空区。そこは実のアジトがある廃ビル群。その一角で二人の忍が待ち合わせしていた。ホウイチと雫だ。僧侶が切り出す。
「虚ろを開くには莫大なチャクラがいります。其の為には多くの贄がいるのです。だからどうしても、水の国を戦火の渦の発端に叩き込む必要があるのですよ。しかし、武闘派も大名も煮え切らない」
果報は寝て待て。これが私の信条。自分は何もしなくても愚かな人間どもは勝手に争ってくれる。土の国もそうだ。笑いそうになるくらいの阿呆、痴鈍、愚昧。ダンゾウの時は楽でした。文字通り寝てればドンドン事が運んでいく。なのに水の国と来たら。ここまでお膳立てをしておいているというのにッ!!
「土の一件のせいで怖気づいているのよ。誰かがそっと肩を押してあげないと」
蒼髪の少女の声が流麗なせせらぎの如く耳に流れ込む。だが、僧侶には透明に見えてその実どす黒い憎悪が混じっているのがはっきりと聞き取れた。
「我々は決して表にはでない。あくまで影で―」
背筋を氷が這うような悪寒。およそ人ではない何かのような妖気の漂う美しさが彼を囚えた。仮にも僧侶である己ですら情欲を駆り立てられるその色気によって窒息しそうになる。
「日を浴びる覚悟のない者に世界をどうこうできて?」
女傑。支配者。彼女の全身がそれを体現していたが、最もそれを強烈に感じさせるのは彼女の瞳。
双紫の瞳。片や決然と燃え滾る憎悪を帯びた紫水晶の瞳。片や鏡の如き湖面に一滴の雫が落ちたかのような波紋模様。激情と静謐。
何故彼女の瞳にこれほどまでのカリスマを感じるのか。左目の方はまだわかる。彼女が死したダンゾウから奪った輪廻眼は神の瞳。むしろ当然だ。しかし、右目は生まれつきのただの目。だのに、右目に負けぬあるいはそれ以上のものを感じるのは何故なのか。
ホウイチは一年前を思い出した。ダンゾウが失敗したと悟った後、私は輪廻眼を回収すべく彼の死体の元に向かったのだ。その時のことをまざまざと振り返る。
「おやおや、先客がいたとは」
この少女は確かダンゾウの部下の一人だったか。ここにいるのを見るにもう一人の私は死にましたか。
まあ、この小娘にもう利用価値はありません。さっさと瞳を回収して・・・
「誰が来るのかとワクワクしていたのだけれど期待外れね」
輪廻眼が移植されている、馬鹿な、そんな筈は。
迂闊にも私はうろたえる事しかできなかった。忍界には幾つか特殊な細胞がありますが、これはその最たる物。移植など出来るはずがない。仮に出来たとしても、拒絶反応で死ぬか老衰して骨と皮だけの屍の様な身体になるしかない。
だが、彼女は違った。
紅玉のように滑らかな光沢を放つ唇。それを撫でる白い指先。笑いを投げかけるその顔は“美”意外の何物でもない。
心臓が氷の手で掴まれた感覚。生存本能が警鐘を鳴らす。逃げねば。そう思った時には呪印に魂が縛られていた。ドントとかいう土遁使いの男を軽く制したダンゾウの輪廻眼。その固有瞳術は余りに強力で私は彼女を実に引き入れざるを得なかった。
そして今に至る。
彼女が影を出ろと命じるのであればそれ以外の道はない。廃ビルを背にする少女の目をこれ以上見ることが出来ず俯く。
「それより鼠が一匹紛れているようだけれど」
意識を瓦礫の影に向けるとガサリと物音がした。抜け忍ですか。ばれてないとでも思っているのか、それとも恐怖で動けないのか、どちらにせよ哀れなことだ。
「いいわ。私がやる」
「いえ。折角ですからこれを使います」
僧侶が取り出したのは奇妙な匣。側面から盛り上がる顔は喜怒哀楽を表している様に見える。どの顔もすーっと神経が凝結したような気味の悪い表情を浮かべていた。
「何故、我々の組織が実という名を持つのか知っていますか」
そっと匣が地に置かれ、ホウイチが印を組んだ。渦巻くような煙がうねりながら匣を覆い隠す。白煙の向こうで黒い影がみるみる大きくなっていき、遂に煙が晴れる。
つい先ほどまでは手のひらで十分程に小さかったそれ。だが今や大の男の七・八は優に呑みこめるほど匣は巨大化していた。哀の顔が口をバカリと広げる。顔と言ってもあくまで装飾のはず、しかしそれが口を開く音は不気味なまでに生々しい。
「“実”。これには二つ意味がありまして。その由来の一つはね、あなたの故郷である草隠れにあるんですよ」
