好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された 作:小賢しいバドミントン
弦羽早は選手として優れたメンタルを持っている。
どんな強い相手にも立ち向かえる勇気と、負けてそれを糧にする向上心。自分自身を可能な限り理解しているので、試合中の気持ちの切り替えなども出来る方だ。
中学のダブルスではパートナーの
『ポイント!
「ッ!いい加減にして!」
ネットの引っ掛かったシャトルを見た刹那、綾乃はラケットをブンと振りながら後衛の弦羽早へと振り向いた。その顔は冷たく暗いものではなく、二週間前に喧嘩した時の思い詰めた様なものであった。
弦羽早がレーンのスマッシュに一切ラケットを動かさずに見逃してから三回。その失点全ては弦羽早のミスだった。
綾乃も思考的に追い詰められているとはいえ、ただのミスではここまで怒らないが、そのミスがあまりに下らない簡単なミスばかりであった。
サーブレシーブに対してプッシュを打とうとしてネットに掛け、前衛の
「ご、ごめん…」
「ッ!…だからダブルスって嫌い。これ以上、足引っ張らないで…」
吐き捨てるように告げる綾乃に対し、弦羽早はギリッと唇を噛み締めた。
「…誰のために付き合ってやってんだよ…」
「…私は頼んでないから。シングルなら絶対に勝てる」
「随分な自信だな…」
――世界ランキング一位を相手に。
そう出かかった言葉を弦羽早は強く呑み込んだ。
いくら彼のメンタルが強い方だと言っても、それは平均から見てであって限界というものが当然ある。
大切なパートナーである綾乃が絶対に勝ちたいという試合。それは弦羽早にとっても負けられない試合である。だから彼は必死に体も頭もフル回転させてここまでプレイしてきた。
だが相手が世界ランク一位と確信した瞬間、彼の抱いた恐怖は尋常では無かった。
プロや日本のトッププレイヤー、並みの世界ランカーですらない。この地球上の全バドミントンプレイヤーの中の頂点に立つ二人なのだ。
好きな女の子のためにその二人に勝て? どんな単純な思考回路をすれば、そこまで前向きな考えができるのだろうか。
二人の数多の試合を見て参考にし、その強さをビデオ越しながらも深く知っている弦羽早にはそこまでの都合よく頭も気持ちも切り替えられなかった。
『二人とも、早く構えて下さい!』
【あ~らら、完全に喧嘩しちゃってるよ】
【期待外れ】
「(まさか自分達に勝てとでも言うつもりかよ。あんたら、いくら何でも過大評価し過ぎだろ)」
綾乃は強く、弦羽早もまた強い。だがそれは国内の、それも中高生を入れた中での話だ。
トンと麗暁のショートサーブが繰り出される。
それは軌道こそ綺麗なものの、それまでのショートサーブに比べると弱々しく伸びが悪い。
「羽咲、アウト!」
「……」
弦羽早の声が聞こえていた筈だが、綾乃はそれを無視し自分の選球眼を信じてヘアピンを送る。小さく舌打ちをした弦羽早だが、ラケットの構えは決して解かない。
もはや自分一人でゲームメイクをすることにした綾乃は、絶対にロブを上げなかった。どれだけ麗暁のプレッシャーが強かろうとも決して引かずに、あえて麗暁がタッチできるハーフ球を囮として出し、そこに飛びついてきた麗暁のドライブに対して同じくドライブで返す。
互いに左右へと激しいショットを打ち分ける前衛同士のドライブ勝負は、数十秒も続いて尚互いにロブを上げて逃げることはなかった。
【(流石有千夏の娘、ホントに上手いよ。でもね、馬鹿正直に付き合ってあげるのもこれまでだ)】
小麗はラケットを振る直前にピタリと腕を止め、速い展開を一瞬で遅くする。打つ瞬間までそれまでのドライブ時と変化のないフェイントに綾乃は目を見開きながらも、滑り込むようにしてなんとかシャトルを拾う。
ガチャンとラケットが地面に転がる音と、綾乃の倒れ込む音がコート内に鳴る。
