「……どうしてわかった」
「さっき指揮官が救援を呼んだでしょう?助けてくれM4って」
鬼の形相もかくやといった面持ちから一転、416の薄い唇が下弦の月に扮する。
眼窩に収まるエメラルドが俺の視線とぶつかった時、初めて彼女が真の意味で微笑んだという錯覚を得た。しかしながら、笑顔が常に調和の象徴ではない事実を416の姿勢に教えられる。細い腕を拠り所とする筒が寸分の狂いもなくM16の眉間を捉えていた。
誰の目にも異常と映る状況下。開かれた扉より来たる更衣室の冷気が全身浴で弛んでいた脳髄を震わせ、思考領域が復旧する。
どうするべきか。今度は回転に伴う熱で温まった神経が分析を終え、いくつかパターンを弾き出す。
おそらく416は勘違いをしている。冷え切った二人の関係に起因する誤解。M16は416が想像するような暴行は俺に働いていないし、俺も俺で身の危険を──ある意味感じたが銃器を持ち出す話ではない。
いやそもそも俺があんなに叫んだのが事態を悪化させる一番の原因ではないのか。先んじて謝罪しようとた俺の口の動きは、およそ想定の範疇を超えた416の一声に阻まれ滞った。
「私も『M4』よ」
それは416が禁忌と定める言葉。時を遡り「HK416」という銃が受けた屈辱を呼び覚ます、絶対に口にしてはいけない一言。あろうことか自ら忌み名を唱えた人形の真意は何処に。
理解が及ばない俺を嘲笑うかのように、隣のM16が笑声を上げた。高らかに、腹がよじれているのではないかと勘ぐらせるぐらいに。
一人合点に苦しむ俺は両者を交互に一瞥した直後、416の小さい口が開かれた。
「静まりなさいM16。お前には三つの選択肢がある」
「存外親切じゃないか。一つだけだと思っていたんだが」
「一つ。このまま
「三つ目は?」
「私が指揮官をお前から引き離すまで石の如く無様に地に伏せる選択。ダミーを連れずに蛮行に及んだ時点でお前の負けよ。十秒やるわ、祈るか考えるかしなさい」
M16の行動は素早かった。彼女は挙手を維持しつつ湯船から這い出で、416の銃口が指し示す位置に座り込む。
「一つ条件がある。指揮官はまだ髪を洗っていないからそれだけ待ってやってくれ」
「ええ、もちろんよ。お前はそのまま座って起きなさい。少しでも動いたらならば右腕から吹き飛ばす……指揮官、私に構わずどうぞごゆるりと」
今洗髪する豪胆さは蛮勇と呼ぶのではないか。ならば遺憾なく発揮し神聖な風呂場で揉め事を起こす馬鹿二人の頭をどつくのが指揮官の務めとやらだろうが、俺の身体はそれを拒み洗い場の一角へと吸い寄せられた。
……いいやダメだ。ここでガツンと一喝してこそ漢ではないか。元はと言えば俺の不甲斐なさが招いた事態と指定されれば耳が痛いが、それはそれこれはこれだ。見えている退路は幻覚。自分に言い聞かせ、蛇口をひねる手を止めた俺は、次のM16の優しさにすっかり牙を抜かれてしまった。
「ああ指揮官、髪を洗う時は頭皮を意識しろよな。髪の毛だけ綺麗にしても意味ないぜ」
まるで緊張感がない。返答に困った俺は縋るように416へ視線を飛ばすが、彼女も彼女で絶句と激憤の気色があり、それが救いの非実在を示していると察した。頷き、M16の助言通り頭皮の皮脂に無力感を乗せ洗い流した。
☆
「災難でしたね」
一見事務的な労いのトーンは不気味なまでに平坦で、聞く者に416の機嫌の具合を嫌でも理解させる。
それがHK416を名とする人形の特性である。高い戦闘能力と豊富な経験に培われたポーカーフェイスと声遣い。命を命とも思わない鉄面皮も相まって冷酷無比なバトルドール的な印象を出会う人間に与えるが、その実豊満な胸の内には収まりどころを知らない烈火が渦巻いている。特にM16を前にするとコンプレックスが刺激されるようで、先程のように剣呑な空間を形成してしまう事態が少なからずある。
