもさして反応せず、更にここまでやって未だに少しもときめかない辺り、弦羽早の思いはまだまだ成就しそうになかった。
「それでね、そこのホエホエ饅がとっても美味しいの」
「へ~、ちょっと興味あるな」
「でしょ?今度一緒に食べに行こうよ」
「シングルスが終わってからね」
「え~。決勝挟んだら一ヵ月近く後じゃん…」
内心綾乃とのデートの口実が出来てガッツポーズを決める弦羽早だったが、今の優先度はデートよりも試合だ。ミックスで優勝を目指すのは勿論、今年はシングルスで最低でも準優勝を目指し、高校の全国レベルというものを全国大会という場で味わいたかった。
色気のあるようで無いそんな会話をしながらクラスへと入ると、仲良く一緒に登校する二人に、クラスメイト達の意外そうな視線が向けられる。既に綾乃の朴念仁さはクラスメイト全員に伝わっている為、茶化さずに優しく見守ろうと言うのがクラス中の総意であった。
綾乃が弦羽早の好意に気付かない内に彼を横取りしようと考える女子も初めはいたが、一週間も二人のやり取りを見ていたらその気も失せるくらいに、傍から見ればどこから見てもカップルである程に仲が良かった。
弦羽早を一目見た他クラスの女子に相談されたりもしたクラスメイトの女子達も「秦野君は100%無理だから止めといた方がいいよ」と遠い目をしながら軽くあしらっていた。
「…エレナ、まだ来てないんだ」
自分のすぐ後ろの席のエレナの机が空席である事に、綾乃はホッとしたような残念そうな声で呟いた。
結局エレナは一向に現れず、ホームルームで担任がエレナが今日休みである事を告げて出席を取り始めた。
二時限目が終わり軽い十五分程度の休憩で弦羽早は廊下に出てスマホを取り出すと、エレナに連絡を取った。担任は風邪だと言っていたが昨日の今日で風邪はタイミングが良いし、もし本当に風邪なら(異性であるので)見舞いとまでいかずとも、差し入れの一つくらいは持って行くべきかとの連絡だった。
数回のコールの後、電話がつながる。
「もしもし、藤沢?」
『…秦野、どうしたの?』
いつもよりトーンの低い声は、落ち込んでいるのか風邪なのか判断しにくい。
「風邪って聞いたけど大丈夫?」
『大した事ないから…』
「…そっか。そのさ、昨日の事、羽咲から聞いたんだ」
『あっ…そ、そっか…。綾乃は――』
「藤沢に謝りたいって。酷いこと言っちゃったって、泣いてた」
その言葉に、考え込んでいるのか返事に間があった。
『…ごめん、ちょっと時間ちょうだい。今は…綾乃と会うのが怖いの…』
「怖い、か…」
もし綾乃が聞けば、下手な言葉よりもずっと、それこそ昨日の言葉以上に深く傷つくだろう言葉だ。仮に言葉に出さずとも、エレナがそう思っている事を綾乃が察せば同じことである。
そういう点では、確かに今日休んでくれたのは綾乃寄りである弦羽早としてはありがたかった。
「分かった。ただ、泣き疲れて寝ちゃうくらいに落ち込んでたから、なるべく早く会ってあげて」
『…うん。……ってちょっと待ちなさい。アンタ、どうして泣き疲れて寝たって知ってんの?』
トーンが急激に一転し、問い詰めるように、強気のいつもの彼女の口調に戻る。
やっぱり少なくとも風邪ではないらしいと、弦羽早はホッと肩を降ろしながらも、ニンマリと口元を上げて。
「おっと、口が滑ってしまったな~。でもエレナママ来ないみたいだし別に怖くないけど~」
『誰がママだ!……ぐぅ。綾乃に、手ぇ出してないでしょうね?』
綾乃が怖いと言ったときは重症かと思ったが、それだけ心配できるのなら大丈夫そうだ。
「…ん、バドミントンの神様に誓って」
『…まあ考えてみたらアンタ、ヘタレだもんね』
「昨日の俺ほど紳士な男はいないよ」
ヘタレとは失礼な、と弦羽早は砕けたトーンで付け加える。
『よく言うわ。……連絡してくれてありがと。私も、ちゃんと綾乃に謝るから。だから、少し時間をちょうだい』
