時計塔 一階 フロア
講堂の前で、ドカと置かれる黒鉄の砲塔。
その先の回廊は撃ち込まれた砲弾と宝石で崩壊しかけており、見るも無残な姿に変わり果てていた。
積みあがったボロボロの魔術師たちを回廊の隅にまとめると、エルメロイ教室の学生たちが先ほどまで自分たちを拘束していた愚者の鎖で一人ひとりしっかり縛り上げる。
時計塔の攻防はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
時間帯が朝早く、時計塔に来ている魔術師の数自体少なかったようだ。
多くのロードと、その派閥の魔術師たちもこの戦争に不介入を決め込んだようで、それ以上部屋から出てきてシャルロットたちを狙うものは現れなかった。
「ひどい有様だな。時計塔きっての大スキャンダルだ」
意識を取り戻したロード・エルメロイ二世は葉巻を取り出して火をつける。
いつもであればこのような光景にはいつも胃を痛めるだけの彼も、覚悟を決めていたのか動揺していない様子で、葉巻を堪能している。
「お、いいもん持ってるな、ロード」
葉巻を吸うエルメロイを見て、アーチャーが近寄ってくる。
「吸うか?」
「ハッハッハ、ありがとよ」
エルメロイから葉巻を受け取って加えると、腰を落として火をつけてもらう。
(まさかサーヴァントに煙草を寄越す日が来るなんてな)
奇妙な感覚に陥るロード・エルメロイ。
アーチャーは豪快に煙を吸い上げると、講堂の天井に向かってプカプカと煙を吐き出す。
「……それにしても、想像していたよりもなんだか物寂しい幕切れになりそうだな」
「無関係な若い魔術師たちをこれ以上巻き込んでしまうのは私も本意ではない。それは相手も同じだろう」
「法政科をはじめ、貴族主義のお歴々は不介入を選んだようだ。みんな自分の一族がかわいいのだろう」
―これだけの砲撃能力と指揮官能力を目の当たりにすれば、魔術師であればサーヴァントに戦闘を挑もうなどとはふつうは考えまい。
ロード・エルメロイはあらためてサーヴァントの持つ能力に驚いていた。
「だがここで伸びている懲罰部隊の連中は、どうも違うらしい」
膝をついてとらえられた魔術師の顔を覗き込むように見ながら、つぶやく。
「いや、そもそもこいつらは時計塔の魔術師ですらないな……」
「どういうことだ?」
「見たことのない顔だ……それに東洋人ばかり」
「リャオ・ファンの雇ったフリーの魔術師だろう」
イザイ・エルトナム・アトラシアとシャルロットがエルメロイとアーチャーのもとへ歩いてくる。
「先ほどは醜態をさらしてしまい、面目ない」
「お気になさらずロード。結果として生き残ることができた」
「まあ、この非常事態にだんまりを決め込む他のロードたちに対しては一言いいたくもなりますがね」
苦笑い気味に彼女は愚痴をこぼす。
「返す言葉もない」
「それと比べて、君の教室の生徒たちはとても勇敢で素晴らしい。気になる力を持った者もいるようだしね」
そういいながら、グレイのほうを見る。
「……まあそれはいい。ホムンクルスの調整だが、すべて完了したよ。危ないところだったが、シャルロット君のおかげで間に合ったようだ」
「あのホムンクルスは、アトラス院に返されるのか?」
「私としてはそのつもりだ。だが、こちらのシャルロット君に頼まれしまってね」
困った様子でイザイ・エルトナムはシャルロット・ロジェのほうを見た。
「私の命を助けた代わりに、ホムンクルスを差し出せと言ってきたんだ」
「……そうか」
「あまり驚かないんですね、ロード」
シャルロットが尋ねる。
「君たちがあのホムンクルスに特別な思いを抱いているということは、なんとなく察しがついていた」
簡易ベッドの上で目を閉じて眠っているホムンクルスを遠めに見て、ロード・エルメロイは答える。
呼吸が落ち着いているのがここからでもわかる。
「イザイ・エルトナム。この際にはっきりさせおきたいことがある」
振り返ってシャルロットはイザイに言う。
***
「何かい?」
「キャスターのマスターはあなたね?」
「……そうだ」
