ロンドン 某所
エハッド・ティーレマンが振り返る。
彼の眼前に堂々たる立ち振る舞いをした大男の胸板が広がる。
動揺と、焦りと気恥ずかしさがごちゃごちゃとなった頭のまま、ようやく振り絞ったような掠れた声が出てくる。
「は、ハハハ……何の事かな?」
(緊急事態だ、バーサーカー!)
念話を通してエハッドは自らのサーヴァントに撤退命令を出す。
だが、エハッドの警戒を気にも留めず、余裕の笑みを浮かべたアーチャーが立ち尽くすのを見て目を丸くした。
――絶好の機会だというのに、このサーヴァント。
マスターを失ったサーヴァントは現界を維持できず消滅する。
それはすなわち聖杯戦争での敗北を意味する。
ここで彼の手に持った砲塔がマスターを狙えば、間違いなく彼は消し炭となっていただろう。
「おっと、事情が事情なんでな。安心しろ、お前たちの命を狙いに来たわけじゃない」
「……お前、アーチャーか? どういうことだ、マスターはどこにいる?」
「ここからは離れた場所にいる。そこから先はお前の態度次第だ。バーサーカーのマスター」
アーチャーは砲塔を脇に立てて、仁王立ちのままエハッドに提案する。
「名前は?」
「エハッド・ティーレマン」
「お前は魔術師だな?」
「どういう意味だ?」
「……いや、それならいいんだ」
アーチャーの問答はエハッドが答えるごとに数秒遅れて帰ってくる。
彼が念話を通してアーチャーのマスターと何かを相談しているのはエハッドにも明白だった。
「……お前のバーサーカーは?」
「ライダーを追っていた。じきに戻ってくる」
「ライダーのサーヴァント……今、街で暴れているあのサーヴァントか?」
「魔術師として魂食らいを放っておけない。神秘の漏洩という危険性もあるからな」
「ふむ……」
『アーチャー、バーサーカーのマスター、同盟を組むに値するかしら?』
『正直なところ、頼りない。俺がここまで接近しているにもかかわらず気づいていない様子だったしな。戦いに関してはずぶの素人も同然』
『まあ、ティーレマンの一族だものね』
念話を通してシャルロットの落胆した声がアーチャーに聞こえてくる。
「ふむ……」
品定めするアーチャーの視線を余裕と感じ取ったのか、エハッドが反論する。
「そうだよ。俺はティーレマンの長男。のらりくらりと生きて来ただけの田舎者さ」
「おっと……心を読まれちまったようだな」
悪びれる様子もなくアーチャーは返す。
「だが――」
エハッドは続ける。
「俺のサーヴァントは違う……お前がどんな英霊なのかはまだ分からないけど」
「死ぬためにこの聖杯戦争に参加したんじゃない。勝つためだ!」
「舐めるなよアーチャー」
『バーサーカー!』
『……』
エハッドが振り返る。
だがマスターの期待とは裏腹に、ただ何の不意打ちをするわけでもなく、壮年の男はゆっくりとこちらに歩み寄るだけ。
近づいてきたシルエットをニヤニヤと眺めていたアーチャーは、その姿を次第に視認するにつれて元の真顔に戻っていった。
「バーサーカー! どうしたんだ? 先制攻撃のチャンスだったのに……」
「……よもや、このような形で出会うとはな」
エハッドの追及を無視してバーサーカーは眉間にしわを浮かべて呟いた。
「お初にお目にかかる、というべきか。皇帝ナポレオン」
「俺を知っているのか。いや、その外見、噂には聞いたことがあるがまさか……」
『アーチャーの真名を見ただけで……!?』
『ああ、こいつはどうやら――』
「我が真名は、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。これも縁と呼ぶべきかな、英雄(エロイカ)」
「そうか、お前がベートーヴェン……」
『大した相手になりそうだな』
***
ロンドン 某所
『ベートーヴェンですって? あのベートーヴェンが、バーサーカー?』
『英霊の座というのは、"縁"ってもんが大好きみたいだな。それにしても……』
「まさかお前が、サーヴァントとはな」
「いつかは相まみえると、私はそう期待していたがね」
少しの緊張と沈黙が続いたが、先に堰を切ったのはアーチャーの豪快な笑い声。
「なるほど、確かにお前の生き様は狂ってなければそう簡単には辿れまい!」
「盲点だったよ。俺はてっきりネルソンでも連れてくるのかとビクビクしていたが」
「……」
笑い声をあげるナポレオンとは対照的に、ベートーヴェンは静かに、ただ一歩も動かず立ち尽くす。
薄く開いた目が並々ならぬ意思をもったまま、じっくりとアーチャーを見定めようとしている。
そして、一言、
