好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された 作:小賢しいバドミントン
『ポイント、
流れが変わった。
大会関係者席に腰かけて、10コートある大きなアリーナの中で行われる唯一の試合に目を奪われる。
右手に持った仕事道具のペンはほとんど動いていない。この大会運営の協力者であるバドラッシュ、その記者松川明美は、インターハイの後半戦と言われても違和感のない程のレベルの高い試合に息を呑んでいた。
明美は一年前の試合を思い出す。彼が去年のインターハイで負けた時も、やはりジャンピングスマッシュを徹底的に打てない低い展開で追い詰められたのが敗因だった。それは即ち、インターハイの選手ですら当時二年生だった彼のジャンピングスマッシュを警戒していたのだ。
そんな彼のジャンピングスマッシュが今、エースショットとならずに返球されている。
相模原の弱みは、優れた指導者の下での練習期間が他の高校のトッププレイヤー選手に比べて少ないことだった。にも拘らず、去年既に神奈川県のトップとしてインターハイに出場できたのは、同年代で並ぶ者は少ない恵まれた身体に加え、才能と努力と、噛み合った指導者と出会えたからだろう。
そして去年から更に一年の時を得て、もうかつての面影が無い程に技術面でも上達してきた。
明美は思う。もし仮に高校三年生の弦羽早と相模原が戦えば、まず間違いなく弦羽早が勝つだろう。15歳にして決勝に――いや、世界ランク一位に勝った身体能力と技術力はどれ程の練習を積み重ねて来たのか、かつて選手だった明美にも想像できない。
だが現実の弦羽早は高校一年生。それも二か月前まではまだ中学生だ。
あらゆる者が抗うことのできない時間の差は大きい。特に第二次成長期のさ中の中学生から高校生の伸びしろは、大人の緩やかなものとは比べ物にならない。
「弦羽早君…まさか彼がここまで強くなるなんて…」
弦羽早が頭角を現したのは中学校二年で全国大会に出場してから。結果こそベスト8止まりであったが、両利きという奇抜なスタイルは注目を浴びた。
だが明美はそれ以前、もっと言うなら小学校高学年時は県でそこそこ名の売れる前から弦羽早の事を知っていた。
その情報元はかつてのチームの仲間である有千夏。
『最近娘にさ、バドミントン仲間ができたんだ。あの子同級生の子と滅多に練習しないから心配だったけどホッとしたよ。そうそう、その子、男の子でツバサ君って言うんだけど、漢字が弦に羽に早って書くんだ』
『あはは。それはもうバドミントンする星の元に産まれたとしか思えないね』
ガットの弦、シャトルの羽、そして最速の競技バドミントンらしい早。
いったいどこのバドミントン夫婦がつけたのかと有千夏に返すと、実際は両親と祖父母達が初孫の名前を付ける際に各々付けたい名前を引かず、こうなったらと、ツバサという名前は両親が、残りの漢字は両者の祖父母が考えた名前から当てたらしい。
何気ない日常の一欠けらで行われた会話だが、名前のインパクトからか未だにそのやり取りを覚えている。
「隣、空いてマスカ?」
「ミスターヴィゴ? どうして…?」
一週間前に半ば無理やり綾乃を試合に惹きこんだ張本人、ヴィゴ=スピリッツがニコリと穏やかな笑みを浮かべていた。あの試合の結果綾乃にフラれた彼は、綾乃の全国大会優勝を条件に、これ以上勧誘はしないと手を引いたはずだ。
明美とも仕事上の関係を持っていたヴィゴは彼女の訝し気な視線に気づき、”お忍びデスヨ。会ワナイト約束シマシタカラ”と笑った。
「彼、見違エマシタよ。私が見た中学ノ試合の時より遥かに成長してマス。最も、あのダブルスの時ホド深い集中ではナイヨウデスガ」
「あれは…驚きました。集中の深さだけなら綾乃ちゃん以上に入り込んでいるように見えました。今の弦羽早君を見て、まだ好みでないと言いますか?」
ヴィゴが見た中学時代の弦羽早の試合は、明美が頼まれて渡したもので、弦羽早の事を凡才や好みでないと言いたい放題だった。
