V's If-Story:ScalePowder of WhiteMoth 作:よしおか
地球。それは人類が生まれた、母なる大地。この広大な太陽系に於いて、唯一命を育むことのできる、水の星……などと言っても、最近はその言葉に首を傾げる人も少なくは無い。
それは何故か? 人が生まれるのは地球上、という当たり前の認識が、そもそも当たり前ではなくなったからだ。
人類が、二度の宇宙戦争を経験した頃。技術の革新と引き換えに自然を、資源を削り取られてきた地球には、既に100億を超える人類を育む力は残っていなかった。荒廃した大地から人々は離れ、それまで命を拒む死の領域でしかなかった宇宙へ新たな生活の場を求める。それは、旧世紀から人々が目指してきた、人の手による新たな世界の開拓だ。
そうした事情の元、地球を離れた人々を受け止めるために開発されたのが、スペースコロニーと呼ぶには余りにも巨大な人工惑星『ダイソンスフィア』だ。
中央で明々と輝く人工太陽を核として、その周囲を覆うように直径十キロメートルほどの六角形の建造物“モジュール”がハニカム状に並んで浮かぶ、人類が宇宙に創りだした擬似的な星。地球との違いを上げるとすれば、そこに暮らす人々が球体の内と外のどちらに向かって立っているか、ぐらいのものだろうか。
やがて各国がダイソンスフィアの開発を進め、人類の総人口のうち、約七割が宇宙という新天地へ飛び出した頃。未知なる領域での開拓が未だ進む中、人々は大きく三つに纏まった。
一つは、ドルシア軍事盟約連邦。人々の心を一つにまとめる政策と、それらを支える優れた軍事力の元、着々と宇宙にその支配地域を広げる、『武』の国。
一つは、環大西洋合衆国ARUS。環大西洋条約機構とも呼ばれ、貿易協定で結ばれた国々が力を蓄え、ついに宇宙まで進出した、『商』の国。
そして、中立国ジオール。二つの大国に挟まれる小国でありつつも、その中間で緩衝剤の役割を持つ事で世界の経済を支え、その恩恵に与る『和』の国。
三つの勢力の間に小規模な諍いこそあれど、人々は宇宙という新天地で互いに助け合い、支え合い―――表層上の平和を謳歌していた。
されど、小規模な争いは、やがて大きな争いに発展する。どんな大きな火事だって、火種はいつも小さなもの。そしていつの世も、平和の裏には争いを求める者は居る。そのことに人々は気付かない、否、気付きたくはないのだ。
真暦71年。後に、第三銀河帝国発足の年として歴史書に刻まれる、激動の一年間。もうすぐ夏休みを迎える、とある高等学校から―――
革命は、始まる。
「納得いかないっ!」
だん、とテーブルを叩いて、指南ショーコは大いに憤慨した。
そんな彼女の姿に、周囲に居る学生たちはやれやれ、と呆れたような視線を向けるが、彼女にとっては十七年間自身を形成してきたアイデンティティの危機なのである。拳と言葉には自然と力がこもり、幼馴染や親友から度々「勝気さが滲み出ている」と評される眉は見事な逆八の字を描いている。
彼女と対面する形でテーブルに着いている少年、時縞ハルトはそんな幼馴染の少女の姿に、「サスペンスドラマに出て来る気難しい刑事みたいだな」と胸中で独りごちる。彼がそんな呑気且つ微妙に間違った感想を抱けるのは、刑事に尋問される真犯人と違い、彼の心に何らやましいところが無いからか、はたまた―――
「このイカしたシャツのどこがどうセンスが悪いってのよ!?」
―――刑事の怒りの矛先が非常に下らない部分に向かっているからだろうか。
「いやショーコ、ハルトの言う通りそのシャツ何だよ。女子高生が牛肉柄のシャツを着る意味がわかんねえ」
「犬塚先輩までそういうこと言うんですか!? デフォルメされた牛さんと漢らしい筆書きの“牛”の字と霜降り肉のギャップが最強に可愛いじゃないですか! ねぇねぇ、アイナちゃんもそう思うよね!?」
「……えっと、ごめんなさいショーコさん」
「謝りつつ目を逸らされたーっ!?」
何故かこの「陸上部男女対抗大食い対決」の場に居合わせたバレーボール部の三年生男子と、放送部の一年生女子―――どちらも、ハルトとショーコの共通の友人だ―――に詰め寄って理解を求めるショーコであったが、二人は揃ってショーコの一張羅から目を逸らしたり扱き下ろしたり。
味方だと思っていた二人の反応に、うぉおおお、と雄叫びを上げながらショーコは世の不条理を嘆く。年頃の乙女、というには少々元気の良すぎるその姿を見て、ハルトは大きな溜息を吐いた。
服飾のそれに限らず、この活発な少女のセンスがどこか周囲とずれているのは、幼い頃に父によって引き合わされてからの十年近くの付き合いで散々解っていたことだ。
今日だって、放課後のグラウンド使用の割り当てでブッキングが起こったことで口論になった陸上部の男子と女子の間に乱入し、「だったら昼休みに大食い勝負で決めようよ!」と、眩しい笑顔で宣言したのが始まりだ。どこから大食いが出て来たんだよ、というハルトの全身全霊でのツッコミは黙殺されたが、これに関しては何時もの事なので半ば諦めていた。
そこから、男女で代表が決められて勝負が始まる。何時の間にやら昼練に勤しんでいた他の部の面々や暇を持て余したその他の生徒達が集まってギャラリーを形成していたことについてはもうツッコまないことにした。