「……浅はかなものだ。これがかつてヨーロッパを征服した男とはな」
と一蹴した。
「言ってくれるじゃねぇか。ああ、確かお前は俺の顛末に失望し、曲の題名を書き換えたんだったか?」
「だがな、"狂戦士"よ。俺にもひとつ納得できないことがある」
先ほどまでの笑い声からトーンが急激に下がる。
空気が緊張し、振幅は増大し、その場にいた魔術師の鼓動を急激に高鳴らせる。
「お前程度の存在が、どうしてサーヴァントになれる?」
「手厳しいな、エロイカよ」
「私がなぜサーヴァントになれたのか、だと?」
「ここでその理由を確かめてみるのも悪くはなかろう」
袖に手を伸ばしたバーサーカー、気づけば再び彼の手には指揮棒が握られていた。
「私は"人"の力を見定める者、"人"の力を信じる者。人々の願いであり、守護者であり、運命であるからだ」
「……ほう?」
バーサーカーの敵意を見て、アーチャーも抑えていた魔力を解放する。
濃い魔力の風がせめぎあい、ふたりのサーヴァントと、その後ろの魔術師を強く吹き付けた。
「抑止力……それって抑止力のことを言ってるの?」
「話は後だ、マスター」
「バーサーカー、いけるか?」
「この男には一度説教の一つでもかましてやりたいところだったんでな……いつかはそのチャンスが巡ってくると思っていたが」
「抑止力とやらには感謝しなければ。こうも早く巡ってくるとは。これも運命の導きか!」
そして演奏開始の合図が振り下ろされた。
***
ロンドン 某所
「・・・」
夕暮れシャルロットと別れたあと、セイバーを従えた男は帰路を急いでいた。
付近で起きた猟奇殺人事件に気持ちがはやったカナウ・アルバーンは恐怖と興奮を胸に走り出す。
自分が、魔術師やサーヴァントを相手にどれだけ立ち回れるのだろうか?
聞けばあの殺人事件の犯人は"死神犬"の仕業であるという。
聖杯に呼び出されたサーヴァントでありながら、本来の目的から逸れて街に混沌をもたらす反英雄。
死神犬、見た者に恐ろしい運命を、死をもたらすとされるイギリスの精霊。
事件現場で出会ったアバーラインという刑事が口にしたライダーのサーヴァントが次に誰を標的にするのかも考えたくはない。
ロンドン 某所
「Mr.アルバーンだな」
「えっ?」
通りがかった人だかり、猟奇殺人事件の野次馬に紛れていたカナウは突然刑事の男に話しかけられる。
「セイバーのマスター、カナウ・アルバーンだな?」
「どうしてそのことを…」
「アサシンのマスターから君のことを聞いた。お初にお目にかかる…」
「ひとまず…"おめでとう"といえばいいのかな。それとも"災難だったな"といえば?」
低い声でアバーラインはカナウの応答など気にすることもなく歩み寄る。
「私はアバーラインという。この聖杯戦争の、暫定的に監督役を取り仕切ることになった」
「一応、見届ける身ではあるので、こうしてマスター全員に顔を見せている。ライダー以外はな」
「監督役?」
「聖杯戦争とはいえ、まったくルール無用の凄惨な戦争を行うわけではない、そうさせないために我々がいる」
「もし君が戦争を降りるというのなら、聖堂協会は君を保護する準備がある」
アバーラインはカナウをじっと見据えて少しだまり、そして続ける。
「ホムンクルスの奪還などとアトラス院は言っているが、高い確率で事態はこじれることになるだろう。様々な思惑を持った人間が、動いている」
「私は刑事として、そして聖堂協会の人間として様々な世界、人間に携わってきたが…」
「これは、君の手に追える案件ではないと考える」
アバーラインはテープで遮られた殺害現場の先を指さした。
「あれは聖杯戦争参加者の仕業だ。ライダー、真名をグリムドッグ」
「君もイギリス人なら聞いたことぐらいはあるだろう?」
カナウはこわばった顔で首を縦に動かす。
「どういう事情かは知らないが、あれは今手当たり次第に人間を襲い噛み殺す」
「遅かれ早かれあれは己の目的を達成しようと動き出すだろう。魔術師を喰らい、サーヴァントを喰らう」
「聖杯を手に入れようと、動き出す。いくら命乞いをしようとも獣に言葉は通じない」
「お、俺は…」
「それだけではない」
アバーラインは更に詰め寄るようにカナウに言葉を浴びせる。
「魔術師たちを甘く見ないほうがいい。お前は自分がなぜ死んだのかもわからないままに死ぬ」
「自分が相手にしている存在を、お前も知るべきだ」
ランサーのマスターの、邪悪な笑みが再びカナウの頭に浮かぶ。
―こんなことをして何になる。
―マスターのひとりを脅して、脱落させたいのか。この私が、どうして彼なんかを気にかける?
