V's If-Story:ScalePowder of WhiteMoth 作:よしおか
「まったくもう……自分から言っておいて、何してるんだか」
「北川さん?」
「なんでもありませんっ」
「あ、そ、そう……」
不機嫌そうな会計担当の女生徒に声を掛けるもぷいとそっぽを向かれて、生徒会室の席に着くリオンは居心地悪そうに肩を縮こめていた。
リオンは与り知らぬことだが、会計の女生徒……北川イオリの機嫌を急降下させたのは、コンビニに物資調達に赴いた班から送られてきた一枚の写真だった。
エキサイトしたミツルが怒鳴り散らしているその先で、足の痺れに顔を歪めるショーコと、痺れはないものの(もちろん超回復能力フル活用中)衆目の中で説教されてこれまたバツの悪そうなハルトが揃って正座している。
その場に居合わせたイオリの知人から進捗状況の報告として送られてきた写真には、気の抜けた文章で『リーダーがオイタしてお仕置き中!ちょっと作業遅れます♪』という一文が添えられていた。
違う、そうじゃない。これは報告じゃなくて私信の書き方だ。写真の日付も見る限り一時間近く前に撮影されたものだろうが。
遅れるにしても何分ないし何時間単位で遅れるのか報告しろ、ツィッターじゃないんだぞ。
っていうか
メールの内容から添付の写真の何から何まで、生真面目なイオリの神経を逆撫でしていた。
怒るべきはそんなメールを事務連絡として送って来た知人なのだが、イオリの矛先はそんな浮かれた生徒達を扇動した人物へと向けられる。
(いっつもそうだ。指南さんは、能天気な顔して会長を困らせる)
イオリは、指南ショーコが好きではない。学園が平和だった頃からショーコがあちこちで起こすトラブルに、イオリが敬愛する生徒会長は頭を痛めてきた。モジュール77の独立の時だって、三千人に満たない未成年だけでの国家独立という成功率が限りなく低い夢物語を、まるでさも出来るかのように語って見せた挙句に、生徒達の代表であるサトミの意見を無視して何もかも決めてしまった。そのせいで今対応に苦慮しているのはサトミなのだ―――ショーコに自ら近づくことをしないイオリにはそうとしか思えず、ショーコなりの苦悩を知る由も無い。結果、努めて明るく振舞うショーコの態度を額面通りに受け取ったイオリは、楽天的な変人への不満を募らせていた。
閑話休題。
そんなイオリの八つ当たりの対象となったのは、不幸ではあるが必然的にリオンであった。
一応この場では唯一の成人として、負傷したタクミに代わり生徒会メンバーの会議にも出席していたリオンだが、如何せん彼女は専門科目である保健体育以外に於いて、企画も立案も説明も今一つ。
結果、もともと事務能力に優れた者が寄り集まった生徒会メンバーの話を聞きながら、彼らが決定したことをおぼろげに想像しながら頷くことしか出来ていない。言い方は悪いが、この場に於いて間違いなく「一番の役立たず」であるリオンは順調にイオリからの
「では明日から予定していた西区の瓦礫撤去ですが、七海先生からは何かありますか?」
「えっ? えぇーっと……ばーっとまとめて、ささっと除けちゃって……って感じで」
「……もう良いです」
サトミが漏らしたでっかい溜息を合図に、つまらなそうに明後日の方向を向くタカヒと更なる険しい視線を向けてくるイオリ。リオンの居る場所だけ、重圧が増したような気がした。因みにリオンが今言おうとしたことを補足すれば、“重機か何かで一箇所にまとめて、ロボットにささっと片付けて貰ってはどうか”になる。片付けに使える重機もロボットのパイロット二人の予定も知らないために上記のような台詞になったが。
「手分けして一箇所に集めれば後はあのロボットに寄せて貰えるだろうから、今日のうちに使えるものをリストアップしておこう」
「スコップとかはあらかじめ玄関に置いておいた方が良いわね。それと、防塵マスクも……」
職員室から持ち出した緊急時対応マニュアルを片手に、てきぱきと物を決めるサトミとタカヒ。非常時に慌てているのは彼らとて一緒だが、両者は共に咲森学園の運営を任される生徒会のツートップ。ことマニュアルを速やかに、正確に実行するという作業に於いて、二人の右に出る者は学園には居なかった。
