好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された 作:小賢しいバドミントン
羽咲綾乃。
流石に高校生にともなれば男女の違いからもうフェアな勝負を行えないので、そういう点では別の中学に行ったのは勿体なかったと少しの後悔はあるか。
再開した今も弦羽早の気持ちは三年前から全く変わっていない。
むしろ会えない三年間、思い出の綾乃を目標にして努力していた事から彼女への様々な思いはより強くなっていた。
だからこそ拳を握らずにはいられない。
二列目の席では弦羽早と同じようになぎさも拳を握っている。二人とも拳を握る原因は同じ、羽咲綾乃。
弦羽早は知らないが、なぎさは去年の全日本ジュニアで綾乃にスコンクで負けており、それが原因でスランプとなって調子を出せずにいる。その原因である少女(と思われる)が自分に何の反応もせずに、能天気に後列で眠っていたら鬱憤も溜まるだろう。
弦羽早もまた、綾乃とミックスを組むために全国一位の団体メンバーになるまで努力した結果、バドミントンをやりたくないとまで言われ何も感じない訳が無かった。
この三年の努力の全てが綾乃の為とは微塵も思ってはいないし、それを彼女に押し付けるつもりもないが、彼女の存在が支えとなっていたのも確かで、やはり何か一言欲しかったのが人間というものだ。
チラリと窓の外に映る海を眺める。
ただこの三年で綾乃に大きな分岐点があったことは察している。それがどれほどの事かは分からないが、それまでバドミントンと切っても切れない生活を送っていた彼女が止めるほどのもの。
何より今の彼女は、どこか”羽咲綾乃”らしさがなかった。
昔の彼女も確かに私生活ではおっとりしていたし、同年代の少女と比べて変なところもあった。でもここまで純心だっただろうか。恥ずかしがり屋であったが声もここまで小声だった記憶もない。
特に先日なぎさとバドミントンしている時の綾乃は、違和感だらけだった。右手だとか上履きだからなどプレイ内容ではなく、試合への意識が昔に比べて優しすぎた。
弦羽早が憧れた綾乃はもっと底の見えない不気味さを持つが、その欠片も感じなかった。
「(羽咲がバドミントンやりたくない理由ってなんだろう? 三年の全中で名前見なかったしスランプ?でもこの間あれだけ動いてたし怪我した様子もない。虐めは…藤沢がいるし、まさか好きな肉まん屋が潰れたとかじゃないよね?)」
やはりこの合宿中に何とかして話を聞くしか道は無さそうだ。
ハァと車内に弦羽早となぎさ二つのため息が重なる。
健太郎の運転する横で弦羽早はカーナビの画面をタッチして目的地までの道のりを確認する。
「目的地までどれくらいだ?」
「あと八キロって書いてありますけど…」
「この渋滞だと結構掛かりそうだな」
四月の上旬。バドミントン部はインターハイ予選に向けての合宿を行おうとしていた。
目的地は神奈川体育大学。健太郎の同窓が通っており、その伝手で大学生との合同練習を行う事となった。
参加者は部員七人に加え、コーチの健太郎と顧問の太郎丸美也子。それにエレナ、のり子、そして綾乃。
綾乃に関しては合宿であることを伝えずに、旅行だとエレナとのり子が嘘をついて連れて来く形となる。
現在この車にいない上記のメンバーは、後方の美也子の運転する車に乗ってる。
「羽咲は大丈夫か?目的地知った途端に車から飛び降りたり」
「流石にそこまでは…。ないよね藤沢?」
「どうかな~、試してみる?」
バッグミラー越しに映るエレナのあくどい笑みに男二人は勘弁してくれと頬を引き攣らせる。
「私、帰る!」
目を覚ました綾乃が、北小町の体育館の何倍も広く立派な体育館を見た第一声がそれだった。
踵を返そうとする綾乃の手を掴むエレナを、なぎさが訝し気な視線を送る。
「気になりますか?羽咲のこと?」
「別に」
入部してから何度か練習を交わしたが、弦羽早となぎさの関係はあまりよいものでも無かった。弦羽早から話しかけるものも会話になる回数は有事の時程度。
弦羽早はそういう人なのかとそれ以上告げないが、実際のところなぎさはコミュニケーションは得意な方ではないが、別段不愛想なタイプではなく、また不調のモヤモヤを弦羽早にぶつけている訳では無い。
