英国、ロンドン。
ヨーロッパの北、ブリテン島を中心に構成されるこの連合王国は、面積こそ小さいものの近代史において主導権をたびたび握るほどの強大な力を得ていた。
国内では様々な文化が勃興し、古き伝統がそのまま残されていると言った方が適しているだろう。
そしてこの"昔ながらのものが失われずに残る"ということは魔術師世界においても非常に重要な事であった。
時計塔がロンドンに存在するというのがその良い証拠と言える。
――『ロンドンの時計塔』といえば多くの民間人にとって"観光名所"という認識である。
ところが、"魔術師"となればそれも話は別だ。ここは魔術協会の心臓部であり、様々な学部に分かれて魔術師の養成を行う至高の学府である。
その歴史はおよそこの大英帝国の歴史にも引けを取らない。
伝統的な手法と洗練された魔術の使い手である講師が集い、未来に輝かしい若き魔術師に排出していくための施設でもある。
彼らの目的は一概にはまとめることは難しい。
自身の家系に伝わる魔術回路を基盤とし、自身の能力を様々な研究に利用し、また研鑽していく。
魔術師たちはこの時計塔で自身の魔術回路の特性を学習し、それに見合った方法でその才能を開花させていくというのが一般的な修練の流れになる。
そして、その才能をより極めた者にはそれ相応の立場というものが与えられる。
体制としては一般的にイメージされる現代社会の大学とそれほど変わらないのかもしれない。
――そして、魔術師であっても結局は同じ人間であり、つまるところ優秀な才能と人格を兼ね備えた人間ばかりであるとは限らないのはただの人間も魔術師も同じである。
この時計塔のとあるいち教室で、講師の心労など露知らずといった様子の問題児たちが、息をするたびに厄介事を持ち込んでいる。
この日も"エルメロイ教室"で教鞭を振るうロード=エルメロイ2世の心中は穏やかではなかった。
この教室でも問題児の一角をなす少年は今応接用のテーブルをはさんで向かい合って座っていた。
「絶対に教えてやるものか、わかったのならさっさと教室から出ていけ! 聞き耳も、盗聴もハッキングも、たまたま耳が音を拾うこともすべて許さん」
「そ、そんな殺生なぁ! 俺どうしても気になるんです! どうして今になって"錬金術師"が?」
どこで聞いてきたのかも問い詰める前に、やせ型に黒い長髪の男は今しがた"ハッキング"で手に入れた"極秘情報"についてさっそく質問攻めにあっていた。
先刻エルメロイ2世が参加した極秘の会議は盗聴防止に様々な一級線の魔術結界が張られているはずだった。
それを"ハッキング"などと俗な言葉であっさりと破られてしまった魔術師のメンツを思うとエルメロイ二世もやるせない気持ちになる。
――それにしても『錬金術師』、生きているうちにその姿を見ることになるとは。
ロード=エルメロイ2世はこの少年の口から出た"錬金術師"という言葉を聞いて、それが意味するところについて再度咀嚼していた。
***
――魔術協会を成している三大部門の一角、『アトラス院』。
かつては同じく魔術協会の学徒でありながら時計塔とは異なる独自の方法で根源へのアプローチを目指した"錬金術師"たちの総本山。
錬金術師たちは「自分たちが最強である必要はない、最強である者を創り出す」という理念のもとで、来たる世界の滅亡に備えて様々な兵器の製造を行ってきたという。
非人道的な兵器であっても、それらを咎める者はどこにもいない。
錬金術師たちは演算され続ける未来の破滅に備えてひたすらに兵器を生み出してはそれを投棄するというルーティンを繰り返す。
プラハの錬金術師を名乗るある人物は彼らのことを後に高評価している。
――アトラス院の兵器を外に出してはならない。でなければ世界を七度滅ぼすだろう。
その本部はエジプト、アトラス山脈の地中に存在するともいわれているが、長い間時計塔との交流はなく、閉鎖された環境からは人も情報もほとんど出回ることがない。
田舎の若い魔術師では存在そのものを知らない人間さえいるようだ。
長らく時計塔とは袂を分かって来たと思われてきた通称"巨人の穴倉"ことアトラス院であるが、この数日前に行われた時計塔上層部たちの極秘会談で驚くべき通達が行われたのだ。
『アトラス院のイザイ・エルトナム・アトラシア。緊急の要件につき、ロード=エルメロイ氏に面会を申し出る』
短くはあったが、時計塔幹部の面々を震え上がらせるにはおよそ十分すぎるほどの文面が、召喚科の講師ロッコ・ベルフェバン教授の口から読み上げられた。
アトラス院の錬金術師が、時計塔のいちロードに面会を申し出るという前代未聞の邂逅には当然さまざまな憶測が飛び交ったが、最終的にロード=エルメロイ2世はこれを承諾。
ベルフェバンと共に時計塔にて面会が行われる手はずとなった。