「さすが生徒会長と副会長だねぇ」
「当然です」
「なんで貴女が偉そうなのかしら……」
リオンの呟きをドヤ顔で肯定するイオリに溜息を洩らすタカヒだったが、ややあって、その冷たい視線の矛先をリオンへ移す。
「ですが七海先生、流石にもうちょっと積極的に話に入って頂かないと、我々としても困りますわ」
タカヒの咎めるような声に、ぐっと呻くリオン。
「いくら七海先生がこういったことに不慣れと言っても、私達だって同じですのよ? 私達の取り組みに大人である貴女が参加しないのはアンフェアでなくて?」
「うぅ……ご、ごめんね、先生もこういうの、勉強しようとは思ってるんだけど……」
「思っても結果が伴わないのであれば、何もしていないのと同じですわ」
自分にも他人にも妥協を許さないタカヒの言葉は鋭い矢となってリオンの胸にぐさぐさと容赦なく突き刺さる。流石に涙の一つも零れそうだった。
「ま、まあまあタカヒ、それに北川君も。こういった時こそ寛大に、多少の仲間のミスには目を瞑ってだな」
「あのねえサトミ、あなたがそうやって甘やかすから七海先生が何もなさらずに居るのでしょう?」
「下手に動いて事態を悪くするよりは、という賢明な判断だろう。先生が慣れるのを待とうではないか」
「そんな逃げ腰の判断は年長者がするようなものではなくってよ」
「……あの、二人とも。そろそろ先生泣いちゃいそうなんだけどなー……」
何故四歳も年下の少年少女の口から、自分のことで実家の両親のような口論を聞かなければいけないのだろうか。しかも
いっそ怒りすらも湧いてこないほど清々しい戦力外通告に、リオンの頬を水滴が一筋伝った。
「副会長、もうその辺にしてください。会長がそうおっしゃるのでしたら、私は従います」
つん、とそっぽを向いたままではあるが、イオリがそう言ってくれたことにリオンは胸を撫で下ろす。先ほどから彼女の視線がちくちくと痛かった身としては、この場の雰囲気が少しでも和らぐのは素直にありがた―――
「……貴女、こういう時は真っ先にサトミに従うのね」
全く和らいでいなかった。
突如、嘲笑うような視線をイオリに向けたタカヒに、流石に予想外だったサトミとリオンは背筋を走った悪寒に揃って肩をすくませる。何やらこう、滅茶苦茶嫌な予感がした。
タカヒがいきなりイオリを嘲ったのは、単に気に入らなかったから、だ。先ほどまでリオンに露骨な悪意を向け、それを上役であるサトミの言葉で翻したのはまだ良い。
問題は、その為にタカヒを引き合いに出したこと。言葉にしていないとはいえタカヒと似たような行動を取って置きながら、いざサトミがそれを諌めると途端に良い子ぶったようなイオリの態度は、タカヒには非常に腹立たしかった。
「私は生徒会役員です。会長の決定には従う義務があります。副会長はその辺りの自覚があまりないようですけど」
一方、そんな視線を向けられた方のイオリも黙っていない。サトミを敬愛するイオリにとっては、普段から彼と対等の物言いをするタカヒもまた、気に食わない人間の一人だったのだ。
「貴女は一挙手一投足にサトミの許可を求めるのかしら。それが役員の仕事だと言うのなら、この会議の場自体に意味が無くなってしまうのでなくて?」
「決定権は生徒達の代表である連坊小路会長にあります。それに、会長は優秀な方です。副会長や指南さんと違って、みんなの事を考えて正しい判断が出来る人です」
「万能な人間なんて居る訳が無いでしょう。本気で言っているのだとしたら、貴女のその無思慮な考え方がサトミの判断を狂わせるわよ」
「……なんですって」
数秒と経たぬうちに、議場の空気が絶対零度まで降下する。蛇に睨まれたカエルのように身動き取れないリオンとサトミは、助けを求めるように互いに視線を向けあう。
(れ、連坊小路くん!? なんとかして、二人を止めてぇえ!!)
(むむむ無理です! タカヒはこうなったら誰にも止められないし北川くんもここまで怒っているのは初めてで私もどうすれば良いのか……!)
