Ⅰ - 討伐指令
聖堂教会 ロンドン支部
魔術師たちの言う"聖堂教会"は非魔術師の想像するそれとは全く異なる形態を持つ。
教義に反する者は、"異端狩り"と称して排除する。
その規模は世界最大であり、騎士団をはじめとする強大な戦力を所有する。
主の御名の下に人類という種の知識の全てを管理を目的とし、これを収める。
そのために魔術を嫌い、長年魔術協会とは争いが絶えない組織の一つであった。
それでもなお、このロンドンにも聖堂教会の支部が存在できるのは表向きには協定が結ばれているからだ。
だから、時計塔の魔術師がこうしてロンドンの聖堂教会に足を運ぶこと自体は何ら問題がない。
また魔術師の根源到達に関しても一応認めているというのが現在のスタンスだ。
最もその水面下では、現在も殺し合いが続いているという噂も絶えない。
魔術協会も聖堂教会も、現在ではその動きも活発ではないが、その組織の巨大さ故に、末端まですべての記録を把握することは困難でった。
だが、"聖杯"となれば話は別だ。
それが神の血を受けた本物の杯であるか否かに関わらず、"聖杯"と称されたそれをみすみす見逃す聖堂教会ではない。
教義によって神秘を収める。
使い道のないものはあとで棄てれば良い。
結果として聖杯"候補"と呼ばれる代物が聖堂教会には数多く存在する。
その多くもまた、時計塔を始めとする他の魔術師組織との血みどろの戦いによって得られたものであるかは明白だった。
その実争いのために聖遺物を求めるのか、聖遺物のために戦うのかを混同し、狂気に走る人間もいた。
――私はどちらだろうか。
集められた聖杯戦争参加者を端から準に観察しながら、アバーライン刑事兼神父は自問した。
――セイバーのマスター、カナウ・アルバーンか。
冴えない外見の一般人、ありふれたロンドンの学生。
不思議な名前をしているが、れっきとしたイギリス人らしい。
この魔術師たちによる異常事態にも発狂すること無く、この戦いに参加する意志が見られる。
常人ではあり得ない精神力だと、アバーラインは評する。
――自棄を起こしたのか?
――とっくに正気など失っており、気力だけでこの場にいるのか?
――それとも、私が人間の精神というものを過小評価しているのか?
人間観察が好きな彼にとって興味の尽きない点であった。
「君がこのような決断をしてくれたことを、今となっては嬉しく思う」
「へっ?」
鉄面皮のアバーラインが突然切り出したので、カナウはあっけにとられて情けない声で反応した。
「サーヴァントに対抗できるのはサーヴァントだけだ。私も聖堂教会の中ではそれなりに武闘派であると自負してはいるが、それでも聖堂教会の戦力には限界がある」
「紛いなりにもセイバーを召喚した君にも、今回の作戦に加わってもらえることはなんとも頼もしい。なにせ……」
一息置いて、アバーラインは今度は全員を見るようにして口を開いた。
「ライダーを討伐するにおいて、コマは多いほうが良いからだ」
「……いま、討伐すると言ったか?」
アバーラインの提言に反応して声を上げたのはランサーだった。
「そのとおりだ」
アバーラインは肯いた。
「本件は神秘の秘匿ならびに異端の排除を目的とする、聖堂教会と時計塔の合同で行われる討伐指令である」
「これより、マスター、サーヴァントによる戦闘行為を一旦禁止とし、各々ライダーの討伐に専念されたし……」
淡々と言葉を続ける。
「これはライダーの消滅が確認されるまでを期間とした特例の措置である。ライダー討伐後、最も貢献したとされるものに、時計塔から褒賞が与えられる」
「そのライダーってそんなにやばいやつなのか? 監督役さんよ」
ランサーが尋ねる。
「ライダー、真名をグリムドッグ……だがその霊基は通常のサーヴァントからいささか逸脱しているようだ」
「調べによれば召喚の折にそのままマスターを殺害、回路ごと食らったことで体に令呪を宿しているらしい」
「延命のために魂喰らいを続け、特に魔術師を嗅ぎ分けこれを食らい付くしている。犠牲者はすでに数十名」
「すうじゅ……!?」
数を聞いてカナウは絶句する。
通常サーヴァントはマスターの存在なしに現界できない。
しかしサーヴァントがマスターからの魔力供給無しで現界するには様々な方法がある。
そのうちの一つが魂喰らい。つまり、魔力を持つ人間を襲い、直接糧とすること。
「当然グリムドッグは秘匿などお構いなしにこれらの殺人を続けている」
「私が警察側に入り込みなんとか情報統制を試みているものの、噂も広がりつつある」
