メリークリスマス(ガチャ産スキン0)
三十六計なんとやら。多少の衰えこそあるものの未だ壮健と称していい肉体に恐怖というガソリンを注ぎ、ろーちゃんの手を引いた指揮官の背は脱兎の如し。だが無情なるはAR15の身体能力。良質なパーツによって組み上げられた彼女の脚の瞬発力、持久力には眼を見張るものがある。
「何故逃げるのですか」
「そんな気がするからだよ!」
AR15の問いに筋道立った返答を寄越すほどのゆとりが心から失せて早数十秒。何故アサルトライフルには奇天烈な人形が頭を並べているのか。抱いた疑問は義憤──あるいは私怨──に。徐々に汗腺が機能し始める最中、指揮官は視野の外でニヤける女を一度殴ろうと決意した。
「ぁ、あの!」
「悪いろーちゃん話は後だ!アイツに捕まったら巣穴に引きずり込まれて何されるか予見できるもんじゃねえ!」
「他人をアリジゴクみたいに言わないでくれる?」
「あ、の、ですから、その!……手」
「ああっ、悪い……」
死角から一撃を浴びせられた男は崩れそうになった姿勢を辛くも立て直し、意識せず取っていた少女の手を離した。
赤褐色の恥が、尚も足を回す指揮官が抱いた感心、重心の変化に囚われないその能力への賞賛が言葉にされるのを阻む。人形とはいえ彼女は初対面の少女。事情も説明せず手を握りあまつさえ逃走劇の共犯者にされてはまず好感を覚えないだろうし、何よりそこまで考えが及ばない過去の己の浅はかさが恥ずかしい。
そんなんだからいつまで経っても嫁さんの一人すらもらえないんだとからかってきた奴は今や二人の家内を持つ妻帯者。ああはなりたくないと身震いし、空気抵抗に苦しむ帽子を元の深さへ戻した指揮官の耳に並走する声が木霊した。
「いえ、大丈夫です。それよりミスタ。事情は存じておりませんが私は貴方の味方をしなければならないように思えます」
「そうしてくれると非常に助かる。ここで君が敵に回ったら……ああ!考えただけでおぞましい!」
「でしたらミスタ、次の突き当たりを右折してください。そのまま道なりに走って、二番目の角を右折した階段を上って。その近くにある倉庫には非常用の脱出口が隠されています」
「でかした!やっぱり持つべき部下はイロモノよりも君みたいな真面目な奴がいい」
それは嫌味でもその類でもなく、心の底から無意識に飛び出した、いわば嘆きと諦念の結晶だった。
思い返せばいつもそうだ。四分の四が問題児の404小隊を筆頭に最近挙動が怪しいAR小隊、9A-91、面白テロリストのスコーピオン。重苦しい信頼を寄せてくるVector、やたらひっついてくるUSP、そして生ける悩みの種Kar98k。関わりのある人形の実に半分が傭兵の常軌を逸する行動を起こすのはいかがなものか。
ならばAR15が奥の手と言わんばかりに加速を重ねたのは、堅物さと真面目さの塩梅がいいRO635に多少鼻の下を伸ばした指揮官への、神が与えた罰なのかもしれない。
「おまっ……!少しは手加減しろ!三十の男の尻を必死で追いかけて何が楽しいんだ!」
「指揮官が逃げるからでしょう」
「ええい!俺を捕まえようとする暇があるなら訓練しろ訓練!」
「貴方を捕まえてからそうさせていただきます!」
しなやかに動く太ももの横に、慣性に従って踊るナイフが一本。そいつが電球の光を幾度も刀身に映した時、指揮官の肩を新しい相棒の手が叩いた。
「ミスタ、上着を貸してください」
「ぉ……おう!頼んっ、あ、息、やべえ……!」
「ありがとうございます。──ふっ!」
ろーちゃんの手から灰色のコートが放たれる。空気の抵抗を受け失速したそれは、ピンク色の悪魔が進む先をわずかながらも塞いだ。
(甘いわねアンノウン。指揮官の上着を投げて私の視界をコンマ一秒でも塞ぐつもりでしょうが、そうはいか──)
重心を下げたAR-15の視界に飛び込んだのは、一粒の種。
