未明より開始された戦闘は、概ね俺たちの優勢で進んでいた。
突如として、駐屯地至近に現れた鉄血の偵察部隊はあえなく監視システムによって発見され、程なくして出撃した我が部隊の追撃によって潰走を始めている。
敗北しようのない勝ち戦。
このまま散り散りに逃げる敵を殲滅してしまえばそれで片が付くだろう。
もはや組織的抵抗を行うこともできない相手だ。別に逃がしてしまったところで大過は無い。むしろ弾薬類の節約になるくらいだろう。
しかし俺の報告を聞いた上層部は欲をかいた。
「勝てる戦いならばできる限りの戦果を挙げろ。殲滅し、可能ならば敵機サンプルを送れ。容赦は要らない。弾が惜しければ後で好きなだけ送ってやる」
ようは点数稼ぎだ。
俺たちは軍人であるとともにサラリーマンでもある。
業績不振は己の評価の低下に直結している。
業績とはすなわち何体の敵兵を殺したかというスコアだ。
「『殺す』だなんて、まるで人間相手みたいなセリフですね」
いつかの意趣返しのつもりか、ドローンからの映像を眺めていたカリーナが言った。
俺はそれを黙殺し、同じデータを隣から覗き込んだ。
「どうにもうまく行き過ぎるとは思わないか」
「自画自賛ですか?」
「茶化すな。俺たちの練度を考慮に入れても、手ごたえが無さ過ぎる」
「罠だと?」
「あるいは、な。だが目的が分からない」
「まあ、鉄血人形の目的なんてこれまで分かったためしがありませんけれど」
カリーナはそう言ってへらへらと笑う。
正直笑い事ではない。
敵の目的が分からないということは、動きを読みにくいということでもある。最終的な目標が分からなければ、相手の出方を推測する材料も不足する。相手が何気なく行っているように思える行動にも、実は意味があるかもしれない。
可能性が可能性のまま確定しない戦場では、できる限りの手を打ってひとつずつ可能性を潰していくほかない。蓋を開けてみればただの無駄足、資源の無駄、戦力の過剰投入。そんな結果に終わったことなど一度や二度ではなかった。
だが、結果として無駄に終わった行動も、意義が全くないわけではない。無駄足を踏んだということはすなわち『そこには何もない』という結果を得られたということなのだから。
それに対して今回の鉄血の襲撃は、相手の行動が少々明白に過ぎる。
こちらの駐屯地へ探りを入れようとした斥候が、しくじって追撃を受け、壊滅。
情報の漏洩は未然に防がれ、俺たちはまた一つ戦功を重ねる。
事の起こりから結末までが分かり切っている作戦だ。指し間違えるはずのない盤面だ。もう数分もすれば現場の指揮を任せているダネルNTW-20が状況終了の報告を寄越すだろう。
――それだというのに。
「それだというのに、なぜ気分が晴れない」
「虫の知らせってやつですかねえ……そんなに気になさるなら、いったん追撃を止めて周囲の索敵に移るよう指示を出しますか?」
虫の知らせ――いわゆる勘働き。
何の根拠もないようでいて、一分一秒の選択が生死を分ける戦場においては存外バカにならないものである。ここでダネルNTW-20たちを一旦周囲の警戒にあたらせたところで、俺たちの勝利はもはや揺るがないだろう。
どうせ鼠のように後からいくらでも湧いて出てくる鉄血兵。それも研究されつくした従来型のマンチコアばかり、いくらパーツをグリフィン本部に送ったところで俺の評価にも、俺の上役の評価にも微塵も影響はないだろう。であれば、今ここで無理に追撃をかけて虎の尾を踏むよりは安全策を取るが賢明か。
「……そうだな。一旦進撃を止めさせろ。罠の可能性もある。周囲の安全確保を最優先にし、然る後、敵残存勢力の掃討に移る」
「了解です。第1小隊、こちらHQ。応答してください、第1小隊――」
カリーナは珍しく軽口を叩くこともなく、俺の言葉を復唱すると追撃に出ているダネルNTW-20の部隊に通信を行い始めた。
――ひとまずこれで滅多なことはあるまい。
俺は椅子に深く背を預けてため息をついた。あとは上役に何と報告するかを考えるだけだ。
「第1小隊、聞こえていますか? 第1小隊! NTW-20さん!?」
しかし気の抜けた俺の思考とは裏腹に、カリーナは切迫した声で未だ第1小隊を呼び出し続けていた。
俺の背中を冷たいものが一筋はしる。
「何事だ」
「それが……第1小隊の応答がないんです。ノイズが酷くって……」
「貸せっ」
俺はカリーナの手からひったくるように通信機を奪い、ヘッドセットをつけるのももどかしく、レシーバーを手で耳に押し付けてマイクに叫んだ。
「こちらHQ! 第1小隊! 応答しろ!」
しかし応答は無い。
帰ってくるのは不愉快なノイズばかりで、こちらの声が届いているのかさえ分からない。
「聞こえているのか! 応答しろ、ダネルNTW-20!」
「こ■ら■■■ちしょ■たい。しき■■■てっけ■■ワナ■■!」
「ダネル!?」
ようやくノイズの向こうからダネルNTW-20の声が切れ切れに届いた。普段の落ち着いた様子は姿をひそめ、何事かを伝えようと必死に叫んでいるらしい。
「ワナだと? 状況を報告しろ、何が起きている? 大丈夫なのか、部隊は、お前はッ――カリーナ、ドローンの映像回せっ」
「り、了解です」
カリーナは慌ててドローンのコンソールを操作する。横目に見た様子では、カメラからの映像にもノイズが走り、観測するに十分な鮮明さを保ってはいない。
――ジャミング。
鉄血どもの小細工に違いない。
「■■はさんほうこ■からど■じにちかづ■て■■。この■■■は、かこ■■■!」
「……釣り野伏か」
予め定められた作戦だったのだろう。
状況は明確ではないが、ハメられたのはどうやら事実のようだ。
もし一呼吸早く状況を確認していれば、こんなことにはならなかったろうか?