ハルトとしてはいつも通り、ショーコが巻き起こす騒ぎの火消しに回るべく待機していた……のだが、今回の騒ぎの犠牲者は、じゃんけんで負けて男子の代表としてショーコと大食い対決をする羽目になったハルトであった。
結果は、ハルトの負け。周囲からの、「まあ、ハルトにしては頑張った方じゃないか」という嬉しくも何とも無いねぎらいの言葉が地味に心に刺さる。
こういった勝負事にあまり精力的に取り組めないことはハルトも自覚しているが、それをショーコに指摘されて、ついつい負け惜しみ半分にシャツのセンスについて反撃したのが数分前。
そして、話は冒頭へと飛ぶわけである。
「と、ともかく! これで今日の放課後は、フィールドもトラックも女子が先に使うからね! 男子は外周ランニングから!」
誤魔化すように、びしっとハルトに指を突きつけるショーコ。それを言うべきは自分ではなく部長である三年生じゃないのかと首を傾げるハルトだが、言いたいことを言い終えたショーコは既に友人たちの方へと意識を向けていた。どうやら、同性の親しい女子にまで謎センス呼ばわりされたのが気にかかっていたらしい。
勝負も終わったことだし、ぼちぼち解散するか、と残っていた学生たちが腰を上げた、その時であった。
「ハルせんぱーいっ! 追加の焼きそばパン買ってきましたぁっ!!」
そう言って購買のある方向からグラウンドに姿を見せたのは、一年生の校章を襟元に光らせる少年だった。
少年は息を切らしてハルトが座るテーブルに駆け寄ると、両腕に抱えていた焼きそばパンをテーブルの上にぶちまける……とうの昔に決着のついた大食い勝負に使用する筈の焼きそばパンを、である。
少年はくの字に折り曲げた上体を大きく揺らしながら息を整えると、そこでようやっとテーブル周囲の人口密度が、予想よりも大幅に低いことに気が付く。
「あ、あれ!? もう終わってる!? 指南先輩は?」
慌てて周囲を見回す一年生の少年。しかし彼の視線がとらえたのは、バツ悪そうに頬を掻くハルトと、やれやれ、といった表情で首を振るギャラリーの姿。そして、何やら遠くの方で拳を振り上げて何かを熱弁するショーコの姿だった。
時折「私のセンスが悪いんじゃない、世界のセンスが悪いのよ!」「いや、どう考えてもショーコのセンスは壊滅してる」といったやり取りが聞こえてくるのは、この際横に置いておく。
「……この先輩にしてこの後輩ありっていうか……ミツル、お前って地味に間が悪いよな」
「とっくに終わったよ。もちろんハルトの負け。パシリ役ごくろーさん」
先程ショーコに詰め寄られていた三年生男子と、野次馬根性で騒ぎの成り行きを見守っていた眼鏡の二年生男子のセリフから事の次第を察した少年は、がっくりと肩を落としてその場に座り込む。
「えぇー……ハル先輩、俺頑張って購買まで走ったんですよ……?」
「ご、ごめんミツル……」
俺の苦労って、と言いながらげんなりと頭を垂れる部活の後輩―――草蔵ミツルの言葉に、ハルトはひたすら申し訳無さそうに手を合わせるのであった。
月と地球の中継地点、ラグランジュ2。そこに、ジオールが唯一保有する“ダイソンスフィア”がある。
このダイソンスフィアを各国がいくつ保有しているか。それは、ダイレクトにその国の国力を示す。二つの大国と比べてあまりにも規模の小さいジオールがこのスフィアを一つしか持っていないのは、別段おかしい事でもなんでもなかった。
ジオールスフィアで77番目に建造されたモジュールは、表面上は何の変哲もない居住区画である。教育機関についても小中高と一通り揃ってはいるが、その中でも咲森学園は一際異彩を放つ学校だ。
何せ生徒の殆どが、入学に際して地球から移住してきた者達ばかりなのだ。同じモジュールはもちろん、一つ隣のモジュールだって受験を控えた中学生は多く居るのに、である。
どれほど怪しいかといえば、巷に流れる噂の中に「咲森学園はセレブ階級の良家の子女達が、身分を隠して通う学校である」だとか「非武装による永世中立を認められたジオールが秘密裏に運営している、国防軍の士官学校である」といった根も葉もない都市伝説が流れるほどだ。
而して、その実態は―――
「なあミツルよ」
「んむ?」
「その机の上に積み上げられた焼きそばパンは、遅めの昼飯か? 早めのおやつか?」
ぶっちゃけ割と普通の高等学校であった。
時刻は午後二時を回った辺り。昼休みを終えて午後の授業の一コマ目である体育の授業が終了した直後、一年三組教室の廊下側にあるミツルの机には大量の焼きそばパンが鎮座していた。言うまでも無く、昼休みのハルトとショーコの大食い勝負で余ってしまったものである。一部はその場に居たギャラリーがちゃっかり持って帰っていたが、やはり運んできた人間の特権と言うべきか、十個近く余った焼きそばパンはめでたくミツルの物となった。
昼休みが終わってすぐに体育の授業が控えていると知っていた為、ミツルはそれらに手を付けず、授業が終わってカロリーを消費し、ついでに小腹が空くまで取って置いたわけだ。
「……ってか、何でこんなに大量に持ってるんだよ、焼きそばパン」
「んぐ、ふぃうやふみにへんはいにぱひあはへはんはへぉ、あまっひはっへは。もっはいあいぁらもぁっへひは」