なぎさは弦羽早が嫌い、とまではいかないが、そこまでよい印象を抱いていなかった。
バドミントンの腕は確かであり練習にもなっているが、自分の所属する北小町バドミントン部を下に見ている様に思えた。
実際それは正しかった。弦羽早も出来る限りそういった態度はださないようにしているが、そういった気持ちはある。事実、彼は一年前までは強豪の日城で日夜練習しており、その練習内容はハイレベルなものも多く、また部内ランキングなどもあった為、仲間たちと助け合いながらも競い合う関係だった。そこから部員六人の部へ移ったのなら、見下すとまでいかなくとも、物足りなさを感じているのは確かだ。
それから健太郎の同窓が中へと案内するが、今回の合宿に急遽もう一つ別の高校が参加したらしい。
フレゼリシア女子短期大学附属高校。
通称フレ女と呼ばれる高校は、去年の女子IH団体戦準優勝で、バドミントン女子の名門と言われる強豪校だ。去年からさかのぼっても、シングル・ダブルス・団体戦のどれかにはフレ女の名前が必ずと言ってよいほど記されている。
その部員数はコートが八面あっても足りず、厳しい部内ランキングで決められた上位者が優先して練習を行っており、それ以外は球拾いや掛け声が仕事となっている。
部員数でも活気でも圧倒的な差で、北小町部員、特になぎさを除く女子三人は早くも気合負けしている。
その強豪校との合同合宿に反対に燃えているのはなぎさと健太郎の二人。綾乃は自分には関係ない事だと興味無さげで、学と行輝の男子二人はフレ女が来ようと練習相手には変更はない。そして弦羽早は少し顔を青くして、冷や汗を流していた。
「どーも、北小町バドミントン部ですよね?」
落ち着いた声色に皆がそちらを振り向き、唯一の例外で弦羽早がさっと一番背の高い健太郎の背中に隠れる。
「始めましてフレゼリシア女子バドミントン部主将、
色っぽく髪を耳に掛けながら握手を求める姿は、この部員全てを束ねる確かな貫禄があった。彼女は健太郎と握手をするさ中、その背中に隠れた姿にニヤリと口元を上げる。
「おや?そこにいるのはもしかして秦野かい?」
「おっ、押忍!」
弦羽早のキャラらしからぬ返事に北小町の面々は目を開く中、唯香はチラリと綾乃の方へ視線を向ける。
「そんな他人行儀でどうした?君と私の仲じゃないか」
少し前かがみになりながら唯香がスッと一歩近づくと、弦羽早の足が一歩下がる。一歩前に出るとまた一歩下がる。それを何度か繰り返した後、弦羽早は全速力で大学生男子のいる集団へと逃げるように駆けていき、唯香もそれを追う。
「秦野の知り合いか?」
「同じ宮城のトッププレイヤーだからな。接点があったんだろう」
「ねえねえいいの綾乃?あの美人と秦野、随分仲良さそうだったよ?」
「ん?それより帰りたいよエレナ~」
小学校の頃から変わらずアタックしていたのにも関わらず、綾乃は追いかけっこする二人を見向きもしなかった。
流石にここまでくると他人事だろうと笑えず、弦羽早の幼馴染でもあるエレナとのり子は同情の眼差しを送った。
それから体育館を二周ほどして唯香から逃げ切った(主将としての責務があったので渋々諦めた)弦羽早が再度合流すると、涙目の綾乃に健太郎が迫っている場面だった。パッと見犯罪臭しかしないが、その光景も早くも見慣れたもので、状況はすぐに把握した。
弦羽早は二人の間に入り込むと、小声で叫ぶという器用な事をする綾乃の手を掴んだ。
「羽咲」
「嫌なものは嫌なの!」
「あの、さ。まだ、俺の試合見てもらってないよね?」
「…いい、興味ないもん」
「羽咲にとってはそうでも、俺は見て欲しい。俺の三年間を、他でもない羽咲に」
記憶にある声より低くなった大人の男の声に、綾乃はようやく弦羽早と顔を合わせた。真っすぐにこちらを見つめる真剣な瞳。それはかつてネット越しに自分に挑みに来た、かつての彼と同じものだった。
ゾワリと綾乃の胸の内が揺らぐ。
あの頃は、負けを深く知らなかった当時は感じなかったが、今の綾乃にはその瞳は古傷をえぐるような強さがあった。
「…私よりずっと負けてる癖に…」