「すべてが白日のもとに晒されるのも時間の問題だろう」
――そこで、だ。アバーラインはシャルロット・ロジェを一瞥する。
「ライダーから聖杯戦争の参加権を剥奪し討伐することでこれを防ぎ、聖杯戦争を続行する」
「……ちょっといいかしら、アバーライン?」
どこからか声がする。
よくよく声の出どころたぐってみると、それはアサシンがちょこんと膝に載せた白いドローンだった。
「私達は、これが『ホムンクルスの奪還作戦』だと、イザイ・エルトナムから聞いていたのだけれど」
「ええ、ライダーの討伐の目的はわかりましたわ、でも……」
「もう目的は達成されたのだから、聖杯戦争を行う理由もないのでは?」
ドローンから映し出されたホログラムの女性はまっすぐカナウと、その隣の少女に向けられていた。
「勇敢な一般市民がホムンクルスを保護し、アトラス院に護送、返還する。それでこの物語はおしまいでしょう?」
「……おっと、そうだったな」
悪びれた様子もなくアバーラインは訂正する。
「もちろん彼はライダーを討伐したあとでホムンクルスをアトラス院に返還する。それでロンドンでの騒ぎは集結する」
「……っ!」
すべてのマスターの視線がカナウに集まる。
「……この子はどうなるんですか?」
「わかりかねる」
震えた声で叶うが尋ねる。だがアバーラインの返答は事務的だった。
「ここで変な気を起こすなよ、凡夫」
立ち上がって抗議の声を上げようとするが、彼は彼の思う一番意外な人物に止められる。
リャオ・ファンが警告する。
「聖堂教会と時計塔の魔術師が集っている今ここで暴れて、どうなっても知らないからな」
「リャオ・ファン……?」
「キャスターのときは敷地の外だったからな。でもここは違う」
「僕たちは今ようやく、利害の一致という最も信頼できる条件で結託しようって言ってるんだ」
「いい加減現実を見たらどうなんだ。だいたいお前はいつもいつも、出たとこ勝負にたまたま勝ってるだけの一般人だろ」
「せいぜい、セイバー現界のための電池としておとなしくこき使われてればいいんだ!」
「……くそっ」
――言葉とは対照的にあの生意気な少年がこの場では随分と冷静だ。
自分よりも年下の男に咎められて、悔しく思いつつもようやくカナウは状況をよく理解した。
――やっぱり狂っている。時計塔も、聖堂教会も。
***
「ライダー討伐にあたってもう少し、情報が知りたいのですが……」
新たに手を上げたのはエハッド・ティーレマンだった。
「グリムドッグって……あの死神犬のことですよね?」
「そうだ。運命の予兆、死の前触れを意味するヨーロッパに伝わる伝承だ」
アバーラインは続ける。
「イギリスにおいて、墓地に最初に埋葬された人間は死神犬になるとされる。古い十字路に出没し、出くわした人間に死をもたらすとされる妖精だが、そのあり方には様々な通説がある」
「ひとつは"ワイルドハント"、そして妖精王オベロンの配下、それから」
「シェイクスピアによれば、女神ヘカテの猟犬を起源とする場合もある」
「妖精王だって…?」
「イギリスの妖精……知名度による補正は計り知れないでしょうね」
シャルロットは冷静に分析する。
「召喚されるサーヴァントはその地での知名度に影響を受けることがあるものね」
アーチャーを尻目に彼女はつぶやく。
「バーサーカーはすでに、ライダーと戦闘になったと聞いている、どう思う?」
アバーラインは今度はバーサーカーとそのマスターに問う。
ランサーが口笛を吹くが、アバーラインに睨まれ口笛を止める。
「そういえば、バーサーカーにしちゃあずいぶんと大人しいなこいつ……何者なんだ?」
「……」
「おい」
「……」
アバーラインの問いかけにも、ランサーの問いかけにもバーサーカーは答えない。
「バーサーカー、聞かれてるぞ」
「むむ」
情けないいびきが聞こえて、バーサーカーは目を開いた。
「お前、寝てたの……? この状況で?」
「ここは静かすぎる。耳の聞こえにくい私には地獄のような場所だ」
「……ハァ」
「そうだな……かの死神犬の身体能力は群を抜いている。攻撃力、スピードともにかなり上位クラスと思われる」
腕を組んでバーサーカーが以前の邂逅を思い出す。
「この地における死神の権能を存分に振るっているのだろう。やつは爪と牙、その他に魔力を大鎌に具現化させることができる」
「まさしく死神、恐ろしい死の予兆である」