***
「で、その極秘の会談をなぜ君が知っていたのかについては、もう追及する気も失せたので横に置くとしてだな……」
「それにしても、我らが『グレートビッグベン★ロンドンスター』はともかくとして、どうして召喚科のベルフェバン教授まで面会することになったんです?」
「知っていても君には絶対教えないがな」
「そんなぁ!」
フラット・エスカルドスの"無駄なあがき"にいい加減業を煮やしてきたロード・エルメロイだったが、知ってか知らずか教室の扉をノックする音が聞こえてきたので、弟子の追及を一旦は逃れることができた。
ふたりが扉をノックした人物たちの方を注目すると、フラットは目を明るくし、エルメロイ2世はしまったという顔をしつつ、ひとまず客人を部屋に入れることにした。
エルメロイの目的の人物の先頭を切っていたのは赤髪で釣り目の堂々とした態度の少女であった。
彼女はエルメロイ2世の教え子ではなかったが、彼女のことを噂でよく知っていた。
フラットとはおよそ同い年でしかも彼にも負けないほどの才能を持ち、それでいて常識人の優等生。
「エルメロイ先生。ベルフェバン教授と、アトラス院の錬金術師の皆様をお連れいたしました」
「ありがとうシャルロット君。ベルフェバン教授もご同行感謝いたします」
「なあに、大した手間じゃないさ」
ベルフェバン教授と呼ばれた老魔術師の男はエルメロイ2世が案内する前に部屋に入ると、先ほどまでフラットが座っていたソファにそそくさと移動して腰を下ろす。
ベルフェバン教授に続いてシャルロットはドアから離れると、いったんその後ろに控えていた一組の紫色の制服の男女を先に教室に入るよう一礼して促した。
エルメロイ2世は二人の服装がおそらくアトラス院の正装なのだろうと考えた。
上質な紫色のベストにストライプの入ったシャツ、それに白い手袋。
科学者の独特の意匠が感じられ、一見派手なようにも見えたが、不思議とこの現代のロンドンではそれほどの違和感を覚えなかった。
どちらもエルメロイ2世よりは少し若いくらいに見え、男の方は少し髭が濃い。
女性の方はメガネをかけていて、髪の毛まで紫色で丁寧に整えられていて上品な印象を受けた。
「お初にお目にかかります、ロード。私はイザイ・エルトナム。こちらは部下のアンドレ」
「こんにちは、ロード。この度は面会に応じてくださりありがとうございます」
「……本当にアトラス院からご苦労様です。長旅で疲れてはいませんか?」
軽い挨拶を済ませると、エルメロイ2世は先にさっさと座ったベルフェバンをしり目にもう一つあるソファの方へと案内した。
「そうも言っていられませんので……」
「それほどの事態、ということですか」
さらに表情を曇らせるエルメロイ2世であったが、対照的に彼の弟子は好奇心に身を躍らせるや否や、アトラス院の錬金術師たちにも無礼講と言わんばかりに質問を浴びせようと前に躍り出る。
「あ、あの! 自分はフラット・エスカルドスと申します! 教えてください! どうしてあなた達は突然ロンドンへやってきたのでしょうか! いったいアトラス院で何が……」
「やめないか、フラット!」
「……君はエルメロイ先生の教室の?」
「はい!」
「エルトナム氏、どうかこのバカ弟子のことは……」
「いえいえ、元気があってよろしいではありませんか」
止めようとするエルメロイ2世に苦笑いしながら手を振って構わないと彼女は応対した。
「フラット、あなたまた先生に説教なんかさせて、時間を無駄にさせるつもり?」
「そ、それは……」
彼の傍若無人をいさめたのは意外にも、その後ろから入って来たシャルロットであった。
彼女はその理性的な表情を崩さないままフラットに詰め寄ると、冷たい視線を送っただけでフラットを教室の外へと追い出してしまった。
――じーっ。
「うう……その目、苦手だ。シャルロットってもしかして魔眼の持ち主?」
「悪かったわね、魔眼みたいな目の持ち主で」
――ああ、彼女がうちの教室に来てくれたら。
などとロード=エルメロイ2世は一瞬考えて、すぐにその可能性を諦めた。
彼女は確かに優秀な才能を持った魔術師ではあるが、やはりこの教室にはふさわしくない。
彼女は自分の才能の磨き方を自分で知っている。
あれは本当の天才だ。
「失礼。うちの生徒が粗相を……」
「彼に限らず、時計塔の重役全員が、この面会に緊張していることでしょうから……」
「こうして公式に面と向かって話をするという事態もかなり異例のことだとお聞きしております。それ故にあなた方が一体どのような話を持ち出してくるのか、浮足立っているのでしょう」
――そういうことにしておこう。普段からあの調子などとは思われたくない。
やはり時計塔の案内はシャルロット嬢に任せて正解だった。
ベルフェバン教授もたまにはいい仕事をするものだ。
そのように感心しつつ、時計塔の重役二人とシャルロットは、この異邦の学徒たちが発する言葉に傾聴していた。