「ああ。それじゃ、そろそろ授業だから切るね。それと、次の英語当てられるみたいだから予習をお勧めするよ」
『マジか。レベル上げ作業も飽きたしそうする。サンキューね』
後ろから時折聞こえるファンファーレはゲームの音だったのかと苦笑しながら、中々よい御身分の病人との通話を切る。
教室に戻ろうかと方向転換すると、すぐ目の前に綾乃の姿があり、軽く驚きながらも微笑みを浮かべる。
「エレナ、大丈夫?」
「うん。軽い風邪だって。親もいるみたいだから、気にしないでってさ」
「そっか…。そうだ秦野、数学の先生がプリント運ぶの手伝えって」
「え~なんで俺が…」
「この間の提出物友達に見せてもらったのがバレたみたい」
「ぐっ…今度から一定の間隔で間違えとくか。ありがとね羽咲、じゃ、お先に」
バドミントンに関してはあれだけ真面目なのに、その他の事となると途端に適当になるのも昔と変わらない。テストを一夜漬けするスタンスはどうやら高校でも同じのようだ。
早足で廊下を去る彼の背中を見つめながら、今度の中間では一緒に一夜漬けするのも楽しそうだと、小さく口元を上げた。
順調に弦羽早の不真面目さが各科目の先生に伝わりだしたが、そんな事はお構いなしに、彼は綾乃と一緒に軽い足取りで体育館へと向かう。
まだ誰も来ていないようでコートも張っておらず、二人は手早くウェアに着替えるとポールを運んでネットを掛けていく。八人だけの部活なので三コートだけで良いのはちょっとした利点か。
三つ目のネットを掛けていると、ガチャリと体育館の金属製の重い扉が開かれ、なぎさがやって来た。
「あっ…」
昨日の事を思い出してか、なぎさは気まずそうに左ひじを右手で掴んだ。一方二人は、放課後の出来事が強すぎたせいで、なぎさのその仕草を見るまで昨日のいざこざを完全に忘れていた。
なぎさは一瞬更衣室への最短ルートを向かおうとしたが、二人のいるコートまで歩み寄ってくる。
「羽咲…昨日は悪かった。それまでも、むしゃくしゃしてて勝手に当たってた。秦野もいつも態度悪くてごめん。私は主将なのに、部の空気を悪くしてた…」
どうやら昨日は自分達だけでなく、なぎさにとっても何か大きな出来事があったのだろうと二人は一瞬だけ顔を見合わせる。
仲の良いやり取りになぎさは小さくクスッと笑みを浮かべると、釣られるように綾乃がパァッと顔を輝かせた。
「なぎさちゃんの笑った顔、初めて見た!」
「えっ!?わ、私そこまで不愛想だった?」
「いつも闘志メラメラでしたからね」
「あちゃぁ…。ほんと悪かったよ」
二人が入部する直前に仲間が八人もやめてしまったが、それは決して健太郎一人が原因では無さそうだとなぎさは額に手を当てる。そして同時に、こんな自分が主将でいながらも入部してくれた二人が、途端に頼もしくも見えて来た。
現金だな奴だと手の平返しのような態度に自虐しながらも、なぎさはニッと二人に笑いかけて、更衣室へと向かった。
「今のなぎさちゃんとなら仲良くなれそう!」
「ん、そだね。ダブルスのコンビネーションもよくなると思うよ」
余談だがこの日のノックで綾乃となぎさは10回ほど衝突した。これでも成長したとはいえ、依然噛み合わないようである。
健太郎含むバドミントン部全員集合すると、早速練習が始まる。
エレナが欠席である事を伝えると皆心配した表情を浮かべるが、そこまで酷くないと弦羽早が伝えると安心したように息を吐いた。まだマネージャー歴一日だが、合宿で一緒だったのもあり、特に女子とは仲が深まっていたようだ。
この日の練習で一番目立っていたのはなぎさだった。それまでどこか苦しそうな打ち方が無くなり、伸び伸びと打つジャンピングスマッシュは男子顔負けの速さと角度を誇っていた。あれを女子の、それもシングルスで打てるのならとんでもない武器になるだろう。守備の堅い男子ダブルス相手でさえ通用しそうだ。