「…私が彼が好みでナイノハ両利きというフザケタスタイルもありますが、その中途半端さです。考える、分析する、直感。どれが最適トハ言いませんが、彼ハ考えるにしても直感に頼るニシテモ中途半端で行動基準が変わりやすい」
ヴィゴは各々が持つ自分のバドミントンを重視している。勝ちたいと思った綾乃に、そんな感情は必要ないと言ったように、自分のバドミントンがあっちらこっちらと動く弦羽早は好みでは無かった。
「多分それは、劣等感からだと思います。小学校一年生からバドミントンをやってる彼のセンスが培われない訳が無い。でも近くに並外れたセンスを持つ綾乃ちゃんが居た。なんとか彼女に勝つために頭を働かせようとするのは悪い事ではないでしょう」
「動機ナド私には関係ありまセン。ソレにこんな試合を見せられて、尚凡才だとは思いませんヨ。もっとも、才能で言うなれば間違いなく相手の子の方が優レテイマスガ」
激しいドライブを打ち込み弦羽早の体勢を無理やり崩し、ネット前に落としてサービスを取り返す相模原に視線を向ける。
「彼ハ良いですね。あれ程の身体はスポーツ全体から見ても恵まれてイマス。まだ節々に技術力の低さが見エマスが、高校生なら十分デショウ」
「ですね。彼も自分の強みと弱みを理解して、最大限強みを活かそうとしている。…ミスターヴィゴ、あなたはこの試合をどう見ますか?」
未だに彼に続く者がいないレジェンドプレイヤーに意見を聞く。彼も予知能力者でないのでコートの中の事全てを読み取れる訳では無いが、目の前の試合に惹きこまれている明美には聞かずにはいられない。
「これまでの弦羽早クンでアレバ間違いなく1ゲームも取れずに負けてイタデショウ。綾乃チャンより遅い、拾うだけのバドミントンで勝てる程シングルスは甘くアリマセン。でも彼はシングルスにおける自分のバドミントンを見つけた。おそらく綾乃チャンを通して」
「自分のバドミントン…?」
「”考えさせるバドミントン”デスヨ」
弦羽早の放ったシャトルが相模原のラケットから逃げるようにフォアハンド側にガット一面分大きく逸れる。1ゲームの終盤、17‐14と相模原がリードする状態で解禁されたのは変化の激しいクロスファイアだった。ここまでの変化量の大きいクロスファイアはこれまで練習でも成功率の低い技であったが、この土壇場で成功したのは火事場の馬鹿力か、あるいは流れを掴んでいるからか。
残り二点差まで詰めよった弦羽早は、乱れる呼吸を整えながらサーブを構える。
相手のエースショットを殺してからの弦羽早は確実に流れを掴んでいた。ただ同時に大きく跳びあがるスプリットステップは当然その分体力を多く消耗させ、足への負担も大きい。故に相手のジャンピングスマッシュに対する解答を手に入れても、全部のスマッシュを取り切れる訳じゃない。
乱れる呼吸を整えて放ったショートサーブ。だが肩が揺れた影響で僅かにブレてしまったのか、トンとネットの白帯に憚れてしまう。相模原の巨体からなるプレッシャーもあるかもしれない。
「ラッキー!」
「ナイスプレッシャー!」
「ドンマイ!」
「落ち着いて!まだ追いつけるよ!」
会場に響き渡る程の声援を送る逗子総合に負けじと、北小町の面々も声援を送る。
ゲーム終盤の焦りを覚えながらも、コーチ席に座る綾乃と視線を合わせて気持ちを切り替え、右のサービスコートでシャトルを待つ。
もはや弦羽早が疲れているのは誰の目から見ても明らかで、それを隠す余裕も無い。ならばサーブは相手を走らせるロングサーブが増えるのは必然であった。
「(ッ、舐めんな!)」
このゲームを取れば二分のインターバルを貰える。そこで無理やり休憩して体力を回復させると、半ば非現実的なプランに思考を切り替えた弦羽早は、そのロングサーブに対して再びクロスファイアを打ち込む。手足の長い選手はリーチはあるものの、手元で突然軌道が切り替わるクロスファイアに対して小回りは効きにくい。しかも左利きの選手は右利きに比べると圧倒的に少なく、尚且つ変化の激しいクロスファイアなどそう生で見られるものではない。
