雨だ。空は墨汁をこぼしたように黒く。空気は刺すように冷たい。
逃げなさい。決して振り返らないで。
誰なんだろう、顔がぼやけて見えない。
僕は、走り出した。
だめだ、誰なのかを確認しないと。
けれども、体は言うことをきかず。どんどんあの人と離れてしまう。
待って―
「起きたか」
「ここは?」
「おい。また記憶が飛んだのか」
寝ぼけた頭で目をごしごし擦る。
「ド、ドントさん」
「覚えてるじゃないか」
それにしても、尋常じゃなく眠い。眠すぎる。しかも、そもそも今何時なんだ。窓がないから何も分からない。
「今何時ですか?」
「三時だ」
「え⁉まだ夜じゃないですか」
「言っただろう。明日は任務だと」
体感的には一時間もたっていない気がする。
「そうですけど、ドントさんこそ大丈夫なんですか?体は―」
「ガキが大人を心配するな。俺は人に心配されるのが嫌いなんだ」
やっぱり、この人は、いい人なのか、悪い人なのか分かりづらいな。いや、良い人なのかも知れないけど偏屈だ。
「分かりました。ところで、こんなに早いなんて任務地は遠い所なんですか?」
「いや、岩隠れだ」
「無茶苦茶近いじゃないですか!!もう少し寝るんで、出るときに起こしてください」
そう言うなり、僕はベッドでうつ伏せになる。
ハアとドントさんは布団を僕にそっとかけ一言呟いた。
「土遁・加重岩の術」
瞬間ベッドは尋常じゃない重さとなり、リオンを押しつぶす。
「すいません、すいません、すいません!!」
「いいか、この時間に出れば隠密に任務を遂行できるんだ」
「どんな任務内容なんですか」
やっとのことで布団から脱出する。布団の外から重い何かに押しつぶされるって、結構な恐怖体験だぞ。
「老中の暗殺だ」
一瞬思考が停止した。聞き間違いかと思い再度尋ねる。
「老中のですか⁉」
「ああ」
「しかし、そもそも暗部は影や大名一派の後ろ盾のおかげで、成り立っているのでは?」
「その大名からのご依頼だ」
またしても思考が停止する。
「え?」
「自国第一主義の土の大名は、協調路線の老中が気に食わないらしい」
「そんな理由で!なんでそんな任務を受けたんですか」
納得いかない僕にドントさんは落ち着いて説明し始めた。
「二つ理由がある。一つは、政治と大名を切り離すためだ。シンゲン様は現体制の崩壊を狙っている。だから、有能な老中が健在で現体制が盤石だと都合が悪い。二つ目はきっかけ作りのためだ」
ただでさえ声の低い彼が声を落とすと、もう脅迫を受けている気分になるな。
「きっかけ?」
「ああ、シンゲン様が台頭するきっかけの、そのきっかけのな」
きっかけの・・・きっかけ?そのきっかけが老中暗殺と言う事なのか?幻術にかかったかの様に、僕の思考回路が混乱してきた。ここは、一旦整理しよう。
「つまり、どういうことですか?」
「現土影の威光を失墜させる」
なるほど、まず老中を暗殺する。土影は責任を問われる。で、影の権威の失墜して、代わりに暗部のトップであるシンゲン様の時代が来るきっかけになるという訳か。
「・・・・・・そんな重要そうなこと、昨日入ったばかりの新人に教えていいんですか?」
「任務に関する最低限の情報共有だ。それに、本当に重要なことは俺にすら話さないからな、シンゲン様は」
地下三階のことだろうか。それにしても、いくら暗部でも老中の暗殺なんてそんなことしたら、さすがに土影が黙ってないような・・・・・・
「所属を偽装するに決まっているだろう」
「そりゃそうですよね。どこに偽装するんですか」
「実という組織だ」
聞きなれない単語に首をかしげる。
「実?聞いたことありませんね」
「俺もないが、何でも最近力を伸ばしてきた殻という組織と同時期に発生した組織らしく、その構成員や目的は一切不明の謎の組織らしい」
その実って組織も大概謎だけど、シンゲン様もそこそこ謎な気が・・・
「そんな組織のことをなぜシンゲン様は知っているんですか?」
「それこそ謎だ」
ここって、秘密主義すぎないか?
「取り敢えず、任務内容については了解です」
「では、準備ができ次第出発する。場合によっては土影とその側近たちと戦闘になる可能性がある。念入りにな」
淡々とそれでいて有無を言わせずドントさんは命じた。
*
ドントさんについて行き暫くたつと、急に先ほどまでの監獄のような薄暗いアジトの壁から、自然の岩壁に変わった。
「このアジトは、どこにあるんですか?」
「今に分かる」
急に空気が肌寒くなり、何もない空間に着いた。どうするつもりだろう?
彼がおもむろに印を組んだ。すると、音もなくまるで元々そうだったかのように、天井に穴が開いた。
「これは・・・・・・」
見上げると、星のまたたく夜空が見えた。
「上るぞ」
リオン達は壁を駆け上がり、一気に地上へ出た。
「すごいですね」
周りには雲を突き破り頂上の見えない岩山がいくつもあり、僕自身の立つ巨大な岩ですらも、数ある岩山の一つのさらにその一部にすぎない。眼下には深い森があり、向こうに星とは別に輝く里が見えた。
「あれが土の国の中でも最大の忍び里、岩隠れだ」
まさに発展。そして力。それらを体現したかのような明るさだった。
「綺麗ですね」
「だが、光があれば影もある。後ろを見ろ」
言われた通りに振り返る。
「何も見えないですけど」
「いいや、目を凝らしてみろ」
言われた通りにすると、確かに黒い影のようなものが見えた。
「あれは、草隠れの集落だ。大国に挟まれてしまった為に、両国の中継役をするしかなかった。その結果自国の産業は育たず、それに甘んじた。今ではより税率の安い滝隠れに中継地点としての地位をとられてしまい、結果、賃金の安い劣悪な労働市場に落ちぶれた」
注意しなければ視野にすら入らないであろう、黒い部分。あんなところで人が生活しているとはとても思えない。
「でも、五大国も援助くらいしているでしょう?」
「お前が考えている以上に、現実は愚かだ。国の上層部は忍びばかりで、彼らは常に争ってきた。時には身内すら切り捨てる忍びの本性が、弱者に厳しい世界を作っている。数年前までは戦争しかしてこなかったんだ。当然の結果だろう」
暗闇の中さらに目を凝らすと、ボロボロのあばら家がいくつも連なって身を寄せ合っている様子が目に取れた。
「なんでこんなことに」
「忍びというシステムは差別のシステムだ。チャクラを持つもの持たない者、それらの間には明確な差がある」
急に眼前の土の里の輝きが薄汚いものに見えてきた。
「どうすればいいですか?」
「どうしようもない。今はな。俺たちもまた忍だ。忍は与えられた任務をただこなすだけだ」
そう言い残し、ドントさんは崖から身を投じた。
リオンもまた岩隠れへ向けて空中に身を躍らせた。