ロンドン 某所
夢を見た。
いや、夢であったのかどうかも定かではない。
暗い闇の中で浮かぶ自分の体を、後ろから引っ張る影があった。
自分と全く同じ姿をした何かがいくつもいくつも、折り重なるように現れ、膨れ上がる。
口々に呪いを吐いては引きずり込むようにもたれかかり、取り込もうとする。
「どうしてお前だけが」
「なぜなんだ」
「私達も連れて行け」
目に光はなく、体はねじ曲がり、血を吐き、嗄れ、崩れ落ちる。
その光景になすすべもなく、恐怖し、震え上がり、声も出ず。
調整槽で目が冷め、怯えた表情でガラスを叩く裸の彼女を、アトラスの錬金術師は恍惚と眺めていた。
工房は暗く、調整槽や周囲のディスプレイが放つ明かりだけが周囲を照らす。
「人間で言うところの生存本能か、あるいはもっと高次のサバイバーズ・ギルトか……」
「この段階で意思を持った行動が伴うのは初めての事例だな。ふむ……」
イザイ・エルトナムは腕を組みぶつぶつと呟く。
錬金術師の声はホムンクルスには届いていない。
――助けて! ここから出して!
それはホムンクルスの声も同様である。
液体の中は息苦しさこそない。
しかし寝ても覚めても不安を訴えるほどには異質な空間であるということは彼女にも分かった。
「ホムンクルスとはいえ、君は私の "娘" のようなものだ。教育方針を誤るわけにはいかないな」
「より人間らしさを獲得することが君の課題だからね……そのためには、本を読ませるのがいいか?」
「いや、学校が良いかもしれない。そうだな、学校だ。学校が良い」
――ドン、ドン。
目の前の娘の訴えを気にすることもなくイザイは独り言を続ける。
「いや、学校はダメだ! 近頃は問題行動を起こす教師も生徒も多いと聞いている」
「いじめなんかに合えば、この子の人格形成に多大な影響を与えることは間違いない」
――ドン、ドン。
「家庭教師を雇うにしても、こんな辺鄙なところにまで人間がやってくるとも考えにくい」
「……私の結婚生活、私の子どもとの暮らしはそれは散々なものだった」
「私は母親に向いていないのだと、痛感させられた」
「ああ、思い出しただけで恥ずかしくなるなぁ。興味本位とはいえ何故私は……」
「あんなに不合理で、非効率的で、面白い経験、アトラス院ではどれも得難いものだった」
――ドン、ドン。
「……外の世界が気になるかい、イザイ・エルトナム? 新しい私、新しい人類?」
「旅をしてみたいのか?」
彼女の反応に対する錬金術師の態度は、母親というより、実験動物に対する科学者のようだった。
「だが、逃げるためだけに旅をするというのはオススメできないな」
「……旅には目的がないとね。宛のない航海に送り出すほど私も毒親ではない」
――ドン、ドン。
「それに女の子の一人旅は危険だ。分かってるのかい君?」
――ドン、ドン。
「わかったよ……それじゃあ、旅に出すとしよう」
「実を言うと、行き先はもう決めてある。私も大好きな街だ。治安は……めちゃくちゃ良いとは言えないが」
駄々っ子に困り果てたような調子で、イザイ・エルトナムの独り言は続いた。
手元にあったディスプレイを指で操作すると、調整層の液体に何かが注入される。
――ドン! ドン!