綾乃の取ったシャトルはなんとか弧を描いてネットを越えるが、既に麗暁が棒立ちで立っており、そのシャトルをトンと軽く叩いた。
【(これを諦めるなら有千夏も君を見限るよ)】
シャトルは横たわる綾乃の頭上を通り越し、彼女のラケット二本分後ろのところへと落下しようとする。
倒れながらも綾乃はラケットを伸ばしてそれを拾おうとするが届かない。
余りの実力差に綾乃は絶望する。
自分の得意なポジションで、得意な展開に持って行きながらも相手は一切ブレない。それどころかプッシュを棒立ちで打てる程に余裕を見せている。
このシャトルを取ったところで次に繋がらないのでスコアは変わらない。でも綾乃は諦めたくなかった。
二年間の時を経てようやく巡り合えた最初のチャンス。それをたったの一秒でも絶対に諦めずに、自分の持てる全部を出し切って出し切って出し切って、この試合を見てくれている有千夏に会いたかった。
だがどれだけ想いが強くとも、彼女と自分の間には実力差という深い溝があって、それを埋める術を綾乃は知らない。
「(お願い!拾って!)」
今の綾乃に恥はなかった。
このシャトルを自分が拾えないのなら、拾ってくれるのは先程喧嘩口調で重い空気になっていた彼しかいない。
綾乃の願いを聞き届けるように、シャトルは大きく打ち上げられた。
「はた、の…」
「………」
上がったロブに対して彼はシングルスの要領で中央に立ってジッと構える。綾乃はハッとして慌てて起き上がろうとするが、動き出すのが遅すぎた。いや、仮にすぐに立ち上がったとしても彼のスマッシュを防げなかっただろう。
紅運はダブルスのサイドラインギリギリいっぱいに一際高いジャンプから強烈な一撃を打ち放った。
弦羽早の正面に打つなど甘い事を彼はしない。これだけ膨大のコートがありながらボディに狙うなどそれこそ彼に対して失礼だと、紅運のスポーツマンシップに乗っ取った誠実な一打であった。
紅運のスマッシュの音と共に、誰もがコルクが床につく音を想像した。
しかしコートから鳴った音はトンと弦の揺れる静かなものだった。
【へぇ】
紅運は小さく笑みを浮かべながら、右足と右手を目いっぱい横に伸ばしながらも頭を下げず、一切ブレる事ない体でスマッシュを打ち返した弦羽早の姿を愉快気に見つめる。
だが返ったシャトルはフェイントもなにもない、ただ面を当てただけのもので、シャトルはストレートへとゆるやかに飛んでいく。スマッシュの威力を吸収し跳ね返ったシャトルはネットを確かに超えたが、その目の前で構える麗暁が、足を伸ばす弦羽早とは反対側のサイドにプッシュを打ち込む。
「は、秦野!」
「前にいろ!」
まだ足を目いっぱい伸ばした状態から元に戻っていない弦羽早の言葉は自分で返すと言うものだった。
不可能だ。会場の誰もがそう思う中、有千夏だけは一人嬉しそうに笑みを浮かべた。
弦羽早は出した右足を戻しながらも重心を右に大きく倒す。結果弦羽早を支える足が左足だけとなり、体が右に倒れ込むような体勢になったが、その倒れる勢いに乗って左足を強く蹴った。
【なっ!】
弦羽早は空中で身体がほぼ真横に近い状態になりながら半身を捻って、空いている紅運のフォア側へとクロスのドライブを打ち込む。
【(君はサーカスでも食べていけそうだよ。でも狙いがちょっと甘い!)】
紅運のフォアサイドは確かに空いていたし、弦羽早の動きに驚いて出が遅れたのも事実だ。だがドライブで返すのは厳しいものの、床から二十㎝辺りで取れるコースである。しかも前衛にいる綾乃が立ち上がったばかりで、クロスにいる弦羽早が跳んだ今、彼のストレートはがら空きだ。
紅運はシングルスでは常套手段のアタックロブ、低めの角度のあるロブを打ちはなった。アタックロブの軌道はスマッシュの逆再生と行ってもよい。地面スレスレに打ったシャトルはネット数センチ上を越え、軌道の最大点に到着したところで急激に失速する。