(訳:昼休みに先輩にパシらされたんだけど、余っちまってさ。勿体ないから貰ってきた)
「食いながら喋んな」
もっきゅもっきゅ、と口いっぱいに頬張ったパンを咀嚼しながらクラスメイトの問いに答えるミツル。一応、口の中が見えないように手で覆うという最低限の心遣いは忘れていないようだが、どちらにしても非常に見苦しい光景である。
「んぐんぐ……っく。いやホラ、昼休みにグラウンドで先輩たちが大食い勝負やったんだけど、追加分買って来いって言われて。そんでもって買ってきたらもう勝負終わってたんだよ」
「ああ、二年の時縞先輩と指南先輩か。あのドタバタカップル有名だよなー」
口の中に残ったパンを飲み込み、口元に着いたソースを指で拭いつつミツルが口にした単語に、友人はすぐに合点がいったのかその場に居た二人の名前を挙げる。陸上部以外にもギャラリーは居たので、情報の伝播も早かったようだ。
ただ、友人がハルトとショーコの二人を指して「カップル」と表現したことに、ミツルはきょとんと眼を瞬かせる。二人と特に親しい生徒達は彼らが男女の仲ではないことを知っていたが、それ以外の、ある程度知っているだけの生徒にとってはいつも二人一組と言っても良い彼らはそうとしか見えなかったのである。
「……え、あの二人別に付き合ってねーよ?」
「嘘ぉ!? 時縞先輩つったらいつも指南先輩の後ろちょこちょこくっ付いて歩いてるって話じゃん。これで付き合ってなかったら時縞先輩ってストーカーなんじゃないかって」
「いやー、どっちかってぇと指南先輩が行く先々で騒ぎ起こしてるから、ハル先輩が事後処理と関係各所への謝罪で忙しくしてるっていうか……なあ櫻井、だいたいそんな感じだったよな」
遠い目をして同じ部の先輩二人を思い浮かべるミツルは、近くの席で次の授業の教科書を取り出していた眼鏡の女子生徒に声を掛ける。
櫻井、と声を掛けられた少女は、すこしズレていた眼鏡を直しながら顔を上げると、苦笑しつつもミツルの言葉に首肯する。
「ああうん、そうだね。あの二人はいつもショーコさんが何かして、ハルトさんが怒ったり止めに入ったりしてる感じかな」
この、眼鏡にツインテールの少女―――櫻井アイナもまた、ハルトとショーコと親しい人間の一人だ。
先ほどの大食い対決の場では二人が喉を詰まらせたときの為に飲み物を持ってスタンバイしていたし、放課後や休日にはショーコの友人である女子生徒達と一緒に出かけることもあった……昼休みにショーコに詰め寄られた際にはついつい視線を逸らしてしまう辺り、さしもの彼女もショーコのぶっ飛んだファッションセンスは庇い切れなかったようだが。
「あれでハル先輩もお人好しってぇか……ぶっちゃけよくもまあ指南先輩に愛想尽かさないよなって思うわ、俺」
「う、うーん……でも、ショーコさんっていろんな人から人気あるんだよ? 体育祭の時とかもリーダーになって色々と提案したりするし……偶に暴走してるけど」
「ああうん、それは分かる。アホな事してるけど何故か毎度毎度、指南先輩が致命的に失敗することって無いんだよな。その場で文句が出ても何だかんだで終わってみれば皆『指南グッジョブ』だし」
「へー。櫻井さんは女子同士のつながりがあるから解るけど、ミツルもミツルで二人のことよく見てるんだな」
「二人とも、草蔵くんのこと可愛がってるんだよ。弟が居たらこんな感じかなって言って」
「ああ言ってた言ってた。ったく、二人して子ども扱いしやがって……そう言えば指南先輩、その後に『ハルトは何時の間にか可愛く無くなってたし』って言ってハル先輩キレさせてたな」
その時の騒ぎ……別のモジュールで開催された陸上大会の打ち上げだったかの時にショーコが口を滑らした事件を思い出してミツルが笑う。尚、直後に『ショーコのやったことでいつも被害被ってんのは僕だからな!? どっちかといえば僕の方がお兄さんだろ!?』と反撃したハルトだったが、他の部員達に満場一致で『いや、ハルトの方が弟だ』と言い切られてあえなく撃沈したことを追記しておく。どちらかといえば陸上部員達には『奔放な姉に振り回される常識人の弟』という立場に見えたらしいが。
「ふーん……ところでさ、ミツル。お前時縞先輩のことハル先輩って呼んでんのな」
「え、だって言いやすいじゃん」
「可愛がられてるって言ってもお前、なんか妙に時縞先輩に懐いてるよな。ホモ?」
「誰がホモだ誰が!? ぶっ殺すぞコラァ!!」
脈絡もなく失礼なことを言い出し始めた友人に猛然と抗議するミツル。目の前で突如始まった漫才に、アイナはまたしても口元を引き攣らせて苦笑いを浮かべるのであった。
と、その時。ふと窓の外に視線を映したアイナの目に、件の二人―――時縞ハルトと指南ショーコの姿が見えた。
「あれ、ショーコさんにハルトさん?」
「へ?……あ、ホントだ。何してんだあの二人」
先程自分をホモ呼ばわりした友人の襟首をぎゅーっと締め上げつつ―――その友人が顔色一つ変えていない事については考えないことにした―――ミツルはアイナと同じ方向に顔を向ける。渡り廊下でつながった校舎の、二年生のクラスがある辺りで、ハルトとショーコが二人揃って白衣に無精髭の物理教師に向かってぺこぺこと頭を下げていた。