「魂喰らいも続けているせいで、現界のための魔力を補うどころかさらに肥大化させている。いくつかの通り魔事件において現場検証を見て回ったが、すでに時計塔でも名を馳せていたフリーランスのエリートたちも犠牲になっている」
この報告は主に、時計塔のメンバーに重い影を落とす。
「そ、そこまでかよ……」と、リャオ・ファンがため息を吐く。
「死神犬の弱点……思いつきそうなものはあるか?」
「バーサーカーが言うには、ライダーはおそらく近接戦闘に特化したサーヴァントだ。であるなら、中遠距離からの攻撃を得意とするサーヴァントが中心になって動くべきだ」
アーチャーが椅子から立ち上がる。
親指を立てて彼は自信満々に自分を指名する。
「俺なら、あれに一発かましてやれる」
「……フン、驕るなエロイカよ」
アーチャーの提案をバーサーカーは嘲る。
「アレはとても素早い、そんな品性の欠片もない重たいだけのガラクタに、あれを捉えることなどできまい」
「何だとこの野郎……!」
「まあまあ、ふたりとも落ち着けって」
喧嘩になりそうなところをエハッドが鎮める。
「私がアレの動きを鈍らせる。それならば当たらぬ砲弾も当たるというもの」
「大した自信だな」
「運命に魅入られたものとして、死の運命というものがいかほどのものか、実のところ興味は尽きない」
低い声でバーサーカーは続ける。
「ライダーへの牽制私が行う。動きで鈍らせたところを近接戦の得意なサーヴァントで叩くのが良いだろう」
「ライダーに対して有利な宝具を持つものはいるか?」
「俺の槍なら……あるいは」
声を上げたのは、ランサーだった。
「ロンギヌス……神を貫いた槍か。広義には死神も神の一種と言えなくはない」
思い出したかのようにアバーラインが解説する。
「セイバーはどうだろうか? ……もっとも、真名を思い出せないのでは宝具も……」
「……」
セイバーは黙ったままだった。
「へぇ、お前真名が思い出せないのか」
ランサーは嘲るように口を開いた。
セイバーは目を閉じて無言の肯定。
「せっかくのサーヴァント様が、台無しだぜ。どこまでも足を引っ張るやつだぜ」
――つまんねぇ戦い。
「……とにかく、作戦の大まかな方針は決まったようだな。くれぐれもライダーが討伐されるまで仲間割れはしてくれるなよ」
重たくなった空気を払うようにアバーラインが話を戻す。
「私は再びスコットランド・ヤードに戻り、情報収集を行う。何かわかるかもしれないしな」
「作戦は三日後に行う、各自魔術礼装の準備などに努めよ」
そしてその場は解散となった。
***
カナウ・アルバーンとホムンクルスの少女は他のマスターたちが教会を出た後も、立ち上がることができずにいた。
3日の猶予が残されたことに安堵するべきか、この状況をどうにかするための時間が3日しかないことに焦燥するかを彼は考えあぐねている。
――3日間の間に、できる限り遠くへ逃げる?
――いや、境界線は監視されているんだったか。
――他のサーヴァントに奇襲を仕掛ける?
――おそらくは失敗に終わるだろう。セイバーは宝具を使用できない。それは圧倒的に不利ということだ。
「……くそっ」
膝に拳を叩きつける。そんな様子を見かねてか、声をかけたのはエハッド・ティーレマンだった。
「君の気持ちは分からなくもないよ。カナウ・アルバーン」
「守りたいものがある時、必ずしも自分にその力が運良く備わっていることは極めて稀さ」
「運命はこちらのタイミングや事情など、考えてはくれないからね」
そう言ってからエハッドは自分のサーヴァントの口癖がうつっていることにいくらかの気恥ずかしさを覚えた。
「って……バーサーカーみたいなことを言ってしまった」
「……俺の家系は魔術史の記録編纂を生業としてきたんだ」
隣に座り、話し続ける。
「君の思う通り、魔術師世界ってのはとんでもなく過酷で、そういう血塗られた記録を子どもの頃から嫌というほど見ていた」
「この世界に君たちの思い描く英雄はいない。俺は魔術師だけど、客観的に見てもそう思う」
「そういうのに嫌気が差して、逃げ出した者もたくさんいるんだ」
エハッドの言葉の一つ一つが重くのしかかる。
「そいつらはどうなったのかはわからない。恨まれた挙げ句、惨たらしく死んだり、それ以上のひどい目に合わされたのかもしれない」
「いつしかそれが普通の認識になってしまったんだ、だが……」
彼は言葉を止める。
カナウが重たい頭を持ち上げて、エハッドの次の言葉を受け入れようとした。
「認識を改めるだけの何かが起これば、まだ世界は変われるかもしれない。そうだよなベートーヴェン」
「そのとおり」