無意識のうちに口からポロリと出た本心は、館内の活気によって周りの耳に届く前にかき消された。
「羽咲?」
「…分かった。見る。でも、私はやらないから」
弦羽早たっての要望で、まず最初に弦羽早のシングルスを行うこととなった。なぎさは興味が無い訳ではないが、自分も早くやりたかったようで、早々にフレ女のシングルスプレイヤーを唯香に取り繕ってもらい、試合を始めていた。
しかしその他のメンバーは準備運動も兼ねて弦羽早の試合を見ている。いつもはなぎさの試合に集中する理子も、部内以外で初めての弦羽早の試合を優先していた。
体育すわりの綾乃がぶっきら棒な顔つきで睨む先には、黒のウェアに着替えた爽やかに頬を崩す弦羽早の姿。
「秦野君だよね。今回の試合で、あれ、見せてくれる?」
「あはは、あまり期待はしないで下さい。ダブルスでさえ芸扱いですから」
「違いない」
弦羽早のネット越しに立つのは、神奈川体育大学の生徒。成長期を完全に越しているだけあり、顔立ちは勿論体つきは弦羽早よりずっとしっかりしている。
肩慣らしのクリアーを交えた後、弦羽早はサービスラインに立ち、シャトルを構える。
『オンマイライト、秦野、オンマイレフト大磯、ラブオルプレイ』
「「お願いします」」
弦羽早と大磯、二人はふぅと一呼吸入れると同時に、先程まで軽く打ち合っていた雰囲気が一転し、コート内の空気が重くなる。弦羽早の試合が完全初見となるエレナとのり子は普段見る彼との違いに思わず唾を呑み込む。
ラケットを腰の高さまで上げ、トンと押し出す。ネットの白帯がシャトルの軌道の最高点となる、理想的なサーブだ。
レシーブもまたストレートの低めのロブと意外性はないが、外れの無い王道のコース。だがこのロブから一気に試合が動く。
「(まずは様子見)」
弦羽早はコート左奥へと飛んできたシャトルを”フォアハンド”で外側のストレートへ打つ。バドミントンの華であるジャンピングではない、地面に足をつけた構えのスマッシュ。その速さは平均よりも遅く、中級者でも取れる速さだったが、その分コースはサイドラインギリギリの理想的なものだった。
「ッ」
素早く右足を出してシャトルにタッチするが、想像より手前で落ちるそれに僅かにバランスが崩れ、結果ネット前へと返ったシャトルは僅かに浮く。それでも白帯から数センチ程のものだが、バドミントンではそれが命取りとなる。素早く前に出た押し込むようなプッシュが大磯のコート奥へと刺さり、一点となる。
「なんか意外。そんな速いスマッシュじゃないのに…」
あっさりとした流れの一点にエレナはポツリと呟く。
「単純に大磯のアップが終わってないのもあったが、予想より球が遅くてズレたんだろう」
「速い球の方が撃ちにくくありません?」
「基本的にその認識で間違いない。だが大磯は秦野のレベルを知っている。その初撃をあれだけしっかりとしたフォームで構えられたら、いやでも速い球を警戒する」
「……ようするに、騙したって事ですか?」
「…まあそんなもんだ」
「安心してエレナちゃん。私も分かってないから!」
お前は理解しろよと、海老名に内心ツッコミを入れながら、健太郎の視線はコートに戻る。
既に次のラリーは始まっており、弦羽早が上げたロブに、大磯が地面から飛び上がり、一気にスマッシュを叩きこんだ。バドミントンの華型、ジャンピングスマッシュ。その速さは先程の弦羽早のスマッシュよりずっと速く、コートに響き渡る。
中央やや左よりに飛んできたそれを、弦羽早は左足を胴体の後ろにやりながら、バックハンドで再びストレートに返す。
続けてやって来たチャンスボールに、再びジャンピングスマッシュを撃ち込む。
バシンと再び来るストレートのスマッシュは速さは先程とさほど変わらないが、しかし音は重たく、実際にレシーブする弦羽早の負担は先程よりも大きい。だからと言って返せない訳ではなく、むしろ弦羽早は表情を崩さずに、今度はそれをクロス、つまり現在コート右にいる大磯とは反対の、コート左へと弾き飛ばす。
渾身の一撃をここまであっさりと返されるとは考えておらず、急いでシャトルに飛びつく大磯は大きくロブを上げた。咄嗟に
バシュン!