「すごーい!なぎさちゃんカッコいい~!」
「え?そ、そうか?」
これまで理子に懐いていたものの、自分には一度もキラキラした瞳を見せた事の無かった綾乃に、なぎさは照れ臭そうに頬を掻きながらもまんざらではない様子だ。
「……」
「うおっ!?急にスマッシュの威力上げるの止めろ!」
バシュン!となぎさに競い合うような激しいシャトルの音が体育館に響き、行輝の声も合わさって皆の視線が集まる中、彼が一番見て欲しかった綾乃は未だになぎさから目を離さなかった。
不憫としか言えない全国のトッププレイヤーの姿は、自分達より強い筈なのに、どうしても親に捨てられた小鹿のように弱々しく見えてしまう。
「ねえねえ、私もなぎさちゃんみたいにジャンピングスマッシュ打ちたい!」
「え? いや、それは…」
この間綾乃の家に行った時に、神藤有千夏の取った数々のトロフィーを見てなぎさは確信していた。去年の全日本ジュニアで自分を打ち破った神藤綾乃が、羽咲綾乃と同一人物であることに。
目の前の少女こそが自分のスランプの原因であり、リベンジすべき相手であり、そして次の試合、勝ち上がれば必ず戦うことになる相手であると。
そんな相手に、自分の必殺技であるジャンピングスマッシュを教えるというのは、手の内を晒しながら、塩を送るようなもので、出来る事なら教えたくないのが本音だ。
しかしチラリとなぎさは理子の方を見ると、彼女は何度も頷いていた。
せっかく部の雰囲気が良くなった中、一番の変わり種である綾乃は未だ、女バドのメンバーに完全に馴染めているとは言い辛かった。
ここで仲良くなって団体戦でのチームワークを強化しろと、理子の気迫の籠った視線が訴えかけてくる。
「わ、分かった。ただ私も教えるのは得意じゃないからコツだけ教えるな。理子、ちょっと打ってくれ」
「はーい」
ポーンと理子がリアコートへとロブを放つ。
「まずグッと溜めながらそのままシャトルの落下地点まで行って!」
シャトルの落下地点へ着くと、なぎさは地面を蹴って空へと飛びあがり、シャトルを打ち落とす様にラケットを振った。バシュンと激しい音が鳴り響き、ストレートの中央手前にシャトルが落下する。
「こうビュッと飛んでそのあとガーって振り下ろす。どうだ?」
「…………秦野~」
数秒間二人の視線が交うが、綾乃はスッと方向転換して別のコートでスマッシュの練習をしている弦羽早の元へと行こうとする。いくら相手が全国トッププレイヤーと言えど、ジャンピングスマッシュに関してはなぎさの何よりの十八番だ。待て待てと、綾乃の肩を掴む。
「何で秦野のところに行くんだよ」
「だって…全然わかんないもん」
「ッ…お前――」
「な~ぎ~さ~?」
ついカッとなりそうだったところで、反対のコートからニコニコと自分の名前を呼ぶ理子の姿に、なぎさは小さく肩を震わせて頷いて答える。
そして少しばかりイラついているのか頬の引き攣った笑顔を浮かべて。
「も、もう一回ちゃ~んと説明するな」
「うん!」
「まずはグッと構える。これ大事」
「…うん」
「そして素早く落下地点に向かって、サッと飛ぶ」
「…ん~」
「で、シャトルが来たらドガッと振り下ろす。どうだ!」
「……秦野~」
「うぉい!?」
ちゃんと逐一フォームを止めながら教えてやったのにと不満そうになぎさはブツブツと呟くが、流石にこのやり取りは綾乃の方に軍配が上がった。あの教え方で指導者が務まれば、皆苦労しないだろう。
不満げななぎさとは打って変わり、綾乃にバドミントン関係で頼られるのが嬉しいのか、弦羽早はいつも以上に気持ち悪いぐらいに爽やかな笑みを浮かべている。
「秦野~、ジャンピングスマッシュ教えて」
バドミントン関係で初めて綾乃に技術を教えると言う状況に、弦羽早は言い様の無い達成感を覚えながらも、それを態度にあらわさないように力強く頷く。