だがその落下地点で、既に弦羽早はラケットを構えていた。再び左手で。
【ッ!?】
この日初めて心の底から驚いた紅運は慌ててラケットを構えるが、その右のサイドライン目いっぱいのコースに鋭いスマッシュが放たれる。完全にゲームテンポが異質なこのラリーに彼も状況が読み取れなかったが、それでもドライブで打ち返せるのが世界トップたる所以だ。
そう、ドライブ、つまりネットを僅かに超える球を打った。
紅運の世界トップの速さを誇るスマッシュに加え、重さの乗った麗暁のドライブで彼女の本領が発揮されていなかったが、男子の鋭いドライブでも前衛で受け止められるのが彼女の強みだ。
紅運が打ったシャトルがネットを越えたのは0.6秒もあるかどうか。それほどの速さだったが、張っていた彼女はそのドライブを叩き落とした。
『……オ、オーバー
『うおおおおお!』
「なんだあの動き!どうなってるんだ!」
「羽咲って子の反射速度も普通じゃないぞ!あのドライブを叩きやがった!」
「どうやってあのスマッシュ取ったんだ!」
そのラリーはこれまで静かに観戦していた記者は勿論、このアリーナの登録選手である日本のトッププレイヤー達も声を上げる程に普通では無かった。
ヴィゴもまた、彼が求める”するスポーツ”ではなく、”観るスポーツ”を見せてくれた弦羽早の評価を改めざる得なかった。
「…なるほど。彼ハ確かに才能ヲ持っているヨウデスネ」
「ええ。弦羽早君はね、重心の使い方と体幹の良さ、この二つに関しては既に世界でも通用する」
有千夏は弦羽早に指導を始めた頃、彼が小学校二年生の時の出来事を思い出す。
バドミントンを始めて一年が経った頃の彼は、元々運動神経が良かったのか”二年生にしては”上手い方だった。ただ綾乃と比べると月とスッポンで、ようやく遊戯のバドミントンからスポーツのバドミントンに切り替わっていたくらいだろうか。
ただ彼のフォームはその頃から見ていて気持ちよかった。基礎よりも派手さを求める小学生だけあって無駄な動きはあったが、ただブレがこれまで見て来た子よりも少ない。
有千夏は綾乃に勝つためだと上手いこと弦羽早を乗せて、彼のフォームを逐一矯正していった。子供というのは吸収が凄まじいもので、また有千夏の指導のうまさも合わさり数ヶ月後には誰が見ても綺麗なブレのないフォームになっていた。
おそらくフットワークの安定感だけならば既に綾乃を越えていた。
「弦羽早君も、あくまで人より体幹がいい程度なのよ元は」
「ホウ…」
「でも彼は、アンタが当たり前だと思っている努力する才能を持っていた。だから私はそれが彼のバドミントンの基盤になると思ってある枷を彼に掛けたの」
「枷デスカ?」
「彼の踏み出し、ちょっと遅いでしょ。あれは私がそういう風にするよう教えたからなの」
「ウム…そこは気ニナッテいましたが、有千夏の話の意図が読メマセンネ。遅くする意味ナドナイデショウ」
「あまりに基本過ぎてアンタにも分かんないか。私は彼にね、徹底して重心移動を覚えさせるために、足を動かす前にまず重心を動かしてからステップを始めるよう教えたんだ」
「……ハ? アナタは馬鹿デスカ? いえ、馬鹿でデスネ」
例えば中央に立っているとして右前へのフットワークを行うとする。そうなると地面を蹴って右足を踏み出しながら、右前に重心を移動させて加速させ、そして最後の一歩を踏ん張ってラケットを振る、中級者以降はこれが基本だ。
つまり地面を蹴ってから重心を動かし始める。
大して弦羽早はまずその場で待機しながら重心を動かし、体重移動に釣られるように足を動かし始める。結果地面を蹴るタイミングが重心移動を挟む分遅れ、特にシングルスでの彼のフットワークの遅さの原因となる。
素人からすればこれっぽっちも変化がないように見えるこの両者だが、コートの中でのその違いは大きい。
