好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された   作:小賢しいバドミントン

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なるべく誤字修正以外で書き直ししたくないけれどこの回は色々と不安。


本心

まるで監査に入られたみたいだ。健太郎を含むこの場全員社会経験がないので本物の監査を知らないが、この鋭い視線を前に悠々と練習できるメンバーは学だけであった。

弦羽早は薫子の圧に押されてというより、綾乃が心配で集中できていない。そわそわと彼女を気にするその姿は想い人というよりも、初めてのお使いに娘を送る父親のようだ。

 

パイプ椅子にジッと座る芹ヶ谷薫子の視線に、皆すっかり肩を縮こまっており、唯一熱い視線を向けられている健太郎は別の意味でやりにくそうだ。

 

その中でも一番、明らかに動きがおかしいのは綾乃だった。常に薫子の視線を気にしているのはおろか、時々顔を青くしたり頭を抑えたりしている。

 

当然、その様子を見ていた薫子はピクリと目元を動かす。

 

「(ま~たいっちょ前に下らない事を考えていますわね、あれは)」

 

薫子にとって綾乃は始めて出来た同い年のライバルであった。いや、始めて会った時はライバルというにはおこがましい程に実力差があった。

 

綾乃は圧倒的だった。

 

それまで同級生に負けることのなかった薫子は、ほぼラブゲームに近い点数で大敗した。

だがそんな薫子に対し、綾乃は「薫子ちゃん、強いね」と笑顔で言ってきたのだ。

あれ程屈辱的な敗北は後にも先にも、バドミントン以外を含めても始めてだった。

 

そんな彼女が今はあのざまだ。

 

「羽咲、大丈夫?」

 

「ん…平気。練習、しなきゃ…」

 

「少し休んだ方がいいよ。体調管理も――」

 

「エレナに、胸張って頑張ってるって、言いたいの」

 

「(あの珍獣、ずいぶん羽咲さんを気にしてるようですわね。パートナーですから当然でしょうが、あの羽咲さんに男性がねぇ…)」

 

薫子は羽咲綾乃という少女を人間としてはどこまでも歪だと見ている。自己の中で矛盾を持ち、他人を振り回す身勝手さ、リスペクト精神を持たない少女。

その評価は自分で自分の首を絞めているのだと言われた場合、薫子は「その通りですわ」と肯定するだろう。彼女は自分の事を理解し、知ろうとしている。

 

そんな綾乃の本性を見抜いている薫子からすれば、今の猫を被っている綾乃は実に不愉快だ。

いや、あの落差は外面如菩薩内面如夜叉の方が合っているか。そもそも綾乃の自身が猫を被っていることに自覚があるのか分からないのが、また綾乃がどこか普通ではない事を証明していた。

 

「コーチ、次私のノックお願いします…」

 

「ほんとに大丈夫か羽咲?」

 

「へーきです…」

 

「(…ショート、ラウンド奥、クロスのヘアピン、ドロップ、フォア奥で決まりかしら)」

 

ニヤリとあくどい笑みを浮かべた薫子は、愛しい健太郎の背中へと声を飛ばす。

 

「その方のノックは私がいたしますわ」

 

バドミントンバッグからラケットを取り出すと、優雅にピンク色の髪をかきあげながらコートへと歩み寄る。

いつもの健太郎なら相手の手の内を読むために許可しただろうが、今の綾乃に対していつもの激しいノックはできない。

 

「断る。今の羽咲を――」

 

「いいよ。やろうよ薫子ちゃん」

 

「あら?あなたにしては随分前向きな発言ですわね」

 

了承の言葉は健太郎だけでなく、彼女をよく知る薫子も意外そうに眼を丸くする。

 

さて、どういった心境の変化なのかとジッと観察するが、顔色の悪い以外は”弱い羽咲綾乃”であることに変わりなかった。

そわそわと綾乃を心配する弦羽早を押し退けるように薫子はコートに入る。既に綾乃は反対のコートにジッと立っており、シャトルを構えた薫子へ呟きかけた。

 

「薫子ちゃん。覚えてるよね、中学二年の時の試合」

 

「ええ、勿論ですわ。あなたがわたくしに負けた試合」

 

「ッ!ほっ、本当に、あんな勝ち方で満足してるの?」

 