「……何してんだあの二人」
恐らくは先ほどの授業中に何かやらかして、二人揃って担当の教師に怒られているとかそんなところだろうか。二人の仕草と、遠目にも判るほど目が笑っていない物理教師の寒々しい笑顔で大体の事情を察したミツルは、先ほどの言葉に別のニュアンスを込めて呟く。
アイナとミツルの視線の向こうで二年生二人が解放されてからしばらく経って、ミツルのスマートフォンにメールが届く。差出人はハルトだった。
「……ハル先輩と指南先輩、放課後に裏山の罰掃除することになって部活遅刻するってさ」
「あ、あははは」
新人戦近いのに何してんだ二年生、と毒づくミツルに、自分も手伝うからきっと早く終わるよ、とフォローを入れるアイナ。
咲森学園一年三組の教室は、概ね通常運転であった。
「……この様に旧ヨーロッパは現在、ドルシア連邦とARUSに分割された状態でそれぞれ別の国になっている。前の時間にやった通りヨーロッパからドルシアに加入したのは東欧、北欧、そしてそれに続いたのが中東の主立った国々だな。特に中東についてはドルシア連邦成立当初、ARUSから一方的に脱退する形になった為に火種になった訳だが、幸い『静かの海条約』以降各国は大きな戦争行動はとっていない。それじゃあ宍戸、この条約が結ばれたのは何年だっけ?」
「ええっと……」
五限目の世界史の授業中。腹が満ちて瞼が重くなったミツルは、電子ノートへの書き込みもそこそこにスマートフォンを弄りながら眠気と格闘していた。
ええと最新のスパイクシューズの情報は、と。学園のトラックは一般的なグラウンドだから気にしなくても良いが、競技場のトラックは合成ゴムだからシューズのスパイクについて規制があるから、それに抵触しないものを……などと眠気覚ましがてら、部活で必要なスパイクシューズを新調するべくネットのショッピングサイトを閲覧していると、不意にスマートフォンがブブッと短く振動した。
(メール……犬塚先輩から?)
差出人は、アイナと同じく昼休みの大食い勝負を見物に来ていた顔見知りの生徒だった。
何の用事だろうか、と考えながらマナーモードの設定を通常モードからサイレンスモードへと切り替え、ミツルはメールを開封する。
『自習中
暇だから何か話そーぜー』
シンプルかつ下らない文面を目にした瞬間、頬を支えていた左手が思わずズルッと滑って顔から机に激突しそうになるが、寸でのところで持ち堪える。
『こっちは授業中ッスよ
先輩こそ受験勉強とかしなくて良いんですか』
『もうやってらんねえよ
今月入ってから女の子紹介してくれってメールが五件目だ
しかも殆どショーコかアイナ狙いとかいい加減にしろあいつら
いつから俺の名前は犬塚キューツーになったんだよ』
『聞いてませんよンな寒いジョーク
良いじゃないっすか別に、先輩他校の女子とよく遊んでるんだから』
キューツー(Q2)……もとい、犬塚キューマは、ハルトとショーコの二人組と親しくしているうちに知り合った三年生である。
面倒見がよく気さくな性格で、運動部に限らず学園の生徒からは頼れる兄貴、といった風に慕われる人物なのだがとにかく金にシビアで、「将来は世界一の大金持ちになる」と普段から公言して憚らない男だ。
因みに女子生徒達からは同じく三年生の生徒会長と共に「咲森学園残念なイケメンツートップ」などと呼ばれている。
『そう言わずに聞いてくれよ
ハルトもハルトで俺のメール無視しやがるし、せっかく人が警告してやったのにさ』
『警告って何すか警告って
さっきハル先輩達、なんか物理の貴生川に怒られてましたけど』
ひょっとしてこの人のメールが原因じゃないだろうな、と考えながら―――実際にはそれが大正解である―――ミツルはその言葉の真意を問う。
しかし、キューマから返信されたメールはミツルの問いに半分しか答えなかった上、ミツルに予想外のダメージを齎すことになる。
『いや、さっきハルトに「誰かにとられてから泣いても遅い」ってメールで送ってやったんだけどさ、そういえばお前の方は七海先生へのアプローチどうなったんだよ?』
「ぶふぁっ!?」
奇しくも、先ほど授業中にキューマからのメールを受け取ったハルトと似たようなリアクションを取るミツル。
幸いにも教壇に立つ老齢の歴史教師は電子黒板の操作に戸惑っている最中であり、ミツルの方を向くことは無かった。
が、教室内の生徒のうち何人かは、何事かと訝しみながらミツルの方を向く。その中には驚いた顔のアイナや、友人である男子生徒も居る。また、後ろの席であるために気付かなかったが、アイナの友人であるクラスのアイドル的女子生徒もミツルに冷たい視線を向けていた。
「あ、あの人は……っ」
七海先生、というのは、今月に入って教育実習の為に学園を訪れた、別のモジュールの大学に通う女学生だった。確かにこう、やたらとスタイルの良い彼女の話題で一年生の男子で盛り上がった時に迂闊なことを口走った気はする。
が、それをキューマに話したことは無い筈。知られたが最後、こういう時にからかってくるのが目に見えているからだ。
『なんで犬塚先輩がそのこと知ってんですか!?』
『金になりそうな情報は逃さず拾う主義だ』
『そ う じ ゃ な く て !
