Fate/Apocrypha/Quantum   作:うおぬま

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Ⅱ - 死神犬

 

 ロンドン 某所

 

 城を思わせる絢爛な建築様式に彩られたロンドン市内のとあるホテル。

 一般市民であればひと晩以上滞在することもままならないようなそのスイートルームのソファに、イザイ・エルトナムは一切の衣類を纏わず寝ころんでいた。

 空調は裸の彼女にも快適に感じられる温度に整えられていて、服を着ている者にはかえって暑苦しいほどだ。

 磨き上げあげられた調度品の数々も、テーブルに置かれたティーセットにも目も止めず彼女は目の前のタブレットPCを眺めて何かを呟いている。

 ディスプレイには何を示すかもわからないような数式が現れては消え、現れては消えていく。

 

「……」

 

 濡れたままの髪の毛から水滴が画面に滴ると、見かねた様子で彼女の目の前に一つの影が浮かび上がる。

 

「いくらサーヴァントの目の前でも、多少の分別と羞恥心は持ってほしいのだが……」

「君だって似たようなものだろキャスター。裸に布切れ一枚、タオルやバスローブを巻いているのと何が違うんだ?」

「こ、これは他の衣類を身に着けるとローブの魔力が……」

「それでも下着くらいはつけるでしょ普通。私が言うのもなんだけど」

 

 どうってことはない様子でイザイは何も隠すことなく堂々と立ち上がった。

 キャスターと呼ばれた十代ほどの少女は同性であるにもかかわらず頬を赤らめてうつむく。

 彼女の体を覆ているのは年季の入った白いローブのみ。

 

「いや、というか君たちの世界に下着の概念はあるのか? 君くらいの頃の外見なら丁度ブラジャーと呼ばれる下着を……」

「やめろ! 君、僕の真名を理解した上でからかってるのか?」

 

 声を荒げてキャスターは抗議するが、これはむなしく部屋に響くのみ。

 

「……ずいぶんと余裕な態度じゃないか。私はこの聖杯戦争の経緯を君から聞いた時は卒倒するかと思ったけどね」

「まったく神秘も何もあったものじゃない」

「"つまらないもの"に巻き込まれた、と思っているのなら謝ろう」

「はじめから君の一人勝ちじゃないか、他のマスターが知ったらなんて顔するか」

「そうとも限らないよ、キャスター?」

 

 ふてくされるキャスターに、イザイは優しい声で反論する。

 

「現にさっそく始まったみたいだからね。先ほど交通システムを監視していたミランダから連絡が入った」

 

 手にしたタブレットの画面をキャスターに見せながらイザイは続ける。

 

「セイバーのマスター、魔術師じゃない。ただの民間人がサーヴァントを召喚した。どう思う?」

「何だって……?」

「聖杯戦争の参加者は聖杯が選ぶと言われている。聖杯が間違えてなんの魔術知識を持たない人間に令呪を与えるなんてことがあると思うか?」

「……そのセイバーのマスター、もしかして」

「ああ、おそらく君の考え通りだ」

 

 イザイの顔が明るくなる。

 

「ともあれ"第一段階"は突破した。そこで次の段階に移ろうと思うが……キャスター、君の仕事は少し面倒になったな」

「導くことくらい、なんてことはない。いざとなったらこの"指輪"で……」

「いや、宝具は極力温存してくれ。それとは別にもうひとつやらなきゃいけないことがある」

 

 宝具を使うなというお達しに、さすがにキャスターも表情をげんなりとさせた。

 

「君はとことん人使いが荒い! それでもう一つの仕事って、何だい?」

「"死神犬"だ。通行人を片っ端から襲っているらしい、魔術師民間人問わず、ね」

「……穏やかじゃないなそれは」

 

 イザイは自身のサーヴァント会話を続けながら、よくもまあこのキャスターは表情がころころ変わると意外な印象を受けていた。

 彼女にとってこのキャスターもまた座によってえらばれた英霊の一人であり、出典こそいささか特殊ではあるが偉大な大魔術師として名をはせた人物であることは確かだ。

 

(これもまた、"あの子"の影響によるものか?)

