好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された   作:小賢しいバドミントン

32 / 58
お待たせしました。今回からシングルス編となり、シングルス終了まで毎日投稿します。できたらいいな。



ロジカル

その早朝はひんやりとした爽やかな空気を帯びており、空に浮かぶ雲は少なく健康的な青空が姿を現していた。

目覚ましが鳴る前に目を覚ましたなぎさは、一人部屋にしてはかなり広い10畳強はある部屋の壁に掛けられたカレンダーを確認する。5月の△日、日曜日。大きく赤ペンで丸が付けられているこの日は、神奈川県の各地方で行われた地区大会のブロックを勝ち抜いた者達が集う、県大会が行われる。

試合数は決勝全て入れて最大五試合。なぎさはシード権を得ている為四試合と一戦パスできる。当然トーナメント形式のため一度でも負けたらその時点で終了となる。

 

ふぅと一息入れた後に軽くストレッチをして体の調子を確認する。

 

――大丈夫、緊張せずに自然体で入れている。

 

身体の方は問題ないと、次は机の上に開かれたノートをパラパラとめくる。その内容は当然バドミントンに関係するもので、特にスマッシュのコースとその前後のパターンに関係するものが多い。なぎさは決して考えるバドミントンを得意とする訳では無いが、だからと言ってその場その場の直感で試合をコントロールできるセンスは持っていない。と言うより、上級者同士の戦いで直感で勝つことができる選手が所謂センス持っていると呼ばれる面々で、バドミントンは頭を使うスポーツだ。

 

決勝までも逗子高校の石澤望を始めとする強敵が立ちはだかって来るが、一番の壁は決勝で当たるであろう綾乃。

 

彼女ももう既に起きているだろうか。ここ一週間の綾乃を見ていたら既に起きていそうだが、しかしそれ以前の彼女を思い返すと試合開始ギリギリまで寝ている姿も想像できる。つまるところ日常面でも彼女を捉えることは難しい。

 

それに対して同じく今日のシングルス県大会に出場を決めた弦羽早と学は既に起きている姿が想像できる。二人もまたなぎさ同様、ここ一週間のコンディションの焦点をこちらに当てて来た。

 

昨日の混合ダブルスで綾乃の調子がどう左右されるかはなぎさの知るところでは無いが、ただ危なげなく県大会進出を決めたという連絡はもらったので不調ということはないだろう。

 

「よし!」

 

パシンと両頬を軽く叩いて気合を入れると、試合への最終準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 

県大会の会場は喜ばしい事に地区大会と同じ会場で、これは移動に使用する時間が減り体力を温存できるだけでなく、体育館内の奥行や天井の高さ、ライトの位置なども馴染みがあるので北小町メンバーのいる地区の面々は有利と言えた。同じバドミントンという競技でも、周囲の景色が違うだけで感覚が僅かにブレる。その僅かな差でアウトになったり、あるいはスイートスポットに微弱なズレが生じたりするので決して侮れない。

因みにプロレベルの大会となるとクーラーが付いた会場で行われる為、空調の影響で風上が生じたりするが、高校の大会ではクーラーの無い体育館で行われる為会場ごとに空調の変化などは起こりえない。その分スタミナの消耗が激しくなるので、選手としてどちらが良いかと言われるとやはり後者か。

 

メンバーは全員現地集合だったので会場入り口で円陣などは取らない。そもそもこの会場で一番のライバル同士が円陣を組むなど滑稽だ。

ただ相変わらず会場に来た時は既に綾乃と弦羽早は一緒になってストレッチをしており、深まった仲の良さが伺える。もっとも緊張しているのか弦羽早の表情は少し硬い。集中して冷たい瞳をしている綾乃にジッと見つめられているのは決して関係ないだろう。

 

県大会ともなるとやはり空気の重さが地区大会とは比べものにならない。他校の美形を探すような出場選手は激減し、弦羽早が他校の生徒から握手を求められることもない。

皆勝つためにこの会場に来ていた。

 

ただその緊迫した空気の中でも北小町のメンバーは注目を集めている。

去年の県大会優勝者の第一シードのなぎさは勿論、世界ランク一位を破った綾乃と弦羽早。学も前者の三人と比べると注目度は落ちるが、去年も好成績を残している。

部活の規模で言うと最小ながら個々の実力は神奈川トップクラス。

 