―決まっている。聖堂教会の人間として、アクシデントに対する最善の対応がこれだと信じているからだ。
アバーラインは自分が目を閉じて思慮にふけっていることに気がついた。
不思議そうにこちらを覗き込む無知な青年を前にぼうっとするように彼は立ちつくしていたが、やがて
「今からでも遅くはない。その気になれば、私のところに来い」
そう言い残して再びテープの向こうへ踵を返していった。
人気のない裏路地に入ったところで、アバーラインはコートのポケットからタバコを取り出そうとして、やめた。
どこへ向かってしゃべることもなく口を開く。
「いるのか、アサシン」
男の背中で黒々と、古びた衣がたなびいた。
次の瞬間には数センチの距離で、ドクロの仮面が浮かぶようにして刑事の後ろに現れる。
「…バーサーカーとアーチャーが戦い、ランサーはライダーは追っている。キャスターは不明」
「さすがの諜報能力だが…初めて声を聞いた。どういう風の吹き回しだ?」
「面白いものを見つけた」
「面白いもの?」
アサシンはゆっくりと"それ"を指さした。
アバーラインには白い仮面がひどく歪んだように見えた。
ロンドン 某所
そのような脅しを受けたのだから、彼の心はひどくかき乱されていた。
手を握りしめていなければ震えが止まらないほどに、刑事の男の語りは冷静で冷酷だった。
『あの監督役の男、妙な男ですね』
走り続けるマスターの隣で、セイバーが静かに声を掛ける。
「聖堂教会…なんて言う割にはまるでカタギの人には思えない風貌だったな」
『それもあるのですが…いえ、どう表現すればいいものか』
「とにかくっ…急ごう。それで無事ならただの杞憂だって笑い飛ばせばいい」
すでに黒く染まった夜のロンドンを駆ける。
遠くで犬の遠吠えが聞こえたような気がした。
「今のって…」
『足を止めないで、カナウ!』
「セイバー?」
『……!』
カナウの前方に突然セイバーが剣先を振り抜く。
そのわずかミリ秒後に金属音が剣先で響き、火花に驚いて彼はのけぞるように尻もちをついた。
「うわっ!」
慌てて周囲を見渡して、火花を起こしたものの正体を探した。
地面に落ちていたのは真っ黒い刃の投げナイフだった。
「ナイフ…! まさかサーヴァントの襲撃か」
「攻撃の瞬間に姿を現す、気配遮断の使い手…アサシンだな?」
セイバは両手持ちの大剣を構えて、前方の襲撃者を見極めようとする。
灯りに当てられ、ガスのようにふわふわと漂う黒い外套に身を包んだドクロの仮面がじっとこちらを見つめていた。
ふたたびアサシンが外套を翻す。
明かりを嫌うように、溶けていくように闇の中へ紛れていく。
「闇討ちとは卑怯なり、アサシン! 姿を表しなさい!」
セイバーの抗議もむなしく、今度は反対方向からカナウの背中を狙う黒塗りの刃の投擲。
「くっ…! 失礼!」
セイバーはカナウの肩を思いっきり掴んで脇に投げ飛ばす。
だが、両手持ちの剣は飛び道具をいなすには小回りも聞かず、おもすぎた。
「ぐぁっ!」
刃はそのままセイバーの肩に深く突き刺さる。
サーヴァントといえ、痛覚は存在する。痛みに呻くセイバーだったが、次の瞬間。
「・・・!」
「まさか」
その表情はさらに蒼白とする。
カナウはセイバーの苦しむ表情を見て、それが何であるかをすぐに理解した。
先日自分があの子どもの魔術師から受けたような、単なる痛みでは収まらない呪いのような……
「毒か!」
「・・・あっけない」
アサシンは初めて彼らの前で口を開いた。ため息混じりの、失望の声だ。
「最有のクラスだと聞いて呆れる。よもや宝具も目にすることができず脱落とは」
アサシンと思しき仮面のサーヴァントが負傷したセイバーを指差して静かに告げる。