口端をゆがめてイザイは肯いた。
「ホムンクルスをアトラス院の外へ連れ出したのも、あなたね?」
「そうだ」
「このロンドンで聖杯戦争を引き起こすために、わざと?」
「その通りだ、すごいな君は。もう気づいていたとは」
「あなたは……聖杯を手に入れようとしているの?」
「それは違う……かな」
最後の質問にイザイが視線をわきにそらす。
「これは私の実験のためだけに用意した聖杯戦争、私の成果の証明さ」
「実験?」
「そうだ。私のホムンクルスの有用性をテストするためにね。アトラス院のルールは君も聞いたことがあるだろう?」
「"ここで作られた兵器を外へ持ち出してはならない" このことね?」
「その通り。このルールには手を焼いたものだ。私がアトラス院でここまでの地位を手に入れるまで、私のほかにも多くの錬金術師がみずらかの夢をかなえられず寿命を迎えた」
遠い目をして、懐かしむような眼をしてイザイ・エルトナムはつぶやく。
「そうだ。"寿命"だよ、シャルロット・ロジェ。寿命は人類にとってひとつの課題だ」
「永遠の繁栄という光に手を伸ばした者の執念がどれほど恐ろしいか、君たちもあの"聖杯大戦"で思い知らされたはずだ」
イザイはトゥリファスで起きた聖杯大戦のことをやり玉に挙げる。
「ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア、そして天草四郎……星に向かって手を伸ばそうとする者たちの執念」
「私の原動力もまた、そこにある。ただそこにいたる期間と、起源と、プロセスが違うだけだ」
―それに。と、イザイは続ける。
「"自らが最強である必要はない。最強を作り出せばよいのだ"」
「私が最強を手にいなくとも、いずれ誰かがたどり着く」
きっぱりと言い切った、そして。
「人類そのものが自らの力で"最強"になれば、それでいい」
「彼女はその第一号。大聖杯の欠片を心臓に、大聖杯とリンクした新しい人類、"願望の人間"そのプロトタイプだ」
そう言った。
***
かつて我々が手を伸ばしたその星は、ひとりのホムンクルスによって撃ち落されたのだという。
ジークと呼ばれたそのホムンクルスは、一人の青年が成し遂げようとしたその願いを否定した。
しかし星は撃ち落されてなお、消滅するわけではない。
砕かれようとも、太陽の熱に溶かされようとも、水の悠久なる流れにすり減らされても、その最小単位である量子を破壊することはできない。
どれだけ小さくとも、誰にも見つけられることがなくても、量子があるかぎり、星がこの世界からなくなることはない。
ただ、光を失い、他の石や砂粒との見分けがつかないだけだ。
トゥリファスでの聖杯大戦は終わりを告げた。
大聖杯は邪竜ファブニールによって、人間の手が届かない"彼方"へ持ち去られた。
ここまでが資料で語られている聖杯大戦である。
しかしながら、この話には続きがある。
ファブニールが大聖杯とともに向かったこの旅路の最中、損傷の激しかった大聖杯からはその亀裂から少しずつ魔力が量子となって零れ落ちていた。
それらのかけら一つ一つは大した力のないものだが、これを効率よく収集してしまう魔術師がいた。
聖杯大戦の戦後処理に追われていた魔術協会は、トゥリファスやその周辺地域で起こった地脈の変化に目を向ける余裕がない。
だから、その地で大聖杯のかけらを熱心に集める者がいたことなど、到底気づくことはできなかった。
連続した量子は一筋の線となり、道となった。
天文学的な確率の奇跡によって、その道は再び"星の内海"へのリンクとなる。
光を失ったはずの星は再び燃え上がり、旅立つことを夢見ている。
***
「願いをかなえるため、聖杯は量子の星となり、人々に自己実現の力を与える」
「セシリアは……そのために生かされているんだ」
「そのためには、彼女は学ばなければならない。人の在り方を、人の願いを」
「聖杯戦争は彼女にとっていい教材になるだろう。事実、すでにたくさんの願いや思いを受けて成長しているのだから」
―つまるところ。