弦羽早のスマッシュがコート中央に突き刺さり、連続得点となる。
「すげぇ…シングルスが苦手って言っててこれかよ…」
「うん…。あんなに速いスマッシュをあっさり」
早くも試合の流れを作っている後輩の姿に、行輝と泉が息を呑む。
「……」
その隣で綾乃はつまらなさそうに、しかし一瞬たりとも目を離さずにその光景を見守っていた。
思い出す。休みの日やクラブの無い日は、敷地内にあるワンコートで夜遅くまで打ち合っていたことを。母親との一日一回のラリーに比べるとお粗末でミスが多くて、手ごたえがなくて、しかし何回でも何十回でも相手をしていたことを。
あまりに夢中になり過ぎて、翌日一緒に宿題をやり忘れて怒られてからかわれて。でも担任の先生が怒るのに疲れて、呆れて小言ですませるようになるまで、夢中になっていた。
あの頃とフォームは変わっていない。全日本選手が身近にいるだけあり、逐一フォームの指導を受けていたおかげで彼のフォームは今も昔も綺麗なものだった。
だがそれでも癖は残っており、それを久しぶりに見るとピクリと手が震えた。
それから試合は更に進む。弦羽早は飛びながら打つことはあれど、決め球としてジャンピングスマッシュは行わず、一方大磯は上がった球は積極的に打っていた。
ただ力任せのスマッシュは通用しないと判断した大磯は、そこにドロップとクロスを交えバリエーションを増やしていた結果、最初のインターバルは11‐10で大磯が取った。
その点だけ見れば流れに乗っている大磯に分があるように見えるが、しかし汗を垂らし膝を支えに立つ大磯に対し、弦羽早は軽く肩で息をする程度だった。
その光景に健太郎は先日の綾乃となぎさの試合を合わせた。
大磯も体育大学の男子、この程度でへばる訳はなく、また弦羽早もタオルで拭く程度には汗を流しているので、あの時ほど極端ではないにしろシチュエーションは似ていた。強打を得意とするなぎさと大磯、エースショットはないが確実に点を取る弦羽早と綾乃。
弦羽早と綾乃のプレイスタイルは似ているようで、また長所と短所は共に違うのだが、ちゃんとした綾乃のプレイを見た事のない健太郎には比べようがなかった。
インターバルが終了し、大磯のサーブから始まる。弦羽早は変わらず、相手にしてやりにくい左手でラケットを構えている。
「(ここまで秦野君には強打はない。なら)」
ショートサーブの体制から手首のスナップを利かせ、ロングサーブへと切り替える。
これまで二人のサーブはショートのみで、この一打が最初のロングサーブとなった。
「ねえねえ、ずっと気になってたけど、バドミントンのサーブってこう下から打つものじゃないの?」
先日の綾乃を真似るように、エレナは下からすくうようにラケットを振る。
それまでエレナの質問に答えていた健太郎は試合に没頭し耳に入っておらず、代わりにと理子がエレナの隣へ座る。
「バドミントンのサーブは主に二種類、今弦羽早君たちがやっている、ショートサーブと、この間綾乃ちゃんがやっていたロングサーブだね」
「ショートサーブにロングサーブ…。でも今、秦野の対戦相手、ショートサーブなのに飛ばしてなかった?」、
「どちらも構えに関して細かいルールはあるけれど、撃ったあとどこに飛ばすかは決まっていない。だからショートサーブのフォームでロングサーブを打つこともあれば、ロングサーブのフォームでショートサーブを打ったりも可能だよ」
「サーブの時から騙し合いなんだね…」
「のり子なら、どっちくるか考えて、気づけばシャトルが飛んできたことに気付かなそう」
「え~」
「お前ら静かにしろ。藤沢もルールを聞くのは構わないが、選手たちの邪魔にならない程度でな」
それまで引率のお兄さんだった健太郎もまた、この試合を見て気持ちがコーチに切り替わっており、いつもの軽口はなかった。
『
サーブの話題で盛り上がっていた間に、今度は弦羽早に連続得点が加算されており、フレ女の黄色い歓声が響く。
試合内容をジッと見つめていた綾乃は、それまでとスタイルを変えた弦羽早の攻撃を思い返す。
まず11-10の大磯のロングサーブに対し、弦羽早は相手のラウンド奥、大磯から見て左後ろへとクリアーを返す。