エハッドから次はベートーヴェンへ言葉が移る。
「いつだって世界を変えるのは外からの者だ。かつての私がそうだったようにな」
腕を組んだままバーサーカーは答える。
カナウはふと自分のサーヴァントを見やる。
セイバーは目を伏したまま静かに座っていた。
「セイバーのマスターよ、お前はまだ自分のサーヴァントをよく理解していないのではないか?」
ふとバーサーカーは尋ねる。
「理解も何も、セイバーは自分の真名を……」
「真名がわからずとも、彼女がお前にしてきた数々の行動は決して幻ではあるまい」
バーサーカーの視線はセイバーに向けられる。
「サーヴァントは使い魔であると同時に、聖杯戦争を共に勝ち抜くためのパートナーである」
「頼りにするのはいいが、お前のサーヴァントが何を求めているのか、お前もよくよく考えるべきなのだ」
「……そうだよな、バーサーカー」
カナウはハッとしてうなだれるように答える。
「俺はずっとセイバーに頼りっぱなしで、この先の自分のことばかり頭に入っていて、そのせいで怪我を負わせたりして」
「マスター失格なのかも」
「まさか魔術師に人間のあり方を諭されるとは思わなかったよ……ああ、いや魔術師をバカにしているわけじゃないんだけど」
「……プッ」
エハッドは笑い出す。
「どこまでも真面目だな君は」
「君のような男が魔術師だったら、さぞかし面白い記録になりそうだ」
エハッドはカナウの隣に座り込む。
「俺は魔術師じゃない」
「いいや、案外わからないものだぞ、少なくとも魔術の素質があるのは間違いない。家族の中に実は……ということもある」
「俺に家族はいないよ」
しばらくの沈黙。
「そりゃ……悪かった」
バツが悪そうにエハッドが謝る。
「気にしないで、昔の話だし」
「生まれた時には家族は死んだと、教えられた」
「魔術師がそう簡単にくたばるとも思えないし……やっぱり俺は普通の人間だよ」
「そうでもないぜ。いくら魔術師やサーヴァントだって、銃やミサイルで撃たれりゃ死ぬ」
「だからこそ、ミランダみたいに用心深い魔術師はめったに自分の正体を表さず、ああやって人形や投映を利用するけど」
「ミランダ……ティーレマンさんはアサシンのマスターのこと知っているのか?」
「エハッドでいい……そうだな」
エハッドは記録を頼りに話す。
「"量子の魔術師"と呼ばれている。数秘術の一門で、数式を媒介にした魔術を得意とする。現代の科学技術すらも取り込み、未来の演算を試みているとも言われる」
「一族としてのあり方は特殊だし、彼女の家系をやっかむ人間も数多くいるよ。魔術を冒涜しているとね」
――未来の演算、か。まるでアトラス院みたいだな。
エハッドは自分で説明しながらその言葉をよく反芻した。
「……いや、まさかな」
「?」
「俺たちも明日に備えておくか、行くぞベートーヴェン」
「さらばだ、カナウ・アルバーン」
「ありがとう、エハッド、それからベートーヴェン」
「私のことをもっとよくしりたければ、音楽を聞け、若造」
「はいはい、余念がないねあなたは本当に」
***
教会が静かになったところで、再びカナウたちの前にキャスターが現れる。
「セシリア」
「……?」
ホムンクルスを見てキャスターがその名前を呼ぶ。
「私ですか?」
「セシリアというのが君の名前だ。名前があったほうがいいだろう?」
「……あなたは何者なの」
「僕は雇い主の命令に従って、君たちのことを守護するよう動いている」
「そういうことじゃなくて!」
「……まいったな。それ以上でもそれ以下でもないんだ、本当に」
「何のために?」
じっと眺めるセシリアに根負けし、キャスターはため息を付きながらもなおも拒む。
「頼む。そんな目をされたって教えてあげられないよ。ただ……」
「生きること、それがいちばん大事なんだ。僕にとっても、あの人にとってもね」
腕を組んだまま、ガンダルフは続ける。
「バーサーカーのマスターも言っていただろう? 運命はこちらの事情など待ってはくれない」
「セイバーの力を信じて、戦い続けない限り、君たちに未来はない」
「君たちが立ち上がるというのなら、僕は喜んでその手を掴む……だが」
「つかむための、その重たい手を持ち上げることは、君にしか出来ないんだ」
冷たい声で、そう言い放つ。
「あと少しだよ、カナウ・アルバーン。すべてが繋がるその時までもう少しだ」
「まずはライダーの討伐戦、君はなんとしてでも生き延びろ」
――これはまだ新しい世界を創り出すための、ほんの序章に過ぎないのだから。
――全人類の救済、その序章に。