ロンドン カナウの家
「な、なんで・・・」
ロンドンの夜が近づいていた。
自宅に帰ってきたカナウを待ち受けていたのはありえないはずの来客だった。
「ど、どうして・・・」
ダイニングのテーブルで向かい合うようにキャスター、ガンダルフと、セイバー、アロンソ・キハーノとホムンクルスの少女が座っていた。
あの時計塔の戦いで確かに、ロンギヌスをもろに食らい、消滅したはずのキャスターが勝手に拝借したカナウのティーカップで紅茶を飲んでいるではないか。
「ガンダルフ!? 生きてたのか、まさかまた幻術を?」
驚いた様子でカナウはガンダルフに駆け寄る。
当の本人は「やあ、おかえり」などと呑気な様子で言うので、カナウはあきれ半分にただただ質問を並べることしかできない。
「生きてたのか? でも確かにあの時・・・」
「心配してくれてうれしいよ。こんな老いぼれを・・・」
そう言って少女然としたの姿の自称おいぼれの魔法使いは照れながら微笑んだ。
「だが、残念ながら私は確かに死んだのだ。"サーヴァント"としてはな」
「どういうことだ?」
「ここにいるガンダルフは正真正銘本物のガンダルフということですよ、カナウ」
セイバーが代わりに答えた。
「本物だって?」
「そうだとも。色々理屈はあるんだがまあ君のために超ざっくり説明するとだ。歩いてきたんだよ、"中つ国"から」
「中つ国から・・・って、ええ!?」
訳が分からないといった様子でカナウの声が裏返った叫びが部屋中に響いた。
***
「つまり、サーヴァントとしては退去することになったが、中つ国の、サーヴァントじゃない本物のガンダルフが、ここまでわざわざやってきたということか?」
少し落ち着いたのか、カナウはゆっくりと事実を確認することにした。
「理解がはやくて助かるよ。つまり、次に死んだら本当にお別れってこと」
「あっさり言うけど、あなたが死んだらその・・・中つ国の方は大丈夫なんですか?」
「問題ない。妖精どもは仲良くやっているし」
中つ国について、カナウは様々なことを質問したくてウズウズしているのだが、キャスターはなんとか話題を戻そうとする。
「それよりも、私がこうして君の家まで歩いてきた理由について説明しなければならない」
「ええと、どこから説明したらよいか・・・」
「ガンダルフ、願望の人間とはいったい何なのですか?」
考え事をしているガンダルフに今度はセイバーが口を開いた。
「おっと、その話か。ならまず、イザイ・エルトナムの夢について話をしなければならないな」
***
「イザイの夢、そして人類の夢さ。人間が自らの力で願望を実現する。言ってみれば人間一人一人が聖杯をもった世界さ」
「人類みんなが聖杯をもった世界?」
「そういうことさ。本当にそんなことができるのなら素晴らしいだろう?」
「聞いた限りじゃ、反対する理由はない・・・と思う」
―本当に額面通りの意味なら、これ以上に素晴らしいことはないのではないだろうか?
―しかし本当に、そんなうまい話があっていいものだろうか?