イザイはそれまでの堅苦しい口調から一転する。
「可愛い子には旅をさせよ、というやつさ」
「……随分とお騒がせな海外留学だこと」
ロード・エルメロイ二世、そしてシャルロットは同じく溜息を吐いた。
「これだけは聞いておかねばならない、イザイ・エルトナム」
葉巻の火を消して、ロード・エルメロイが尋ねる。
「あのホムンクルスが、この聖杯戦争が世界に悪影響をあたる可能性は?」
「それは……」
―イザイ・エルトナムが答えようとしたその瞬間。
***
時計塔 上階 フロア
「なあ……急に静かになったと思わないか?」
「確かに、下の階からドンパチする音が聞こえなくなったな」
エハッド・ティーレマンと、カナウ・アルバーンはふと廊下で立ち止まる。
廊下から魔術師たちの姿気配が消え、先ほどまで聞こえていたアーチャーの大きな砲撃音もいつの間にか今は聞こえなくなっていた。
「どうする、一度戻って……?」
そう言いながらエハッドが振り返ると、視界の端に見知った姿を見つける。
リャオ・ファンが廊下の反対側のほうで走り去り、下のフロアへ降りていく。
「リャオ・ファン!」
エハッドが叫んで呼びかけるも、彼には聞こえていないようだった。
「後を追おう!」
「下の階へ降りて行ったな……というかあいつ、やっぱり来てたか……!」
「カナウ、行きましょう。ランサーには借りがあります」
セイバーがうずうずした様子でカナウを急かす。
「行こう!」
リャオ・ファンの後を追いかけて二人も走り出す。
リャオ・ファンの足はそれほど速くなかった。大人二人で十分に追いつけるスピードだ。
「リャオ・ファン! おい、待てよ!」
エハッドが彼に声をかけ続ける。
彼は一瞬二人のほうへ目を向けるが、止まらずそのまま走り続ける。
階段から一気に飛び降りて距離を稼ぐと、素早い身のこなしでそのまま下の階へ突き進んだ。
下のフロアから今度は講堂に向かう通路へ走り去っていく。
「あいつ…どこへ行く気だ?」
走り続けるリャオ・ファンだが、次第に距離が縮んでいく。
「おい! 待てったら……」
ふいにリャオ・ファンが立ち止まる。
片手をあげると、霊体化していたはずのランサーが突然現れる。
「おらああ!」
激しい金属音が響き、ベイリンの二本の剣は、すぐさまセイバーの剣に阻まれる。
「ランサー! 私と勝負しなさい!」
「ハッ! 偽物が生意気一転じゃねぇぞ!」
「リャオ・ファン。ここで何を企んでる」
「……シャルロット・ロジェはいないのか! くそっこっちは外れか!」
イライラした様子でリャオ・ファンは悪態をつく。
「お前らに用はない! ランサー! 宝具だ!」
「……いいのか、ロンギヌスを抜いても?」
「お、お前正気か! こんなところでロンギヌスだろ!?」
リャオ・ファンの支持に、驚愕したのはエハッドだ。
「ロンギヌスって……あの時ライダーに使ったやつか!?」
カナウも目を見開いて、戦慄する。
「こんなところで使ったら……時計塔の人たちまで巻き添え……いや、周辺の街にいる人たちにまで影響が出るぞ!」
「俺のマスターは本気のようだぜ?」
ベイリンは二本の剣をしまうと、詠唱をそのまま始めてしまった。
「悪いな……俺たちはもう戻れない!」
「ランサー!」
バーサーカーがランサーに殴りかかる。
しかしながら、防御力に優れたベイリンの鎧に阻まれてしまう。
「頑丈な奴だ! セイバー!」
バーサーカーが叫ぶと後ろからセイバーが飛び出し、一太刀浴びせようとする。
「モラ・ルタ!」
セイバーが叫ぶと、彼女に紐づけられた魔剣の力が彼女の脚に収束する。
残像を残すほどの強力なステップで、超高速の突進から放たれる斬撃。
一撃必殺、初撃必勝の剣。
「うおおおおお!!」
だが、モラ・ルタの一撃でさえ、ベイリンの白い盾を破ることはできなかった。
「だからてめぇは"偽物"なんだよ!」
ベイリンはそのまま盾でセイバーをはじき返す。
後方に吹き飛び、回廊の壁にたたきつけられる。
「ぐっ!」
衝撃に手放したモラ・ルタは一振りで砂のように崩れ去る。
彼女の中の力がまた一つ失われていく。