「その通りさ。でもね、その枷が弦羽早君を強くしてくれると思っていたから。ただ、全国狙うまでとは思わなかったけど」
うちの娘も愛されてるな~と、コート内で話し合っている二人をチラリと見下ろす。
「弦羽早君が両利きを目指すって言ったとき、ほんとなら指導者して反対すべきだったけど、彼が人一倍努力できるのは知ってたからあえてOKした。ただし、左右のフットワーク毎にラケットとステップを入れ替えるのを条件に」
「左右の異なる重心移動を完璧ニサセル為デスカ」
「ええ」
先程も話した通り弦羽早のステップの出だしは重心移動から始まるが、同じ方向に進むにしても左右異なるラケットを持つ場合微妙に相違が生まれる。
例えばラケットを右手に持っている状態で左前に行く場合、最終的にラケットを持つ右腕が自分の体よりネットに近くなるように、上半身を少し捻らなければならない。そうなった時の重心の移動は、進行方向の左前に倒しながらも、右手と右足を支える為にやや右寄りになる。一方左手で左前のフットワークをする場合は体を捻らずにそのまま足を出せばいいのでもっと単純なものとなる。
その僅かな重心移動の相違を、有千夏はまだ小学校四年生の弦羽早にできるだけ丁寧に教え、更に彼が通っているクラブチームの監督に電話をして、そういった指導をしていることを伝えた。
あの神藤有千夏直々の指導となれば、忠実とは言えないが頭ごなしに否定もできない。
有千夏もたった一人の教え子に普通そこまで肩入れしない。だが大切な娘の綾乃の友達であり、一番の練習相手なら話は別だ。弦羽早を育てることは綾乃を育てる事にも繋がっているとも考えていた。
ただ有千夏も選手としても母親としても多忙な身だったので、指導ができるのは週に一回あるかないか。シーズンの時は日本にいないのもざらではなかった。
そこだけが不安だったが、弦羽早は有千夏の練習プランを毎日欠かさずやるどころか、その回数を増やしてずっと行っていた。
「弦羽早君は決して動体視力が特別高くないのに、あそこまでスマッシュレシーブが上手いのもそれらが支えている」
鋭いスマッシュを打ち返すのに対して、ラケットを振って返すと言うのは基本NGである。理由としてはラケットを大振りしてしまうと、ラケットとシャトルの交わう瞬間は本当に一瞬になる。その一瞬を捉えられるのが綾乃なのだが、弦羽早を含めた大多数の選手には無理では無いが空振りも増える。
ではどうやってレシーブをするかというと、押し出すのだ。スマッシュの軌道に合わせて、その軌道上に面を押し出す様にして跳ね返す。ただこの押し出すという行為は当然、振って打つよりも威力が無くなる。
それを勢いのある球や奥まで返すのに必要になるのが、手首の強さと体幹である。
手首の強さは言わずもがな必要だが、レシーブは両足を地面につけてその反発力をラケットに籠めて放つ。そして上級者はシャトルを返す瞬間に、お腹の下部分、正確には体の重心部分である
その動きを人一倍効率よく行えるので弦羽早は胴体周りのレシーブを得意とする。
「ナルホド、私の負けです。彼の才能は素直に認メマショウ。見た目も含め好ミデハアリマセンガ」
「…ロリコン」
「ナンデスト!?」
シャトルを相手コートに叩きつけた綾乃は、驚愕と喜びの混ざった顔をしている麗暁と紅運を無視してパートナーの元へと駆け寄る。
「は、秦野!」
駆け寄ったはいいが、綾乃はすぐに声が詰まった。
このラリーが始まる前はあれだけのことを言っておきながら、たった一つのプレイでここまで態度を変えようとする自分が打算的で情けなかった。でも今のラリーに対して自分のプライドを優先して何も話しかけない程、綾乃の神経は図太くもない。
弦羽早も彼女が気まずい思いをしているのは分かっている。
ただここで対戦相手の正体を明かすのはリスクが重すぎる。かと言って、このままこのプレッシャーを一人で耐えながら乗り切る事はできなかった。