先程の一打は偶然の産物。このクロスファイアはそこまで大きな変化は起こらなかったが、しかしそれが尚の事相模原の面をズラす。クロスファイアは必ずしもその一打で決まるようなショットでなくてよい。相手の面をズラし、甘いレシーブを打たせるだけでも点に繋がる。
カンとガットに当てる筈だったシャトルがフレームに当たり、それが大きく弧を描いてネット前へと跳ぶ。腰を大きく落として構える相模原だったが、この一打を見逃すレベル帯ではない。弦羽早のキルショットが地面に叩き落とされまた二点差に縮める。
ハァ…ハァ…ハァ…
最短であと五点。だが実際問題、五点連続でポイントを取れるほど大きな流れは掴んでおらず、またそれを許す相手でもない。デュースに持ち込まれる前に片を付けたい。つまり許される失点は残り一点。
「(弦羽早、ここでロングに打つのは駄目…。さっきのサーブミスは忘れて冷静にショートで初めて)」
綾乃が祈るようにそう心の中で弦羽早に思いを届けるが、その思い虚しくサーブミスを警戒してロングサーブから試合を始めてしまう。それも相模原のリーチを警戒してかかなり大きく弧を描く形となってしまい、
その球に対して相模原はここぞとばかりに跳びあがる。弦羽早も瞬時に大きく跳びあがり守りの体勢に入ったが、焦りが生まれたせいでジャンプのタイミングがショットの瞬間とズレてしまい、着地のタイミングの方が僅かに速くなってしまう。結果、ただその場で跳ねるだけのステップとなってしまうどころか、着地の反発力が逆に足を止めてしまい、相模原のサイドへのスマッシュが決まってしまう。
『オーバー!
「ハァ…ハァ…クソッ…」
「落ち着いて弦羽早!」
「スコアは気にすんな!自分のプレイをあと五回続ける事を考えろ!」
今度はコーチ席の綾乃となぎさからの声援が送られた。
「(落ち着く…スコアを気にしない…は難しいけど、でも自分のプレイを五回続けるか。よし、切り替えろ)」
ここに来て綾乃の声援は何よりの原動力だが、なぎさの言葉が気持ちのリセットに何度も手を貸してくれていた。
弦羽早はサーブレシーブに入る前に次のラリーの緩急について考えておく。この二回の点数はクロスファイアによる速攻。当然相手もそれを最大限に警戒してくるだろうから、一度速い展開と見せかけて遅い展開に持って行く。
方針を決めると、弦羽早は出来る限りラリー中は考えないようにとまた頭を切り替えていく。
放たれたのはやはりロングサーブ。それも先ほどの弦羽早の甘いサーブとは違い、リストの強さを活かしたバックハンドのロングサーブは奥ギリギリいっぱいまで伸びる。
弦羽早が選択したショットは、ファストドロップと呼ばれる速いドロップショット。従来のドロップに比べるとサービスライン手前にはまず落ちないが、その分落下するまでの時間が速いので奇襲性は高い。
やはりクロスファイアを警戒しているのかワンテンポ出が遅れており、今のショットが効果的だった事を読む。
「(クロスファイアと対照的なショットで倒す!)」
遅い展開と決めていたが即座にプランを変更し、上がって来たロブに対して最序盤に行った、セオリーとは言い難いクロスへのドリブンクリアを放つ。一歩間違えば甘い球となってしまうそれは、失点の重みの薄い序盤ならともかく、ゲーム終盤に取るべき冒険ではない。
でも弦羽早の直感がそうすべきだと訴えており、リスクを考える余裕を疲労に呑まれている脳は持ち合わせていなかった。
クロスファイアを始めとして低めの球を警戒する相模原には、自分に対してまず飛んでくるはずの無い頭上を越えるドリブンクリアに体を詰まらせる。密度の濃い試合になれば自然と序盤は警戒していた球も頭から抜ける。
咄嗟に軽く跳びあがって手打ちのスマッシュを打ち込むが、その落下地点に入り込んでいた弦羽早がそれを叩く。
『オーバー!