っていうかそれは知ってますけど!
どこで、誰から、どうやって聞いたんですか!!』
『一年の女子達が色々と噂してたんだよなー
ハルトの方はまだ良いとしてお前はもっとハードル高いだろ?
七海先生今週いっぱいで大学に戻っちまうんだから。
なんなら格安で大人の女性の口説き方講座でも開いてしんぜよう^^』
(うっぜぇえええええええっ!!ってか金取るのかよあの野郎!?)
隠していたつもりの自身の恋愛感情を知られていただけでなくからかいのネタに使われて、ミツルは相手が上級生だという事も忘れて反撃にかかる。
『俺が苦学生だって先輩も知ってるでしょ!!つーか大人の女性の口説き方なんて先輩に解るんですか!?』
『ふっふっふ、俺くらいになればその程度は造作も無い。ついでだし一人千円ぐらいで他に受講したい連中引っ張ってこれないか?』
『わーい講座の内容は一言一句漏らさずに櫻井に伝えておきますねー』
『俺が悪かったんでそれだけはヤメテクダサイ』
人の色恋を知っているのが自分だけだと思うなよ、犬塚キューマ。
スマートフォンを握っていない左手でぐっとガッツポーズをとりながら、二歳上の先輩をやり込めた自分に心の中で喝采を送るミツルであった。
時間は、放課後へと移る。午後四時を過ぎて、咲森学園は夕暮れの赤に染まっていた。
夕暮れと言っても、それすらも人工の物だ。二十四時間三百六十五日、モジュールの“上空”に固定されたダイソンスフィアの人工太陽には、モジュールに熱と光を届ける以外の気の利いた機能など搭載されていない。
ダイソンスフィアに建造されたモジュールの天蓋は、高解像度のモニターにもなっているのだ。モジュールで暮らす住人達の生活リズムを崩さないよう、時刻ごとに地球上と同じような空模様を再現し、空調システムや天蓋付近の散水装置と連動して気候すら作り出せる。
そして今「良く晴れた、しかし過ごしやすい気温の日」を再現した気候システムは、町を赤く、明るく染めていた。
そんな作り物の夕暮れの中、学園の校舎から敷地内の各所に伸びる道路を裏山の方に向かって歩く人影があった。
一人は、髪の毛をツインテールに結んで眼鏡をかけた女子生徒。日頃から付き合いのあるハルトとショーコが裏山の掃除をすることになったとミツルから聞いて、部活も無いから手伝おうと
申し出た櫻井アイナだった。
もう一人は、制服を着崩して―――どころかブレザーもネクタイも着用せずワイシャツ姿というラフ過ぎる服装なのだが―――ポケットに両腕を突っ込んで歩く男子生徒。ハルト達の罰掃除の事を聞いて少々罪悪感に駆られ、手伝いに行くアイナに同行することを決めた犬塚キューマである。
「そういえば、犬塚先輩。さっき草蔵くんが先輩のこと『メールテロリスト』とか言ってたんですけど、なにかあったんですか?」
「ん、あー、いや大したことじゃないんだけどさ。新しい金儲けの方法を考えて、ついでにミツルも手伝わせようと思ったんだけど断られちまってな」
肝心な部分はボカして、キューマは五限目のメールの遣り取りをかいつまんで説明する。
学生の身で何を、と一笑に付されるような話も、アイナは決して馬鹿にしない。それが、日頃から商売の方法を真面目に考えているキューマ相手なら尚更だ。
「先輩ったら、いつもお金の話ばっかりです」
「おう、いずれは世界一の大金持ちになる予定だからな」
「夢は大きく、ですね」
ともすれば嫌味にも聞こえるその言葉に、キューマは誇らしげに胸を反らす。何であれ真面目に何かに取り組んでいる人間に、この優しい少女が決して嫌味など言わないことを知っているからだ。
ふふっ、と上品に微笑むアイナに、キューマの頬も自然に緩む。両親によって無理矢理進路を決められて、故郷どころか地球からも離れたこの学園に放り込まれた時には想像すらしていなかった、暖かくて、穏やかな時間。学園で学んだ知識で未来を想像しながら、将来の夢を語る自分。隣には可愛い後輩が居て、微笑みながら自分の他愛も無い話に相槌を打ってくれる。
高校生の理想とも言える幸せな学園生活のワンシーンが、ここにあった。
「あ、そういえば、これも草蔵くんが言ってたんですけど」
「ん?」
「先輩の事、キューツー先輩って言ってましたけど、キューツーって何ですか?」
「…………アイナは知らなくて良いことだよ」
「ふぇ?」
不思議そうに首を傾げるアイナに不審がられないよう意識して笑みを浮かべつつ、キューマは固く決意した。
―――ミツル、後でシバく。
(いや、今はあいつのことは良い。それよりどうする。他の話題、他の話題は……)
「先輩?あの、どうしたんですか?」
可愛い後輩にダイヤルQ2の意味を尋ねられると言うレア過ぎる事態を乗り切るべく、持てる話術テクニックを総動員してキューマが自然且つ確実な話題変更の作戦を考えていると。
「おじょーうさんっ」