破裂した光が、空を覆う。
☆
「し、しんどぃ……」
ろーちゃんに導かれるまま逃げ込んだのは備蓄倉庫。曰く隠し通路が仕掛けられているとかで、万が一追い詰められても脱出を図ることが可能らしい。
俺はただひたすら感心していた。先程のフラッシュバン仕込みコートといい、常に一通りの少ないルートを選択し続ける処理能力といい、とても新人とは思えない優秀さだ。是非ともウチに入って問題児共の手綱を握る手伝いをして欲しい。更に言えばボディーガードも請け負って欲しい。
「ありがとうろーちゃん……おかげで助かった」
「いえ、おそらく見つかるのは時間の問題でしょう。彼女達は優秀です」
静かに未来を語るろーちゃんの声はとても冷ややかなものに聞こえて、嫌でも俺に現実を突きつける。
その通りかもしれない。いや、その通りだ。腐っても奴は上位モデル人形だ。特に失せ物探しは得意分野だろう。
想定される中で最悪なのはAR15以外の参戦だ。M4ちゃんはともかく愉快犯のSOPIIと面白いこと好きのM16が乱入する可能性は大いに考えられる。
武装、しておくべきだろうか。捕まったら何か大切なものを失う気がする。
「あの、ミスタ。少しお話していただけないでしょうか。お互いをよく知っておけば今後逃走する際に上手く連携が取れるかもしれません」
不意に持ち出された提案はろーちゃんなりの気遣いでもあるのだろう。何故だかそう確信した俺は些末事含め話そうと頭を整理した。
仕事のこと。趣味のこと。最近配下の人形達との距離が異様に近くて困惑しているという悩みから、この戦争のことまで。流石にパンツの一件とひん剥かれた件は言及を避けた。
ろーちゃんも色々話してくれた。生まれのこと。ラボのこと。いつか前線で勇敢に戦える人形になりたいという夢。趣味を探してみたいという人間らしい欲求。
「それでですね、その時ペルシカさんが──」
「あの人はなあ。頭がいいのは分かるんだがこう、なんだ、掴めなさすぎて怖い。UMP45ってのが知り合いにいるんだがそいつと近いニオイがしてなあ」
こんな中でもお喋りしてくれる付き合いの良さ。
「じー……」
時折俺を値踏みするような視線を送ってくるのは、彼女がまだ多くの人間と接していない故か。
「そこまで見られるとやりづらいんだが」
「これは失礼いたしました。どうかお許しを」
「いやまあいいんだけど。三十歳の男なんて見ても面白くないだろ?」
そこで僕は呟きが失言の類であることを悟り、咄嗟に唇を結んだ。
こんな質問をされても立場的にろーちゃんは返答に困る他ない。文字通り命の恩人を困らせて何とするか。つくづく自分の浅慮さに嫌気がさした俺は、自嘲しつつも場の空気を一変させる話題を求めた。
それをもたらしたのは大脳皮質でも高等AIでもなく。
俺が最も接触を避けたかった足音だった。
「……ミスタ」
「いらっしゃった、みたいだな」
コツ、コツと床を打つ音が反響する。ろーちゃんも聞き取ったようで、得物の準備を整え始めた。
足音の数は二つ。状況から察するに、恐らくそれらの主はM16とSOPIIだろう。自分でも驚愕するほど根拠のない勘だが、何故だか確信が持てる。
心臓が跳ねる。背筋を冷たい滴が伝う。倉庫の奥から発掘したUSPと演習用模擬弾だけが自衛手段のこの男には16Lab製のエリート人形を相手取るのは厳しい。
音のないアイコンタクト。彼女の目は今までで最も険しく、残酷な事実を告示する。
『閃光弾は一、残弾は六十』
こつり、コツリ。
一秒を刻むごとに確かになってゆく足音のバラード。旧時代の死刑囚は今の俺と同様の胸懐を抱いていたのだろうか。
「…来ます」
最後の壁が横にスライドする。
「よぉ指揮官。いるんだろ?」
「やっほー指揮官!お迎えだよ!」
心のどこかでこの二人でないことを、と捧げられていた祈りが砕かれ、意識の及ばぬ組織が口に舌打ちをさせる。
