好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された 作:小賢しいバドミントン
でも大前提として原作のラリーがあるのでいつも通り原作読んでとダイマします。
試合を終えてからの事を弦羽早はあまり覚えていなかった。意識が朦朧としていたのもあったが、何よりも実感が無かったのだろう。言うなれば鮮明でリアルな夢を見ても、一時間後にはほとんど覚えていないのと同じような感覚。
漠然と覚えているのは、ラケットを握る手は強いながらも満足げな表情の相模原。握手を交わす監督陣と、バシンとなぎさに叩かれた背中。そしてギュッと抱き着いてきた細い柔らかな体。
弦羽早は現在簡易的な医務室の、これまた簡易的な持ち運びの可能なベッドに横になっていた。
「だから綾乃の試合を見に――」
「どうどう。心太郎さんがちゃんと録画してくれてるから」
「だから!綾乃がやってくれたみたいに俺もコートの隣で居てやりたいんですって!」
ベッドの上でギャーギャーと叫ぶ弦羽早にやれやれとため息を吐きながら、有千夏はチョンと弦羽早の太ももを突く。途端に痺れが走ったのか、少年の叫び声が狭い室内から消えた。
健太郎に運ばれてやってきた医務室にはボランティアの年配医師がおり、弦羽早の状態を見ると一週間は安静にしているようにと強く告げた。
そして簡易的な処置を施すや否や、”面白い試合をありがとう”の一言と決勝が見たいからと、さっさと出て行った。どうやら昔はバドミントンプレイヤーだったらしく、ボランティアと観客の間らしい。
別段自分の症状が特別酷いとも思っていた無かったし、綾乃の試合を見たいのは同意見だ。部屋を後にする老医師を呼び止めたりはしなかったが、健太郎も当然彼女達の決勝の為に退室し、一人きりとなった。
それを良い事にやってきたのが彼女、相も変わらず色気のあるプロポーションと老いない美貌を持つ有千夏だった。
因みに心太郎とは彼女の夫、つまり綾乃の父だ。有千夏よりも背の小さく年相応に老けた、見た目はごく普通の男性である。
「リアクションステップはあえて概要しか教えなかったけれど、あの大きく跳ぶステップは君への負担が大きすぎるから今後は控えなさい。せっかく怪我の少ない柔軟性持ってるのに、それじゃ選手生命縮めるだけよ?」
上半身を起こす弦羽早のベッドに腰をかけながら、有千夏は彼の両足の張りを確認する。
有千夏の下で練習するようになってから、怪我防止の為に綾乃と一緒に徹底させたストレッチ。それを毎日欠かさず行い、普段は柔らかい筈の足は、中に沢山の石ころを詰め込まれたかのように硬い。
「…やっぱり危ないですか?」
「多少なら大丈夫よ。でもあの動きは連発するには膝と足首の負担が大きすぎる。君の得意な、相手を考えさせる技の一つに留めて置きなさい」
その場で跳んで地面を蹴るだけなら有千夏もそこまで強くは言わない。しかしあの速度を一切ブレずに踏ん張るとなると、途端に足への負荷が跳ねあがる。
「分かりました。あの、全部とは言いません。でもセカンドゲームぐらいからならいいですよね?」
「…まあいいでしょう。その代わり、お医者さんが言った通り安静にしておくこと。明日の登下校はお家の人――は忙しかったか。ならお店の人に送ってもらうよう心太郎さんに頼んでみるわ。壁打ちも駄目だからね」
最近は連絡を取り合っていないが、中一まではメル友だった弦羽早の母親の事を思い出す。前々から父親は忙しく全国あちこちを移動しており、母親も元は父の仕事仲間で、弦羽早が宮城に行ってからは同じく父親と共に仕事をしているようだった。
家を勝手に飛び出してきた自分がお願いできる立場ではないだろうが、しかし将来有望なバドミントン選手の為だと恥を忍ぶ。
「そ、そこまでですか…?」
動揺する弦羽早はチラリと、有千夏にそこまで言わせる自分の足へと視線を落とす。
「そこまでじゃないわ。でもここで徹底的に休ませるか軽く見るかで変わってくる。練習を再開しても軽い練習に留めておきなさい。試合後はまた数日休息を取ること」