雫は何の感慨も無く匣を見る。深紫と暗黒。その口中にはそれ以外の何も見えず、彼女の心もそれ以外の何もなかった。なんの動揺も見せない少女に僧侶は唇を噛み締める。
「・・・かつて草隠れは世界を征しかけた。この極楽の匣を使ってね。どうゆう訳か彼らは最後の最後でしくじったようですが、匣の力は間違いなく絶大。ええ、そうです。なんせこれは六道仙人の時代の最終兵器ですからね」
哀の顔。その瞳が真っ赤に光り輝いた。その途端、匣を中心として爆風が吹き荒れる。外向きにではない、内向きにだ。結果として、隠れていた抜け忍は吸い込まれていく。涙を流し声が枯れるまで叫び続け、必死に抵抗しながら瓦礫に掴まる。
「匣の中に吸い込まれた者は敵であろうが何であろうが、全て味方に造り変えられる。それは一見生前と変わらぬ姿ですが、一度変貌を始めれば異形の姿に変わり果て死ぬまでその枷から逃れられない」
抜け忍の体力が限界なのか瓦礫に掴まる爪が一枚、また一枚と剥がれていく。全ての爪がはがれた時、男は絶叫と共に匣へと消えていった。酷く歪な笑みを浮かべて僧侶は振り返る。
「素晴らしいでしょう?だのに、草の生き残りはこの匣を使いたがらなかった。この一派が“花”と呼ばれる和平派。一方、これを利用しようとしたのが“実”。結局、実は腐り海のそこに匣は封じられた。というわけで、誰も使わないのだったら有効活用しましょうと私が拾ったのですよ」
少女は自分の故郷にまつわる隠された秘話にも何の感慨も示さない。
「それで匣を利用する組織という意味で、実という名を貰った訳です。もう一つの由来はですね―」
「興味ないわ」
にべも無く切り捨てる少女。恭しく態度で僧侶は引き下がるしかない。匣を小型にし、懐に収める。だが、彼の内心はその態度とは正反対であった。
腐れ女が!!
ホウイチは煮えくり返るはらわたを何とか鎮める。今、ここで逆らってもこちらが殺される。この女の呪印を何とかしない限りはッ。悶え苦しむ様な屈辱に体を掻きむしりたくなる。だが、そんなことは出来ない。
少しでもこの少女の前で怪しげな素振りをすれば見抜かれる。輪廻写輪眼の洞察力は僅かな所作も見逃さないからだ。それが余計に僧侶の頭を熱くさせる。帝といいこの女といい、どいつもこいつも高潔ぶりやがって!!
いつか必ず報いを受けさせてやる。触れる事すら烏滸がましい存在。それを汚すことこそ最高の甘美!!!
腐っても僧侶である彼は何とか自身の心を落ち着かせる。
臥薪嘗胆。今は雌伏の時です。
「では、水の国に向かいましょうか」
雫が無言で開いた空間の穴に二人は消えていった。
*
げっそり。一言で今の気持ちを表すならこの一言がピッタリだ。
少女たちのお喋りは会話が会話を口寄せし果てが無い。一生分のフィッシュアンドチップスは傀儡の身体に支障をきたしそうだ。最も凶悪なのは進軍ですかと錯覚しそうになるほどのお買い物袋だった。
激動の一日。下手な追手の忍と戦うより疲れた。
なんとかかぐらと交代することで魔境を脱出し、ボルト達をゆっくり案内できると思った。そんな淡い期待も儚く散る。主な原因は目の前の光景のせいだ。
「おい、ごらぁ」
「今、てめえからぶつかってきただろ」
「だからどうした?木ノ葉のガキが俺らの島をウロチョロしてんじゃねえよ」
どうやら里の不良がわざとボルトにぶつかって難癖をつけたらしい。そこにイワベエが乱入しそのまま険悪な雰囲気になったのか。
相変わらず彼はけんかっ早い。以前、会った時も土遁で勝負したっけ。袖なしの緑のジャケットに赤いニット帽。背には棍棒を背負っている。そんな彼は絶賛眼を飛ばしていた。
相手の男は霧の忍だ。年齢は僕らより少し上に見えるが、特徴と言えるのは頭の鉢巻きにギザギザの歯。その身のこなしは御世辞にも忍とは言えなかった。
もう一人。もう一人霧の忍がいるようだが介入する気が無いのか気配を薄めている。まあ何にせよ一触即発。ピリついた空気感を跳ね返してボルトが突っかかった。
「あんた俺達が木ノ葉の里の人間だって知ってたのか。いい里だと思ってたのによ」
「言っただろ。ここはもともと酷い里だったんだ。ろくでもない過去を新しい建物で隠しちまってるだけでなあ」
イワベエの一言に魚顔の男がブチギレた。殴り合いまでまさに秒読み。いや、秒もなかったようだ。男が一気に足を踏み込み、右拳を引き絞る。拳は吸い込まれるようにボルトの顔面へ入り込もうとした。