二人の前に歩み出る。それら意識を俺に集中させ、倉庫の暗然たる隅に潜むろーちゃんに気がつかないようにするためだ。彼女は俺の最後の希望。叶うなら、伏兵として。
「そう身構えないでくれ。ちょっとした相談だ」
「お前らのママに『信じて欲しければ少しは善行を積め』って伝えてくれるか?」
「それは貴方が直接言った方が効果があるだろう」
SOPIIが、跳躍する。
威嚇する間はなかった。黒い筒が震える前に、SOPIIの色のない衝動が俺を抑え込む。咄嗟に下からすくい上げた左手すら虚空を過ぎるばかりで、俺は刹那にも満たぬ時の流れのうちにSOPIIに押し倒される形になった。
薄暗い空間だが、この無邪気な猟犬の頬が微かに紅潮していることが見て取れる。あるいは、いや、必定。人形の前では武装の貧富問わず人間は獲物に過ぎないと痛感させられる。
それでも諦めず、躯体を捻る。脚を振り上げる。抵抗虚しく膝を楔代わりに突き立てられ、俺の肉が小さな悲鳴を上げた。
「ミスタ!」
その声に頓悟し首を振り上げる。瞬刻SOPIIの拘束が緩み、手首の自由が利くのを確かめた俺は、伸ばした人差し指で耳孔を埋め立て瞼を閉じた。
もう一度激しい光が炸裂し、M16とSOPIIの両眼を覆った。防眩レンズもなしに直視した光から復帰するのは至難の業だろう。
「……っ!待てっ!」
だが、SOPIIは止まらない。M16もまた苦悶の中で腰のフラッシュグレネードに手をかけていた。その根性に恐怖を抱く。
本能が警鐘を鳴らしているのが分かる。狂犬の追撃を躱し、弾き飛ばされたUSPの回収に成功した俺は、定まらない姿勢を厭わずM16の腰ベルトに照準を合わせた。
魂を震わす贋造物の銃声。模擬弾がベルトからグレネードを追い出し、思わず上げられた男の歓声が響く。
「今です!」
ろーちゃんが俺の手を握った。強く、強く、痛いほどに。絶対に放すものかという強靭な意志が人肌の温もりに乗って俺の心へと至る。
倉庫の隠し扉を開け、現れたスロープへ。内側から鍵を閉めたので連中はもちろんAR15も追ってはこれないだろう。
何だかどっと疲れた。ろーちゃんの厚意に甘え華奢な背中に乗る。ほのかな甘い匂いが意識を溶かす──。
☆
何だか視線を感じる。
ゆっくりと瞼を持ち上げた。二色の眼が冴えない男の寝顔を愛おしそうに見つめている。
「ここは……?」
「車です。私が手配いたしました」
曰く、ペルシカの目を盗んで俺をグリフィンへ送る送迎車を用意してくれたらしい。何から何まで助けられてばかりだ。感謝の言葉を告げようとした口が、ろーちゃんの細い人差し指に塞がれる。言うな、と伝えたいのだろうか。
続くように、ろーちゃんの左手が俺の頰を撫でた。くすぐったくて、心地よい。
一分にも、一時間にも、一年にも感じられる時の流れ。一体どれぐらいの間ろーちゃんに撫でられていたか判然としないが、とにかくグリフィン基地には帰ってくることができた。
「それじゃあ、またいつか」
「はい。いつの日か貴方の指揮下で戦える日を楽しみにしております」
俺の頭上を一機のドローンが行く。今日もグリフィンの防衛システムは万全のようだ。
☆
「………………あ。おかえり。どうだった?」
「とてもよい時間でした。ご協力感謝いたします。ペルシカさん」
「別にいいよ…………。ROが満足したなら嬉しいし、私も指揮官が振り回されるのを見るのは好きだから」
「私はあの方を見るのが好きなようです。ええ、ずっと……ずっと見ておりますからね」
──。私の指揮官
ドローンが一機、帰還する。
そういえば何話か忘れたけど指揮官が視線を感じてましたね……(伏線にもならない伏線)
ろーちゃんが最初から好感度振り切れてる理由はまあ大体ペルシカが悪い。
要は狂言誘拐ならぬ狂言騒動的な。