綾乃も相手が格上である事には気づいているが、どれだけのレベルかを知って、自分の重みを少しでも分かって欲しかった。
「…インターバルに入ったら話す。だからまず今は集中しよう」
「…うん」
結果から言うと、それから僅かに流れを掴んだ綾乃と弦羽早は、麗暁と紅運を相手に二回連続の得点を収めた。
まず一点目のラリー。
レシーバー麗暁に対して綾乃はロングサーブを放つ。シングルスとは違い、ダブルスのサービスラインは一番後ろの線より一本前までがサービスゾーンとなる。
その為高く上げると言うより奥に追い込むサーブが普通となる。サーブは小麗の小さい体の頭上を過ぎて、ラウンド寄りへと跳ぶ。
体勢を崩したと綾乃の心に僅かな油断が生まれた矢先、麗暁は後方へと跳びながら、その小さい身体からは想像できない重く速い強打で綾乃へと打ち返した。
「(なっ!強打もある!?)」
予期していなかった攻撃に綾乃の出が遅れる。
しかし彼女の事を知っていた弦羽早が前に出てフォローに入り、スマッシュが綾乃の元へ向かう前に手を伸ばしてタッチして返す。
【(む?出が速い? いや、読んでいたか)】
予想していなかったサポートに麗暁は感心しながらも、自分の隣を横切る相方の背中をチラリと確認する。
前に落とされた球は素早く紅運がサポートに入り、時間を稼ぐために綾乃のバックハンド側へとハーフ球を送った。
綾乃の立ち位置やバックハンドであることから、大したドライブは来ないとトップアンドバックを維持した紅運だったが、彼の予想に反してそれは素早いドライブによって返された。
「右手持ち!?」
観客の誰かが、ラケットを握る綾乃の手が入れ替わっていることに驚愕する。
右手に持ち替えた綾乃は激しいドライブをネット前にいる紅運の顔面へと放ち、またもや想像していた返球よりワンテンポズレたシャトルにすぐさま対応できなかった。その甘く返えったヘアピンを待っていたと、弦羽早が叩く。
『ポ、ポイント。
【ねえ、両利きのダブルスペアって何かの冗談?】
【全くだ。流石有千夏の娘、悪い意味でぶっ飛んでる】
ケラケラと愉快そうに笑う紅運と、ポーカーフェイスが崩れそうになる麗暁。ここに観客がいなければ流石の彼女も頬を引き攣らせていただろう。
【僕のバドミントンの常識壊れていくよ】
【でも楽しそうだな?】
【それは君もだろ?】
フッと軽く口元を上げる二人は、反対のコートでジッと深呼吸して集中している弦羽早と目元を一瞬だけ抑える綾乃を見つめる。
「(不味いな、羽咲は今日で五試合目。移動もヴィゴと一緒じゃ落ち着かなかっただろうし、疲れが出てきている)」
ダブルスの前衛は本来シングルス程は動かないので疲れにくい方ではあるかもしれないが、綾乃は前衛でもラリーが続く分、シングルスとまではいかないが疲労の溜まりは通常よりも速い。
綾乃もその自覚があるのかサーブ前に深く息を吐く。
続く紅運へは当然ショートサーブを繰り出す。
紅運もヘアピン勝負をしようとしたが数回のやり取りのあと、綾乃のプレッシャーに押されロブを上げた。
【(さっきみたいな怖い顔じゃないけど、このタッチの速さは僕でも逃げたくなるよ)】
上がって来た球に対し、弦羽早はまずスマッシュを二回どちらも中央に打ち放つ。麗暁と紅運のペアはセオリー通り中央の球は男子が取るようにしているらしく、二回とも紅運がロブを上げて返す。
続く三回目は見合いを誘う為にまた中央へドロップを繰り出すが、今度は前が得意な麗暁が出る。
【(ヘアピン…をするにはちょっと威力が強いか)】
速いドロップ、通称ファストドロップの利点というのが速く前に落ちる球であること。デメリットとして失速しにくい分、ネット前に落ちることはまずあり得ない。
速いドロップでありながらネット前に落ちるのが左利きのカットドロップと、右利きのリバースカットだがそれとは違う。