「(あと四回だ。集中しろ…次の緩急は――もう考えるのもキツイ。その場のノリで決めるか)」
それは頭を使うバドミントンプレイヤーにあるまじき行為であり、多くの指導者が弦羽早の今の心境を知れば激怒するだろう。しかしこの会場にいる、トップ選手を育てて来たヴィゴと有千夏はそれが正解だと肯定する。
確かに彼には綾乃のような優れた直感は無く、読みに関しては並みだ。だが極限の集中状態の末に入り込めるゾーンに入れる素質があることからも、弦羽早の最終的なスタイルは直感だ。そして相手の球を読む能力は無いが、相手を崩す球を選ぶ直感が徐々に開花し始める。
「(いいね。強くなってからずっとダブルスばかりやって開花されなかった君の力が、どんどん出てきている)」
周囲の視線が試合に釘付けになっていることをいいことに、パタパタと被っていた帽子で外気に晒した顔を仰ぐ有千夏。
ダブルスにはダブルスの特徴があるように、シングルスにもまたシングルスならではの特徴が存在する。
一人でコートに立ち、コートに返って来たシャトルを全て自分一人で取るシングルスの運動量はダブルスよりも大きい。またパートナーがいないことから、インターバルを除く時間は全て自分一人でプレイの軌道修正をしなければならない。
そうなると自然と自分のプレイスタイルや得意分野、弱点などをラリーの合間合間に見直していかなければ上にはあがれない。
そしてこれまで努力により培ってきたスタミナによってゆとりを持って頭で考えていた弦羽早が、疲労に追い込まれた末に頭を回転させるのを辞めた。
これも初めて深いゾーンに入ったからこそ踏み出せた選択。
有千夏が言っていた、綾乃だけでなく弦羽早の為になるというのはダブルスに限った話ではなく、むしろその真価はシングルス。
「(今の君の成長速度はこの会場で一番だよ。あとは彼を下して、無意識の内に抱いているシングルスに対する苦手意識を完全に消し去る事ができれば、インターハイでも結果を残せる。頑張りなさい)」
再序盤でミスを連発したクロスのヘアピンを使い点を取ったかつての教え子の姿を見守りながら、有千夏は嬉しそうに小さく口元を上げる。
そしてすぐ後、コーチ席の綾乃とその隣にいるなぎさに目が止まる。
「(おっと、もう一人弦羽早君と同じくらいの成長が期待できる子がいるんだった。…綾乃、あなたも二人みたいに、成長できる選手に戻れるよう応援してるよ)」
「ッシャア!」
上がって来た絶好球に対し、弦羽早は打った瞬間に勝利を確信した声を上げる。その掛け声は見掛け倒しにならず、相模原のコートに突き刺さり、1ゲームは21‐19と逆転の末弦羽早が気合で捥ぎ取った。
点差が開いた中盤からは考えられない大番狂わせに、逗子総合を除く会場からは拍手が起こり、それを浴びながら弦羽早はコートの外へと出ると、コートチェンジと共にすぐさま椅子に腰かけ、一秒でも長く休息を取り始める。
「ハァ…ハァ…ッ…」
『ファーストゲーム!マッチワンバイ秦野!