一度使用した聖剣は一度の現界に一度しか使えない。
「終わりを告げる嘆きの塔、浅ましくもわが身にそぐわぬ力と罪をここに背負おう!」
ベイリンの詠唱が完了する。
「崩壊せよ! ロンギヌス!」
ベイリンが構えた巨大な塔の先がセイバーたちに向けられる。
「死ねぇえええええ!」
リャオ・ファンの叫びはロンギヌスが放つ金色の光にかき消される。
「しまっ……!」
***
「はぁ…はぁ…!!」
光が収まったとき、この場にいた全員が絶句する。
セイバーとバーサーカーの前に、杖を構えたガンダルフがぼろぼろの状態で立ち尽くしていたのだ。
「ま、間に合った……」
弱弱しい少女の声で、ガンダルフがつぶやいた。
そのまま膝からペタンと崩れ落ちた。
「きゃ、キャスター!?」
「ば、ばかな……ロンギヌスを真正面から受け止めるだと!?」
「少しばかりズルをした。その武器は私の世界と"ご近所さん"でね」
「私が間に入って、宝具の持つ崩壊の力を軽減させてもらったよ……」
「中つ国……って聞いたことあるだろう?」
息を荒くしながらキャスターは答える。
信じられないといった様子でランサーは息を荒くした。
「くっ……さすがは星の内海で作られたもうひとつの聖槍。とんでもない威力だ。威力の軽減と……この現界のための低燃費な……体を維持しているだけで限界とは……」
話をするのもしんどいといった様子でキャスターはつぶやく。
「キャスター、お前体が……」
キャスターの体は金色の粒子状に崩壊しかかっていた。
サーヴァントの終わり。消滅を意味する。
「はぁ~、マスターのいうことほとんど守れずに終わっちゃうなんて。私は聖杯戦争が下手なのかもしれない」
「でもまあ、ここは犠牲フライってことでひとつで勘弁してほしいかな……」
「ランサー!」
「……あ、ああ。行くぞ!」
キャスターの消滅を見届けずに、リャオ・ファンとランサーは再び走って姿をくらまそうとする。
セイバーとカナウがキャスターに駆け寄る。
「キャスター、待ってくれ! まだ聞きたいことが……」
倒れこんだキャスターを抱えるカナウ。
「ああ、ごめんよ。私ももうちょっと生き残って、君たちにもうちょっといろいろなちょっかいをかけたかったんだけど、もうダメみたいだ」
「マスターには申し訳ないことをしたよ……あっけない幕切れだったな」
「そんな、急すぎる! どうしてこんな……!?」
「言っただろ……君が生き残ることが私と私のマスターの願いであると」
「君のマスターは一体……」
「ハハハ、君を守りたいなんて、そんなの理由は一つだろう? 何せ……」
消えかかる金色に充てられて、ガンダルフの笑顔が輝く。
「君を守れと命令したのは君の母親なんだから……」
「なん……だって?」
***
講堂のドアが開かれる。
エハッドとカナウが中を見ると、想像を絶する光景がそこにはあった。
机やいすが散乱し、ガラクタになるまで破壊された講堂の真ん中で、エルメロイ教室の生徒たちが一網打尽に捉えられていて。
その隣ではランサーとアサシンがそれぞれ武器を向けて、ロード・エルメロイ二世とイザイ・エルトナム・アトラシアが人質にさせられている。
シャルロットとアーチャーはその様子に対して何もすることができず、歯を食いしばって、にらみつけていた。
「シャルロット!」
「やられたわ……ランサーは囮。アサシンと、あいつが来たの!」
指をさした先にいたのは……。
「アバーライン!?」
人質にショットガンを構えたアバーラインが、捕らえられた学生たちのわきで椅子を置いて座り込んでいた。
その隣で、リャオ・ファンはバツの悪そうな顔をこちらに向けることなくうつむいていた。
「こいつ、アサシンと契約したのよ! ミランダ・ウォルフォークから令呪まで奪って!」
シャツの前をはだけてたアバーラインの胸元にハード型の令呪が浮かび上がっている。
「アサシンがアバーラインと!? お前、監督役は……」
「聖杯戦争の感覚というのはすばらしいな。自分が生きているのだと実感できる」
