「つっかれたぁ」
色々な意味で。
うんと背伸びし、大きく深呼吸した俺の手からペンが放たれ、机と衝突して小さな音を立てる。それが終業の合図。刹那俺の意識は仕事から離れ、一日が終わりを迎える。
長針は九を、短針は六と重なっている。ここ半年の平均終業時刻から実に二時間も早い。ほくそ笑んだ俺は過去の自分が産み出したこの小さな休暇をどう過ごそうか思考し、そして高揚していた。
二時間は短いようで長い。それだけあれば長風呂をエンジョイできるし、寝間着で読みかけの本も堪能できる。読書ではなくやっとの思いで入手したレトロゲームに熱中するのも許されるし、愛銃の手入れだってしてやれるのだ。
さしあたって一つ、直面せねばならない課題があるということを告げておく。つまるところ暇な俺は格好の餌食と同義。無防備を晒せば死角から配下の人形が飛びかかり絡まれること待ったなしだ。彼女達に構うのも一興であり指揮官の務めであるが、譲れない一線を守る程度の自由は許されて然るべきと主張する。
「ふろふろっふろ〜っと」
風呂用具一式を格納した嚢を腹と服の隙間に隠し、あたかも仕事中です感を装った神妙な面差で廊下を歩くこと十分。今朝得た神のご加護が切れていないらしく、配下の人形と一切すれ違わなかった。軍人は無神論者ではないが、神の実在を疑う生き物だ。俺も例外ではないが、こうも奇跡が続けば教会を訪ねてみようかとの気分になる。
何度目かの雷が轟いた。
思い至ったのは荒れ模様の無粋さ。何をするにしても悪天候は興を殺ぐ。基地内が閑散としている事実に現実的な理由を求めるならば、間違いなくこいつだろう。
またしても思考の湿地帯に片足を浸しているのを悟った俺だが、合わせて大浴場の入り口を過ぎ去りかけているとも知り、えらく驚いた。
我にもなく苦笑し通る来た道を再び。衝突の直前女湯の暖簾が揺れたが、ブレーキは間に合わなかった。
「おっと……」
「おっ」
衝撃に煽られた黒の長髪が鼻下をくすぐり、ほんのりと甘い香りが鼻腔を通って脳の芯を包む。赤みがかった肌の一端を覆う眼帯がいつにも増して黒く見えた。
M16A1は俺が指揮を執る人形の中でもとりわけ優秀かつ奇天烈な個体である。頭脳射撃技術等一歩兵に要求される技術を高い水準で修めている点は評価に値するし、その姉御肌的な性格の振る舞いが何度助け舟になったか今となっては覚えていないが、いかんせんこいつは飲兵衛が過ぎる。趣味はと尋ねられた声に酒の銘柄をしたり顔で返すぐらい、筋金入りの酒好きだった。しかしどれだけ飲もうが酔おうが翌日の戦闘で一切不調を訴えないどころか、普段通りの機動を行ってみせるのはM16が宿すプロフェッショナルとしての矜持か。
そんなM16は俺にとって言わば頼れる相棒。風呂上がりの熱を残し、水も滴るいい美女と呼んで差し支えないエロスを醸し出している彼女は色んな意味で心臓に悪影響をもたらす。
「悪い指揮官、少し考え事をしていた」
「俺の方こそ前方不注意だ。怪我はないか?」
「あれぐらいで壊れてたら戦術人形を廃業せないかんさ。指揮官は?」
「あれぐらいで怪我したらお前らの上官なんか一発でクビだよ」
「ところで指揮官、仕事上がりかい?」
まずい──と第六感が警鐘を鳴らす。
「いや……まだ任務中だ。ああ全く忙しい忙しーいー」
「ふぅん」
「あっいやっ」
無機質な相槌をよこしたM16はじっくりと、ねっとりと、絡みつく手つきで自己主張する俺の腹を撫で回す。すると確信を得たのか、無礼という言葉を踏み潰しながら服の下へ五指をねじ込み、シャカシャカと音を出す異物を摘出した。たまらず俺は眼を虚空へ逃がすが、オモチャを手に入れたM16の前にはそれすら徒労に等しい。
「これ、何だ?」
一瞬動かした視界にニタニタとした加虐的なスマイルが映る。今朝のAR-15を想起させるそれは、M16が乱雑に鞄から布切れを取り出すと同時、ごまかしがきかないまでに歪んだ。
「しきかんさまぁ?バスタオルとマイ石鹸が必要なお仕事について、どうか無知蒙昧な
「あ、いやその……それは……な?」
「
「ええいわかった!俺が悪かった!だから頼むからそのわざとらしい口調をやめてくれ!」
「フッ……冗談だ。指揮官のプライベートを邪魔するぐらい私も愚かじゃないさ」