首元に当てられたひんやりとした感触に一瞬だけ乱れる呼吸が止まる。わざわざ見ずとも、なぎさが冷えたタオルを首元に当ててくれていると知っている。ただ謝礼を言うのも今は惜しかったので、軽く頭だけ下げておく。
「流れを掴んでいる、いい調子だ。ただ相模原は勿論、逗子の監督の修正力は高いからこのまま行けると甘く見るな。それとスタミナ的にもあまり緩い展開は厳しい。あのリアクションステップのタッチの速さは驚異的だが、その分お前に掛かる負荷も大きくなるから多用はするな」
先程のインターバル同様、ドリンクを飲みながら健太郎の言葉に頷く。
「向こうとしては間違いなくスタミナの消耗を狙ってくる。それを崩すか付き合うかは任せるが、ただ付き合うならファイナルゲームまで持たないだろうから次のゲームは絶対に落とせない。あるいはセカンドゲームを落として体力を温存するのもありだ」
「…次で決めます。さっきの流れの感覚を掴んだまま入りたい」
「分かった。今のお前は掴んでいるようだ。あまりプレイ面には口出ししないがそれでいいか?」
「はい。今は…あれこれ考えない方がいいみたいです」
僅かな間コーチングが許されるインターバルにおいても、各々指導者と選手によって密度が変わってくる。例えば管理を徹底していた倉石はインターバルではこれでもかという程戦略について語る。一方健太郎は選手本来の力が発揮できるように、あるいはインターバルを境に動揺しないようにとメンタルを中心に、戦略面は一つ、多くて二つに絞ってコーチングする。
「あと1ゲーム勝てば弦羽早が県で一番強いって事が証明される。だから頑張って」
「うん」
端的な返事に綾乃は他に何か無いかと僅かに視線を泳がせる。インターバルだからと言って無理して選手と接触しないといけない訳では無いが、他人の試合を見ることに関しては初心者である綾乃には、インターバルが自分がプレイする時よりも貴重に感じられる。
「えっと、また肩貸そうか?」
「凄く魅力的な提案だけど遠慮しておくよ。心地よ過ぎて、あんまりやると試合すらどうでもよくなっちゃいそうだ」
ありがとね、と綾乃の頭を優しく撫でて出来る限り普段通りの笑みを作る。
それから数十秒後には審判からコートに入るようにと催促が入る。たかが二分、されど休憩できる大きな二分だ。可能な限り休息に集中した弦羽早は、落ち着いた呼吸を整えてコートへと入った。
弦羽早は流れを掴んだままの状態で入る事が出来た。
ロブに対してはクロスファイア、前のシャトルはクロスのヘアピンを主力として組み立て、ドライブの応酬となった時は崩される前にロブで避ける。そして何より相手のエースショット、ジャンピングスマッシュに対しては常識はずれなリアクションステップで対処。
優勝候補の相模原がじわじわと、だが確実に追い詰められるそれは、観客に世界ランク一位を倒した片割れとしての確かな実力を見せつけていた。
だが相模原がこの流れに身を委ねて諦める事など無く、その流れに逆らうどころか逆流させる一手へと動いた。
8‐3。
両者がバックハンドになる形で、同じハーフコートにいる状態。相模原がネット前へと落とし、前へと詰めてくる。
「(クロスに打つか…? いや、シャトルがネットに近過ぎる。そこまで角度が付かない)」
ならば選択肢は限られ、その内の一つ、ストレートへのロブを上げる。前へと詰めた直後のロブは堪えるだろうと、可能な限り相模原のスタミナを削っておくことも忘れない。
だが次の瞬間、前へと詰めていた相模原はすぐさま地面を蹴って後退。膝のバネを利用し後方へ跳びながら、上がって来たロブをクロスへと角度を付けて打ち放った。
「なっ!?」
素早い展開に弦羽早も通常のリアクションステップすら行う余裕も無く、スマッシュがコートに突き刺さる。
『オーバー!
屈伸をして体の張りを調整する相模原を軽く睨みながら、弦羽早はスマッシュの一手前のロブ周りの動きを思い出す。
「(前に詰めていたのに、俺がロブを上げた直後瞬時に後ろに蹴りだした。誘われた? ここまでのプレイ、そんなことは……いや、あんまり考えるのは辞めだ)」
これまでとはプレイスタイルの異なる、相手の球を誘い出す行動に違和感を覚えながらも、今の自分には思考は最低限で良いとプラプラと手足を振って考えないように動く。
「…コーチ、今の展開、見た事あるのは気のせいじゃないよな?」
「ああ。さっきの石澤戦でも似たような状況があった。倉石監督が組み立てたパターンの一つだろうな」
次のラリー。十回ほどラリーが続いた状態で最初に仕掛けたのは弦羽早。ラウンド側に来たハーフ球に対し、リバースカットを使用して前へと落とす。ラウンド側に来たシャトルに対しラケットを持ち替え強引にフォアハンドで打つことが可能だが、ラウンドが苦手な訳ではない。
だが自然と持ち替えによる奇襲のインパクトが強いため、リバースカットの警戒が薄まる。
相模原は大きく体勢を崩しながらも何とかネット前へと落として、弦羽早がシャトルに触れる前に立ち上がり、ホームポジションに戻らずそのままネット前を維持。
「(さっきと同じで後ろに誘っている)」
誘われている以上むやみにロブを上げられないとヘアピンで様子見。しかしその直後、パシンと言う音と共に相模原が更に一歩前に詰めて、弦羽早の顔の横をシャトルが通り過ぎる。
『ポイント!