だが、彼も簡単に顔への攻撃は許さない。相手が足を踏み込み始めた段階から跳躍の為チャクラを練っていたようだ。
結果として男の右手が伸び切るころにはボルトはもう上を取っていた。重力加速を利用して反撃の拳。霧の男は腕をクロスし迎撃の体勢を取る。
チャクラ糸を伸ばす。
刹那、ぶつかり合うはずだった二人の忍は指一本動かせなくなった。体の主導権を奪われたボルトはゆっくり地上に着地させられ、建物の壁際にまで下がる。
突然の異常事態にボルトが声を上げようとするも、それに被せるように僕は口を開いた。
「二人ともここまでにしておきましょう。僕の目にもぶつかってきたのはあなたの方に見えた。霧の忍として非礼を詫びます。木ノ葉の方も僕に免じて今回は許してくれませんか」
ボルトも来て早々問題を起こすのは本意ではなかったらしく大人しく引き下がった。イワベエも興がそがれたようだ。問題は・・・
「ああ?血霧の忍がガキ相手に引き下がるとでも本気で思って―」
「よせ八朔」
不意に現れた男の声。八朔と呼ばれた魚顔の男の威勢が急に小さくなる。涼し気な顔で壁にもたれ掛かっている忍を相当怖がっているようだ。どうやら先ほど感じた気配はこの人のものだったらしい。
霧の忍装束を真っ赤に染めた物を羽織り黒髪に端正な顔付き。ただ、頬のえらの様に見える傷に白い肌。鬼鮫の外見的特徴と共通した部分がある。彼の一族の忍だろうか。
「こんな子供相手にいきり立つな。男が下がるぞ」
忍が掻き消える。
「速ッ―」
次の瞬間。忍はボルトの目の前に現れた。反応できなかったボルトは成す術も無い。目をつぶって身構える彼の顔。その横を男の手が通り過ぎる。幸いにも男が直接の危害を加えることは無く、壁に手を突くにとどまった。
「うずまきボルト。火影の息子・・・いい目をしてるな」
男の冷たい迫力。それに押されたのか体が固まったボルト。そんな彼を置き去りにして、忍は八朔と共に立ち込める霧の中へ立ち去っていった。
「大丈夫だった?」
「才蔵さん」
取り敢えず声をかけてみると緊張が解けたのかぎこちないながらも、ボルトの顔に笑みが戻る。立ち尽くしていたイワベエも活力を取り戻した。
「才蔵でいいよ」
「才蔵さんよ、あいつは誰なんだ。同じ霧の忍同士だ知ってるんだろ」
イワベエの質問には当然答えられない。そもそも名前すら知らない。かぐらにでも聞けば何かわかるかもしれない。
「悪いけど、知らないんだ。そのあまり人と交流の少ない部署で働いてるもんでね。それより、こんな辛気臭い路地からはさっさと出ようか」
かぐらでも知らなかったら、ロウに調べさせよう。彼女が今回の裏を調べるのが先か、向こうが仕掛けてくるのが先か、どっちでもいいけど無事に終わってほしい。
不穏に立ち込める霧の中、僕は彼らを連れ出した。
*
霧の忍である八朔は不満だった。屍澄真が木ノ葉の生意気なガキに対してあまりにも甘い態度を取ったからだ。
「なあ、なんで見逃したんだ。火影の息子をやる、絶好のチャンスだったじゃねえか」
一応対等には扱っているが内心手下としか思っていない干柿屍澄真は、下僕の不甲斐なさに心の中でため息を吐いた。
「それじゃああまり意味がねえ。四代目水影やぐらの孫が火影の息子を殺す。これにこそ意味がある。革命の狼煙は盛大じゃねえと意味がねえのさ」
不敵に笑う屍澄真。だが、その本当の胸中は決して話さなかった。男は思っていたのだ。俺が火影の息子を殺してもあまり意味がねえのは本当だ。ただ、あの時は体がどういう訳か動かなくなったのだ。
途中まで言うことを聞いてたはずの腕があのガキに近づこうとすると何故か引き戻される。結局、壁に手を突くに留まってしまった。恐らくあいつらの傍に居た霧の護衛の仕業なんだろうが、何をやったんだ?
自分の知らぬ忍に若干の警戒心を抱く。しかし彼には確実な勝算があった。霧に溶け込むほどの小声で呟いた。ギザギザの歯が鈍く光る。
「誰が相手だろうと・・・忍刀七人衆の復活さえ成ればこっちのもんだ」
”実”の由来の一つは劇場版NARUTO『ブラッドプリズン』から取りました。
後の二つまでも察してしまうシカマルが読者様の中にいらっしゃらない事を祈りつつこれからも執筆していく所存です。
次話で大きく話を動かしていくつもりです。