もしもっと慎重に進軍させていれば、敵の術中にはハマらずに済んだろうか?
もし上役を説き伏せることができていれば、今頃は愚痴でもこぼしながらダネルNTW-20の報告を聞いていられただろうか?
たっぷり3秒間、俺の脳裏は幾百幾千の『もし』に支配される。
だがそれまでだ。
俺はカリーナの声で我に返った。
「やられましたね。どうします?」
「――敵の妨害が始まってまだいくらも経っていない。今ならまだ網は閉じ切っていないはずだ。即刻転進、退却! 同時に第2小隊以下を出撃させ追ってくる鉄血どもを迎撃させろ!
* * *
それからは、まごうことなき泥仕合だった。
第1小隊が敵の包囲網から辛うじて逃れたまでは良かったものの、当然無傷でとはいかなかった。隊の半数は重傷を負い、各隊員が率いていたダミー人形は無事である物の方が少ない有様。メインフレームを喪った戦術人形がいないのは幸いだったが、小隊再稼働までにはそれなりの時間がかかるとドクター・ドラゴンフライには釘を刺された。
結局嵩にかかって第1小隊を追ってきた鉄血人形たちは、後発の第2小隊以下の戦術人形たちがすべて処理した。奇策は奇策。第1小隊を封殺できなかった時点で、敵は退くべきだったのだ。これっぽっちも同情はできないが、やるときは徹底的にやらなければ死ぬのは自分だと、俺も気を引き締めなければならない。
「同じ轍を踏むところだったのだからな」
イージーな戦争などどこにもない。
いつでも銃把を握るのは俺たちで、銃口が向けられているのも俺たちの心臓だ。
気を抜けば人ひとりあっけなく死ぬ。
いつの世も、戦争とはそういうものだ。
「まったく、馬鹿者め」
雑然とした人形工房の一角、俺は修復用のハンガーに吊るされたダネルNTW-20を眺めながら呟いた。
駐屯地に帰り着いたときの彼女は、それはもう酷い状態だった。
未だメインフレームとしての機能を維持しているのが不思議なくらいの損壊具合だったのだ。
記憶領域から抽出した記録によれば、他の部隊員の退路を確保するために自ら殿《しんがり》を買って出たらしい。
彼女の銃は、戦術人形の膂力を持ってすら立射は不可能なほど取り回しが悪い。敵にとっては良い的だったろうが、要するにそれが彼女の狙いだった。彼女の目論見通りダネルNTW-20に狙いをつけた鉄血は、その他の戦術人形への注意を怠り撤退を許すこととなったのだから。
だがそれも彼女の練度があってこそ実現した奇策である。
勤勉に、実直に訓練を怠らなかったからこそ掴んだ勝利だった。
俺はただ狼狽えていたにすぎない。
「やはり俺には指揮など向いていないのかもしれないな」
「――らしくないな、指揮官。君が弱音を……それも
ハッとして顔を上げると、眠たげにまぶたを持ち上げて、ダネルNTW-20が俺に視線を向けていた。髪と同様、深い桃色の瞳が俺を捉える。絞られた人工の虹彩の奥に、俺が間の抜けた顔でいるのが映っていた。
「お、起きていたのか……」
「指揮官がここに来た時に。……『馬鹿』だなんて酷いんじゃないのかい? こんな状態の私に向かって」
彼女は視線で自分の両手足を示す。オーバーホールのために腕も脚も付け根から取り外されて、首と胴体だけの肉体である。
「それで、指揮官は何をしにここへ? 勝利を掴んだ割には浮かない顔だね」
「馬鹿を言うな。敗軍の将だ。少しくらい落ち込みもする」
「『敵の術中にハマりかけた部隊を自らの英断で救出、さらに敵も殲滅し部隊に栄誉と安寧を齎した傑物』エヴァン・クッチャー」
ダネルNTW-20はニヤリと口角を上げて言った。
冗談じゃない。
「やめろ。あれはお前……お前たちの戦功だ。俺は単に右往左往していただけで、なんとかすべての帳尻を合わせたのはお前たちだろう」
「分かってないな、指揮官。なぜ私たちがそれを成し得たのか……なぜ、成し得ようと努力できたのかを」
「ふん、『努力』などお前たちには無縁の言葉だな」
「そうでもないよ」