ピリッと一瞬綾乃を取り巻く空気が変わり、女バド勢は静かに息を呑む。

 

「(羽咲さんなりの挑発のつもり?声は上がってるし手も震えている。随分可愛い挑発ですが乗ってあげますか)」

 

「あら?何か言いたいのかしら?」

 

「ねえ、あのゲームの続き、今やろうよ。私が四点連続で取ったら私の勝ち、薫子ちゃんが一点でも取れば薫子ちゃんの勝ち」

 

4点というのは件の試合が21ー19で終わらず、22点先取と仮定して、デュースを含めた数字なのだろう。

何を言うかと思えばと、鈍感な綾乃にも分かるようにと深く深く息を吐いて、見下すような嘲笑を浮かべながら唇を動かす。

 

「結果は変わりませんので構いませんわ。それと、別にハンデを頂かなくて結構。あなたが一点でも私から打ち取れれば、あなたの勝ちにして差し上げますわ」

 

「…そういう態度、ほんとイライラするなぁ…」

 

ボソリと呟いた綾乃の言葉は、シーンと静まり返る体育館の中でさえ誰の耳にも聞こえなかった。それまでほわほわとした綾乃の雰囲気は、まるで何かに追われているような切羽詰まった余裕のないものへと変わる。

 

「はねさ……」

 

落ち着くようにとアドバイスを送ろうとした弦羽早だったが、それを遮るように薫子はラケットを構えた。

たかがノック練習、アドバイスを送るなどルール違反もあったものではないが、二人を取り纏う空気は試合のそれそのままで、その瞬間弦羽早は部外者としてコートからはじき出された。

 

「(上手い。この空気を利用している。技術面は分からないが、心理戦は相当できる…)」

 

静かにバックハンドでのサーブ体勢を取る薫子を観察する。

薫子は構えたままピクリとも動かずにサーブをしない。中々来ないシャトルに綾乃が苛立ちを覚えギュッとラケットを強く握った瞬間、ポンとショートサーブが放たれる。

 

「ッ!」

 

綾乃は足を前に出しながら、薫子の動きを見る。利き足である右足を蹴って、後ろに飛ぼうとしている。上半身も少し反っている。

 

「(ここは前に打って上げさせる)」

 

トンと右サイドへとヘアピンを送る綾乃だったが、その直後、薫子は既にネット前でヘアピンを取る体勢を取っていた。

 

「速い!」

 

「いや、重心を後ろにやってわざと前に誘導したんだ」

 

「お望み通り、上げて差し上げますわ」

 

ニヤリとネット越しの薫子の口元が上がるのと同時に、綾乃の身長では飛んだって届かない低めのロブ球がコート奥(リア―コート)へと、それもラウンド側へと伸びる。いくら綾乃でもネット前にいる状況から、コート奥へと飛ばされる球を背面打ちは厳しい。綾乃は薫子に背中を向けるようにして後ろへと下がり、背中を見せながら上の球をバックハンドで打つ技、ハイバックでクロスのドロップを落とす。

 

だがその球も薫子は読んでいた。既に前に構えていた薫子は、余裕の笑みで自陣に飛んでくるシャトルに対し、ラケットを置いておく。

だが綾乃もまた、薫子が自分の配球を読んで前で張っているのは気づいており、地面を蹴るように飛んで前へと詰める。

 

しかし綾乃が二歩目を踏んだ直後、薫子のラケットが横へと振られる。通称ワイパーショットと呼ばれる、車のワイパーのように動くそのラケットにより、シャトルは綾乃が向かう薫子の前とは反対側のネット前へと飛ぶ。

 

「ぐっ!」

 

綾乃はすぐさま重心を右に傾けながら、着地と同時に左足を蹴って右へと飛び、なんとかシャトルが地面につく前にロブを上げるが、手を限界まで伸ばし頭も下がった状態で打つそれはよいコースとは言えない。

甘いロブに対し既に薫子は強打を打つ構えを取っている。

 

「(大丈夫、いくらミドルコートでもスマッシュは取れる)」

 

全力で後ろに戻りながらレシーブの体勢を取る綾乃の耳に届いたのはスマッシュの激しい音でなく、トンとガットが軽く震える小さな音だった。

 