「分かり、ました…」
これまで滅多な事でもない限り毎日欠かさず練習を続けて来た弦羽早にとって、一週間以上の休暇は簡単に受け入れられるものではなかった。有千夏も弦羽早の上達具合から、どれ程の練習を重ねて来たかは分かっていたので、彼の背中をポンポンと叩く。
「君なら世界に立つことだって夢じゃない。そう思える程に強くなってきている。だからこそ、身体は大切にしなさい。プロになると一年の三分の二は海外なんてこともあるんだから、休む術も今のうちに覚えておくこと。今日にしたってそう。綾乃にマッサージするのはいいけれど、自分の疲労を甘く見た結果がストレート勝ちしか道筋が無くなった原因」
それは国際試合の為に海外に度々行っていた有千夏だからこその助言。彼女の重みのある言葉に弦羽早は軽く頷くが。
「…って、どうしてそのこと知ってるんですか」
「暑くて休憩室入ろうと思ったらなんか二人がくっついてるんだもん。というか、すっかり綾乃と仲良くなったみたいじゃない。試合中にハグなんてしちゃってこのこの!」
有千夏の軽い肘当てが腹筋に当たると痛みが走り、慌てて彼女もその手を止める。
「綾乃とは、そうですね、本当にあのダブルスを境に関係が深くなれました。ただ…そこにその、恋愛的な感情があるかと言われると」
照れ臭そうにしながらも少し困ったような悩める少年に、有千夏もあ~と小さく頷く。
「そこに関しては親の私でも分からないところがあるからね。昔っから恋愛ドラマとか興味持たなかったし、少女漫画よりも少年漫画派だったもんな」
そもそも漫画も余り読まず、家ではぬいぐるみを抱き締めてゴロゴロする姿が多い、バドミントンを除けば途端無趣味となる子だった。
当然バレンタインのチョコを一緒に作った事もないし、〇〇君が好きって相談を受けた事も無いし、クラスの恋愛話も聞いたことも無い。
「さて。もうそろそろ始まるから行くね。ファーストゲームが終わったら迎えに来るからそれまでジッとしておきなさい」
「…あの、まだ綾乃には会わないんですか?」
「…駄目。弦羽早くんの応援してる時は一生懸命だったけれど、それまでの試合の綾乃を見てたらやっぱりまだまだあの子は学ぶべきことが多い。昨日のミックスもイライラしていたでしょ?」
「見てくれていたんですね」
「娘と教え子の初の公式試合だからね。…人付き合いが苦手な綾乃に、信頼できる、互いに助け合いたいって思える人に弦羽早君はなってくれた。あんなに仲良くしてるんだもん。もうこれっぽっちも弦羽早君を見下してないのは親じゃなくても分かる。でもね、弦羽早君がどんなに頑張っても一人には限界がある。私と同じように」
有千夏はそこで一呼吸おいてチラリと窓の外に並ぶ沢山の車を見つめる。弦羽早もその事には気づいていたので小さく頷いた。
「互いに高め合えるライバル。弱音を言える親友。喧嘩しても最後には笑い合える悪友。尊敬できる先輩。一緒に勝利を喜び合える仲間。全部とは言わないけれど、少しずつ増やしていって欲しいの」
綾乃の世界は狭すぎる。それは元々の性格に加えて、物心ついた時から個人競技のバドミントンをやりだし、もっとも強い練習相手が身近にいたのが原因だ。
だからこそ有千夏は綾乃の元から去った。
「それじゃあまた後で」
ーーーー
アリーナの入り口前に静かに立つ綾乃の脳裏には、先程の弦羽早の試合が鮮明に残っていた。
様々な球種、レシーブ、激しいドライブにフェイント。健太郎の言葉を復唱する形となったが、あの時の弦羽早は今思えば素直にカッコよかったと思える。
彼が自分のパートナーだと思うと誇らしい。だからこそ、シングルと混合ダブルス全部を合わせ、三つのトロフィーを並べて達成感を得たい。
それはこれまでの全ての試合、勝った喜びを感じられなかった綾乃の数少ない目標。
「よう。さっきぶりだな」
「……」
途端穏やかだった表情が一変し、瞳は冷たい悪魔的にも見える暗いものとなる。
この豹変ぶりにも慣れた一方、しかしその目には未だ慣れないのは、語りかけて来たなぎさ。