 

「遅かれ早かれ、監督役も動き出す。あとはタイミングだ。ライダー討伐のための手法は君に任せる、ただし……」

「それも、宝具は極力使わないで……か。まあ手が無いわけではないよ」

「さすがは私のサーヴァントだ。智慧が回るようで私もうれしい。本に間違いはないようだな」

 

 ソファから立ち上がって彼女は裸のままキャスターに歩み寄る。

 キャスターは気恥ずかしそうにうつむいて顔をそらして。

 

「間違っているとしたら、僕のこの容貌が間違っている! サーヴァントに排泄や入浴の必要が無くて良かったと、本気で思っているよ」

「座の趣味としか言いようがないな、今のところは」

 

クスクスと笑いながらイザイは素っ気なく答えた。

彼女が窓の外を見やる。

ロンドンではすでに日が暮れ始めていた。

 

「外の世界は素晴らしいな。かわいい子には旅をさせるべきだ」

 

 

 

***

 

 

 

 ロンドン 某所

 

 ――再び夜がやってくる。

 雲からにじむ月の光と街からの明かりが混ざり合い、空は混沌とした色を呈していた。

 昼と夜の境も分からない領分で今宵も摩天楼に不気味な獣の遠吠えが響き渡った。

 野次馬の喧噪、パトカーのサイレン、群衆の渦中に横たわるのは男性の死体。

 目が眩むほどの明かりが狭い現場を照らし、警官たちは一切の証拠を逃すまいと躍起になる。

 

 一台の車が現場の前に止まり、長いコートを首までしっかり留めた痩せた男が降りて来た。

 彼が登場したのと同時に群衆の中からカメラを持った者どもが一斉に押し寄せる。

 車からテープの向こう側へはわずか数十メートルの間だが、その間にも彼は何十という報道陣からの質問攻めにあうことになる。

 

「今回の事件も、例の猟奇殺人と関係があるのでしょうか?」

「一連の事件について、警察が過度な情報統制を行っているとの噂が上がっていますが…」

「本当に"死神犬"の仕業だと、お考えなのでしょうか、アバーライン警部?」

 

 アバーライン警部は報道陣の質問に答えることなく、一切表情を変えないまま人込みをかき分けるようにして現場に入っていく。

 

 ――本当のことを話したとして、真に受ける人間はどれほどいるのだろうか。

 

 この世界有数の先進国で、聖杯をかけた殺し合いゲームの参加者が魔術師を殺して回っている、か。

 刑事であり、聖堂教会の神父でもある彼にとってこの問題は厄介なものであり、かつ愉快なものであった。

 

 仏頂面の裏側で周囲をあざ笑っていると、彼の部下のひとりが歩み寄って状況を報告し始めた。

 

「……今回も、"ライダー"の仕業か。だんだんと新しい体が馴染んできているようだな。厄介なことになりそうだ」

 

 刑事は現場の裏通りに残された血痕と、死体を苦々しく眺めた。

 体は異邦人のもののようだ。

 わずかに残っている人間らしい特徴からアバーラインはそうだと断定した。

 体は噛み千切られていて、いくらかの臓器が欠けたまま投げ出されている。

 肉はそがれ、骨や脳が露出していて、非常に損傷が激しいものの、彼はなんともない様子でじっくりとそれを検めた。

 やがて立ち上がって部下を呼んだ。

  

「……何かわかりま……うっぷ」

「マスコミへの対応は私がやる。ミランダに報告しろ、ライダーの"討伐"を提言する。これ以上かばうのは無理だ。そのうち本当に取り返しのつかないことになるぞ」

「……りょ、了解」

「無理もない。今どき切り裂きジャックでもここまで派手に食い散らかさないからな」

 

 刑事が指をさすと、彼の部下は力なく敬礼して現場を離れていった。

 

「残念だ。早くも聖杯戦争のカードが一枚脱落とはな……やはり亜流の聖杯戦争ではこの始末か」

 