「ここでドロップショット!?」

 

完全に後ろ寄りになっていた体勢がガラリと崩れてしまい、綾乃は急いで飛び込むようにして落ちてくるシャトルを拾う。ガチャンと綾乃の持つラケットが地面に衝突する。

 

「これで終わりですわ」

 

そのシャトルはまたもやポーンと気の抜けた音を鳴らして、弧を描く様に綾乃のコート奥へとコトリと落ちた。

 

「ほんとに無様ですわね。あなた、弱すぎですわ」

 

その言葉にコートの横にいる弦羽早が割り込もうとするが、学と行輝によって押さえつけられている。

薫子の言葉はスポーツマンにあるまじきものではあったが、しかし弦羽早の先程の対応もまた同じであり、そうなれば力の強い男子が女子に対して力を振るう方が悪になる。

 

そして何より、薫子はその言葉を言うに足りる実力をたった今証明して見せた。

 

「ラケットを強く握った瞬間でのショートサーブ。あれでラケットワークにゆとりが無くなり、更に後ろに行くと見せかけることで、羽咲のレシーブをストレートのヘアピンに限定。そこで流れをつかみ、ハイバックへの低めのロブ。そして羽咲のハイバックの体制からロブに来ないと再び前に張り、前に詰めて来たところを、足を蹴った瞬間でのクロス。極めつけは絶好のチャンス球に対して強打ではなくドロップ…」

 

言うだけなら簡単かもしれない。あるいは予想したり、考えるのもまた簡単である。しかし自分の配球や読みをそのまま実行に移す為の精神力を持つ人間はいない。

どうしても自分の配球や相手の読みに対し”本当に合っているのか”と不安になる自分がいる。だが今の薫子のプレイでは、それは感じられない。

だからこそ、薫子は常に綾乃の打った先に待ち構えるようにいたのだ。

 

「かつてのライバルを視察に来たつもりでしたけどガッカリですわ。羽咲さん、あなたはわたくしにこれで二回負けた。それも言い訳のしようも無い、完膚なきまでに」

 

「ぅ……」

 

コートの上で横たわる綾乃を見下し、愉快そうに口元を上げる薫子の姿に、弦羽早はギリッと唇を噛んで学と行輝の腕を振り解く。

 

「離せ!」

 

「おい秦野!」

 

薫子の元へ歩み寄り、弦羽早は鋭い目つきで彼女を見下ろす。

 

「あら、また暴力ですの?雑誌では爽やかだの書かれてましたが、随分と脚色されているそうですわね」

 

その言葉にギュッと両こぶしを握り締める。

そうだ、自分は確かに綾乃の事をずっと大切に思っているが、同時にスポーツマンでもある。いくら相手の言葉に棘があろうとも、コートの中で手を出しては決していけない。だが試合を申し込むにも性別が違い、フェアな勝負などできない。シングルスで彼女に勝ったところで誰も得しないし、彼女もまた本気を出さずに適当に負けるのは目に見えている。

 

「羽咲は…羽咲綾乃は俺にとっての憧れだ…」

 

「へぇ…それで?」

 

「彼女を…これ以上悪く言うな…」

 

「ん?……あ~」

 

薫子は納得した。久しぶりに会った綾乃のどこか気の抜けた、甘いだけでなく、何か背もたれに寄りかかるような腑抜けた空気。

その正体がこの男だと。

 

「(なるほど。良い子ちゃんの羽咲さんは高校では随分と甘やかされてるみたいですわね。さて…、これ以上煽ってみる? いいえ、これ以上は学校に通知が行くかもしれない。ただこんな腑抜けた羽咲さんに勝ってもなんの面白みもない。もう少し確実にこの人が本気になれる要因を作っておきたかったけれど限界でしょうか。あとはこの仲良しクラブに任せるとしますか)」

 

立ち直れなければその程度のプレイヤーだったという事だ。

 

石のように冷たい表情は綾乃に打ち勝って満足したようには到底思えず、心底期待外れだったと言葉にせずとも語っていた。

 

「では失礼しますわ。ご、ごきげんよう」

 