「…さっきの試合、礼は言わないから。…なぎさちゃんが居なくても、弦羽早は勝ってた」
「そうかい? 存外嫌な主将の一声って効くもんだと思うがな」
綾乃はチラリとなぎさの足元に視線を落とす。その右ひざにはそれまでにはなかったサポーターが付けられている。
綾乃はそれ以上口を開かなかった。綾乃はむらっけのある選手だと評価されるが、この瞬時に集中力を切り替えられる状態はまさに彼女が好調であると言える。
アナウンスと共に、先に呼ばれた綾乃がアリーナへと足を進めようとするが、なぎさの一声で一度止まる。
「羽咲、退屈なんかさせないから。楽しませてやる」
溢れんばかりの闘志のこちらを見つめる、かつてスコンクで自分に負けたなぎさ。そんな彼女の姿に綾乃はこの一週間での彼女を思い出す。
登校した時には既に彼女は体育館で朝練をしており、昼休みふと見かけた時は筋トレをして、部活では主将である彼女がわざわざ年下の弦羽早にアドバイスを貰いに行き、日が完全に沈んでも最後まで練習を続けていた。
たった一週間で爆発的に強くなれる訳が無い。そう思っていた綾乃だが、先程の弦羽早の試合を思い返す。
もしあれ程の試合が出来たらどれだけ楽しいだろうと口元が不気味に上がる。それが自分に勝つために照準をこの日に合わせて来た相手なら尚更だ。
「…そう思うようなことがあれば、きっとそうなると思うよ」
二人の入場と共に、良い試合を見せて欲しいと期待を籠められた拍手が彼女達を出迎える。
綾乃の細い背中に続く形で歩くなぎさは、先週の月曜日の早朝の出来事を思い出した。
ーーーー
「「あっ…」」
朝焼けが滲むように東の空に広がり始めた時間帯、同じ目的で外出していた二人は偶然出会った。
秦野弦羽早と荒垣なぎさ。同じバドミントン部に所属し実力も近いながらも、二人の間には個人的な関わりが薄い。共通する点と言えば、二人とも綾乃に対して内容は違えど強い思いを抱いているということか。
まだ朝の風が冷たい為二人とも薄い長袖を来て、ランニング用のシューズを履いていた。
偶然橋の上でバッタリ会った二人の間に数秒の沈黙が訪れる。
「あー、一緒走る?」
「お供します」
それからいつものコースを走りながら、静かに後ろに付いてくる弦羽早をチラリと横目で確認する。
あのダブルスを見て以来、なぎさは弦羽早の事が気になっていた。そこだけクラスメイトに言えばやっとなぎさにも春が来たかと喜ぶだろうが、当然男女の色恋などではなく、一段階上がった彼のスマッシュについて。
「(聞きたい。すっげー聞きたい)」
なぎさも毎日筋トレ、ストレッチ、素振りなどスマッシュの速度に繋がるトレーニングは欠かさず行っているが、あの突然の速さの上昇は技術的なものだ。
スマッシュが切り札であるなぎさには是が非でも会得したいものである。
しかし相手は綾乃の声援ひとつで地区大会ベスト8を快勝したまでの根っからの綾乃馬鹿。
そしてなぎさがスマッシュの威力を上げたいのはその綾乃を倒すため。
後ろに続く彼と綾乃のダブルスをこの目で見て以来、なぎさの中には再び綾乃への恐怖が溢れだしていた。かつてスコンクで負けたトラウマが、来週の試合で再現されてしまうのではないか。
マッチポイントまで追い詰められてからの集中を深め続ける綾乃。あの暗い瞳の彼女に再びネット越しに睨まれ、自分は冷静さを保てるのだろうか。
立ち直ったなぎさの心にヒビを入れる程に、あの試合のレベルの高さは異質だった。
ダブルス、それもミックスだからセオリーが違うなどと、楽観的に考えられるものではなかった。それになぎさや以前の綾乃が極端なだけで、シングルが強いプレイヤーは当然ダブルスも強い。その逆も然り。
現にダブルスプレイヤーだった弦羽早もシングルで好成績を残している。
「…うーむ」
「どうかしました?」
「えっ? あっ、いや、理子ン家がこの近くだなーって」
適当に浮かんだ言い訳を咄嗟に使う。
「…綾乃の事ですか?」