が、無意味。カエルが二匹でどうこうしたところで、蛇と蛇の睨み合いをどうにか出来る筈も無かった。
おかしいなぁエアコンはしっかり動いている筈なのに何でこんなに寒いのかしらなんで汗が止まらないのかしらと混乱するリオン。そんな彼女に救いを齎したのは、生徒会室の外から聞こえてきたけたたましい足音だった。
「しっつれいしまーーすっ! 会長会長、ARUSの工作隊の人らが協力してくれるそうッスよ!」
ごんごんがらぴしゃーん、とノックの直後に返事も聞かず扉を開けたのは、難しい交渉を成功させた疲労感と達成感に高揚するミツルだった。
室内の重苦しい空気と、その場で繰り広げられていた舌戦に気付かないうちにそれらを壊して見せた
「あ、え……あ、ああ草蔵か。それで、な、なんだね?」
数瞬の自失の後、なんとか言葉を紡ぐサトミと、ぐったりと背を曲げたリオン。二人が同時に胸中で、ミツルを称賛したのは言うまでも無い。
「草蔵くん、本気で助かったわ……」
針の筵、という言葉の意味を嫌と言うほど味わったリオンは、ミツルの報告を受けて一度解散された会議の場から学生食堂へと移動していた。この一時間ほどの間に一気に十歳ほど老け込んだような錯覚が、嫌に現実味があって怖い。
地味にストレスによる白髪の発生を危惧するリオンに連れられて来たミツルはといえば、リオンが自販機のアイスを奢ってくれたことに胸を躍らせており、その言葉の真意を理解することは無かった。ちったあ空気読めやと彼を咎める者がこの場に居ないのが悔やまれる。
「そうっすか? 交渉っつっても話自体は流木野に助けられたんで、俺はただ言われた通りに喋っただけだったんですけど」
「いやそうじゃなくて……ああうん、なんにせよ先生すっごく助かったの。本当にありがとうね」
リオンからの感謝を受けて、いやぁそれほどでもないッスよー、とニヤケながらアイスクリームにパクつくミツルの姿に、リオンも自然と頬を緩ませる。口では謙遜しつつも褒められて照れる年相応の姿は、彼が何処にでもいる高校生の少年なんだという事を改めてリオンに知らせた。
だからこそ、リオンは疑問に感じたのだ。
「ねえ、草蔵くん。草蔵くんはさ、どうしてあのロボットに乗れたの?」
何故、と問う声に、がちがちに固まったアイスと格闘中だったミツルはきょとんと目を瞬かせた。
リオンにしてもそうだが、ミツルだってあの襲撃の日までは確かに、戦争など縁が無い一般人であった筈なのだ。
それが今や、この学園に於いて知らぬ者はない有名人の一人。それも、武を以て仲間たちを守る、学園の守り人として。
「やっぱり、実は前々からあのロボットの訓練とかしてたのかな。それで、ジオールのピンチに秘密兵器と一緒に参上! って感じ、だったり……」
―――ひょっとして、ミツルとハルトは以前から内密のうちにロボットのパイロットとして選ばれていたのでは? と。ジオール消滅以来、WIREDの掲示板でも度々囁かれる疑念をリオンが抱いたのは、別段おかしなことでもなかった。
が、しかし。
「いや、そういう訳では……ってか、ハル先輩が乗ってるの見て初めてヴァルヴレイヴ―――あのロボットのこと知った位ですよ、俺だって」
そんな事実が無い以上、ミツルの口から出てくるのは否定の言葉ばかり。こればっかりは嘘ではないのだから、ミツルとて他に言い様がない。
それでも、全長20メートル近いロボットを操って軍隊と戦うなどと言う真似をやってのけたミツルが「あれが初陣で、そもそもロボットの存在をその時初めて知った」などといったところで到底信じられるものではない。
「でも、初めて見た機械を触って動かすだなんてそうそう出来ることじゃないよ。草蔵くんってメカの取扱いの才能とかあるんじゃないかなぁ」
「……なんか七海先生、やけに喰い付いてきますね」
興味本位で疑われるような言葉を向けられれば、いくらリオンを慕うミツルであっても面白い話ではない。険しくなった視線に気付いたのか、リオンは慌ててぱたぱたと手を振った。
「あ、ごめんね。やっぱりちょっと気になっちゃって」
「気になるって言われても、知らないものは知らないんだから―――」
