――あの手を握り返せなかったのはなぜだろうか。
既に幾度となく自問した命題を、俺はまた性懲りもなく繰り返す。
ダネルNTW-20が俺の部隊に配備されたあの日、ドクター・ドラゴンフライの工房で月並みな挨拶と共にあいつが差し出した右手に、俺はついぞ応じることができなかった。
それは何の故なるか。
新品の
機械仕掛けの人工物が、思いのほか人らしい挙動をしたことに虚を突かれた?
それとも、『彼女』の肌があまりに白いのに――
「……分かるものか」
仕方がないではないか。幾度繰り返したとて俺は明確な答えを自分自身に与えることができないのだから。
そうかといって分からぬものを分からぬままに捨て置いて、安穏としていられるほど神経が太くもできていない。
結果として俺は既に行き止まりであると理解している隘路に自ら迷い込み、やはり行き止まりであったかと確認するだけの作業をひたすら繰り返していた。
「はい、指揮官さま! できあがりましたよう~!」
素っ頓狂な声がした。
「なんだ?」
「報告書ですよ報告書! ご自身の仕事を私に押し付けておいて、まさかお忘れではありませんよね? このカリーナちゃんの白魚のような指をこんな瑣事に駆り出しておきながら、ご自身はのんびり物思いに耽っていたなんてこと、ありませんよね?」
「ああ」
「『ああ』ってなんですか! やっぱり忘れてるじゃないですかあ!? ひどいです……そんなひどい指揮官さまにはお仕置きしかありませんね……」
カリーナが一人で勝手に馬鹿を炸裂させている。しかし彼女はやると言ったらやる女だ。どんなナンセンスな思い付きであれ、一度言い出したことは責任を持って最後まで成し遂げる。責任感が強いのは結構なことだが、願わくは俺を巻き込まないでもらいたい。
カリーナは俺への罰をああでもないこうでもないと思案している。あまり放っておいてエスカレートされても困るので、俺は適当なところで彼女に声をかけた。
「すまなかった悪かったこの通り頭を下げて謝る後生だから許してくれカリーナいやさカリン様」
「指揮官さまがそこまで仰るなら仕方がないですねえ! カリンちゃんの慈悲は遍くこの世を照らしますとも、ええ!」
これが俺の後方幕僚だと思うと些か心配になってくるが、これで滅多なことは言い出さないだろう。俺はかつて彼女の思い付きによって被った辱めの数々を思い出す。
戦術人形用
「では、はい、指揮官さま!」
過去の辛い記憶を思い出して俺が涙を浮かべていると、カリーナは満面の笑みで再び紙の束を俺に差し出した。
「これ届けてください、宿舎まで」
なんだそんなことか、と思いはすれど口には出さない。余計なことを口走れば、彼女は調子に乗って罰の程度を引き上げにかかるだろう。
「ふん、いいだろう」
俺は不服そうな表情を作り、不承不承の体で彼女から分厚い作戦報告書の束をひったくった。
「あら、意外と素直ですこと」
「余計なお世話だ」
戦術人形はAIに学習させることによって、より状況に最適化された戦闘を行うことが可能になる。AIに経験を積ませる方法は主に二つ。直接戦場に送り込むことが一つ。また他の戦術人形が記録した戦闘データを取り込み、戦闘を追体験させることが一つ。
しかし、このテクノロジーの時代に何の冗談か、作戦報告書は物理媒体である紙に手書きで作られている。
そのアナログな情報を、戦術人形はカメラを通じて己の記憶媒体に焼き付けるというわけだ。
今や生身の人間ですら紙などという
だがそれに一体なんの意味があるというのだろう。
戦術人形の開発者どもは自分たちが何を作っているか理解しているのだろうか。
くだらぬ感傷の果てに己の研究成果を遺棄する羽目になった哀れなヴィクターと同じ轍を踏みたがっているとしか思えない。
「では、よろしくお願いしますね、指揮官さま」
重い繊維の塊を抱えて耽っていた沈鬱な思考を破ったのは、やはりカリーナの能天気なアッパーボイスだった。
彼女は余計な仕事から解放された高揚感からか、鼻歌交じりに自席へつこうとしている。
まあ仕方ない。元はと言えば俺がカリーナに押し付けた仕事である。さっさと戦術人形の宿舎へ行って、義務を果たしてくるとしよう。
「ところで、これはどの戦術人形に渡すのだったか」
「それも忘れちゃったんですかあ……?」
カリーナは呆れたような声を出すが、忘れたものは忘れたのだ。隠していても始まらない。
「ええと、今回待機していたのはウェルロッドMk-Ⅱ、9A-91、416にスコーピオン……それと――」
――ああ、そうだった……。
カリーナが列挙している間に、俺は自分が何故彼女にこの仕事を押し付けたのかを思い出した。
「それと、ダネルNTW-20ですね」
仕事である。
顔を合わせたくないなどと言ってもいられない。
「……了解した」
ようやくそれだけ絞り出すと、俺は大きなため息をついた。
[第4話につづく]