不意に耳に入った軽薄そうな声に、アイナとキューマは揃ってそちらを振り向く。
そこに立っていたのは、咲森学園の制服を身に纏う五人組の男子生徒。そのうち二人がアイナ達に近い位置に立っていた。
アイナの顔を覗き込むように背を曲げる、明るい茶髪を逆立てた少年と、それとは対照的に背筋をピンと伸ばした眼鏡の少年。眼鏡の少年も茶髪の少年と同じくアイナに視線を向けているが、身長ゆえに見下ろす形になり、アイナにはどうもその視線が圧迫感を伴ってるような気がした。
「よろしければ、道案内をお願いしたいのですが」
「ねえねえ、名前なんてゆーの? そのスカート可愛いねー」
清々しいほどに会話が噛み合っていない。というか茶髪の方は完全にナンパのノリである。
会話の雰囲気から察するに、先ほどアイナに話しかけたのはこの茶髪の方らしいが、一体何だというのか。
「えっと、あの……」
「……黙っていろ、今は私が話をしている」
「いちいち硬いんだよ、お前は。舞踏会にでも誘う気か?」
「どんな時でも礼儀は忘れない主義だ」
そういう割に、眼鏡に長身の少年も戸惑うアイナを放置して相方である茶髪の少年を窘めていたようだが。
一方キューマは彼らの遣り取りを眺めつつも、その姿に違和感を感じていた。道案内を求めるということは校舎のことを知らない人物だ。それに、制服は着ているがこの二人にも、その後ろに居る三人にもキューマは見覚えが無い。ひょっとして転校生だろうか。
ただ、彼らの視線から感じるなにやら不快な感覚が解らない。見下されているような気がするが、自分たちがそんな扱いを受ける理由が不明だ。
(何だ、こいつら)
えもいわれぬ不穏な空気を感じて、キューマは自分でもそれと知らぬまま、アイナを庇うように前に出る。
「おい、お前ら―――」
「住民との接触は、最低限にするべきだ」
キューマの言葉を遮ったのは、右目の横で髪の一部を小さな三つ編みに纏めた少年だ。三つ編みは眼鏡と茶髪のやり取りに呆れたような溜息を吐くと、そのまま校舎へと足を向ける。
これまで会話に参加しなかった赤毛にバンダナの少年と、銀髪の少年も、彼に倣って校舎へと歩を進める。
「ってオイ待てよ!道分かんのか?」
茶髪の少年が声を掛けるが、三つ編みの少年は足を止めない。すると、それまで一言もしゃべる事の無かった銀髪の少年が、ぼそりと言葉を吐き出す。
「スプリンクラーだ」
「はぁ?」
「13メートル単位で並べられたスプリンクラーが、あの建造物の手前だけ12.5メートル単位に変わっている。窓から見える教室の座席数は40。収容できる生徒数は480名……しかし、建造物は一般的な積層工法で建てられている。加重の問題から、余剰の施設人員が入る余地は無い。導き出される結論は、建造物の地下」
銀髪の少年はそれだけ言い終えると、後は黙々と歩き続ける。流石だな、と呟いた三つ編みの少年も、薄く笑みを浮かべながらその後を追う。
先ほどの長ったらしい解説だか分析だかに納得がいったのか、眼鏡の少年もすでにアイナとキューマから視線を外し、後に続いて歩き始める。
茶髪の少年だけが、ウィンクを一つ飛ばしてアイナに別れを告げ、一団を急いで追い始めた。
「……なんだ、ありゃ」
「転入生……かな?」
話しかけておいて会話らしい会話も無く、つむじ風か何かのように去って行った五人組を眺めつつ、キューマとアイナはぼんやりと呟く。
と、そこに。
「あれ、櫻井に犬塚先輩?」
五人組と入れ違いになるように姿を見せたのは、陸上部のユニフォームに着替えたミツルだった。
「あ、草蔵くん」
「ミツルか。これから部活か?」
「ええまあ……今校舎に入って行った人達、先輩たちの知り合いですか? なんか皆して難しそうな顔してましたけど」
的を外したミツルの言葉に、キューマとアイナは揃って首を振る。
「いや、さっき話しかけられたんだけどなんか様子がおかしくてな。道案内がどうとかって話だったが、結局自分たちでどうにかしたみたいだ」
「ふーん」
「……ああ、それよりミツル」
「え、なんすか……ぐふぁっ!?」
キューマの声が普段よりも微妙に冷たいことにミツルが気付いたのは、バレーボール部で鍛えた腕にがっちりと頭をホールドされてからのことだった。
「てめえ、アイナになに吹き込んでんだこの野郎……!」
「ちょ、あの駄洒落フッたのは先輩じゃないですか!? ギブギブギブ、絞まってる絞まってるっ!!」
「ほほーう、そういう生意気な事言うのはこの口かコラァッ!!」
「あがががががっ!?」
お返しとばかりにミツルの頭を締め上げるキューマと、ぎりぎりと頭蓋骨が軋む音に悶えるミツル。そして、二人の漫才を止めた方が良いかと思いつつも、ついつい笑ってしまうアイナ。
そのまましばらくの間、三人は先ほどの不穏な空気など忘れてしまったかのようにじゃれあうのだった。
―――確かに鳴り響いた、日常が壊れる音に気付くことも無く。