「ううん、ロボットの事じゃなくて」
ミツルの言葉を遮ったリオンはテーブルに肘を着く。組んだ両手で覆った口元から、ふーっと大きなため息が漏れた。
ややあって、再びリオンが発した声は、自嘲めいた色を伴っていた。
「私が気になってるのは、草蔵くんのこと。私と草蔵くんの違いって、なんだろうなぁって思って」
「―――へっ?」
今まさに右手のスプーンを運ぼうとした口から思わず上がる素っ頓狂な声。動きを止めたスプーンから、バニラ味のアイスクリームが溶け落ちた。
不良学生たち数人を、瓦礫の中から拾った鉄パイプで撃退したジンは、逃げる彼らに置いてけぼりにされた女子生徒と二人で無人の商店街の適当な場所に腰を下ろす。ここは襲撃の前には若者たちのデートスポットとして賑わっていた場所で、開けたところにはテーブルやベンチが幾つもある。二人はその中でも、おしゃれなオープンテラスで注目を浴びていた喫茶店―――その跡地に居た。
「落ち着いたか?」
「は、はい……」
ギャルソンもマスターも居ない以上、飲み物は自分で調達するしか無い訳で。道すがら自販機で購入したジュースを開けると、ジンは一気にそれを呷る。ごくごくと喉を鳴らして一息つくと、女子生徒が自分をじっと見つめていることに気付いた。
「……ビースト・ハイの方が良かったか?」
既に半分ほど空になった人気の炭酸飲料が入ったボトルを軽く振って見せると、冷たいミルクティーを両手で持つ女子生徒は慌てて首を横に振った。
「い、いえお構いなく! ああっそうだわ、ミルクティーのお金……」
「要らねえよ。良いから落ち着けっての」
思い出したように財布を取り出す女子生徒を宥めて、ジンはその表情に目を走らせる。ペットボトルのジュース一本に対するこの慌て様や一人だけ置いて行かれたことを考えても、やはり彼女が先ほどの不良たちとかかわりがある、という訳ではなさそうだ。
その視線を誰何の物と感じたのか、女子生徒は居住まいを正して口を開く。
「改めてになるけど、さっきは助けてくれてありがとうございます。私は―――」
「二年五組の
自己紹介の前に自分の名前を言い当てて見せたジンに、女子生徒―――ナオは呆然とする。
「え? な、なんで私の事……えっと、お話したことあったかしら?」
「いんや、無いけど知ってる。あんた、けっこう目立つらしいぞ」
ジンの言った事は出任せでもリップサービスでもない。五組の於保田ナオといえば、咲森学園の女子生徒の中でも見目麗しいと―――それも、ショーコやタカヒのような「黙っていれば美人なんだけど」といった者達とは違う、所謂「正統派・深窓のご令嬢」系美少女だと言われていた。所属しているクラブが、モジュール内でも場所の限られた重力制御の解除区画をぜいたくに使う“ゼロG読書部”であるというのも、そのイメージに拍車をかける要因の一つだろう。
「そんな、私なんて全然っ」
そんな自身の人物評を聞いたナオは、先程と同じくわたわたと慌ててその言葉を否定する。彼女としては自分がそんな高嶺の花扱いされているとはとても信じられないのだが、その態度が男共の目には「慎ましさ」「奥ゆかしさ」と映るのだろう。もっとも自尊心の塊とも言えるジンからすれば、「うじうじしてて鬱陶しい」としか思えないのだが。
「褒められたなら素直に頷いておけば良いだろうが。それとも、俺が鼻の下ァ伸ばしておべっか使ってるって言いたいのか?」
「はなっ!? そ、そうだったんですか!? や、やっぱり私どんくさいから皆してからかって……!」
「いや違うそうじゃねえ! 別に本当にそういうつもりで言ったんじゃねえ!」
内心で、こいつ面倒くせえなと吐き捨てるジン。普段会話する幼馴染が何かとうるさい部類の人間であるだけに、ネガティブ且つ頭にドの付く天然という人種はジンにとっては未知の存在であった。
「あんたさあ、なんでそんな後ろ向きなんだ。ンな風におどおどしてるから、さっきみたいな連中に付け込まれるんじゃねーのか?」
不良たちの去って行った方向を指で指し示しつつ言うと、ナオはやはり俯いて黙り込んでしまう。
煮え切らないその態度がやはり気になって、ジンは苛立ちを飲み下すように、再び炭酸を呷った。