図星をつかれ、進めていた足がゆっくりと減速し、振り返ると既に立ち止まっている弦羽早のまっすぐな眼差しと視線が交差した。胸の内に感じた一瞬の冷たさは、朝の肌寒い空気だけが原因ではない。
どう返すべきかなぎさは数秒の時間を要した。そして言葉を見つけるより先に、自分達の間を流れる静寂の時間が既に答えを教えてしまっていることに気付く。
「私って、そんなに分かりやすいか?」
「どう…でしょう? ただ、綾乃の事をよく見ているので」
「確かに。いくら私が馬鹿でもお前ほど分かりやすくはないか」
「あはは…。まあ我ながらこの間の試合は露骨でしたね」
苦笑する後輩に釣られて、なぎさもフッと笑みを浮かべる。
綾乃に対しては勿論弦羽早にも、自分よりも優れた実力者であるという事もあって色々思うところはあったが、結局のところ彼も他の部活仲間と違いはない。
「ちょっと相談に乗ってくれるか? その、羽咲戦を想定しての話でもあるんだけど…」
弦羽早もあのダブルス戦での当事者であり、同時に綾乃の強さを知っているからこそ、もうとっくに自分の心境は悟られているだろうとなぎさは素直に明かす。
弦羽早は一瞬目をパチクリさせたあと、破顔一笑、勿論と肯定した。
ベンチで座る弦羽早へと二本のペットボトルを差し出す。遠慮気味に断る弦羽早だったが、相談料だと無理やり押し付けた。彼が選んだのはスポーツ飲料で、余った炭酸飲料のキャップを空ける。
炭酸のシュワシュワを口の中で一度味わってからなぎさは話した。
かつて綾乃に一点も取れずに負けたこと。その時の綾乃とダブルスの時の綾乃が重なったこと。再びコート上で対面した時、綾乃に勝てるかと不安があること。そして弦羽早の一段階上がったスマッシュの技術を教えて欲しいこと。
スマッシュのコツだけでなく、自分の心の弱さを吐き出したのは、おそらくここが学校ではないからだろう。普段顔を合わせる空間とは違う状況で、制服を着ていない彼は落ち着いた雰囲気を纏っていた。
だが一番の要因は、弦羽早もまた綾乃の事で悩んでいるふちがあったから。それは恋愛関係ではなく、土曜日のシングルス四戦。特に薫子戦を終えた直後の綾乃に対して、弦羽早は自分から寄らなかった。
「(そういや結局なんで秦野も試合してたんだ?)」
綾乃が試合をすると言うのはヴィゴが関係しているのは知っていたので予想もつくが、そこに有千夏本人が関わっているのを知らない為ダブルスになった経緯を予想できない。
今は関係ないし重要な話ではないだろうと、浮かんできた疑問に蓋をしまう。
「とまあそんなところだ」
「えっと、荒垣先輩。まずはありがとうございます」
「は!?」
何故ここで謝礼が来るのかと、思わずキャップを締めていない炭酸飲料水の持った腕ごと体を捻らせる。案の定中身が僅かに零れてしまい、弦羽早が渡してくれたハンカチで拭く羽目になった。
「だって綾乃を倒したい荒垣先輩からすれば、普通俺には相談しようと思わない。弱点を晒すようなことですから」
「それは、コートの中でのお前を知っているからな」
「だったら尚の事嬉しいです」
小さく笑みを浮かべてスポーツ飲料をクイッと飲む横顔に、なぎさはほぉと小さく息を吐く。
「(こりゃ普通ならモテるだろうなぁ)」
彼の普通でないところを既に呆れるほど見ているので少しもときめかないが。
「まず本題のスマッシュのコツですけど、俺が速くなったきっかけはゼロポジションがハッキリと実感できて、それをより上手く利用できるようになったからですかね」
「ゼロポジション…。肩の筋肉がもっとも楽になる体勢だっけ」
「はい。ゼロポジションを使うこと自体はそこまで難しくないですし、荒垣先輩は勿論他の選手もスマッシュで普通に使ってると思います。ただそこに意識を集中させていると、本当にその名前の通りに肩に無駄な力が入らなくなるんです。その時間帯を伸ばす…というんですかね。すいません。あの時の感覚で打っている部分が多いので全部を説明できないです」
「いや、十分参考になったよ。早速今日の練習にでも意識してみる」
そもそも打つ瞬間に、一々ゼロポジションになっているのか否か意識した事すらなかったので十分な成果だ。