「大体、ハルトは気持ちが足りないんだよ。気持ちが」
「気持ちって……なんだよそれ」
咲森学園の正門から見て裏手の、小高い丘に面した廊下。用務員室と空き教室しか無い為か極端に人通りの少ないスポットで学園の生徒である一組の男女が言葉を交わしていた。
と言っても彼らは別に好んでこの場所に居る訳ではなく、自習になった授業中に騒いだために教員の怒りを買い、罰として学園の裏山にある祠の清掃を命じられて、その為の道具を取りに来ただけなのだが。
掃除用具をロッカーから引っ張り出しながら、ショーコは眼前に立つ幼馴染に苦言を呈する。対してそれを言われたハルトは眉を顰めて、その言葉の意味を考える。
「勝とう、っていう気持ち。昼休みの勝負だってそうだよ。ハルト、本気で勝とうと思ってなかったでしょ」
「いや、だってさ……別に良いだろ、たかだか大食い勝負程度で」
「そりゃあまあ、それだけなら私だって何も言わないよ? けど、部活だってそうじゃない」
「うぐっ」
できればあまり指摘されたくなかった事実にまで言及した幼馴染の言葉に、ハルトはぐっと言葉を詰まらせる。
「四月からハルト、短距離走のタイムが全然縮まってないってマネージャーの子から聞いたよ。長距離でのタイムは落ちてないらしいけど、百メートル走はこれじゃ新人戦までに目標まで届かない、って」
「いや、それはその……」
「あー良い良い、言い訳しなくて良いから。どうせハルトのことだから、一年生に気を遣って……あ、っと」
言いさしたショーコの後ろから、制服を着た五人組の男子生徒が歩いてくる。彼らのお目当ては、この区画にだけ設置されたエレベーターだろう。老齢の教師向けに設置されたもので普段は「健康推進の為」という名目で生徒の使用を禁じているが、体育が終わった後に校舎の一階から四階まで登る時なんかには重宝するので、生徒達は揃いも揃ってこっそり使っていた。
黙々と歩く彼らを避けてロッカーに寄ったショーコだが、話題が中断されたことにハルトが安堵の息を漏らす暇すら与えず、友人の一人のようにじとーっと半分だけ開いた目でハルトを睨む。
「で、話戻すけど」
「戻さなくて良いよ……」
「何か言った?……ハルトさ、一年生に気ぃ遣ってるんでしょ。特に、ミツル君に」
今度こそ遮られずに放たれたショーコの言葉に、ハルトはぐっと口を噤む。その沈黙を肯定と受け取って、ショーコは大きな溜息を吐いた。
「あっきれた……四月のこと、まだ気にしてたの? あの事はもうミツル君とも仲直りできたって言ってたじゃない」
「別に、そういうんじゃ無いって」
「じゃあ何だってのよ。ミツル君だったらむしろ、『そんな理由で手ぇ抜くとか馬鹿にしてんですか!』って怒りそうな気がするけど」
「あーっもう、やめろよミツルの声真似するの。あいつ結構怒らせると怖いんだからな……」
ハルトは耳をふさぐようなジェスチャーをしつつ、ショーコから視線を逸らす。
ミツルが怒る場面を、ハルトとショーコは数ヶ月前に一度だけ目にしていた。というか、それが原因でミツルはハルトに懐いたのである。
もっとも、怒ったミツルが怖いと言うのはその時胸倉掴んで怒鳴られたハルトの主観であり、直後に三年生に殴られて涙目になっていたミツルの姿は、ショーコからすれば「子犬が吼えてるみたいで微笑ましかったけどなぁ」という程度のものだったが。
「ミツルに限った話じゃないよ」
ふと、ハルトは語り始める。
「誰かと争ったり競ったりするよりも、楽しく一緒に走る方が性に合ってる。僕が陸上部に居るのは、ただ自分を鍛えたいからだし」
その言葉には、時縞ハルトという少年の穏やかな想いが込められていた。
「欲しい物があるなら、半分こにすれば良い。喧嘩して取り合うよりも、分け合えば誰も傷つかない」
見方によっては弱気なその言葉。けれどそれは、自分が傷つくことも、自分以外の誰かが傷つくことも望まない、ハルトの優しさゆえの言葉だ。
だから、勝負は勝ちに行ってこそ、というショーコも何も言わない。みんな仲良く。その言葉を口にするときにハルトが浮かべる穏やかな笑顔が、ショーコは決して嫌いではないからだ。
そのせいだろうか。穏やかな雰囲気の中で笑い合う二人は、すぐに気付くことが出来なかった。
「―――下らない、子どもの理想論だ」
先ほどエレベーターに向かった五人の男子の一人……整った目鼻立ちの、冷たい光を瞳に湛えた銀髪の少年が、ハルトを侮蔑の表情で睨みつけていたことに。
「え……」
「エルエルフ、どうした?」
状況が理解できないハルトの口から間の抜けた声が漏れて、遅れること半秒。エレベーターを待っていた三つ編みにボブカットの男子生徒が、銀髪の少年に声を掛ける。エルエルフ、というのは彼の名前か、ニックネームだろうか。なんかファンシーな名前だ、とショーコはどこかズレた感想を抱いていた。