「並の医療魔術ではどうにもできない、毒物の生成には心得があってな」
「放っておいても明日までその体が持つことはない」
「お前は聖杯戦争にふさわしくはない、疾く消えろ」
そして外套の袖から再び黒塗りの刃が飛び出し、アサシンはそれを手に構えた。
「セイバー! 大丈夫か」
「いえ、まだ大丈夫です。このぐらいの毒、どうってことは…」
セイバーはよろめきながら立ち上がる。両手に持った剣の切っ先は震えているが、戦意を失ってはいない。
―とはいえ、戦力差は絶望的。
―アサシンのマスターは位置がわからず、こちらのマスターは魔術師ではない。
―加えて私は…。
「……く、やむを得ないか」
セイバーは振り返るとカナウの方を向いた。
そしてアサシンには背を向ける格好となったが、それを逃さぬアサシンではなかった。
すっと軽い身のこなしで、刃を投げたアサシン。
―諦めたのか? 最後にマスターをかばおうという粋か?
黒塗りの刃がセイバーに到達するまでのわずか数秒以下の世界。
アサシンには興ざめの気持ちと、圧倒的な勝敗結果に対する罪悪感すら抱く寸前であった。
「令呪を持って命ずる! 離脱するぞ、セイバー!」
アサシンの落胆は杞憂に終わり―
トドメの一撃は標的に当たることなく夜の闇に吸い込まれていった。
***
カナウが右手の甲に宿る令呪に力を込めると、軽やかにそれは発動した。
高貴ささえ感じさせる赤の輝きがカナウとセイバーを包み込むと、周囲の世界はあっという間に見えなくなり、代わりに次に見えたのは見慣れた自分の家の前に続く道路だった。
「……だ、大丈夫かセイバー」
「なんとか……見事な判断だと感心しています、カナウ」
彼がセイバーの傷を見ると、すでに鎧の隙間から赤黒いシミが広がっている。
刀身そのものはそれほど大きいものでもないにもかかわらず、傷からは流血が止まらない。
「解毒が必要です…シャルロットならあるいは、どうにかできるかもしれませんが…」
「街は今アサシンに、グリムドッグもいるっていうのに……くそっどうしたら」
カナウはふと自分の右手を見た。使用した令呪一画ぶんの痣がこすったかのように消え去っていた。
―正しい判断だったと思う。あの状態でアサシンと戦っていても勝てはしなかっただろう。
―とはいえ、浅はかだった。自分の油断が恨めしい。こんなにも早く窮地に陥るなんて。
カナウはもう一度令呪を使うことも考える。
もしかしたら、この令呪をもう一画使えば解毒も可能ではないのか、と。
しかしながら彼にその度胸がなかった。
ただでさえ彼にとって謎が多い代物であるし、確信がなかった。
今回の離脱だって無我夢中で祈りを込めたものが偶然にうまくいったのだから、彼のここまでの戦績ははっきり言って幸運に幸運を重ねただけの散々な戦果である。
その事実に足がすくむ。この英霊に対して、自分はまだ何も応えてやれていないのだ。
―何が、一緒に真名を取り戻す手伝いをする、だ。
―思い返せばなんと、恥ずかしい。
自分が過去の英霊と対等に会話して、あまつさえ手伝うだって?
―いけない、今はそれよりも。
「一度応急処置をしておこう。人間の処置がどこまで効果があるのかわかんないけど、それからシャルロットのところへ……」
「あら、私もちょうどあなたに用があったところなのよ、カナウ・アルバーンさん?」
カナウとセイバーが振り返る。
立っていたのはシャルロットとその後ろでほくそ笑む少女姿のローブを纏った魔術師。
笑顔の少女とは対照的に、その声はとても冷たい表情で今にも殺そうとしかねないような気迫が見られた。
「話があるんだけど」
遅くなってしまってすみません。ぼちぼち連載を再開します。