「何十回と俺の休日を酒浸しにしたお前が言うか。それにお前と飲んだ後は妙に眠くなる。すまんが今日は読書がしたいから酒は……」
するとM16はどこか哀しげな顔をして。
「悪い悪い、忘れてくれ……」
語尾を弱めた飲兵衛が俺の面を覗き込む。黄金の楕円に絡め取られ、どうにも眼前の女を見つめることがやめられない。M16の眼差しには不可思議な魔力があった。
時を忘れ、ただ目を合わせるだけの静寂。一寸眠くなった俺の意識を、小気味好い破裂音が現実に引きずり戻す。M16が疲れ切った頰を軽く、痛みを感じさせない絶妙な加減で叩いたのだ。
次いで細い指先が眼窩の下底をなぞる。行動の主旨は理解できないが、悪戯でないことは彼女の神妙さが語っていた。
「予想以上に疲れてるな。クマができてる」
語った声遣は無線交和中の人形と、あるいはそれ以上の気配が感じられる。睡眠時間は軍人にしては十分確保しているし、日々の食生活や非番の過ごし方等も上手く組み立てているつもりだ。ストレスは日を重ねるごとに加速するが、対処方法もまた日進月歩のはず。少なくとも自分では確信していたが、他人から見れば俺は疲労に屈しかけているらしい。
M16はそれが面白くないと言わんばかりに不機嫌になっていく。クマを擦る指は首へ胴へと次第に降下し、へその右隣を終着点とした。
「よし、決めた。今日は見逃してやろうと思ったがやめだ。指揮官、私に付き合ってもらうぞ」
それは酒の合図だろうか。申し訳ないが流石に今日は飲む気がしない。素寒貧だし、休肝日だし。
その旨を伝えると、彼女は首を横に振った。これには驚き、リアクションが遅れていると──。
「私が指揮官の疲れを身体から抜き取ってやる。なあに、大船に乗ったつもりで身を委ねるといいさ」
頼れる相棒は俺の手を強引に取り、男湯へと歩を進めた。
☆
「指揮官、風呂の正しい入り方を知ってるか?」
「先に身体洗ってから……だろ?」
「マナーの話じゃない。入浴一つにしても手順ってモンがあるのさ。ほれ」
飲みさしで悪いがと断ったM16からスポーツドリンクのボトルを手渡される。ボトルケースにどう見てもM4のデフォルメ顔が刺繍されていたが、どうも踏み込んではいけない気がしたので言及しなかった。
男と、人形ではあるが女がタオル一枚で共存する、ここは男湯の更衣室。清掃中の看板が番人になってくれると雄弁に語られた俺は、M16の企てを拒絶できずにいた。
大浴場は字面の通り広い。プランナーの趣味で極東のセントウを模した様相にされている。タイル貼りの床、整列するシャワーホース、木の浴槽、燈色の光源。損傷した戦術人形を癒すドッグとは異なり、こちらに流るる液体は何の変哲もない四十度の水。整備に専属の技師達が雇われるという手厚さっぷりだ。クルーガー氏曰くここは地獄と化して久しい現代世界最後の楽園。破壊された日にはグリフィン所属兵全員が狂戦士になるだろう、とのこと。
そんな楽園を二人占めする背徳感も、M16にされるがままとなっている要因の一つ。
「まずは洗体だ。一度湯に浸かってからが最適なんだが、まあそこはマナーだな。どれ、洗ってやるからタオル、外すぞ」
ニュッと伸びた彼女の右手が腰布を掴んだ時、俺は自分でも驚愕する叫び声を上げた。
「うわぁぁぁああ何をする!?やめろ!ヤメロォ!」
「腰のタオルが邪魔なんだ指揮官、外してくれ」
「外すか!背中だけ洗ってくれ前の方は自分でやる!」
声を荒げ挙句両手をM16の顔と身体を阻むつっかえ棒としたが、良心と使命感を暴走させた馬鹿者に止まる気配はない。俺も俺で左手がふっくら柔らかい物体を掴んでいる事実を遅ればせながら察知したが、今譲歩すれば待ち受けるのは死と知っていたので、離すという選択肢はなかった。
そもそも立場が逆ではないか!?慣例に従えば助兵衛な男が押しに弱い女の布をプレイの一環として奪い取るのは理解できるが逆って何だ!そういうのは極東文化の「あ〜れ〜」と女の服の帯を引っ張る文化が男が加害者で女が被害者だと証明しているだろう!それともアレか!M16は俺をいじめて被虐趣味に走らせようとしているのか!考えたなここは隔絶空間助けを呼んでも誰も来ない!その手の類はもうおなかいっぱいだと告げてるだろうに!?