「それでは本題に入らせていただきますが……」
「先日、我々の工房に賊が入り込み、製造中の兵器が強奪された」
「……なんですと?」
イザイ・エルトナムが口を開いてから数秒後、室内に緊張が走る。
ただの盗みであるならここまで室内の空気が凍り付くことも無かっただろう。
だが盗んだ相手が、そして盗んだものがアトラス院からとなれば事情を知る者にとってこれほど恐ろしいことはない。
世界を七度滅ぼす兵器をも造り上げたと言われるアトラス院、当然そのような兵器が外へ持ち出されないよう、院内は厳重な警備が敷かれている。
それも中に侵入してくる者よりは、外へ出ていくものに対しての警備に多重の仕掛けが施されている。
噂では生体兵器はおろか、幻想種たるドラゴンのような生物まで配置されており、また進入時に二手に分かれていたはずの道が、帰りには三手に分かれているなど、通常なら脱出不可能ともいわれる難攻不落の要塞であるはずだった。
――そんなアトラス院から兵器が強奪されたという事態に、ベルフェバン教授もエルメロイ教授も、そしてどうやらアトラス院について少しは知識を入れていたのかシャルロットでさえ動揺し、しばらくの間沈黙が流れた。
「強奪の犯人は、現在ロンドンに潜伏している可能性が高い。我々はそれを追ってここに来たというわけです」
最初に沈黙を破ったのは、なおも冷静に話を進めるイザイであった。
「アトラス院から兵器を強奪?」とこれはシャルロット。
「誠に悔しい話ではありますが、そういうことになります」
イザイがこう答えると、後ろで控えていたアンドレもまた唇を噛んで顔をしかめた。
「この事態の収束に、ぜひともあなた方魔術師たちの力をお借りしたく思いまして、まずはこうしてロンドンに参った次第です。どうかホムンクルスの奪還にご協力いただけないでしょうか」
「失礼、少し眩暈が……」
じわじわと事の重大さを示す言葉が頭の中で反芻し、エルメロイ2世は思わずフラついて、右手で頭を押さえた。
「お気持ちは大変わかります。ロードともなれば大変お忙しい身であられるのですから」
――それに、と言いかけてフラットの方を見やったがイザイはそれ以上言わなかった。
「しかしご安心ください。盗まれた兵器は何も世界を滅ぼすほどの力は持ち合わせていません。"今すぐには"ですが」
慰めにもならない言葉がむなしく教室内に響く。
問題はそこよりも、と前うってエルメロイ2世は呟いた。
「アトラス院から兵器強奪をやってのけるような魔術師が、この世界にいたことも恐ろしい。あなた方の外へ出る者への警備システムはかなり厳重だと聞いていたので。ロンドンの街はどうなってしまうのか……」
「早急に手を打つ必要があります。ですからこうして特例によって穴倉を出て、協力の要請を申し出たというわけです」
「この兵器奪還作戦について、私からひとつ提案があるのですが説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
今度はイザイの方から提案が持ち掛けられる。
「提案とは……?」
「ホムンクルスの強奪犯はかなりのやり手のようです。知っての通りアトラス院の警備は厳重ですから、通常の魔術師だけの力では突破は困難を極めるでしょう」
「そうでなくては困る!」
「だが、その犯人は我々に正体を知られることも無くこの"偉業"ともいえる盗みをなしとげてしまった。この結果について特別に我々は"トリス・メギストス"の計算能力によって強奪犯の犯行手口を突き止めることにしたのですが……」
少しの間と、室内全員の魔術師の視線を一斉に受けて、イザイはゆっくりと口を開いた。
「強奪犯が"サーヴァント"を使役した可能性がある」
「"サーヴァント"ですって……?」
次から次へとイレギュラーの連続。
"魔術師がサーヴァントを使役して"アトラス院で盗みを働いたという可能性にエルメロイ2世はこれ以上は倒れてしまいそうなほどの衝撃で三度打ちのめされた。
「それはつまり、サーヴァントというのは……あの"サーヴァント"?」
「こと魔術師たちの一大行事、聖杯戦争の折に、聖杯の力によって召喚されるサーヴァントの事です」
――なぜ。エルメロイ2世、そして自らも降霊科に籍を置くベルフェバンでさえそのように疑問を投げかけようとする前に、先手を打つようにイザイ・エルトナムは言葉を続ける。
「ここまで言えばもうお分かりかと思います。本来自らの研究成果を人に言うことはご法度ではありますが、今回は事が事です故、協力体制のためにも正直にお話しさせていただきますよ。どうかお気を確かに……」
「アトラス院から"聖杯の器"として創造されていたホムンクルス……私の研究成果が盗み出されてしまったのです」
「――何者かが、このロンドンで"聖杯戦争"を執り行おうとしている」