「俺でよければ手伝いますよ」
「いや、お前も来週試合があるんだから自分の練習に集中しな。そもそも私の手伝いしたら羽咲に怒られるんじゃないか?」
「男としてはそれは嬉しいんですけどね。ただ綾乃のパートナーの立場としては、むしろ荒垣先輩に協力すべきだと思ってます。多分綾乃もそっちの方が嬉しいんじゃないかな」
「え?」
どういう事だと疑問を浮かべるなぎさに、弦羽早は今度は自分の胸の内を語った。
「…綾乃は芹ヶ谷に勝ちたいとそれまで以上に練習し、試合にも最初から集中して入った。そして綾乃は勝った、あまりにあっさりと。芹ヶ谷にキツイ言い方をするなら拍子抜けだったと、俺は思ってます」
薫子に対しては勿論、綾乃に対しても随分刺のある発言だ。
しかしなぎさがそう横槍を入れる前に弦羽早は続ける。
「技術的に芹ヶ谷が弱くて綾乃が強すぎたというのではなく、気持ちの問題だったと思うんです。拍子抜けっていうのは、スコアの結果よりも芹ヶ谷の闘志と言うべきでしょうか。
綾乃にとって芹ヶ谷は因縁のある相手で、紆余曲折あったとはいえ、その発端は二年以上前。芹ヶ谷がウチに来た一件も合わせると、綾乃の勝ちたいって願望は相当強かったと思います。一方芹ヶ谷は、多分心のどこかで綾乃を舐めてた。舐めてるまで行かなくても、綾乃へ勝ちたいという願望はかつての彼女よりかは少なかった」
「まあ、なんたって監禁して風邪を移したくらいだからな」
なぎさは出来る限り暗い雰囲気にならぬよう、他人事のように軽いトーンで話す。それに釣られてか弦羽早も少し口元を上げて。
「もし同じことやろうものなら今度こそ本当にブン殴りますよ。でも、それくらいの熱意がかつての芹ヶ谷には確かにあったんです。だから綾乃もそれに備えていた」
「なるほど、だから拍子抜けか…」
確かに構えて構えて、そこに照準を合わせた結果、ストレート勝ち。それも合計失点が10点未満ともなれば、そう思うのも頷ける。
もっともなぎさを始めとする普通の選手であれば、それだけ自分が強くなった、あるいは調子が良かったと素直に喜ぶだろうが、彼女は普通には当てはまらない。
「そして…今の荒垣先輩は、綾乃の状況に少し似ている気がするんです」
「私が羽咲と? 勘弁してくれ」
「…綾乃を悪鬼羅刹かにでも見てませんか? あのですね、綾乃は不安定なところはあって価値観が普通とは異なってますけれど、抱えている悩みは多いんです」
「あ~、分かった分かった。話を折って悪かったよ」
まるで鬼と同義と言われたかのような反応に弦羽早が少し早口になる。思わず本音を言ってしまったなぎさだったが、言う相手を間違えたと無理やり話の軌道修正を試みる。
「…つまり、綾乃はかつて負けた芹ヶ谷に勝つ為に高めていた。荒垣先輩も、綾乃に勝つために色々考えている。一度負けた相手に挑むという点で一緒なんですよ」
「まあそりゃそうだけど、それって珍しいものじゃないだろ」
大会に出場する以上、同校の部活仲間が他校の同じ相手に負けるなんてことは珍しくもなんともない。どれだけ強い選手が集まろうとも、最終的な勝者はただ一人しかいないのだから。
「綾乃に限ってはそうでもないと思います。同年代相手に負けてこなかった綾乃が、心から勝ちたいと思ったのが芹ヶ谷が初めてなら、今の荒垣先輩を自分と重ねても不思議じゃありません。だからこそ綾乃は荒垣先輩に期待しているんだと思います」
「羽咲が…期待?」
「全身全霊で自分に挑んできてくれる相手。
ここまで堂々と話しておきながら、最後は不安げに閉める弦羽早に軽く肩を落とす。
「…お前って羽咲のこととなるとほんと優柔不断になるよな」
「仕方ないじゃないですか。三年離れてたとはいえ、幼馴染の俺でも分からないところが多いんですから。でも、今回の俺の考えは全部が当たりではなくても、間違ってはいない。
綾乃は荒垣先輩が全力で立ち向かってきてくれるのを望んでいる」
「…ならその要望に応えるために羽咲の弱点も教えてくれ」
「生憎、俺は綾乃のパートナーですから。助言はすれど、勝って欲しいのは綾乃に代わりませんよ」