そしてその実力は第一回戦から発揮された。

 

シードのなぎさを除く三人は共に一ゲームも落とさずに快勝。

特に綾乃は体力を温存するためにと速攻で決め、失点は両ゲーム共に五点未満と対戦相手のメンタルを完膚なきまでに折っていた。

 

これは後の健太郎の評価だが、綾乃は格下相手には本来の実力差以上の差をつけることができる。それは彼女が相手に与えるプレッシャー故に起こりえるものだ。

 

県大会二回戦目。ここまでは地区大会からトーナメントの運次第ではある程度の実力者でも到達できるギリギリのラインだが、三回戦目となると確かな実力を持たなくては来ることができない。

この辺りから一定レベル以上の選手同士の戦いとなり、インターハイ出場を目標に戦う選手が集う為その闘志も強い。

 

『ゲーム! マッチワンバイ羽咲! 21(トゥエンティワン)  ‐  6(シックス)

 21(トゥエンティワン)  ‐  4(フォー)!』

 

だがその闘志があろうとも圧倒するのが綾乃だった。肩で息をするどころか汗すらかかず、床に膝を付けて泣き出す対戦相手をチラリとだけ見下ろすと、勝利者サインを書いて体を冷やさないようにと上着を羽織る。

 

「弦羽早も…大丈夫そうだね」

 

一番端のコートで同じく第三試合を行っている弦羽早の姿を確認する。相手は地区大会で行輝を破った、去年一年生ながらベスト4に進出した選手だ。そのスコアは17‐10と弦羽早が大きくリードを付けている。

 

このまま観客席に戻っても問題はなさそうだ。

そもそも応援が選手に影響を与えるなど思って無い綾乃は、本来は他人の応援をするようなタイプではないし、貰ってもモチベーションが上がる訳ではない。面倒と感じるのではなくドライなのだ。

ただ大事なパートナーの応援をするというのは、それが自己満足であろうともペアらしくて好き、というのが今の綾乃の考え方だ。本人は自己満足と思っているその応援の有無が、弦羽早の勝敗を別ける程の影響力を持っている事は気づいていない。

 

綾乃はバドミントンバッグを置くと、コーチ席に座っている健太郎の隣に腰を掛ける。

 

「羽咲、お前もう終わったのか?」

 

「ん、楽勝だった」

 

確かに皆まで聞かずとも乱れていない息と流れていない汗を見れば結果は明白だった。

しかし綾乃は県レベルで見ればスタミナが高い方だが、全国レベルで見るとむしろ低い方に分類される。その体には確かに疲労が蓄積されているので、確実に決勝まで行く以上クールダウンをして欲しいのが、これまで一度も応援をしなかった綾乃がこうして自分から応援をするようになったのもまた、喜ばしいことでもあった。

 

「そうか…。秦野は順調だ。特にこの一週間で緩急のつけかたが嫌らしくなったな。相手にすると鬱陶しいぞ。あれ、お前の受け売りなんだろ?」

 

「感覚的なものだったから正直役に立たないって考えてたけど、弦羽早って意外と才能あるんですか?」

 

「意外とってお前…」

 

天才とまで言わないにしても、才能の無い男が全国優勝できる訳ないだろうとツッコミを入れたくなるが、今の綾乃に余り才能関係の話題を出したくなかったのでそれを堪える。

 

「才能関係なしに秦野には莫大な練習時間って大きな土台があって意欲もある。リアクションステップにしても速くなったスマッシュにしてもコツを一つ掴めばものにしやすい。若いってのも吸収力の早さに繋がるな」

 

運動感覚の知覚(カイネスティック・アウェアネス)という言葉があり、身体の運動や空間的な位置を筋肉が知覚している事を言う。件のダブルス戦で得た瞬間的な成長を、弦羽早は忘れぬまま自分のものにしている。

 

「そっか」

 

健太郎の耳に届いた少女の声は軽やかで、それまで感情を欠いた抑揚の無い声がまるで鼻歌でも歌っているかのように明るかった。

 

「なんか嬉しそうだな?」

 

「だってパートナーが褒められたんだから嬉しいのは当然でしょ?」

 