エハッドの言うことなど気にも留めない様子でアバーラインは続ける。
「気の抜けないサバイバル、極限状態の中で試される戦術と生存術。子どものころを思い出したよ」
おもむろに椅子から立ち上がると、ショットガンを学生たちに向けたままアバーラインは一本調子で語り始める。
「胸やけがするな……いくら腹がすいたからと言って、調理もせず魔術師の手を食べるのはまずったか。」
「は? 魔術師の手?」
カナウが困惑する。
「こいつ……ミランダの令呪を手丸ごとを飲み込んだのか!」
「手を……は? 何言ってるんだ……?」
「何もおかしなことじゃないだろう。ライダーだって同じことをしていたし、こんなもの持っていても銃を使うのに邪魔だからな」
「おかげしっかり馴染むよ。こんな裏技を教えてくれたライダーには感謝しないとな」
「だが人間の肉とはこうも不味いものか。二度とやりたくはないな」
その言葉に一切の感情はなかった。
「シャルロット・ロジェ。お前たちの戦争ごっこもここまでだ」
「ここからは"停戦協定"といこうじゃないか」
***
この場のだれもが、停戦協定など結ぶ気にもなれない精神状態でそこにいた。
空虚で歪なこの男のやり方に、誰も議論をする気にはなれなかった。
「私たちの要求はサーヴァントだ。アーチャーとバーサーカーをこちらへ引き渡すこと」
「それぞれ一人につき、ロード・エルメロイとイザイ・エルトナムを引き渡す。一対一の交換だ」
「この学生たちはまだ若い。交渉が終わったら、こいつらは無償で返してやろう」
無償、アバーライン風に表現するのであれば"どうでもいい"とも言える。
椅子に座り、ショットガンを構えたままアバーラインは交渉する。
アサシンはその様子を黙ってみている。
「私は聖杯戦争の監督役として、令呪の剥奪、継承の仕方について一通り心得がある」
「君たちの腕を切り落とさなくても、サーヴァントの譲渡は簡単だ、安心したまえ」
「だれがお前なんかに……」
震えた声でエハッドが反論する。
「その選択もかまわないがね。であれば、どちらか一人を殺すだけだ」
「ふむ……そうだな」
顎に手を当ててアバーラインは考えをめぐらす。
「アーチャーを引き渡すならロードは殺さない。そしてバーサーカーを引き渡すならイザイ・エルトナムは殺さない」
「恩師の命を救えるんだ。安い取引だろう」
「いや、君はエルメロイ教室ではなく、召喚科の生徒だったか……」
「サーヴァントを奪ってどうするつもり?」
シャルロットが恐る恐る尋ねる。
「聖杯戦争に勝つためだ」
アバーラインはキッパリと返した。
「だが、勝つだけではだめだ。公平な手段で、圧倒的な力を示して勝つ」
「二度と立ち上がれないように徹底的に叩く、それだけだ」
「さあ、おしゃべりの時間は終わりだ。決断したまえ、シャルロット、エハッド。君たちのどちらでも構わない。サーヴァントを引き渡すというのなら前へ出ろ」
アバーラインが椅子から立ち上がる。壁にもたれかかったアサシンが立ち上がると、アバーラインの後ろに移動する。
「……シャルロット、エハッド」
カナウが心配そうに二人を見る。
「なあおい待てよ、神父さん」
「アーチャー?」
アーチャーが前に出る。
警戒してアサシンもまた前に出てけん制する。
「この俺を誰だと思っているんだ? 初代フランス皇帝のこの俺が、そこのいち魔術師と一対一で交換ってのは割に合わないんじゃないか?」
「……ふむ」
アーチャーは胸に手を置いて、ロード・エルメロイ二世を指さしてアバーラインに呼び掛ける。
「この俺を捕虜にできるんだ。それに比べて、こっちのバーサーカーは人の話を聞かない上に、ただの音楽家だ」
「戦力には数えられない、困った野郎さ」
「この俺一人で、二人と交換するべきだろう。いや、それでもお釣りがくるくらいだろう」
「なんといっても、この俺はこの聖杯戦争において最強の将なのだからな!」
「何をばかなことを……君たちは交渉できる立場には……」
アバーラインが一蹴しようとするが、彼の見ている景色に異変が生じる。
「な、なんだ……頭が」