ダブルスのいろはなどは教えていたが、弦羽早にとってはそれとこれとは別のようだ。
「オッケー。ただ教えるのはいいんだけど、無駄に使わないのが条件。これが守れないのなら、羽咲のお願いでも駄目かな」
「なんで?」
「筋力をかなり使うからしんどい。羽咲の体格でそんなにポンポン打つものでもないし」
また地味に面倒な条件をと内心悪態をつきながら、とりあえず頷いておくかと素直に頷いておく。
「多分羽咲が出会って来たこれまでの指導者の人達も、羽咲にとってはデメリットの方が大きいから教えてなかったんだと思う。だからダブルスは勿論、シングルスにおいてもここぞと言う時にとっておいた方がいい」
「分かったから~早く早く」
「ほんとに分かってるんだか…」
おもちゃを強請る子供のように地団駄を踏む綾乃に、弦羽早の昨晩のエレナへの同情がより強まる。
弦羽早はフォームを構えて実際に実践する前に、まずはと口頭に付ける。
「知っていると思うけど一応ジャンピングスマッシュについておさらい。
よくジャンピングスマッシュ=速いって思われがちだけど、実際速いスマッシュを打つならジャンプしない方が強い。加えて角度はつくけど、体幹が無ければ面がブレて浮きやすいし、おまけに筋力は使うし、より早くシャトルの落下地点に到達していないといけない。それでも飛ぶ利点としてはタッチが速くなる、これだね。すいません、二球上げて下さーい」
「おう」
行輝にロブを貰った弦羽早は、一打目は足をつけた状態で全身の力を一点に集中させるようにしてスマッシュを打ち抜く。威力に特化したシャトルは良いコースとは言えなかったが、かなりの音と速さを誇っていた。
続いて二球目のロブを、素早くシャトルの落下点まで足を進め空へと飛びあがる。空中にいる弦羽早にブレはなく、シャトルに対して半身になりながら空中で全身を捻るようにラケットを振り、なぎさと同様に叩きつけるようなスマッシュがコートに突き刺さる。
「相変わらず綺麗なフォームだな~」
「どもです。俺も完璧じゃないけど、コツを一つずつ説明するね」
「押~忍!」
「まずは打つまでの時間に余裕を持たせるために、シャトルの落下地点に素早く入ること。ジャンプしたのに打点が低いなんて、いよいよジャンプする意味なくなるからね。そしてシャトルの落下地点よりラケット一本分近く後ろに下がること。あとは、羽咲は問題ないと思うけど、タイミング。ジャンプする分タイミングがズレるから、これを意識する。この三つが大前提かな」
弦羽早は繰り返し何度かジャンピングスマッシュの素振りをしながら、イメージを綾乃へ植え付ける。
「次に飛ぶ際について。まず飛び上がる時に、前に飛んでラケットを顔の前で打つこと。ジャンピングスマッシュの利点の角度をつけるには結局は高い位置で打つことだけど、ただ高い打点で打ってもラケットが顔より前に出てないと角度なんてつかないからね。前に飛びながら打つことで、顔の前でシャトルを打つ。
そして足は、両足を使って膝をバネに高く飛ぶ。そうすることで地面を蹴った際の勢いを籠める。この蹴るっていうのが難しいしエネルギー使うから、基本足つけるのがいいんだよね。体重も込めやすいから」
「なぎさより圧倒的に具体的で理にかなってる説明だね」
「うっせぇ。グダグダ説明し過ぎだろ」
ノック練習をしながらも弦羽早の説明に耳を傾けるなぎさと理子。悠と空は自分は無関係だと打ち合いをしている一方、学と行輝は興味津々といった様子でその説明を聞いていた。健太郎も何か違った事を言っていたら修正しようと思っていたが、弦羽早の説明に問題はないようだ。