部員達には吐き捨てるように、しかし健太郎に対してだけ丁寧にもの柔らかい表情で告げた薫子は、ラケットをバドミントンバッグに仕舞い、早々と去って行った。

 

体育館は嵐が去ったかのように突然と静まり返る。

薫子の言動、薫子に対する自分の行為に弦羽早はギュッと拳を握りながら、ネットの下を潜って綾乃の元へと歩み寄ろうとするが、そんな弦羽早から逃げるように綾乃は立ち上がると、ほんの一瞬だけ皆の顔を見た後、全速力で体育館を去って行った。

 

「羽咲!?」

 

慌ててその背中を追いかけようとするが、腕を掴まれる。

 

「離して下さいコーチ!」

 

「いいから落ち着け。お前は羽咲を甘やかしすぎだ」

 

それはバドミントンプレイヤーではなく人として、弦羽早は綾乃に対して甘い。

優しくして好感度を稼ごうなど、そういった打算的な優しさではなく、心から彼女を大切にしている気持ちは健太郎にも伝わっている。だからこそ、時折弦羽早の感情に健太郎は不安を覚える。

 

「それに今の羽咲はパートナーであるお前とは特に顔を合わせづらいだろう。ここは俺が追い掛ける」

 

基本的に弦羽早は先ほどのような状況にでも起こらない限り、温厚で理性的な人間だ。だからこそ健太郎は素直に引いてくれると予期していたが、それは健太郎に向けられる鋭い視線によって裏切られる。

 

「…確かに、甘やかしている自覚はあります。ここで羽咲を追いかけるべきなのがコーチなのも。でもさ、もうそんな理屈は通らないんですよ。あいつ…羽咲に関しては」

 

「秦野…」

 

「羽咲の抱えている悩みは決して、人一倍辛いって訳じゃないのかもしれない。人によっては悩みにすらならないのかもしれない。でも、普通とは異なる特殊な悩みなのは確かです。俺はそれを同じコートに立って少しでも支えてあげたい。例えコーチであろうと、その役目を渡す気はありません」

 

弦羽早の想いを聞き終えた頃には、健太郎は腕を掴んでいる手を解いていた。

それは同性であることや健太郎も経験した事のある恋心に同情したからではなく、綾乃の存在が弦羽早のバドミントンの芯になっているものだと今の言葉で確信したから。

 

弦羽早は軽くだけ頭を下げると、走り去った綾乃の後を追うように体育館を飛び出した。

 

「だ、大丈夫ですかね、綾乃ちゃんと弦羽早君」

 

「…一度羽咲の家に行く。みんなは自主練しておいてくれ」

 

「わ、私達も行きます!あやのんをほっとけないです!」

 

健太郎は少し悩むように間を取る。もう個人戦の大会も近い。悠と空はダブルスのみで出る為、試合が行われるのはまだ一ヵ月近く先になるが、それでも十分に最後の追い込みに入る期間だ。

しかしただ厳しいだけでは指導者は務まらないと言うのは、八人も退部した事で健太郎自身痛いほど理解させられた。

 

「……分かった。ただ男子二人は団体はないんだ。お前達は残って練習しててくれ」

 

「…うっす」

 

「了解っす」

 

「(ハァ…。羽咲が個性的なのは重々理解していたが、秦野も想像以上に癖が強いな。そこに自覚がある分、尚更強く言いにくい。ただ基本それはいい方向に進んでいる。芹ヶ谷の一件はたまたま悪い方向に出ただけだと捉えよう)」

 

弦羽早がどこまで綾乃に対して深く入り込め、どこまで綾乃が受け入れることができるか。幼馴染でありパートナーである二人の距離感は、再会してまだ一月も経っていないが決して遠くはない。

 

健太郎は重い足取りで下履きに履き替えると、以前行った綾乃の家へと足を進めた。

 

 

 

 

 

健太郎に止められ出遅れた事で完全に綾乃を見失っていた弦羽早は、思い当たる場所へと二つほど当たった。最初は近くのコンビニで、次は小さい個人営業の肉まん屋。ただこの二つに関しては弦羽早も期待してはおらず、目的地までに可能性を潰す為の少しの遠回り程度だった。

かつて綾乃と出会ったタコの公園を横切り、急斜の険しい長い坂を上り、何度か道を曲がった先にその小さな体育館はあった。

 