銀髪の少年ことエルエルフがハルトを睨みつけている状況に驚いているのは、彼と連れ立って歩いていた四人の男子も同じなのだろう。目を見開いたり口を半開きにしたりと、それぞれが普段はやらないのであろう形に顔のパーツを変形させている。
エルエルフは驚愕に固まる周囲に構うことなくショーコを指さし、更なる爆弾発言を投下する。
「その女を俺によこせ」
「………………はっ?」
「聞こえなかったのか? お前の後ろに居るその女を、俺によこせと言っているんだ」
今度こそ、ハルトの思考は完全に停止した。
―――なんだ。このエル何とか君は何を言っている。彼はショーコに告白しているのか? こんなところで? 僕の目の前で? 僕が話していたのに?……いやいやいや最後の一つはあんまり関係ない。
ハルトが混乱していると、まるで物のように扱われたショーコが険しい視線をエルエルフに向ける。あ、これはストレートに怒っているぞ、と幼馴染の勘で察すると同時、ハルトは咄嗟にショーコとエルエルフの間に割り込むように手を広げる。
「……い、嫌だ」
訳が分からないながらもそれだけを短く、しかし強い口調で言い切ったハルトに、ショーコは驚きの目を向ける。しかしエルエルフは動じない。珍しく自分の意思で誰かの言葉を拒絶するハルトの姿はあまりにも弱々しく、エルエルフに何の感慨も抱かせなかったのだ。
「なら、半分にでもするか」
「…………」
「お前はハムエッグの黄身も愛した女も、ナイフで半分に切り分けるのか」
比べるもののレベルが違い過ぎるだろう、とエルエルフの揚げ足を取ることは出来ない。彼がそんな下らない話をしている訳ではないのは、至極真面目なその表情を見れば誰にでも判るからだ。
何も応えないハルトから視線を外すとその肩越しに、エルエルフはショーコに向かって手を伸ばす。
―――ショーコに触れるなっ!
刹那。ハルトの胸の裡に、燃え盛るような激情が宿る。
心の中で、爆発するように広がる“恐れ”のままに、ハルトは両手をエルエルフに突き出した。
「……ふん」
「うわっ、とっ、あだっ!」
しかし、エルエルフは涼しい表情でハルトの腕を取るとそのまま振り回すように態勢を崩し、決して軽くは無いハルトの身体を廊下に引き倒す。リノリウムの廊下に背中を強かに打ち付け、ハルトは痛みに呻く。
「ハルト!? ちょっと、あんたねぇ!」
「止せ、ショーコっ!」
目の前でハルトに手を挙げられて堪らずエルエルフに詰め寄ろうとしたショーコだったが、当のハルトに鋭く制されて、足を止める。ハルトに向かって伸ばされた、エルエルフの右腕。制服の袖口から、金属の冷たい光が覗いていた。
「来ちゃだめだ、僕は大丈夫だから……」
制服にナイフを隠し持っているようなヤバい男に、ショーコを近付かせてはいけない。瞬時に判断したハルトは強打した背中の痛みに眉を顰めつつも、エルエルフから視線を逸らせないでいた。
エルエルフは、依然として冷たい目でハルトを見下ろしている。
「本当に大事なものは、半分になんて出来ない」
その言葉は、血が上っていたハルトの頭から熱を奪うには十分すぎた。
「お前が戦いたくなくても、向こうが殴ってきたらどうする。ヘラヘラ笑って、大事なものを譲るのか」
それは、何時か誰かに言われた言葉。気弱な自分の性格のせいにして、いつも目を逸らし続けてきた可能性。
「譲れないのなら……戦うしかない」
エルエルフはそれだけ言うと踵を返して他の男子たちのもとに向かって歩き出す。ちょうど、エレベーターの扉が開いたところだった。
「……ハルトっ、大丈夫!? ああもう、なんなのよアイツぅ!」
エルエルフと、未だ戸惑った表情の男子たちが姿を消してから、弾かれたようにショーコがハルトを助け起こす。
だがハルトはエルエルフの言葉の意味を、それに釣られるように思い出した後輩の言葉を、そしてキューマからのメールで送られてきた言葉の意味を考え続けていた。
『へらへら笑いながら走ってる時縞先輩に、何が解るってんですか!?』
『誰かにとられてから泣いても知らないぞ』
『譲れないのなら、戦うしかない』
―――確かに鳴り響いた、日常が壊れる音。それは何よりも早く痛みとなって、ハルトの胸を刺し貫いた。
○草蔵 ミツル
咲森学園の一年生。陸上部所属。十月十四日生まれ、本編開始時点では十五歳。
茶髪の癖っ毛に、太めの眉毛が特徴。目はハルトと同じく薄い青。
眉毛を「オタマジャクシ」と言われたら問答無用でキレる。
ミツルの容姿については、アニメ第五話に出て来たモブ生徒のビジュアルを参考にしています。
第五話Bパート10分8秒の辺りの学園のPVの中で、「学生たちが廊下の窓から、空を飛ぶ一号機を眺める」シーンで、窓でなくカメラに顔を向けて歯を剥き出しにして「キラッ☆」のポーズをとっている、茶髪の眉の太い男子生徒がミツルだと思ってください。