「ん、それもそうだな」

 

自分を見上げてくる笑みを浮かべる少女、その暗い瞳に一度唾を呑み込みながら健太郎は作り笑いを浮かべて肯定した。

 

昨日の混合ダブルスでは健太郎も会場にいたが、想像以上にエントリーが多く運営の手伝いに回っていたので二人のコーチングはできなかった。ただ運営本部から時折見る限りでも二人のレベルは群を抜いており心配はないと高をくくっていたが、大会を終えた後エレナから軽くトラブルがあったことは聞いた。

綾乃がやる気のない対戦相手と、軽い気持ちで大会にエントリーする仲のよい男女に対して思うところがあるらしく、三戦目の相手の遅延行為一歩手前のタッチ行為に対して注意を促したところ、試合終了時に明らかな悪口を言われたと。

 

当然綾乃の毒舌については話していないので健太郎はそこまで知らないが、ただ綾乃の考え自体は理解できた。健太郎自身彼が高校時代の時に混合ダブルスにエントリーして実際出場した経験があるが、確かに他の種目に比べると浮かれた空気が強い。当時の健太郎自身、パートナーの少女に対して一切何も思うところが無いと言われると嘘になる。

行動範囲が増えることで恋愛に関しては中学校以上に活発になる高校において、誰でも出場ができる地区大会のミックスというのは優勝を狙う者よりも、出場そのものに意味を見出す者の割合が多い。

それが綾乃にとっては我慢ならないのだろう。

 

勿論綾乃の考え方自体は悪いものではない。

ただ価値観は人それぞれだ。特にバドミントンは選手生命が長く、シニアの部まであるくらいだ。また一コートとラケットとシャトルさえあれば誰でもできることから球技の中では手軽なスポーツでもある。

昨日弦羽早も言っていたが、個人競技でもあるので色々な考え方の人がいる。おそらく綾乃にはその線引きが難しいのだろう。

 

「(あのダブルスは羽咲にとって良い変化を与えている。ただその後の試合がミックスの地区大会というのが落差があったか。同ブロックに強い相手がいなかったのも普段は喜ぶべきことだが間が悪い。それにこの冷たい雰囲気は素ってことでいいのか…?)」

 

指導する立場の健太郎にとって綾乃は普段は手間のかからない部員だ。

何しろ技術面では下手をすれば自分より上手い。いや、実際ネット周りのラケットワークに関してはとっくに自分のレベルを超えているだろう。そして身体的な面や利き腕が違う事から、健太郎が得意としていた強打周りに関しても教えることが少ない。となれば技術面で教えられるものは限られており、精々細かい指摘をする程度に留まる。

また練習態度も真面目であることから、その辺りの指導をする事もない。

 

だが癖の強さで言うのなら北小町では勿論、健太郎が現役時代に共に練習してきた選手を含めても一番強い。

故に切り出しにくい。

 

「(今日の試合がどこまで羽咲の中で大きなものになるか…。羽咲だけじゃない、荒垣、秦野、伊勢原。三年の荒垣と伊勢原は勿論、中学時代はシングルで一度も全国に出ていない秦野にとってもインターハイ出場はシングルスに対する更なる自信と成長に繋がる。指導者の立場としてやれるだけのことをやらないとな)」

 

目の前で繰り広げられるラリーをジッと見つめながら、健太郎は次のインターバルでのアドバイス内容を頭の中で纏め始めた。

 

 

 

 

『ゲーム! ファーストゲームワンバイ秦野! 21(トゥエンティワン)  ‐  13(サーティーン)!』

 

「クソッ!」

 

大差をつけられた状況でワンゲームを取られ、苛立ちからラケットを振るう対戦相手。それを横目で確認しつつ、内心ガッツポーズを浮かべながらコーチ席に戻る。

既に綾乃が試合を終え応援に来てくれたことは分かっていたので、彼女から渡されたスポーツドリンクを笑顔で受け取った。

 

「良い調子だ。上手くメンタルに揺さぶりを掛けられている。だが一回インターバルに入った事で、相手も一度気持ちをリセットしてくる。強打では向こうに分があるから、序盤は無理して失点を抑えようとしなくていい。ワンゲーム目同様相手の弱点のメンタルを上手く揺さぶれ。相手のエースショットを返し続けていたら中盤以降必ず崩れてくる」