「私はね、カナウ。そんな世界が果たして本当に存続できるのかどうか興味があったんだよ。だからちょいとこの世界に干渉してやることにしたのさ。キャスターのガンダルフとしてな」
腕を組み、得意げにガンダルフは答えた。
「この世界に住むものとして、君はどう思う。人間が自らの願望を自由にかなえられる世界なんて、本当に実現できると思うか?」
「・・・イザイには悪いけど、それこそ"おとぎ話"や"小説"のような話だと思う」
「いや、私も同意見だよ。それどころか世界を滅亡させかねない発想さ」
なぜなら、とガンダルフは声を低くする。
「この世の中には邪悪な願望を持つ人間だって少なからずいるのだからね」
カナウたちの頭にはアバーラインの顔が浮かびあがる。
「この世の中は善意だけでなりっているわけではない。願望の人間はかならず悪意をも実現させてしまうだろう」
「秩序が崩壊すれば、この世界そのものが、未来のない行き止まりの人類史として、"摘み取られる"可能性だってある」
「世界が終わるってことか?」
「プッツリと消えるのさ。まるで電源を落としたようにね」
―まあその辺の話は、本当にごくわずかな確率の話だ。とガンダルフは補足した。
「アトラス院がどうして作ったものを外へ持ち出さないのか、よくわかったよ・・・」
溜息を吐いてカナウはつぶやいた。
「でも、どうしてそこまで僕たちに説明してくれるんですか?」
「僕たちがあなたたちを止める可能性については?」
「君は止めないさ。カナウ・アルバーン」
カナウが尋ねると、自称老年の魔法使いは再びにっこりと笑って見せた。
「君が死んだら、誰も彼女を守れない。君のように魔術師世界に属さない人間だからこそ、務まる役目なのさ」
***
「これから私たちはこの聖杯戦争の結末を見届けるために行動する。もし協力が必要だというのなら喜んで手を貸そう。
「アバーラインたちに悪用されるより、君たちが勝つ方がよっぽど夢見がいい」
「監督役があっちに寝返ったんだ。あちらも卑怯とは思うまい」
「私は君たちの行動をいつも見ている。用があったらいつでも呼びたまえ、どこからともなく現れるからさ」
「キャスター、最後に一つだけ聞かせてくれないか?」
玄関扉の前で、カナウがガンダルフを呼び止める。
「聖杯戦争の決着がついたら、彼女は・・・セシリアはどうなるんだ?」
「実験が成功すれば、彼女は "願望の人間" となる」
「"願望の人間"というのはその・・・長生きしたり、普通の生活を送れるようになるのか?」
カナウは恐る恐る尋ねる。
ガンダルフは少し間をおいて慎重に答える。
「普通の生活・・・というのは少し難しいだろうな。長生きはできるだろう。彼女がそう願う限りはね」
「・・・魔術師世界が彼女にどのような態度をとるのかもわからない。この世界の知識を借りて言えば彼女は正真正銘イヴのような存在なのだから」
「・・・」
カナウはそれ以上何も言うことができなかった。
魔術師世界が彼女に対して行うこと―どうせ碌なことではないだろうと、カナウはこれまでの経験から察していた。
「成長した彼女が、何を願うのか、まったくの未知数だよ」
「君がかかわった命だ。君は必ずその責任を負うことになるぞ」
低い声でガンダルフがつぶやいた。
「腹をくくれ、カナウ・アルバーン。この先はもっと魔術師世界の残酷さを目にすることになる」
ひとりでに玄関のドアが開き、ガンダルフは外へと出た。
カナウはガンダルフを外まで見送ろうとしたが、ひとたび彼女がまとっていたマントを翻すと、編集された動画のようにその場からぱったりと姿を消してしまった。
狐につままれたような様子でカナウが立ち尽くしていると、彼の後ろから、セシリアが声をかける。
「また、どこかへ行くの?」
このようにホムンクルスの少女が他者に対して興味を持とうとするのは、カナウにとって初めての経験だった。
「ああ・・・でも心配はいらない。必ず帰ってくるさ、セシリア」
「私も彼と同じ気持ちです」
セシリアの背後にセイバーが現れる。
振り返ってカナウは答える。
微笑んではいるが、どこか悲しげに視線をそらして、二人は家の中へ戻った。
アロンソ・キハーノは一人玄関の前に残ると、暗くなりつつある星空を見上げた。
この時期のロンドンは20時近くまで日は落ちないが、そこにひとつだけ一番星が輝くのを見つけた。