俺は心の中で泣き叫んだ。軍人とか人形とか、上下関係や建前以前に一匹の男として晒す痴態もいいところだ。
気が動転する自分と、事態を客観的に観察する自分の思考が一致する。M4だ。あの子なら俺が呼べば来てくれるハズ。そんな超能力じみた聴覚をあの子は持っている──!
「え、M4!エムフォー!君の姉がご乱心だ!救援をォ!」
「M4なら寝てるぜ。明日の任務に備えて……なぁ!」
ぺろん。俺の骨盤の上を滑るM16の足が再度床と触れ空気を震わせた時、虚しくも抵抗は水の泡へと消えたのだと悟った。
高度一メートルに舞う白いタオルは、降参の旗印と言えなくもない。そのフチの、綻びが神経に電撃を流した刹那。俺はM16を抑えていた両手に露わになった股間を守れと新たな指令を下す。齢三十を迎え衰えと共に歓迎したそいつらは、一瞬だけ全盛期に迫る爆発力を見せ、俺の股座を見事秘匿した。M16の口中で空気が破裂したのは勘違いだと信じたい。
心身共に疲れた俺は半ば諦観し、M16に身を預ける。その手さばきたるやそれはもう見事で、聞けばSOPIIにせがまれよく洗ってやってるのだとか。完全に飼い主と飼い犬のそれに見えるのは不遜だろう。
「よっ……と。ほら、次は半身浴だ」
「全身で浸からないのか?」
「水圧と温度変化に身体を慣らすのさ。急激な変化は毒、だろ?」
一分か二分そこら。M16が何も身につけていないのはもう指摘しないことにした。……水着ぐらい着てよ。恥ずかしいのはこっちなんだぞ。
「なあ、指揮官」
静かに広がる波紋の下で、俺達の手が繋がる。感じる熱は湯のそれか、それともM16の鼓動が産むものか。それを判別する頭はとうに茹で上がっており、俺はただ彼女の声にぼんやりと耳を傾けるのみだった。
「M4は好きか?」
「もちろん」
「SOPIIは?」
「当たり前だ」
「AR-15は?」
「……最近妙な動きを見せる点を除けば、好ましいな」
試練にしては陳腐。ところが真意を掴もうとすれば闇に似た障壁が俺を拒む。
こいつは一体、何を問いかけているんだ。にわかに濁った黄金は揺れもせず俺を映すが、逆に俺の目が捉えているコイツは何だ。
汗腺が滴を分泌する。冷たくしょっぱい、異なる涙。M16がジリジリと俺へ距離を詰めるのに呼応して汗が額を濡らし、ついに腕に絡みつかれたところで決壊したダムの如く噴き出した。
「私には立派な妹が三人もいて、皆指揮官に好かれている。指揮官、私はどうだ?」
「……大切な相棒だよ。初めて会った時から、ずっとな」
「そうか……時々、どうしようもなく不安になるんだ。私の存在意義、価値。私は何のために戦っているのか。問われれば間違いなく妹達のため、そして指揮官のためと答える」
どこからか取り出した燗酒を一口。未だ哀愁を帯びる横顔には普段の酒好きの影はなく、むしろ酒に逃げている節があると──少なくとも俺は感じ取った。
「なあ、指揮官。私達はいつ死ぬか分からない。知ってるだろ?私達AR小隊は特別製でバックアップが不可能だから、死んだらそこでおしまいだ。だからどうか、どうか私達の命がある限りは健やかな指揮官でいてくれ。無精髭はダメだ。クマもダメだ。色々ダメだ」
「まあ、努めるよ。不健康になったら仕事も手に付かんしな」
「指揮官。私はお前が元気でいられるなら、何だって──」
俺の頬を撫でる手が今は細く震えていると知る。
ゆっくりと確実に二つの唇が近づく。突き放そうとして、勇気が出ない俺は目を瞑り……。
「そこまでよ」
一つ、敵意と怒気を孕んだ台詞がその間を貫く。慌てて振り返った空間には、空色髪の人形。
「手を上げろM16A1。さもなくばこのHK416がお前のアギトを食い破ると知れ……!」
評価バーは赤くなるわランキングには浮上するわお気に入りは増えるわでビビりまくりんぐ。皆様には本当に感謝です。ありがとうございます。
ところでAR小隊ってみんな愛が重たい子になりそうな気がするのは私だけでしょうか。そんな感じでM16は無事拗らせました。
そしてやってくる超ヤンデレドール416ちゃん。Googleで「416 や」まで入れると「416 ヤンデレ」がサジェストされるあたりやっぱみんな調べてるんすねぇ。