 

「はい」

 

「まだちょっとしか見てないけど、相手、柔軟性がそこまで高くない。ラウンドからのクロスは少ないと思う」

 

「それは朗報だ。ありがとね」

 

ググっと背筋を伸ばして少し張っていた背中を伸ばすと、ドリンクと一緒に渡されたタオルに額に流れる汗を吸い込ませる。

 

この試合を勝てば県ベスト4の称号を得られ、その次でインターハイの出場が確定する。

 

正直入学すぐは、シングルスは適当とまでいかなくても、可能な範囲内で行けるところまで行くぐらいの感覚だったが、憧れの少女と再会してそんな甘えた考えは無くなった。ダブルスでは見ることのできない個々で戦うシングルスの広いコートを、自分ももっと深くまで見てみたい。もし今後ダブルスで負けた時も、自分が綾乃の足を引っ張ったから負けたと自己嫌悪できなくなる程に個としての己を高めたい。

 

――やっぱり単純だな

 

どこまで行っても根底にあるのは綾乃であることに変わりない。余りにワンパターンな自分に時折呆れもするが、ただそれが名誉・達成感・楽しさをも遥かに凌駕する原動力となって心身共に動かしてくれるのだから幸せ者だと前向きに捉える。

そうさせる程の強さと才能を目の前にいる小柄の少女は持っているのだ。

 

「よし、行ってきます」

 

差し出された綾乃の左腕に、同じ左腕につけたリストバンドを重ね再びコートに入る。

 

 

健太郎の言う通り気持ちを切り替えたのか、角刈りの対戦相手の男子の表情はワンゲーム後半に比べると落ち着いている。ここを再びどう崩すのかが勝利への鍵となる。

審判のコールと共にサーバーである弦羽早はラケットを上げた。構えは主流のバックハンドで、放った球もショートと王道。

 

相手はそれをネット前に落とし、弦羽早がラウンド側へと比較的低めのロブで返し、広い展開に持って行く。

 

相手は両足で後ろに飛びながら、身体を捻る事なく上半身の一部の力だけでスマッシュで打つ。

男子シングルスではよくある打ち方で、最速のフルスマッシュは打てないが、後ろに飛びながら打つことで落下するのを待つことなくシャトルに触れられる為、ゲームスピードを上げることができる。

イメージとしてはジャンピングスマッシュは半面で入り、打つ瞬間に体を捻らせ最終的なフォームは相手を真正面で見る一方、このサイドオンジャンピングスマッシュという名の打ち方は、入りから終わりまで相手に半面を見せた状態のままで打つ。

またトップレベルとなるとその体制のまま手首と肘の柔らかさを利用してクロスに鋭いスマッシュを打ち込んだりもする。

 

だが相手はトップ選手ではない。ストレートか良くて正面と予期できるスマッシュはそこまで脅威ではない。

冷静に相手がいるのとは反対のリアコートへとロブを送る。

 

シングルスのスマッシュレシーブのセオリーとしては前に落とすヘアピン、あるいは鋭いドライブで返し相手を走らせるのが王道だが、弦羽早は相手を必要以上に走らせる気は無かった。それよりも重要なのはゲームスピードを遅くすること。

攻め球の応酬、所謂速い展開を好む選手にとって、緩やかな展開に持って来られるのはそれだけでやりにくい。当然遅い展開にする以上相手の攻め球を凌ぐ守備力が必要となるが、片足リアクションステップに切り替えてから元々守備が得意だった弦羽早のディフェンスはより強固なものとなった。

 

様子見のクリアーを打たれたらクリアーで返し、ドロップをされたらやはりロブで返す。しかし相手のここぞというスマッシュに対しては前に落として走らせる。

無論それだけでは決まらず、相手はロブを上げて状況を整える。かなり高めのロブで落下地点に構えジャンピングスマッシュも充分に可能だが、あえてラウンド側へクリアーを送って相手を揺さぶる。

 

 

弦羽早はここ一週間で綾乃に教えてもらった緩急の付け方を思い返す。

 