冗談交じりのなぎさの発言に、少年は川風で靡く前髪を鬱陶しそうに上げながら、優しい爽やかな笑みを浮かべて返してきた。
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『オンマイライト!荒垣なぎさ、北小町高校! オンマイレフト!羽咲綾乃、北小町高校! 羽咲トゥサーブ! ラブオルプレイ!』
なぎさは思う。この会場に自分が勝つと思っている人間はいない。そして誰よりもそう思っているのが対戦相手の少女と言うことに。
綾乃と再開してからの約二カ月。元々全日本ジュニアで彼女が持つ一面を見ていたなぎさには、部活メンバーの誰よりも一足早く彼女の本質に気付いていた。
綾乃は性格が悪い。
誰かに嫌がらせしたいーーというような反社会的な悪さではない。価値観が良く言えば個性的、悪く言えば歪。それを性格の良し悪しに分別すれば悪いに傾く。
綾乃の構えはフォアハンドのサーブだった。その構えにコーチ席に座る北小町女バドの面々は小さく口を開く。
フォアハンドサーブのメリットは奥までロングサーブを飛ばしやすい。つまり高いサーブを打つ可能性が高い。
「(こんにゃろ)」
最初のサーブから綾乃がなぎさを舐めているのが読み取れる。
しかしそうなる気持ちもなぎさには分かっている。元々ディフェンス型の綾乃は、弦羽早とミックスダブルスを組んだことで男子選手の速いスマッシュを受ける機会が多くなり、加えて世界トップの最速のスマッシュすらも彼女はレシーブしていた。
今更なぎさのスマッシュに怯えるようなプレイヤーではない。
パン!と大きな音を立てて放たれた凄まじく高いロングサーブ。流石にこのアリーナの会場天井スレスレとはいかないが、二階の観客席も首を上げる程には上がっている。
ここまで高く上げること事態は決して難しくない。しかし高く上げるシャトルをバックパウンダリーラインギリギリまで飛ばすとなると、途端に難易度が跳ねあがる。
「(そう言えば入部を掛けて戦った時から、お前はとんでもない奴だったよ。でもなッ)」
素早く後ろに下がりチラリと足元を見てインかアウトかを確認するが、当然のようにバックパウンダリーラインギリギリを落下地点としている。それを確認すると、なぎさは両膝をバネにグッと跳びあがった。
「(お前が世界最速のスマッシュを受けたのはいつだ? お前が今日打たれたスマッシュはどれくらいの速さだった? お前が予想している私のスマッシュはッ――)」
バシュン!と突然花火でも破裂したかのような激しい音が鳴る。腰を下げて構えていた綾乃だが、どこかあとコンマ数秒は余裕はあるだろうと高をくくっており、僅かに出だしが遅れる。すぐに地面を蹴って足とラケットを出すが、その横を弾丸の如きシャトルが突き刺さった。
「(これぐらい速かったか?)」
地面に着地したなぎさは、ラケットを伸ばしたままの綾乃の姿にしてやったと口元を上げた。
アリーナ全体もまた、今の綾乃と同じような呆然とした顔をしており、唯一なぎさ同様に頬を緩めているのは健太郎だった。
「(…なぎさちゃん。いや、弦羽早もコーチも、やってくれるね…)」
ノビ、角度、コース、そして速さ。それら全てが一週間前とは桁違いだ。コースと角度やノビは前々から健太郎とマンツーマンで練習する様子が見られたので自分のリサーチ不足だろうが、速さに関しては間違いなく弦羽早が一枚噛んでいる。
――面白いじゃん
綾乃もまた小さく口元を上げる。ただそれはなぎさのようにしてやったりとか、あるいは教え子を見守る健太郎のように優しいものではなく、面白いおもちゃを見つけたと歪な上がり方だった。
有千夏さんのリアクションステップ周りの指導は、こういった動きが基本だけど、弦羽早は基本的に重心移動から始めなさい。それでいつか無意識の内にコツを掴めるようになったら変えなさい。的な。
一応概要は教えてたけど、強みを伸ばすためにと伝えてはいた感じです。
枷をつけるだけつけといて放置…とかでは無いです。