「……ようするに、あんたは―――」
「―――自信がない、ってことですか?」
ようやく柔らかくなったアイスをたいらげたミツルが鋭い頭痛に呻いたのち、先程のリオンの言葉の真意を問う。年上の女性に言うには失礼かな、と躊躇いがちに放たれたその言葉に、しかしリオンは静かに頷いた。
「もしかしたらね。草蔵くんは特別な人だから、あんな風に活躍できたのかもしれないって思ってた。だから草蔵くんや時縞くんと違って、私は役に立てないんじゃないかなぁって……」
言葉を切ったリオンの口元から、ふっ、と笑い声が漏れる。彼女にしては珍しい鼻で笑うようなその声は、誰でもない、リオン自身に向けられていた。
「言い訳だよ。さっきも会議してて、私だけなんにも出来なかったの」
リオンの一人称が“私”となっていること―――教師としての自分を取り繕い、年長者としての態度を見せる余裕すらなくなっていることに、ミツルは未だに気付いていない。
けれども、リオンがなにやら弱っていることだけは、その力ない声から察することが出来た……ミツルにしては、本当に珍しい話だが。
「でも、七海先生は頑張ってるじゃないッスか。そりゃあ俺達もそうだけど……それに、貴生川先生だって居るんだから」
「けど私、ホントになにも出来てないよ!」
ミツルの声を喰い気味に、大声が上がる。言葉を遮られたミツルはもちろん、声の主であるリオン自身も、驚きの表情を見せていた。
「ご、ごめんね怒鳴ったりして」
「いやそれはまあ、別に……って気にしてません! 気にしてませんから顔上げて!?」
呆然としていたミツルであったが、教え子に大声を上げてしまったと気付いたリオンの謝罪に我に返ると、頭を下げるリオンを慌てて手で制す。
そのまま黙り込んでしまうリオンに、ミツルは何と声を掛ければいいのか皆目見当がつかない。
(参ったな……リオン先生、えらく弱ってるってのは解るけど)
頬を掻きながら、ミツルはさてどうするか、と思案する。自慢ではないが、ミツルは十六年に満たない人生の中で、精神的に追い詰められた異性などという存在に触れる機会が無かった。咲森学園の推薦受験を視野に入れてからはなおのこと、恋に現を抜かす暇があるのなら少しでも長く走り込みをしなければ、と練習に精を出してきたミツルはその目標を達成してから初めて、自分以外の他者に異性としての目を向ける余裕を持ったのだ。この辺りは、ショーコがその立役者とも言えるのだが―――それはまた、別の機会にとして。
話を戻すとミツル自身、何かショックを感じることがあっても、そもそも物事を深刻に考える性質では無い為に精神的に追い詰められるという経験が無い。
結果として、今のリオンに「大丈夫だ」と軽々しく言ってしまうことになった。
(そういえば俺、七海先生のこと何も知らないよなぁ)
ここにきてミツルは、七海リオンという女性のプライベートを全く知らない自分に気付く。教師としてリオンが上手く生徒との距離を保っていたというよりは、ミツルの幼稚さが原因だろう。事実、落ち込むリオンの気分転換になりそうなことをミツルは全く知らなかった。
(落ち込んでる人には気分転換が必要とか言うけど……)
寝れば忘れるとでも言うべきか、それとも大人には酒を勧めれば良いのか。そもそもリオンの趣味とは何だろうか。
これが陸上部所属のミツル自身であれば、いつもの休日の過ごし方と同じように学校のトラックを何週か走っているうちに気も紛れよう。だが、それがリオンも同じかどうかと言えば、ちょっと自信を持てそうにない。
(俺が先生に勧められるようなこと、かぁ……つったって、気分転換って言ったら普段やらないような事だろ? そもそも七海先生が普段やらない事なんて知らな―――)
そこまで考えを巡らせたところで、ミツルの脳裏にふと閃く物があった。
普段やらないどころか、今までにリオンが一度も体験してい無さそうな事を、自分は確実に一つ知っている。良かれ悪かれ、新鮮さという点ではこれに勝るものはないだろう。
「……先生、あのロボットに乗ってみませんか?」
不敵に笑うミツルの言葉に、リオンはきょとん、と目を瞬かせた。