 地面を眺めるアバーライン。

 石畳の地面に獣の足跡が青く鈍く残滓のように光っていた。

 

 そんな彼のはるか上空で、ビルディングの上を飛ぶように移動する影が二つ。

 

 

 

***

 

 

 

 ――どこだ。

 ――どこだ。どこだ。どこにいる、魔術師。

 ――食らいつくしてやる、何もかも。

 ――お前も、お前も、お前の仲間たちもすべて。

 ――根から絶やしてやる。

 

 "セルデン"は自身でも驚くぐらいにこの体に秘められた力に順応しはじめていた。

 人を食らえば喰らうほど体は羽のように軽くなり、そしてまた新たな衝動が彼の四足を駆り立てた。

 赤い飛沫の混じった黒い毛皮の犬は都会に吹き付ける風のごとく街を走り去る。

 

 ――心地よい。

 

 獲物を前に犠牲者が向ける表情こそ彼の唯一の糧であった。

 

 ――憎いか、この俺が憎いか。

 ――報いだ、これは驕れる魔術師どもへの報いだ。

 ――もっと憎め。残酷な死の運命を。

 ――その憎しみが俺をもっと速くするのだ。

 

 ビルディングの凹凸をものともしないスピードで死神犬は走っていた。

 次の獲物はおのずとわかった。

 手足が龍脈をたどり、鼻や耳が魔力を感知する。

 

『……!』

 

 不意に死神犬の動きが止まる。

 自らに近づく者の気配を察知してビルの頂上にあるヘリポートの上で待ち構えることにした。

 月明かりも朧なその場所で、四方に輝く赤いランプがきつくそのサーヴァントを照らしていた。

 

「問おう」

 

 直立した老紳士が、ライダーの反対側から歩み寄る。

 やがて白髪と赤く照らされた険相が見える。

 

「お前か、私に待ち受ける"運命"は?」

 

 現れたバーサーカーを前に、答える代わりにライダーは低くうなり呟く。

 

『魔術師』

「大層な姿だな。"運命"というものは」

 

 ライダーを前にして、バーサーカーは朗々とした声で言葉を続ける。

 さながら舞台役者のような言い回しで。

 

『そうだとも、俺が運命だ。死の前触れ、誰にも逃れられぬ運命だ!』

 

 ライダーが言い終わるや否や突進する。

 鋭く光った銀色の歯が老紳士をまっすぐにとらえ食らいつこうとした。

 

 だが、死神犬の噛みつきが成功する前に、バーサーカーはたやすく身をひるがえした。

 コンクリートの地面は轟音と共に抉れる。

 そのまま脇を見せるライダーの脇腹に一撃、右腕のストレートを加えた。

 

『……!?』

 

 低い吠え声が上がり、ライダーは吹き飛ばされた。

 ヘリポートを囲むフェンスに直撃して勢いは相殺されたが、フェンスは歪に曲がり次はない程に変形した。

 床に描かれたアルファベットのHは激しく損傷し、床には踏ん張るための爪痕が線を遺した。

 

 ライダーは目を見開いて、今しがたこの巨体を殴りつけた敵の存在を観察した。

 どう見ても戦闘向きではない時代を感じさせたヨーロッパ風の洋服に身を包むその老紳士に、とうてい巨体を殴り飛ばすほどの芸当があるとは思えない。

 

「私が傷つくことなど、運命が許すものか」

『…なるほど、お前も俺と同じような存在、サーヴァントってわけか』

「運命とは時に嫉妬深いものである。天才が夭折するように、運命とは絶頂期にある者に残酷な仕打ちをする」

『……はぁ?』

 

 バーサーカーが洋服のポケットから何かを取り出す。

 

「我がクラスはバーサーカー。お前の運命を、私が乗り越える」

 

 太い腕の先で輝く白い指揮棒。

 バーサーカーが右腕を振りかざすと、どこからともなく『音』が響いた。

 

 眼前の敵にひと振り、音は腕のように質量をもち、ライダーを殴りつける。

 

『がっ……!』

 

 よろめくライダーだが、四股をコンクリートにしっかり食い込ませて持ちこたえる。

 