彼女はあまり説明が上手いとは言えず、加えて本当に感覚的なもので彼女はプレイしていた。綾乃の中では綾乃なりのロジックが形成されているのは分かったが、それを言葉にして教えるには指導者としての才能は無く、また弦羽早もフィーリングで分かる程の理解力はなかった。

そこで案を出したのが理子だった。録画していた綾乃の試合を見返して、本人の解説付きで説明するのはどうかと。

結果綾乃のロジカルとは異なるものの、弦羽早も少しだけ自分の中でまだ靄が掛かっているものの、緩急の付け方にロジカルを立てることができた。

健太郎の言う通り元々強固な土台があった分、張りぼての建物でも存外形になるものだ。

 

ラケットの持ち替えという曲芸レベルの尖った特技は持っているが、休む暇のないシングルスで基本ラリーの最中にそれは使わない。故に弦羽早のプレイは華が無く、ハッキリ言って地味なものだ。

だが堅実で、確実に追いつめ相手のミスを誘う。

 

バドミントンにおいて、世界レベルでもない限り失点の多くはミスだ。

弦羽早はミスというものが同年代の中でもかなり少ない。代償としてギリギリを狙わないゆえの攻撃力の弱さとフェイントの引き出しの少なさが上げられるが、今回の相手に対して攻撃力は必要なかった。

 

粘り、確実にラリーを続けて、決めたくて決めたくてうずうずしている相手のミスを誘う。

 

『ポイント、 8(エイト)  ‐  5(ファイブ)

 

「う~し一本!」

 

独特な掛け声を上げる相手にも弦羽早はブレることは無い。

序盤はどうしても遅い展開にしていく分、相手の激しい攻撃のラッシュにリードをされるのは何も不思議な事ではない。健太郎のアドバイス通り、この辺りの失点を弦羽早もさして気にしていない。

 

だがそろそろ揺さぶりを始める頃だ。

 

相手のショートサーブに対してヘアピンで前に落とす。そしてホームポジションに戻らず前で待機。こうすることで相手にプレッシャーを与えロブを誘発させる。相手が打つ瞬間に僅かに跳んだ弦羽早は、相手のロブに合わせて片足リアクションステップで後ろに蹴る。

 

後ろから二番目の線(ダブルスロングサービスライン)まで上がったロブの落下地点に素早く入り込んだ弦羽早は、その更にラケット一本分後ろに下がり、前へと飛び上がる。

これまでの弦羽早の配球は攻撃的ではなかったが、全力のジャンプに対してスマッシュを警戒しない者はいない。ただそれまでコート奥を中心に前後左右に揺さぶられていた相手にとって、一ヵ所だけ警戒するポイントが頭から抜ける。

 

乾いた激しい音と共に放たれたのはスマッシュ。そのコースは左右どちらでもなく、相手の正面目掛けて飛んでくる。

 

「ぐっ!」

 

そう、必ず走らされると予想していた相手にとって正面は不意打ちに等しかった。

咄嗟にラケットの面で当てようとするが、フレームがカンと音を立てた。当然弦羽早のコートまで返らない。

 

これまで三十回近くを越えるラリーが続いた中、僅か三球目にしてポイントが増える。

 

これが弦羽早の建てた張りぼてのロジカルだった。

 

綾乃の説明を聞いて思ったのが、ラリー中に感覚を頼りに意図して緩急をつけるのは自分には不可能だということ。それこそ麗暁(リーシャオ)紅運(コウウン)戦で入れたゾーン状態なら可能かもしれないが、残念なことにあれ以降ゾーンに入れた試しがない。

なら無理してラリー中に変える必要はなく、ラリーの前に心の中で一言自分に言い聞かせることで切り替える。これだけでも形にはなった。ラリー前に決めておくことで、ラリーの最中に無理して考える必要が無くなったのも利点である。

それこそ唯華や薫子のように試合中も脳をフル回転させられるのならともかく、バドミントン歴が長い弦羽早でもそこまで頭を回らせることはできない。単純な得意不得意もあるが、それだけバドミントンの一つ一つのラリーのゲームスピードは速い。

 

続く弦羽早のサービス。

 

このセカンドゲームのサーブは全てショートだったが、今度は低めの速いサーブ、ドライブサーブで相手の意表をつく。このドライブサーブの利点は速さと意外性、デメリットは読まれてリターンのスマッシュを打たれた場合それがエースショットになり得ること。