スマッシュとドロップの中間の性質を持つファストドロップは、レシーバーからすれば通常のドロップに比べて少々シャトルコントロールが難しくなる。
勿論それができない麗暁ではないが、相手の前衛はちょっとでも浮いたら容赦なく叩いてくる。
だがタダで返す気もないので右のサービスコートにいた麗暁は、中央に詰めて体の向きとラケットの面を左向きにしながら近寄ると、打つ直前に手首のスナップを利かせて右側へとハーフ球を繰り出した。
「(ボディフェイント!? 全然意識もしてなかった)」
前に落とすかあるいはバックへのハーフ球を読んでいた綾乃はそのシャトルを取るのを諦め、素直に後衛の弦羽早に任せる。
弦羽早はストレートへとドライブを飛ばし繋げ球とする。麗暁も前衛を維持したいので無理して下がってそれを拾おうとはせず、カバーに入った紅運がクロスのドライブで打ち返す。
彼の一打もまた、直前までストレートのフォームでありながら、打つ瞬間に手首を軽く捻るフェイントが絡められており、またもや綾乃の前衛を抜いて弦羽早の元へと跳ぶ。
ここでドライブで攻めてもよいが、今度は麗暁に張られている可能性が高いので一度弱めのドロップを入れて状況を切り替える。
前にいる麗暁がラケットを伸ばすが、打つ直前に一度ラケットを下に引いて、綾乃の踏み込みのテンポを一回ずらしたあとにヘアピンを送る。
「(また!)」
フェイントを警戒して出が遅くなった綾乃は、麗暁の重心が前に寄ったのを見逃さなかった。
ラケットがシャトルに触れる時には既にネットの半分近くまで落ちており、更に前には麗暁が張っている。
下手なヘアピンは狩られるが、ロブをすれば紅運のスマッシュが来る状況まで追い込まれていた。
「(本気の試合で使いたくないけど!)」
綾乃はペーンと気の抜けた音と共にネット前にふわりとシャトルを上げた。まるでプッシュのノック練習かと思うほどに甘い球に記者勢からどよめきが起こるが、麗暁は一瞬だけ顔を顰め、上からたたき落とそうとはせずにシャトルの落下地点にラケットを置いた。
予想通り、上がったシャトルは綾乃達のコートを頂点として落下を始め、麗暁側のネット前ギリギリへと落ちていこうとする。
ここで更に綾乃本人も予期していなかった奇跡が起こった。シャトルのコルクがネットの白帯の上に落ち、ゆらゆらと数回左右に揺れた後、ポトリと麗暁の手前に落ちた。
もはやネットにこすれながら落ちるそのシャトルには流石の彼女も手が出せず、一応返そうとヘアピンをするが案の定ラケットがネットに触れてしまい、タッチ・ザ・ネットとなる。
『ポイント!
【やられた…】
【流石にマグレでしょ。気にしない気にしない】
【いや、ネットに乗ったのはマグレだけど、叩けない球だったのは意図してやったのだろう】
【え~、そんな事君でもできないんじゃない?】
【馬鹿言え、私だってできる。本番でやろうとは思わないだけだ】
負けず嫌いの相方におかしそうに紅運は肩を数回揺らす。
だが流れはここで途切れる。続く麗暁のレシーブで強烈なプッシュが決まり、遂にインターバルを迎えた。
フットワーク云々の話ですけど深くは考えないで下さい。半分フィクションとデタラメ入ってます。
実際のバドミントンの基礎的なステップの多くは重心移動から始まるのはありますが、後々に本編でも話しますが一定以上慣れ始めるとリアクションステップというものに変わります。
テニプリ知っている人なら聞いたことあると思いますが、スプリットステップの別称ですね。プロの試合を見てると相手が打つ瞬間に膝を曲げる奴です。
で、リアクションステップになると重心移動よりも先に地面を蹴って足を動かし始める。弦羽早は実力者でありながら、リアクションステップを使わず未だどのシャトルに対しても重心移動からスタートしていた。
という感じです。そういう風にしました。
分かりにくくてすいません。