「そして飛び上がってから、ここからが更に滅茶苦茶大変。まず腕の動きは通常のスマッシュと変わらない。肩っていうか鎖骨から前に出す様にして、同時に左手が右手の対角線上になるようにして体を捻る。ただ地面に足をついて無い分、この動きに凄くエネルギーを使う。お腹の下あたりが重心になるように、飛ぶ瞬間は半身だった体が、打った瞬間には正面を向いているように。最後に前へと飛ぶ勢いを殺さずに、その勢いのまま前に出る。打った後前に出ることで、相手への返球にも対応できるようにもなる。
だいたいこんな感じだけど、分かった?」
「うん!さっそくやりたい!」
「やっぱりなぎさのより分かりやすいみたい」
「…悪かったな、下手な説明で」
まず何度か綾乃の素振りをさせて感覚を掴ませる。ジャンピングスマッシュの最も難しいのは飛んでから打つまでの瞬間。ここで上手く体を使えなければ、飛ぶ意味は限りなく無くなる。ジャンプする事でプレッシャーを与えることもできるが、それも良くて精々中級者クラスまでしか通用しないだろう。
流石の綾乃も飛ぶまでは良いが、空中でのスマッシュには少しばかりてこずっている。飛びながら打つという行為自体は綾乃もこれまで星の数ほど行ってきたが、決め球としてのジャンピングスマッシュとは違う。支えの無い空中で体全体を使いながらラケットを振る行為は、想像よりもはるかに高い技術と筋力、そして練習によって始めて形となる。
綾乃の素振りを逐一修正しながら、ある程度形になってきたところでOKのサインを出す。てこずっていると言ってもそれは綾乃基準であって、一回の説明と数十回の素振りで十分様になっているのは世間では天才という。もっとも綾乃にはそれだけの土台があったので、あとはコツさえ分かれば技術的にはそう特別な技でもなかった。
ポーンと行輝からのロブが送られてくる。素振りの段階で少し息が上がりながらも、綾乃は落下地点を見極めながら、言われた通りそのラケット一本分辺りに下がる。
「(飛ぶタイミングとラケットの位置、そこを意識)」
身長や筋肉といった点では綾乃は他のプレイヤーに劣るが、反射神経を始めとした、動体視力や体のバネ、柔軟性、体幹などはむしろ優れている。そして日常に当たり前に存在するバドミントンという存在は、空振りという言葉とは疾うに縁を切っている。
両ひざをバネに軽く前へと飛びながらラケットがブレないように、腕を動かすのではなく体を捻り、そこに腕がついてくるイメージでラケットを素早く振るう。バシュンと重たい音はガットの中央、スイートスポットに当たった証拠だ。
体幹も安定しており着地後もよろけずに前に出た綾乃は、ネットに引っ掛かったシャトルを見てショックを受けたように口を開く。
「ひ、引っ掛かったぁ…」
「…羽咲がすげぇってことは十分知ってたけど、やっぱ見せつけられるな…」
「たったあれだけのことで…」
ロブを上げていた行輝に、横目で時折確認していたなぎさは各々ポツリと呟く。理子もまた、ノック一本目で想像以上に形になっていた綾乃のジャンピングスマッシュに目を丸くしていた。
ネットにこそ引っ掛かれど、そのフォームは綺麗なものだった。音や速さ的にも、面がブレることなく、全身のエネルギーもしっかり込められていた。
「もうほとんど形になってるよ。あとは打つ瞬間のラケットの角度だね」
「ん、もうちょっと飛ぶ位置も調整する」
それから十五回ほどジャンピングスマッシュを打った頃には安定してネットを越えるようになっていたが、体力と集中力的に限界が見えて来たのか、どこかしらに穴はあった。素振りもあったとはいえ、ニ十本弱のノックで綾乃は膝に手を当てて息を整えていた。
「ハァ…ハァ…ッ…。な、なぎさちゃんはあんなにいっぱい打ってるのに…」
「慣れもあるけど素の筋力が違うんだよ。どうしても羽咲は余分にエネルギーを使わないと形にならないけど、荒垣先輩はパワーがある分、羽咲より少ない浪費でジャンピングスマッシュが打てるんだ」
「ぅぅ…」
「だからさっきも言ったけど、ここぞと言う時に留めておくこと」