ガラスを叩く手が強くなる。
目を見開いたホムンクルスが恐怖を浮かべた表情で何かを訴えかける。
――いやだ、もう夢は見たくない。
しかし抵抗も虚しく、再びあの闇が訪れるのだ。
――ここから出して、ここから出して……ここから。
そして再び意識が途切れる。
***
「……!?」
膝を抱えて座り込んでいたその少女は、夜中、突然覚醒する。
声を発することはなかったが、呼吸が乱れている・
――またあの時のことを。
止めドメなく自分の周りを満たす緑色の恐怖、その中から眺める景色とはうってかわり、現在少女の周囲には月明かりに照らされたわずかに薄暗い静寂が満たされていた。
感覚が戻ってくる。尻に敷かれたカーペットの感触、インクの匂い、遠くで聞こえる車のエンジン音。
隣の部屋から聞こえる規則正しい寝息。
頭を上げて周囲の安全を確かめているのを見かねて、薄暗い奥から一人の女声が近寄ってきた。
「どうかしましたか」
優しい声が上から降りかかる。声の主は "セイバー" だった。
――セイバー、というのだっけ。
聞けばこのセイバーに随分と助けられていると、ホムンクルスの少女はそう感じている。
外の世界、見たこともない景色、音、匂い、人々に怯え、情報の波に酔う彼女を、セイバーとそのマスターは助けていた。
「ご心配にはお呼びません、私が見張っておりますから、どうぞ安心して眠るのが良いでしょう」
「あなたは寝なくていいの?」
「サーヴァントに睡眠は必要ありません。それに……」
「姫をお守りするのは騎士として当然の努めです」
セイバーはなぜか、自分のことを "姫" と称する。
「ここへ来てから童話をいくつかを読んだわ。私は姫じゃない」
「むむ……まあ厳密にはそうかも知れませんが」
指摘されるとセイバーは困ったように腕を組み考え事をする。
「いやしかし、困りました。でなければ私の存在意義が……」
「存在意義?」
「ええ、あなたがいるからこそ、私がいる」
「あなたという守るべき存在がいるから、こうして私がここにいるのです」
ぽかんとするホムンクルスの少女を前に、セイバーはなおも言葉を続ける。
「私は実のところ、英霊としてはひどく不安定な存在なのです」
「存在するためには誰かの "願い" 強い "理想" がなければならない」
「存在するための証明を必要としている。つまり見届ける者が要る」
――英霊としてはひどく不安定な存在。
自分で自分の言葉を反芻する。
――惨めなものだな。
「とはいえ、それは私の都合。あなたの生きる理由にはなりませんね」
「どうでしょう、姫。あなたには何かやりたいことがありますか?」
「わからない……突然生み出されて、突然放り出されて、ここにいる」
確かに出たいとは言ったものの、その先の世界ののことを彼女はあまりにも知らなかった。
初めての重力に、自らの自重を足で支えることさえ苦悩している姿を、セイバーはさぞ哀れんだことだろう。
ふとセイバーは少女の周囲に目をやる。
カーペットに置かれたままの本一冊を手に取ると笑みがこぼれた。
「ほう……この本は」
「知っているの?」
「生前読んだことがありましてね……なるほど」
ペラペラとページを捲り、そしてしばらくして閉じる。
「あなたはあなたなりに、この世界を捉えようとはしているのですね」
「外の世界は私には刺激が強すぎる」
「だから、まずは本で知識を吸収しようと?」
「カナウ・アルバーンはいい人ね……毎日新しい本を借りてきてくれるの」
「ええ、素晴らしいマスターだと思います」
この異常事態に巻き込まれて数日、カナウ・アルバーンは顔色ひとつ変えること無く、侵食されつつあるこの日常を維持している。
並の人間ではありえないことだ。
何が彼をそうさせるのか、セイバーにとってはひとつの大きな関心事であった。
――だというのに私は未だに。
「どうか、傷つくことを恐れないでください、姫よ」
「今はまだページを捲るだけでも、ともに歩んでくれる仲間がいます」
「そして見つけるのです、あなたの夢を」
「この部屋から飛び出すその時を我々は讃え、また守り通す。この剣に誓ってね」
セイバーの持ち出した剣は、ありふれたものだった。
特別な力は一切ない、ただの剣である。
あるのは持ち主の "夢想" のみ。
「この宝具は私の夢を叶えるもの、あなた方の夢を叶えるもの」
「サーヴァント、セイバー。あなたがたの夢を叶えるもの。それが私です」
「海を裂き、山を削り、都市を生み出し、悪を払い、秩序を生み出す。あらゆる "理想" が私の宝具」
――違う。
――私は卑怯者だ。臆病者だ。
――私は嘘をついている。
――私は狂っている。
――私が見ているものはすべて幻なのだ。
「すぐにとは言いません」
「でも、いつか必ず決断しなければならない時が来る」
「あなたがどう生きるのか、その瞬間、私達も一緒にいるとは限らない」
言葉の一つひとつに高揚感を感じた。
それはどの本からも得難い経験だった。
優しく力う強い声、目の前で膝をつく凛々しい姿。
きらびやかな装備と大きな剣。
すべてが少しだけ彼女を勇気づけた。
***
「セイバー……あなたは自分の真名を、"思い出せない"のではなく、"隠しているの"?」
「……さすがに見破られてしまいましたか」
ふと、気になっていたことについて、ホムンクルスの少女は指摘する。
苦笑いするセイバー。
「笑わないで聞いてくれますか、姫よ」
「あなたがそう望むなら」
「実は……」
――彼女が勇気を出したのだ。
――ならば私もその勇気を見せなければならないだろうか。
――わたしはいつか、カナウに真実を話すことができるのだろうか?
――全てが現実に還ったとき、私の存在はどうなるのだろう。
不安が尽きないのは実のところセイバーも同じであった。
――だが、せめて今この瞬間だけでも。
セイバーはその理由を語り始める。
あまりに愚かな騎士道の、その真実を。
秘密の会話は夜がふけるまで続いた。
第一章はこれで終了です。
次から第二章いきます!ライダーの討伐戦だー!
その前に公開できるだけのキャラデータも次回で公開します。
今回は(グランド)キャスターとセイバー?のみ。