どれだけうまくとも、それこそプロレベルでさえ、ラウンドに差し込まれる球をチャンスボールとは言わない。
もっとも打ちにくい左後ろ、通称ハイバックへの球をいかに返せるかが上級者と中級者の分かれ目とも言える。
大磯はラウンドへ来た球を、様子見も兼ねてストレートに返し、弦羽早のラウンド側へと送る。
「(次は何が来る…。ラウンドから撃てるショットは限られる。去年全中トップの一人だとしても球にバリエーションは――)」
大磯の読み通り、弦羽早はラウンドからの返しは攻めのパターンはあまり持っていない。勿論全国トップの実力を持つ彼ならラウンドでスマッシュを打つことも容易にできるが、しかし決め球とは言えない。
だがそれはラウンド、背面ではの話だ。ラウンドではなく、フォアハンドで打てるのならそれは一気に絶交球に変わる。
弦羽早はステップの順序を変え、同時に左手に持ったラケットを右手に持ち替える。そして三歩目と同時に飛び上がると、大磯のクリアーをジャンピングスマッシュで撃ち落として返した。
大磯にとってはリードを取って精神にゆとりができた中での、ラケットの持ち替えによる一点。それは周囲のコートでプレイしていた選手たちの目を引き、フレ女の一部からは黄色い歓声が上がっていた。
続く一点は弦羽早の、それも右手のロングサーブから始まった。ラケットを下から上に救うようにしてあげるロングサーブ。小学時代ではそれが主流だったが、体格と力が上がると同時に、シングルスにおいてはロングサーブではなくショートサーブが主流となる。女子シングルスではロングも少数だがいる。
何故ショートサーブが主流になったか。答えは簡単、サーブが絶好のチャンスボールになるから。
飛んできた球は餌、そしてラケットが口だと言わんばかりに嬉々とした笑みを浮かべ、大磯はジャンプと同時に低めのクリア、アタッククリアを放つ。
バシンとスマッシュに近い音を立てて飛ぶシャトル。その軌道は普通のクリアよりも更に低く、長身の選手が前衛にいれば届くことも十分にありえるもの。しかしシングルスにおいてアタッククリアの邪魔をする相手は一人しかいない。
スマッシュを覚悟していた弦羽早はワンテンポ遅れるが、すぐに地面を蹴ってリアコートまで飛び、落ちかかっているシャトルを大磯がいないクロスへのドライブを返す。
ネットスレスレのドライブは弾速はないが、攻めに転じるにはやりにくい球だ。一先ず前へ落とす様に返すと、食らいついた弦羽早がリアコートへロブを上げた。
ロングサーブに続く絶交球。まず弦羽早を見るが、既にポジションに戻ろうとしている。崩すには組み立てが足りない。
「(ならここはもう一度!)」
プレイヤーには癖がある。それはフォームや打ち方もだが、配球にも必ずその選手の癖がある。
大磯の場合は上手く崩せると判断した球を、連続で使う傾向がある。それは悪手ではない。短い期間に連続して行うことで、相手は嫌でもその球を警戒せざる負えなくなる。
ただアタッククリアにも弱点がある。それはアウトになりやすいことと、打点が低いから身長を持つ選手が相手ではリアコートに入る前で叩き落とされるということ。もっとも叩き落とされるのは、ラケットがフォアでなければまず当たらない。仮にアタッククリアに対してバックハンドで触れたとしても、バックからショットを打つのは不可能ではないが、神業に近い。
だから大磯は弦羽早の”バック側”へとアタッククリアを放つ。その瞬間、弦羽早は口元を上げるのと同時に、左足から踏み出し、1・2のステップの最中にまたラケットを持ち替え、そして3のステップの瞬間には完全に左打ちの重心となった体を捻り、アタッククリアをジャンピングスマッシュで打ち返した。
このたった二回のラリーで、すっかり周囲のコートの練習は中断し、ゾロゾロと観戦者が増える。気づけば線審が二人、点審一人がついており、正式な試合のオーラになっていた。
「大磯さん。どうします?」
主語を聞かなくても伝わる。
「二セット先取で行くぞ!」
大磯はいかつい顔に純粋な子供のような笑みを浮かべる。弦羽早もまた、教室で見る以上に楽し気な爽やかな笑みで返した。