聖杯から与えられた知識から、彼女はそれがとある銀河の恒星であることを知っていた。
その星の輝きでさえも、ロンドンの地下深くまで届くことはかなわないだろう。
そのような光の届かない暗闇に向かって旅をした邪竜というのは、いったいどれほどの恐怖にさらされたのだろうか。
それとも、案外星の内海というのは、かつて彼女が読みふけった本にある誰かのための理想郷のように、光あふれるような場所だったのだろうか。
それとも、光など存在せず、やはり暗闇の中で孤独に今も旅を続けているのだろうか。
それとも、邪竜にはそうまでして会いたい人がその果てにはいたのだろうか。
物思いにふける間にも、夜のとばりが広がり始め、上を見上げていた彼女は自分が空に向かって落ちていくような錯覚に陥って、体のバランスを崩しかけた。
転ばないようにその足でしっかりと地面を踏みしめ、彼女は何かを再び決心し自室に戻った。
***
採掘都市 マギスフェア
探掘者たちが地上に戻るのがめんどくさいとして作り上げた生活圏が由来。ある意味で、もう一つの学術都市。
それでも採掘都市に引きこもって、ほとんど他者とのかかわりを持たないいるような変人の魔術師たちでさえ、ここ最近現れた魔術師とサーヴァントたちに注目していた。
掘り進められ地表に露出したままの鉱石が星空のように周囲を照らすこの都市で、今話題になっているのは量子の魔術師だった。
窓の隙間から痛いほどの視線を浴びながら、不機嫌そうな様子でリャオ・ファンは採掘都市の中心部を歩いていた。
その後ろにこれ見よがしに彼のサーヴァントであるランサー、ベイリンを従えて。
リャオ・ファンもベイリンも、一言も発することなく、ただただある場所を目指して歩いていた。
後ろを歩くベイリンはなおも兜をかぶっていた。
実のところリャオ・ファンはあの事件以降、ベイリンの顔を見たことがなかったし、言葉もほとんどかわしてはいなかった。
彼にとっては自分のサーヴァントが何者なのかということはもうほとんどどうでもいいことだった。
時計塔での戦いの後、彼らはアーチャーのサーヴァントを手に入れ、同盟だったキャスターはすでに消滅した。
(彼らに残されているのは偽物をふるうことしかできないセイバーと、しがない音楽家の老人だ)
(アサシンの能力にはいまだ不可解な点が多いが、そもそも三騎士であるランサーとアーチャーを相手にどうにかできるわけがない)
(勝利は決まったも同然だが・・・あの神父、どうしたものか)
ランサーのマスター、リャオ・ファンは目下もうひとつの気がかりな点について案を巡らせていた。
彼もまた、アサシンのマスターを名乗るこの聖堂教会所属の監督役の真意を見抜けずにいた。
(あの神父にマスター権を譲渡した理由はなんだ、ミランダ?)
(いくら聖杯戦争だからと言って、聖堂教会に勤めていた男がこうもあっさり寝返るのはどうしてなんだ?)
マギスフェアに来てからもリャオ・ファンは何度もその理由を分析しようとした。
ところが分析を進めれば進めていくほど、煙のような何かが彼の頭に沸き上がり、思考を妨害するのだ。
(疲れているのか・・・それともほかのサーヴァントからの攻撃なのか?)
(思い出せ・・・ここへ来てから何があった。確かアバーラインとともに時計塔から出て・・・)
「くそっ、くそがっ・・・あいつら・・・」
頭に手を当てて、建物の壁にもたれかかって、彼は深呼吸することにした。
この街を照らすのは太陽ではなく、赤々と輝く松明とその光を反射して返す露出した鉱石だけだ。
陰鬱な採掘都市の光景は彼の消化器官を余計にいらだたせた。
この3日間、ほとんど食事がのどを通らない。
「・・・殺してやる。殺してやるぞ・・・カナウ・アルバーン、シャルロット・ロジェ」
「マスター、具合が悪いのか?」
心配したランサーがリャオ・ファンに近寄ろうとするが、リャオ・ファンは腕を振って退けた。
「余計な心配するな、ランサー。それより、ミランダが僕を呼んでいる・・・」
「ミランダから次の計画はすでに知らされている。やはり今無理をして外へ出る必要はないと思うが」
「ハッ、そういうわけにもいかないんだよ・・・当主として、勤めを果たさなければ」
ふとリャオ・ファンはポケットからスクロールを取りだした。
「その手紙は・・・」