小学校の頃に通っていたクラブチームよりも、ここでの練習時間の方がずっと長かった。彼女にとってのバドミントンの原点となり、弦羽早のバドミントンの基礎になった場所。

 

かつて綺麗に整理されていた敷地内には、今は木材などが乱雑に置かれており、誰かが勝手に物置にしているのか、あるいはここの所有権は有千夏のものではなくなったのか。

いずれにせよ、昔は親しみのある建物だったそこは、たった三年で廃れた物寂しい建物へと変わっていた。

 

その扉の前にジッと立ち尽くしている少女へと、弦羽早は乱れた息を整えながら歩み寄る。

 

「…羽咲」

 

「秦野…幻滅した? それとも、スッキリした? 私が同い年の女の子に無様に負けて…」

 

「……とっても悔しかったさ」

 

「…ほんとに、秦野は優しいね」

 

他人の心に疎い綾乃でも、わざわざ聞かずとも弦羽早の気持ちには分かっている。再会して以来、あれだけ怒りを露わにした弦羽早を見るのは初めてだった。薫子に珍獣と言われても冗談交じりに返していた弦羽早が、綾乃の事になると、本人以上に怒りを露わにした。

切羽詰まったような余裕のない表情で、薫子に歯向かってくれた。

 

それが綾乃にとってはどうしようもなく”嫌”だった。

何故庇うのか。何故こうして追っかけてくるのか。そうすると余計に自分が惨めに見えて仕方がなく、何より彼に同情を寄せられるのが不愉快だ。

 

 

綾乃はたられば、の想像をする。

 

もしこうして追い掛けて来てくれたのが仲直りしたエレナだったら。おそらく彼女に抱き着いて甘えていた筈だ。

 

あるいは健太郎だったら。年も離れて立場も性別も違う。確かにコーチと教え子という関係性で、入部する前は彼の事が苦手だったが、今では自分に楽な距離感で接している。彼がここに来たなら、この辛さを素直に吐き出していたかもしれない。

 

でも弦羽早は?

おそらく母親を除けば一番バドミントンを通して接した相手であり、幼馴染で、今はパートナー。そして団体戦では全国一位を、個人ダブルスでも二位を取る程に成長した彼を、もはやただの部活仲間の一人だとは意識できなかった。

 

ただ友人として近いのではなく、選手としても彼と自分は似ている。プレイスタイルや両利きであることは勿論、バドミントンという競技に注ぎ込んできた時間と、努力を努力であると”思わなかった自分”と”思っていない弦羽早”。

 

この間、泊めてくれた時には抱かなかった弦羽早に対するモヤモヤが、また綾乃の胸の中で渦巻く。

 

「でもさ、本当は思ったでしょ? 私が、ずっと秦野に勝ってきた私は、中学校で薫子ちゃんに負けてからお母さんを失った…。でも、秦野は中学でパートナーを見つけて、団体戦で一緒に戦った仲間を見つけて、そして全国のトッププレイヤーになって。気持ちいいって、優越感、感じなかった?」

 

「お母さんを失ったって…?」

 

いや、それも当然聞き捨てならないが、今の弦羽早にはその後の言葉の方に意識が向いていた。

 

優越感を抱いていた? 誰が、誰に?

 

「まさか、俺がそんな風に思ってるって、考えてたのか?」

 

「…だって、それが普通でしょ?」

 

綾乃は振り向きながら、泣きそうな顔でそう返してきた。

 

なんだそれは…と、弦羽早は僅かな眩暈を覚え、視界がグラリと揺らいだ。

綾乃が何を言っているのか、何を持っての”普通”としているのか。綾乃に負けじとバドミントンを始めてから、学校による拘束時間を除くほぼ全てをバドミントンに注ぎ込んでもなお、弦羽早には綾乃の言葉は理解できなかった。

 

 

だが綾乃の今の感情に気付けないのは、弦羽早もまた人とは違う形でバドミントンをしているからであった。

 

 

人は誰しも自分より劣っている者に対して、多少なりとも優越感を抱いて生きている。体格、身長、ルックス、収入、恋人、そして強さ。その優越感を抱く何かに、時間と努力を注ぎ込む程その優越感は強くなっていく。練習を重ねれば重ねる程に、自分より強い相手には嫉妬し、だがそれまで強かった相手を追い越した瞬間に、格下であると判断する。