「私の音楽魔術はいかがかね。身をもって芸術を知りたまえ、運命よ!」

「おお神よ! 汝が私に与えた試練を! いまここに! 私は両腕でもって抱擁せん!」

『意味わかんねぇ……てめぇみたいなのが、一番ムカつく』

「……」

 

 再び指揮棒の一振り、重厚な腕が現れると握りこぶしを作って上からライダーを叩き潰そうと振り上げた。

 だが、腕が振り下ろされるよりも前に今度はそれが真っ二つに断ち切られた。

 そこからわずかに遅れて肉の裂く音が周囲に響き、バーサーカーの呼び出した音楽魔術は妨害を受けて霧散した。

 

「……おお! いやしくも死というものは付きまとうか、私を!」

 

 上空に浮かび上がる影、バーサーカーが上を向くとライダーがどこからともなく口に大鎌を咥えてとびかかろうとしていた。

 

『死にやがれ、大根役者が』

 

 そして禍々しい黒い刃の一閃が弧を描く――

 

 

 

 大鎌の一撃は軌道を逸らされた。

 ライダーの攻撃はバーサーカーに当たることはなかった。

 

『……どういうことだ』

「先ほども言ったはずだ。私が傷つくことなど、運命が許さない」

 

――どう見ても直撃だったはず。

 

 セルデン・オースティンは再びヘリポートの上で距離を取り、この老人の秘密について思案を巡らせる。

 魔術師ではない彼にとっても、目の前のバーサーカーの持つ力がサーヴァントに与えられた能力であることに気が付くのはそう遅くはなかった。

 

――今はまだ情報が足りない。

 

 

 

「流石に気付かれたか……だが、気付いたところでもう遅い」

「この聖杯戦争……いけるかもしれない」

「ライダーを倒して、このまま勢いついでに勝ち進む!」

 

 ヘリポートから数百メートル離れた場所、住宅街の公園で一人、眼鏡の青年は握りこぶしを振り上げた。

 

「俺のバーサーカーは……最強だ!」

『調子づくのはいいがな、マスター』

 

 意気揚々とするエハッド・ティーレマンの窘めるように、バーサーカーの念話が聞こえてくる。

 

『勝利を確信するのはまだ早い。運命とはいつだってお前のような者を常に引きずりこむ』

 

 バーサーカーとは思えぬ理知的で冷静な声が伝わってくる。

 

「わ、わかってるさ!」

『だが、心意気は良い。その調子だ』

 

――死神犬、恐るに足らず!

 

「まず一人、脱落だ。バーサーカー、一気に……!?」

 

 死神犬へのとどめを命じようとしたその瞬間、エハッドに悪寒が走る。

 すぐ近くで急に強大な魔力の気配を感知したからだ。

 慌てて振り返って正体を確認すれば、エハッドのすぐ目の前まで砲塔を抱えた大男が立っていたのだ。

 

「よう! さっきの言葉から察するに、お前がバーサーカーのマスターか?」

「……あ、アハハハ。何の事かな……」

 

 アーチャーがニヤニヤしながらエハッドに問いかける。

 顔から魔術回路にいたるまでを真っ青にして、目の前の青年はただただごまかし笑いをするしかできなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「……むむ。了解した、すぐに戻る」

『……?』

「運命が決断を先延ばしにすることもある、だが、先延ばしにすればするほど、決断というものはより重大で深刻となる」

『相変わらず何を言いたいのかさっぱりだが、もうやりあう気はねぇってことか』

「さらば!」

 

 ライダーが最後まで言うや否やバーサーカーはあわただしくヘリポートの地面をけり上げて、摩天楼の中へ小さくなっていく。

 

『……あのバーサーカー、厄介だな』

 

 ふとライダーはバーサーカーが撤退した理由を自問した。

 そしてその答えは己を"召喚"したあの老魔術師との一件の中に見出す。

 

――マスター……魔術師、なるほどな。

 

 死神犬の顔が醜くゆがんだ。

 今宵も冷たい遠吠えがロンドンの街に響き渡った。

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