頭を抱えて呻くアバーライン。
彼の視界が急激に狭くなり、どういうわけか目の前のアーチャーにくぎ付けになる。
意識が強制的にアーチャーの方へ向けられてしまうようだ。
感情が揺さぶられ、暗示のようにアーチャーを無視できなくなる。
「あ、アーチャー……何をした……?」
「……目をそらすなよアバーライン、この俺の姿を見て、何も思わないのか?」
「アーチャー、まさか……」
「どういうことだ……アーチャーは何をしているんだ?」
"わが辞書、不可能の文字なきなり"……アーチャーの人心掌握戦術が宝具と化した姿である。
(アーチャーのもう一つの宝具。こういう使い方もできるのか)
シャルロットはアーチャーがその宝具を使っているのをはじめてみた。
皇帝であるナポレオンのカリスマ、その圧倒的な求心力に、耐性のない魔術師は暗示から逃げ出すことはできない。
「……」
「まて、アサシン……」
アサシンが爪を構えてアーチャーに迫るが、アバーラインはこれを制する。
「……いいだろう、お前の言うとおりだ。では、アーチャー、君を私たちの捕虜とする」
「セントヘレナと違って、ロンドンの地下は辛気臭いところだが、歓迎しよう」
「どちらでも構わんさ」
アーチャーは自信たっぷりに答えると、一旦シャルロットのほうを向く。
「そういうわけだ、マスター。悪いな」
笑いながら、どうとでもないという様子で謝罪する。
「アーチャー、あなた……」
シャルロットが不安そうにアーチャーに駆け寄る。
その大きな背中を両腕で抱きしめる。
「どうして、あなた、そんな……」
「心配するな、俺たちはまた会える」
アーチャーはそれ以上シャルロットの顔を見なかった。
「必ず、迎えに行く。どこにいようともあなたをまた……!!」
涙を浮かべてシャルロットが叫ぶ。
「ああ、待ってる」
「アーチャー、ありがとう……といえばいいのか、すまないといえばいいのか」
バツの悪そうにエハッドがつぶやく。
「エハッド、それからカナウもしっかりやれよ。まだ終わりじゃない」
アーチャーは答える。
「お前たちの可能性を信じる。セイバー、バーサーカーも、後を頼むぞ」
「言われるまでもない……だが、少し見直したよ、英雄(エロイカ)」
「死なないでください、アーチャー」
セイバーもまた胸に手を当てて、今から捕虜となるこの皇帝に最大限の敬意を表した。
***
「では、アーチャー。我々に下るということでいいな?」
「おう、問題ない。それで令呪はどうする?」
アバーラインはコートのポケットから一冊の本を取り出す。
「これに令呪を込めろ、シャルロット・ロジェ。偽臣の書だ」
「偽臣の書?」
「マスター権を譲渡するための礼装だ。これを作って、私に引き渡す」
「なるほど、それなら穏便に済ませられ…」
「待てよ」
リャオ・ファンが急に口をはさんだ。
「……どうした、リャオ・ファン?」
「もっと、手っ取り早い方法がある」
そう言いながら、リャオ・ファンとランサーもまた前に出る。
「いったい何をするつもり……?」
シャルロットの心臓の鼓動が早くなる。
―この期に及んでこいつらは何を。
「こいつらにはまだ、払うべき"代償"が残っている」
そこから先、講堂の中はまるでスローモーションのように、音が聞こえなくなり、すべての物事に全員の目が釘付けになった。
リャオ・ファンが憎悪に満ちた表情で、勝ち誇ったかのように何かを叫んでいる。
シャルロット・ロジェは目を見開いて、何が起きたのかわからないといった様子で、ただ空中に浮かぶ自分の右腕を眺めていた。
「えっ……?」
手の甲で輝く六角形の三つ並んだ赤い光が自分の体を離れていく。
恐る恐るその視線は次に自分の右腕があった場所を見る。
きれいに無くなった自分の右腕から血が堰を切ったかのようにとめどなく流れ出る。
ランサーは目にもとまらぬ速さで、彼女の令呪がついた右腕を切り落とす。
右腕がボトリと、嫌な音を立てて講堂の床に落ちる。
その瞬間、時間は再びもとの速度を取り戻し、彼女の叫びが時計塔じゅうに鳴り響いた。
QuantumⅣへ続きます。