優越感の強弱は本当に人それぞれだ。

 

それを持っていない人間などどこにもいない。弦羽早自身も、そういった感情は持ち合わせている。中学で団体のレギュラー争いの際も、レギュラーに選ばれて優越感を覚える事はあった。ずっと負けていた相手に勝った時の達成感は今でも強く残っている。

 

だが羽咲綾乃に対してだけは、秦野弦羽早はそのような感情を抱いたことはない。

 

変人。能天気。頭は良くない。何考えてるのか分からない。気分屋で自己中。優しいように見えて、気が利かない。

 

彼女の欠点や不満点などは弦羽早だって幾度も無く感じるが、しかし見下したこと、それも”バドミントン”においてそれを感じるなど絶対に無かった。

 

「…なんだよそれ」

 

「え?ちょ…ッ!?」

 

突然ドスの利いた声と共に迫りくる弦羽早に、綾乃は思わず後退し、背中が体育館の開かずの扉とぶつかる。綾乃にギリギリまで近づいた弦羽早はドアに手を当てて体の差さえとし、綾乃と目線を合わせる。

 

「優越感だと!?そんなもの、あるに決まってるだろうが!」

 

「や、やっぱりッ!秦野も、私のこと見下してたんだ!」

 

「そうじゃない!」

 

ドンと弦羽早がドアを強く叩き、その振動が背中から全体へと伝わる。先程の薫子に対して、いや、それ以上に感情を剥き出しにしている弦羽早に、ビクリと怯えるように綾乃は肩を震わせた。

 

「俺は、羽咲とずっとダブルスを組みたかった。俺にバドミントンの楽しさと達成感と、喜びを教えてくれたお前と!そんなお前と組めるようになって、何も感じないわけない!」

 

「そ、そんなに組みたいなら小学の時すれば良かったじゃん!毎日一緒にいたのに!」

 

「言える訳ないだろ! あの時の羽咲と俺じゃあレベルが違い過ぎた。まさかミックスペアで、女子にキャリーして貰えって言うのか」

 

「でも実際、あの時私の方がずっとずっと強かった!」

 

「だから強くなったんだろ!」

 

ドンと苛立ちをぶつけるように再びドアが叩かれる。先程と同じ目つきに口調、でもその内に籠められている感情が少しだけ、ただ漠然と悪い感情ではないという事だけ、綾乃は感じる(つながる)事ができた。

 

だからか、先ほど見た事の無い剣幕の弦羽早に肩が震えたが、同じ怒鳴り声でも今は全然怖くない。

 

「お前のパートナーだって胸を張って言えるくらいに!頼ってもらえるようになって、インターハイに出て、そして…」

 

「…そして?」

 

――この気持ちを受け取って貰えるように

 

「…その時になったら、言う」

 

ゆっくりと離れていく弦羽早の顔に、綾乃は目と口を丸くしたあとにギュッと両腕を握る。

 

「な、なんで全部教えてくれないの! やっと私、ちょっとだけ秦野の本心が分かったと思ったのに!」

 

合宿の夜に、綾乃の別の仮面はこう願った。ダブルスを組んで少しでも色んな人と繋がり合いたい。繋がって、他人を思いやれるようになりたいと。

その仮面に今少しだけヒビが入ったような気がした。もし弦羽早の言葉を聞けたら、その仮面を一つ壊せるかもしれない。そんな予感が綾乃の中にあった。

 

「本心なら変わらない。羽咲とペアを組んで、優勝して金メダルを取る」

 

頬を僅かに赤く染めながらそっぽを向く弦羽早の言動に、綾乃はこれっぽっちもその感情に気付くことなく、背もたれにしているドアをガンと叩く。

 

「だからその理由を知りたいの!どうして秦野は私を無性にイライラさせるの!」

 

ドアを殴った手とは反対で頭を抑え込む綾乃の姿に、いつもは心配する弦羽早も流石に沸点を越えたのか再び怒鳴り声を上げる。

 