「は~い…」
そんな二人をノックの休憩時間にジッと見つめていたなぎさは、綾乃から弦羽早へ、そして健太郎へと視線を移す。
昨日の今日で都合が良すぎるかと一瞬戸惑ったが、健太郎がそんな心の狭い人物でないのは、この部の中でなぎさが一番身を持って知っている。
少し練習を抜けると理子に告げると、なぎさは悠と空のノック練習をしている健太郎の元へと歩み寄る。
「あの、コーチ…」
「ん? どうした荒垣」
コーチと呼ぶのにすら少し恥ずかしがっているなぎさだったが、そこに茶々を入れることなく健太郎はシャトルを打ちだしながら答える。
「ちょっと話、いいか?相談があるんだけど…」
「…分かった。海老名、伊勢原妹、残り十球だ!」
「「はい!」」
ノックが終わり、悠と空が仲良くコート内で倒れ込む。そのいつもの光景に特に気にした様子もなく、「水分補給しとけよ」と軽く声だけ掛けてなぎさへと振り向く。
「相談ってのはここじゃしにくいことか?」
「あ、ああ…。外でいいか?」
「構わねぇよ」
外へと出ると春風が二人の体を撫でるように通り抜けている。無風の状態で練習を行うバドミントンは、当然体育館は締め切って行う。その為、今の季節はまだ楽な方だとはいえ、梅雨や真夏のバドミントンは室内競技の中でもかなりハードな部類である。逆に突き指などがまず無い分、冬はバレーやバスケなどの球技に比べるとやりやすいか。
熱の籠った体を冷ましてくれるほど良い風に、無意識の内に安心したかのように軽く息を漏らす。
「…さっきは周りに人がいたから俺からは言わなかったが、悩みってのは羽咲と…あと秦野もちょっと関係あることだろ?」
「気付いてたのか?」
「そりゃ以前から闘志メラメラだったからな」
「秦野にも言われたよ、それ」
情けないなと申し訳なさそうに頬を染める。なぎさが綾乃に対して、仲間としてよりもライバルとして見ているのは誰の目から見ても明らかだったので、健太郎は「みんなそんなもんさ」と、余り引きずらないようにと声を掛ける。
「…私は、次のインターハイ予選で優勝したい。…いや、優勝以上に、羽咲に勝ちたいんだ…」
「そこまで羽咲に拘る理由は、俺が原因……じゃないよな?」
綾乃を部に勧誘する時の”金メダル”発言をまさか未だに引きずっているのではないかと、少し構えるように健太郎は問う。そんな彼の仕草に小さく笑って。
「もしそうだって言ったら?」
「指導者としてまだまだだと反省するさ」
「安心しろ。アンタが原因じゃない。羽咲は…去年の全日本ジュニアで私が負けた相手なんだ」
「なっ!?…なるほど、まさかそんな身近にいたとはな」
なぎさが全日本ジュニアで完封されたのは知っていたが、相手までは聞いておらず、まさか同じ県どころか同じ部活にいるとは思いもよらなかった。それに綾乃の異質なまでの才能は健太郎も重々理解しているつもりだったが、スランプ前のなぎさを完封で倒せるほどまでの実力者だとは今の綾乃を見る限り思えない。
「…私もあれから練習してきたし、その、アンタのおかげで色々と吹っ切ることもできたから、今日は凄い調子がいい。でも、羽咲に勝てるって言われたら、厳しいと思うんだ。特にあいつは最近、速い球とずっと打ち合ってる」
「秦野だな」
綾乃は現在シングルスの練習に一番時間をかけているが、ノック前の軽い打ち合いでは弦羽早とダブルスのラリーを想定した練習を行っている。特に女子がミックスに出るに当たって大事な能力、レシーブとドライブを重点的に。
筋力は勿論、ホルモンバランスの関係から反射神経なども男性有利なミックスダブルスにおいて、男子が女子にスマッシュを打ち込んだり、ドライブ勝負で力技で押してくるのは王道のセオリーである。
そんなセオリー通りの攻撃に対して何もできないでは話にならず、女子も男子のスマッシュやドライブを返していかなければならない。特に綾乃と弦羽早のペアは防御が主軸となっている分、そこに力を入れている。