「(読まれた? いや、これも誘われたか。…いや、俺のヘアピンが甘かったのにも原因がある。少し浮きすぎたか)」
出来るだけ試合の組み立て方に頭を回すよりも、ショットの精度へ意識を持って行く。ファーストゲームラストの感覚のまま行けば持って行ける。
だが結果から言うとそれは判断ミスだった。
弦羽早を思考・観察・直感に別けるとしたら直感に位置するが、しかし直感だけを頼りに格上と戦えるプレイヤーではない。特に今の弦羽早は直感に頼るのを意識し過ぎて、相手を観察することが疎かになっている。
相手を観察することはあらゆる型においても大前提でありながら、それが徐々にできなくなっている。そして倉石の建てたプランと言うのは、そういった平均レベルの直感に頼る選手には特に刺さりやすい。
加えてここに来て相模原のプレイスタイルが激しくローテーションしていき、弦羽早は思うような球種を打てないでいた。
徹底的に後ろに追い込まれた状態で、咄嗟のハイバックを読まれて一点。
ネット周りを中心に立ち回り、最後はヘアピンだと読んだが、ハーフ球を打たれてしまい一点。
クロスががら空きの状態ドライブ。これは決まるだろうとクロスへとカウンタードライブを仕掛けるが、長い手足で大きく横へ踏み込んだ相模原は、再度リストの力を頼りにドライブを打ち返して一点。
これら全ては倉石が相模原に徹底的に叩き込んだパターンであった。
倉石は健太郎に対して、”相模原は言う事を聞かない”と言っていたが、それは試合中に倉石からのマナー違反スレスレの…いや、インターハイでは間違いなくペナルティになる助言に対して聞かなくなっただけであり、むしろ相模原は倉石を尊敬していた。
徹底的な管理型であった彼は選手によって好き嫌いが激しく別れる監督だろうが、その指導者としての技量は間違いなく高校の顧問の中では上位に入り、特に知識に関しては一流とも言える。
それは素質があるものの基礎がおろそかになっていた相模原を選手として急成長させるには、まさに理想の監督であった。特に中学生から始めた相模原にとって組み立てのパターンというものは、自分で考えるよりも観察眼と知識に長けた倉石の戦略に頼る方が成績を残せた。
では何故彼が倉石の言う事を聞かなくなったのか。それは実際、去年彼が県大会で優勝した時、決勝で戦った三年生相手に”ズルして勝って嬉しいのかよ”と握手を拒否されながら言われたのがきっかけだった。
そう、監督が試合中に一定以上の助言をするのは禁止されている。そうでなければインターバルという存在が無意味になるから。
倉石はそれを知った上で、声援を混ぜたC1~C6と言った、ローマ字と数字による具体的ではないアドバイスを送る、かなり際どいギリギリのラインにいた。
それは当然ズルだと思う者も少なくはない。
もっとも、まず予めそのパターンを頭に入れて置き、倉石の言葉をスイッチに瞬時に戦略やコースを切り替えられるのは並みの反復練習と技術が無ければできない。だからその難しさを知る者からすれば、倉石を五月蠅いと思えど頭ごなしにズルだと非難はしにくい。
ただ倉石を肯定する話を出したが、彼の助言はやはり規則が厳しくなるインターハイではペナルティもので、その時を境に相模原は倉石のラリー中のアドバイスは聞かなくなり、倉石も渋々と引き下がった。
閑話休題。
倉石は先程のインターバルで相模原にこうアドバイスを送った。
「警戒すべき球種が増えて動きが硬い。スタミナ面でお前の方が有利な筈なのに、集中力も流れも向こうに傾いている。