「催促の手紙さ、一刻も早く聖杯戦争で勝者になれ、とな。起死回生のためには、もう聖杯戦争に勝つことしか手段は残されていない」
「ここまで来て脱落するわけにはいかないんだ・・・必ず僕は勝者となる。そのためならなんだってやってやるさ」
スクロールを口にくわえると一気に力を込めて噛んだ。
あまりの圧力に彼の歯ぐきからは血が滲み始める。
「ぐっ・・・うおおおお・・・」
頭に血を巡らせる。
ふらふらとしながら自分を保つと、少し楽になった気がした。
リャオ・ファンは再び歩き始め、ランサーも兜をかぶったままその後ろをついていくことにした。
「ひどい面だぜ、マスター」
ふとランサーが後ろから声をかける。
リャオ・ファンはこれまでランサーと行動を共にしてきた。
顔は見えないが、その声はいつにもまして優しいものだった。
「・・・そう思うのなら、僕が少しでも楽できるように、早く戦いを終わらせてくれないか」
ランサーのほうを振り向くことなく、リャオ・ファンはひたすら歩いた。
***
相も変わらず、ロンドンの地下のどこかから彼女は戦場を見渡していた。
金色の液体が満たす直径1メートルと少しばかりしかない彼女の領域の中で、ミランダ・ウォルフォークは次の手を打つべく電子の海で量子の脳を稼働させていた。
「その様子を見るに、私の手は口に合ったようだな神父、年代物だぞ」
「・・・味のことを言っているのなら、最悪だったよ。ミランダ」
調整槽の前にアバーラインとアーチャー、そしてアサシンが立っていた。
「伝統ある魔術師の家系である君が、マスター権を譲渡するとは思い切ったな」
「ダーニックに影響でもされたか?」
アバーラインは挑発的な態度で尋ねるが、目の前の人形は口も目も開かずに言葉を発した。
「私をあの男を一緒にしないでもらいたい。当初から私の方針は変わっていない」
「聖杯戦争においてマスター権の譲渡は想定されている戦術だ」
「これでこちらにはアサシン、ランサー、アーチャーの三騎が揃った」
「ロンギヌスのベイリン、皇帝ナポレオン、加えて真名が漏れていないアサシン・・・」
「勝機は限りなくこちらにある。お前もこちらに下った以上、最後まで務めを果たすことだな、アバーライン」
「・・・」
アバーラインは黙ってうなずいた。
彼が合図をすると、暗闇の奥からホルマリン漬けの腕が運ばれてきた。
「そいつは・・・」
見慣れた令呪の形を見て、アーチャーが呻いた。
「シャルロット・ロジェの腕だ。これで、アーチャーのマスターになれるだろう」
「・・・なるほどな。使えないアサシンよりも、俺をサーヴァントにするというわけだな」
「見る目があるぜ、マドモアゼル。そうだなぁ、こんな辛気臭いサーヴァントより、俺を従えて聖杯戦争に勝ったとなりゃ話題性も十分って寸法だ」
ナポレオンが強がって挑発するが、アサシンは何も言わなかった。
「チッ、面白くねぇ奴」
「アサシン、お前は何とも思わねぇのか?」
「・・・マスターの指示は絶対だ」
「けどよ、こいつはお前を捨てたんだぜ。 崇高なる儀式だなんだ言ってるが、テメェのサーヴァントで勝負する自信がないってことだろ?」
「・・・その辺にしておけ、フランス皇帝」
アバーラインが遮る。
「お前もだぜアバーライン。お前も、あのリャオ・ファンってやつも結局この女の捨て駒になって終わるのさ」
「これ以上、新しいマスターの機嫌を損ねないほうが良いぞ」
「上等だぜ。俺を従えたければ、それこそ令呪でも使うんだな。アイツの腕を吹っ飛ばしたみたいによ!」
アーチャーが声を荒げる。
砲塔を取り出して、ミランダの調整槽めがけて引き金引こうと動き。
「では、さっそく使わせていただくとしよう」
砲撃が放たれることはなかった。
どこからともなく女の声が響く。
暗闇からコツコツと歩く音が聞こえて、人影が見えてきた。
白く、時代錯誤なドレスに身を包んだミランダ・ウォルフォークの人形が現れる。
人形がホルマリン漬けの腕に手を伸ばすと、ひとりでに腕が飛び出して、彼女の手に収まった。
「なんだと?」
アーチャーが止めようとするのもつかの間。
「令呪を持って命ずる、アーチャー・・・」
「ミランダァ!!」
そして手の甲から眩い閃光が走った。
ちょっぴりスランプですが、最終章まで構想も決まっているのでこのまま書き続けます。