元々男子を越える動体視力を持っている綾乃のレシーブ力は、日に日に上達していっている。毎日毎日、質のよいスマッシュを打ってくれる相手がいるのだから、綾乃でなくても慣れていくのは自然だった。
「私のスマッシュは、秦野にだって負けない自信はある。シングルスとダブルスじゃ、レシーブも全然違うことも分かってる。でも、目が慣れてないのと慣れてるのじゃ、試合の組み立て方が全く変わってくる。それにジャンピングスマッシュだって、あいつなら次の予選までには武器にしてる…」
「そこに関してはそんなにしょい込むな。確かにさっきの練習見てたら質の高いのを打てるようになってるかもしれないが、羽咲の体格じゃ連発できないって秦野の意見は確かだ。俺もわざわざ羽咲に教えようとは思わないからな」
自分のエースショットと呼べる球をああも簡単にものにされて悔しいのだろう。
実際健太郎の目からすれば、なぎさの倍以上の体力を消耗する綾乃のジャンピングスマッシュは欠陥品にしか見えないが、そんな損得勘定での理屈ではないだろう。
それに欠陥品と称したが、例えばあと一点で勝負が決まるという状況で、それまで一切使わなかったジャンピングスマッシュを打ってきたら、相手をする側からしたらかなりのプレッシャーだ。
健太郎は少し考え込むように顎に手を当てながら、チラリとなぎさの方を見やる。昨日の一件ですっかり丸くなったのか、モジモジと不安そうな瞳で健太郎を見つめていた。
その可愛さにやられて――などと不純な動機ではないが、教え子から相談された以上、それに応えるのが指導者の義務だ。幸いと言うべきか、倒すべき相手である綾乃は健太郎に質問に来るようなタイプでもないので、なぎさと綾乃の板挟みになることはないだろう。
「北小町のコーチである以上、俺は公平にやらなきゃいけない」
「…そっか」
「でもな。”羽咲にも通用するレベルのスマッシュと組み立て方を教える”。これなら不公平じゃないだろ?」
健太郎の言葉になぎさの顔がパァァと明るくなる。まるでずっと飼い主が帰ってくるのを待っていた子犬のようで、なぎさもすぐに自覚したのか、慌てて顔をいつものしかめっ面に戻してそっぽを向く。
やはり選手が一人で悩むのにも限界がある。しかしこの悩みを打ち明けられる程バドミントンに精通している知り合いがいないなぎさにとって、健太郎は最初にして最後の綱であった。
「(羽咲には秦野がいるからって思ったが、あいつも羽咲も、まだまだ伸ばすべき部分は多い。ただプレイスタイルの違いから、俺が二人に教えられることはそんなにもない。荒垣にはああ言ったが、羽咲からするとやっぱり贔屓に見えるか? ただあいつ俺に質問来ないからなぁ…。別に練習内容を変えるとか、意図して教えないとかじゃないし、大丈夫……だよな?)」
”一部の生徒ばかり見て他の生徒と向き合わなくなるようなことはしちゃ駄目よ”
合宿場でバドミントン雑誌のライターをやっている松川明美に言われた言葉が未だに引っ掛かっている健太郎にとって、今この状況は胸を張って明美に報告できるかというと、正直微妙である。
ただ目の前のなぎさを蔑ろにする選択肢は絶対にないので、これで大丈夫だろうと健太郎は胸を張る。
翌日綾乃と弦羽早に、神奈川のミックスダブルスの高順位成績者のまとめを渡したのも、決して負い目があるからではない。
綾乃「クジラだけどー、ふっかふかー!」←これ可愛すぎる
羽咲さんの攻略難易度高すぎないかと常々思います。まあいきなり魔王倒してもゲームにならんやろ(DQ6談)
主人公の容姿って大層なイケメンって訳ではないですが、爽やかオーラがあってちょっと人気な感じ。
基本的にコニー以外は誰もが見惚れるほどの美形って感じでは書いてないです。