「……努力とは、人の心が生み出す偏向だ。何かを成そうと望み、持てる以上の力を振るえるのは人の意志あってのことだ。お前たちのAIは『もどき』だろう。人の感情の。『努力』などし得ないではないか」
ムキになったような俺の口調に、やはりダネルNTW-20は薄く笑ったまま答える。
「けれど事実、私たちは『努力』して窮地を乗り越え、今ここに生還してる。ほら言っただろう、作戦報告書を『大切に読ませてもらう』って。あれは比喩でもなんでもないよ。私はただテキストデータをインポートするだけじゃなく、あれを『大切に読んだ』んだ」
「それが努力だと? だから予想を超えて力を発揮できたと?」
「もちろん、それだけじゃないけど。でも、私たちが努力するのがそんなにおかしいことかな」
「それは――」
――それは、おかしいことだろう。
どれほど人間と見分けがつかない容姿を持っていようとも、ダネルNTW-20たち戦術人形は精巧に作られた機械に過ぎない。
機械は考えない。
機械は感じない。
機械に心など宿るわけがない。
だからこそ俺たちは、安心して引鉄を引けるのだから。
俺がそう答えると、ダネルNTW-20は「強情だね」と言ってため息をついた。
「……ねえ、石ころに心が無いって、誰に分かるんだい、指揮官」
「なに……」
「逆に言えば、指揮官、君たち人間に心があるって、誰に分かるんだい?」
ダネルNTW-20の言葉は俺にはさっぱり理解ができない。
そんなことは自明の理で、人間の心の有無など証明するまでも無いように思えた。だが、彼女の言うように、人に心があると証明してくれる存在も確かにいない。
「……俺たちは、俺たちで心があると自認している」
俺が言うと、ダネルNTW-20は嬉しそうに目を見開いた。
「そう、まさにそれだ。それなんだよ、指揮官! 君たち人間が自らに精神活動が行われていることを証明する唯一の手段が『自らそれを認めること』なんだ!」
「……外部から観測することだってできる」
「脳波のことを言っているの? 指揮官は、モニタリングされた波形を見て『俺には心がある』と本当に感じるのかい? それに、君たち人間の脳だって、結局は2進法で物を考えているんだろう。私たちは私たちに心があると『自認している』。なら、
――いいや、何も違いやしないさ。
そう告げるダネルNTW-20の瞳から目を逸らして、俺は無言のまま踵を返し、彼女の前から逃げるように立ち去った。
* * *
「はい、どうぞ指揮官さま」
執務室に戻り、今回のことの顛末に関する報告書を打ち込んでいると、カリーナがマグカップを差し出した。コーヒーらしい黒い液体が湯気をあげ、なみなみと注がれている。
「ああ……ありがとう」
一口啜る。
苦い。
「ダネルちゃん、どうでした?」
「さあな。見たところ達者だったが」
口はな。
「それなら良かったです。安心ですねえ、指揮官さま?」
「……当然だ。彼女は俺の部隊の大事な構成員だからな」
「ふっふっふー、『彼女』だなんて、丸くなったものですねえ」
「なに? それのなにがおかしいんだ」
俺は眉をひそめてカリーナに尋ねる。
するとカリーナは、一瞬真顔になると、すぐに呆れたようにため息をついた。
「自覚ナシですか……恋する乙女かって感じですねえ……」
「なんだ? おかしいことがあるならハッキリ言え。問題点が分からなければ改善のしようがない」
「ああはいはい、大丈夫です大丈夫です。……ま、もう少しご自身のことをお考えくださいね」
意味が分からん、と俺は呟いてもう一口コーヒーを啜った。
やはり苦い。
――そういえば。
「戦術人形に味覚はあるのだろうか」
[Anima Machinae・了]
これで一旦このお話はおしまいです。
ご覧いただきありがとうございました。
エヴァンとダネルNTW-20は好きなコンビなので、またどこかで顔を出すこともあるかもしれません。その時はぜひまたよろしくお願いします。
とりあえず、学パロ百合ものが書きたい……(修羅