…去年のインターハイ以来、お前は自分で考えて動く様になってきた。その力だけで今ここまで来ている、お前の成長速度はこれまで教えて来た生徒の中でもお前はトップクラスだ。だがキャリアではお前の方が下だ。それはお前が秦野より年上である利点を持つ同様、抗えないもの。
勝ちたいのならC1と
これが急激に相模原のプレイスタイルに変化が出たきっかけだった。
元々倉石を尊敬していた相模原にとって、彼が考えたプランのノートというのは、日常で使い道のない数学の教科書よりもずっと読み込んでいた。その為久しぶりに指示されたそのアルファベットと数字のパターンはすぐに思い浮かぶ。
ボディ周りにあえて返しやすいドライブを打ってドライブを誘う。続けてドライブに見せかけて前に落とし、少し前に詰めてロブを上げさせ、エースショットのジャンピングスマッシュで決める。
これがS2。
フォアハンド側へのロブ。続けてフォアハンド側に落とし、あえて半コートの前後に相手を寄せていく。そして少し甘めの球が来た時一瞬視線を空いたクロスに向けながら、またフォアハンド側へとドライブを送る。
これが守備を中心としながら相手を走らせ、最後は確実に決めるD3。
相模原も消耗の激しいジャンピングスマッシュを中心に組み立てる事から、スタミナの消耗が激しい。それを補う為の体力を持ってなお、息が乱れ汗が滝のように流れる程にバドミントンは激しく動く。
相模原が取ったインターバルを空けてもパターンを中心とした戦略は変わらない。
倉石が立てた配球を信じ、その分余裕ができた思考力を弦羽早の球種に対応する事に集中させる。
「(D4の三打目はクロスへのロブ)」
あえて僅かに左に寄る事で相手のスマッシュをフォアへと誘うD4。その通り弦羽早のストレートのスマッシュがフォア側へと伸び、それを今度はラウンド側へと飛ばす。
D4の次のパターンは、カウンターロブで体勢が崩れた相手が取れる球種は限られる。ハイバックの場合はストレートを警戒、無理やりラウンドで打って来た場合には正面に構え、クロスのスマッシュを警戒。
だが倉石のノートには”ラケットを持ち替えてフォアハンド”で打ってくるなど、そんな非現実的なパターンは用意されていない。
放たれたのは相模原が苦手とする正面、それも肩口への激しいフルスマッシュ。バシュンと音を立てて繰り出されたそれに咄嗟に肘を曲げて面に当てようとするが、間に合わずに空振りとなる。
『オーバー!
「ここで二刀流の本領を発揮してくるか…」
乱れる息のままボソリと呟く。
インターバルを空けてから中々思うように掴めなかったが、ロブを中心にするパターンで来てくれたので助かったと弦羽早は口元を上げる。
「相手は予め決められた無数のパターンを切り替えながら戦ってきている。初見ではそのパターンを一つ一つ分析する時間は無い。だがお前なら”想定していないあり得ないパターン”を作り出せることができる。そいつをお見舞いしてやれ」
インターバルでの健太郎のアドバイスを思い出しながら、弦羽早は右手に持ったラケットを構える。
相手がエースショットを打ってきたのならそれを返し、相手が無数のパターンで来るのならそれを崩す。
いかに相手の強みを殺し、自分の強みを押し付けられるか。
自分の残りのスタミナは量は多くない。まだ1ゲームあるという甘えを捨て、弦羽早はフォアハンドの構えからロングサーブを放った。
試合を書くにあたって大事なのは最後の一点よりもそこまでの過程な気がする。突然20対20から始まるよりも、そこにどう行きついたか、途中のラリーでどういった駆け引きがあったか。逆に最後の一点に必ずしもドラマを作る必要はないのかもしれない。
何が言いたいかと言うと、ゲームを取る最後のラリーで毎回盛り上がりを書くのは自分では難しいということを言い訳したかった。