だが今回は利点である意表をつけ、相手はくるしい姿勢で無理やりスマッシュを打つが、速いドライブカウンターで更に一点を取る。

 

『ポイント! 7(セブン)  ‐  8(エイト)!』

 

それまで長かったラリーが嘘のように、僅か数回のラリーだけで点数が決まっていく。

 

チッと苛立ちから出た相手の舌打ちが聞こえる。ここで相手の剣幕に押されたり、あるいは態度が悪いと腹を立てる者はバドミントンに向いていない。

相手が苛立っているのを嬉々として喜べる者こそバドミントンプレイヤーとして素質がある。

バドミントンにおいて正々堂々という言葉は似合わない。勿論マナーは存在するが、いかに相手を追い詰め、嫌いなコースに打ち、相手のメンタルを揺さぶるのがこのスポーツの駆け引きである。

 

「ナイッサ~」

 

どこかやる気の感じられない、本人は自己満足だと思っている綾乃の応援に、弦羽早はラケットを持っていない右手をヒラヒラ振って返す。

傍から見ればカップルのいちゃつきに見えるそのやり取りは相手のメンタルをより揺さぶる。当然弦羽早もそれが分かって意図して行っていた。

 

「(ま、あんたの掛け声もうるさいからお相子って事で)」

 

ドライブサーブを警戒して少し後ろに構える相手に弦羽早は小さく口元を上げる。一度メンタルで優位に立てた事で、それまで狭く感じた相手のコートが一気に広く感じられた。

 

お望み通りと空いている前へショートサービスを繰り出す。前に詰めていないのでサーブを叩かれる心配はなく、ホームポジションよりやや手前で構える。

 

トンと繰り出されたヘアピン。

直後ダンと地面を蹴るリアクションステップと共に前へと飛ぶ。やや手前に構えていたおかげで、地面を蹴る一歩と手を大きく伸ばすことでシャトルに触れることが可能となった。白帯を越えた直後のシャトルをタッチ・ザ・ネットにならぬように軽くはたく。

 

『ポイント!8(エイト)  ‐  8(オール)!』

 

今の一点も相手が焦りを見せた事によるミスがあった。まず第一にドライブサーブを警戒してレシーブの初期位置がやや後ろであった。続くレシーブも出が遅れていたのにも関わらず、無理して攻めようとした結果、弦羽早の位置がやや手前にいたのに気付かずにヘアピンを送った。

加えて高校に入ってから弦羽早の一番の練習相手はネット周りの勝負を得意とする綾乃。もっと言うのなら麗暁のヘアピンの洗礼を受けたのも拍車をかけている。

このヘアピンが叩かれる要因としては十分だった。

 

因みに今のような流れを作るのを得意とするのが観察眼の優れた薫子で、弦羽早は意図してこの展開を掴むことはできない。だがラリー毎に緩急をつけることによって、結果同様の事ができているのでそこに大きな優劣はない。

 

三点連続失点全て弦羽早の三打目で決められている。これは元々弱点であった相手のメンタルを揺さぶるには十分で、あとは粘れば勝手に自滅してくれる。

 

再びラリーの速度を変えてテンポを緩やかにした弦羽早は、去年のベスト4相手に21‐14と差をつけてストレートで勝利した。

 

 

 




インターハイ開始時点、原作10巻開始までは書き終えました。ただその辺りまでの投稿はまだ先になると思います。
あとちょっと困っておりまして、まあそれが例によってあの人です。はい、有千夏さんですね。
この作品書き始めた時点では13巻はまだ読んでなかったんですよね。そして自分は投稿と執筆時とではかなり差が開いており、前書きとかで13巻の話してた回を書いてる時点ではまだ読んでなかったり。
まあ何が言いたいかって13巻のラストですね。あえて皆まで言いませんが。

そこをどう取り入れるかが正直今後の展開を読むまで待つか、あるいは独自解釈をするか。まあ後者になると思いますが、何にしてもまさか私まで有千夏さんに振り回されるとは。

あとインターハイ編は綾乃のシングルスは基本書かない予定です。とっても面白いですし何より益子さんが出るので原作読もう(n回目のダイマ)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。