「はぁっ!?さっきから言わせておけば、お前だってコロコロコロコロ態度が変わって訳わかんないんだよ!その頭抱えるのもやめろ!ハッキリ言って一々気を使うのがめんどくさい!」

 

「なぁっ!? いッ、いいよね!あんだけ負けてた癖に全く失うもののない空っぽの秦野は!悩みなんて無さそうで楽しそうな人生だよ!」

 

「そう思えるなんて随分幸せな頭してるな!インター出場を舐めてるだけはある!やっぱり頭の中に脳味噌じゃなく具でも入ってんのか?」

 

「あ~も~ッ!ほんとうるさい!いっつもエレナにデレデレしてる癖に!」

 

「はぁ!?どこに目ん玉付けたらそう見えるんだ!?」

 

「小学校の時もエレナを呼び出して二人っきりで話してたじゃん!入学初日もエレナを廊下に呼び出してたし!」

 

「あれはッ……」

 

綾乃へのプレゼントの相談や、好きな食べ物を聞いていただけとは流石にこの流れで言えなかった。

弦羽早は苛立ちをぶつけるかのように頭をガシガシと掻くと、ハァと深くため息をつき、いわゆるヤンキー座りのポーズで体を落とす。

 

「ほんと…やっぱり羽咲は変わらないな」

 

「何が?」

 

唇を尖らせてブスっと不機嫌な声の彼女に、弦羽早はクスクスと笑みを浮かべる。

 

「色々と」

 

その笑顔といつもの物柔らかいトーンに、綾乃もまた釣られて毒気が抜けたように、ドアを背もたれにしてスルスルと座り込んだ。

怒鳴りに怒鳴り合った二人の肩は上下しており、下手な試合では肩で息をしない二人にとって、その状況はお互い愉快なものに映って見えた。

 

「「ふっ」」

 

綾乃の口から出た内に秘められていた本音は、弦羽早の心を揺さぶるには大きなものだった。

綾乃に見下すような人間だと思われていた事へのショックや、気付かぬうちにイライラさせてしまっていたこと、何故かエレナに好意を寄せている様に思われていたこと。

でも、どれだけ言われても、やはり気持ちは一寸もブレなかった。無茶苦茶で鈍感すぎるほどに他人の感情に疎い彼女を心の底から好きになったのだ。

 

弦羽早は綾乃の元まで歩み寄ると、ドアに寄りかかる彼女の頭をポンポンと優しく叩いて、その隣に座り込む。

 

「ねぇ秦野、さっきのって本音?」

 

「…心当たりが多すぎて分からないけど、どれ?」

 

もしかして気持ちに気付かれたかと、額から汗が静かに流れる。

 

「わ、私の頭が脳味噌じゃなくて具が詰まってるって言う…」

 

「クッ…フフッ!」

 

あんだけ散々綾乃に対する気持ちの強さを吐き出したというのによりによってそこかと、弦羽早は吹き出す様にして笑い出した。

加えて膨れ顔で怒る綾乃の頬が思わず肉まんの膨らみと重なってしまい、弦羽早は遂に腹を抱えて声を上げるようにゲラゲラと笑い出した。完全にツボに入ったようである。

 

「あー!やっぱりそうなんだ!」

 

「い、いやいや、そんな事思ってないって。ちょっとした冗だ――フフッ!」

 

「ぅぅぅ!秦野の癖に!」

 

「はいはい」

 

それからひとしきり笑い終えた後、弦羽早はすっかりいつもの彼の雰囲気と口調に戻っており、未だモヤモヤが続いている綾乃にはそれが悔しかった。

でも苛立ちなく、色々抱えていた悩みが何となく馬鹿馬鹿しく感じてくるように他の事がどうでもよくなってきた。

鍵の掛かったかつて練習場だった体育館の扉で、こうやって弦羽早と一緒に座っていると心が落ち着く。

 

「(確かに私、いっつもコロコロ変わってる。秦野にイライラしたり、嫉妬したりしてた。でもさっきまで喧嘩してたのに今は安心する。あれだけ言い合いしてたのに、言った事にも言われた事が心につっかえない。

ほんと…自分が分からない)」

 

「…ねえ秦野」

 

「なに?」

 

「私が勝ちたいって思うのはバドミントンをする上で悪いことなのかな?」

 

綾乃はそう呟いてポケットの中から折り畳まれた紙を取り出した。それは去年行われた全日本ジュニアのトーナメント表だった。

去年のジュニアでは弦羽早は本格的に勉強が危なかったので、進路が決まってないのならやれと顧問の監督に言われて渋々辞退していたが、綾乃は出場していたようだ。

 

一通りの名前を探すが綾乃の名前は見つからず、少し戸惑うにか細い指を指す。

神藤綾乃。

神藤、言われて思い出したが有千夏の旧名だったか。いくら彼女にお世話になったとはいえ、友人の母親の旧姓を小学生の弦羽早が深く覚えてなくとも無理はない。

 

彼女のトーナメント表を見て目を引いたのは、準決勝での辞退という文字と二回戦のスコア。

その対戦相手は荒垣なぎさで、同姓同名の別人ではなく間違いなく北小町のなぎさ本人。

彼女との試合のスコアは21ー0、21ー0で綾乃の勝利。ハイレベルな大会のなかで決勝のスコア以上にそれは目立っていた。

 

「こ、れって…」

 

普通ではなかった。日本のトップジュニアが集うこの大会においてスコンクが起こるなど。なぎさの一回戦の成績を見る限り彼女は決して不調ではなさそうだ。

それに当時の綾乃は中学三年生。成長期も収まり年齢による差も縮まる頃。だが大会で成績を残すのはやはり高校三年生の割合が高いくらいには、成長を続ける中での学生間の年齢差はあなどれない。

 

「私、この試合のことほとんど覚えてないの。勝ちたいって思って試合してなくて、ただ返ってきた珠を返しただけ。高校でなぎさちゃんの顔見た時だって分からなかった…」

 

昨日薫子ちゃんと会ってから、薫子との試合(あの時)の試合を思い出してた時に出てきたの。

綾乃はポツリとそう付け加えた。

 

「羽咲…」

 

薫子は強い。去年より更に、より強くなっていた。半年以上のブランクのある”今の自分”では勝てない事は先程のノック練習で思い知らされた。二週間の追い込みだけでは絶対に覆らない差。

 

この時の自分に戻れたら、完全とまで言わずとも近づくことができたら薫子に負ける事はあり得ない(・・・・・)

 

だが綾乃の人生においてもっともこの時期が辛かった。どれだけ勝利を得ても満たされず、試合の内容も対戦相手もまともに覚えていない、ただシャトルを拾い、本能的に相手が嫌がるとこに打ち続けただけ。

 

「…俺はこの時の羽咲を知らない。だけど羽咲がほとんど覚えていないってことは楽しくなかったんだよ。充実感も達成感もなかったんじゃない?」

 

「…多分そうだったと思う」

 

「なら勝ちたいって思うべきだ。強いとか弱いとかじゃなくて、どんな結果になっても羽咲が楽しむのが一番だ」

 

「…どんな結果でもじゃ駄目。負けたくないの」

 

「フフッ、ならもう答えは出てるじゃん。負けたくない、勝ちたい。素直にそう思うのなら、今の羽咲の全力をぶつけたらいい」

 

その言葉に綾乃はハッとしたように隣に座る彼を振り向くと、優しい眼差しと目が合って、クスリと一緒に笑みを浮かべた。

 

ーーそっか、"素直に"バドミントンやっていいんだ

 

全日本の時の自分に戻ってしまいそうだと、綾乃の中に小骨ようにひっかかっていた不安は、弦羽早の言葉でゆっくりと氷解を始めた。

 

「(ちゃんと話そう。お母さんのこと、秦野に)」

 

合宿の時弦羽早はいつか話して欲しいと言っていた。

その瞬間が、こうして背中に母と弦羽早と一緒にやっていた体育館がある今なのだろうと、直感的に思う。

 

「…ねえ、お母さんの話、してもいいかな?」

 

「ああ、聞かせて欲しい」

 

 

 




薫子ちゃんも綾乃の全部を理解してるとは思ってません。ただその一部は誰よりも知っているとは自負してる感じで自分は書きもうした。

原作で綾乃がなぎさと戦ったことを思えているシーンがなく、また誰と戦ったかも覚えていないという台詞もあったのでトーナメント表を見せる形で入れてみました。
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