「なあ416、今更だがM16は何も俺に暴行しようとしてたわけじゃ……」
「キス、しようとしてましたよね?」
「あ、いや……」
「キスしようとしてたわよね?」
「多分……?」
「なら有罪よ」
蒼炎が416の瞳の中で猛りうねるのを確かに見た。返す言葉もなくなり、覇気のない乾いた笑いを喉が作る。
頰をかいた俺は数分前の現場の記録を海馬の中に求めた。力なく内心を吐露するM16。受容と拒絶の間で選択する勇気を失い、先の流れや罪悪感の一切を場の雰囲気に委ねた根性なしの男が一匹。ともすれば倫理観を嘲笑し爛れた関係をどちらかが灰に消えるまで引きずる可能性すらあった中、あらゆる楔をぶち壊して俺に指揮官であることを許した416の視線は、今この場では5.56弾よりも鋭利に俺の心に付いた贅を削ぎ落とす。
人形とは指揮官を欲する存在だとペルシカ氏は語る。多くの戦術人形は指揮官という主人の導きがなければ力を発揮できない。M16に連なるAR小隊の面々は他の人形とは一線を画し、大なり小なりあるものの人間不在下において自律行動を可能としている。ならばその特異性故に自らの限界を悟り、一層指揮官を求めるのは摂理だろうか。互いの持つ全てを交換しようとした、M16の計算結果は否定してはいけない人形達の実情なのだろうか。
謙虚さを欠いた推察。忸怩たる思いに苛まれる俺は、恥の上塗りと知りつつも新風を求めた。
「そ、そうだ416。お前が帰ってきたってことは
「9は基地内をぶらついてるかと。G11は言わずもがなですが」
「UMP45は……?」
「さあ?私には隊長サマの考えが読めないので」
吐き捨てた416に自然と同意を示した俺はどこかに潜む茶鼠色の影に怯える一方、歩幅を合わせる空色娘がどこを行き先にしているのか、それを尋ねる空気を作ろうと努めた。
沈黙は金と昔の偉人が唱えたらしい。金とはいささか過大評価ではとの感触を得るが、適切な長さのそれが会話においてAK47に比肩する信頼性を獲得しているのはまぎれもない事実だ。
そうまで思考して湧いた、「沈黙は金という言葉を誤用しているのではないか」という疑問はこの際置いておこう。
「416はどこへ?」
したらば416は張り付いた氷の顔ではなく、真に冷えた無感動の眼を俺へ向ける。怒りを買ったかと若干慄いた俺がそれを杞憂と知ったのは、間髪入れずの出来事だった。
「指揮官の私室へ。不服ですが、非常に気に入りませんが、ヘドが出るぐらい嫌ですが、私にはヤツの企みが大体理解できる。指揮官の疲れを癒して差し上げるって考え自体には賞賛と賛同を表明するわ」
「俺のために何かしてくれるのか?」
「ええ。指揮官疲れてるようだし、何かに怯えているようだし。そんな指揮官を放っておけないのよ……本当は貴方と顔を合わせずにしようと思ってたけど、これじゃあ無理そうね」
胸中をこれでもかと明かされた俺は気恥ずかしさと、それを塗りつぶしてしまうほど濃い藍色に魂を染め上げられる。
彼女は裏の始末を一点に引き受ける誉なき部隊の人形。その使命から逃げ出す真似も思考もなければ、金以外を求めることもしなかったと──かつてペルシカ氏は俺に語った。
その彼女が親孝行ならぬ指揮官孝行を、都合というものを捻じ曲げてまで申し出た理由を察してやれない愚鈍さは持ち合わせていないが、しかし立ち止まって真正面から416に何か語りかけてやる甲斐性もまた、三十年の人生で磨くことを怠っていた。
脱兎よりは遅く、それでいて亀よりは速い足運びに我知らずなる。それが逃げの意思の表れだと理解した俺は陽射しを遮ってくれる相棒が不在の一つ頭を撫で、深く俯いた。
☆
「耳かき?」
縦に首を振って肯定を示す416を、夜の空を王座とする月が照らす。元来儚げさを感じる彼女の容貌が月明かりなんぞに化粧されれば、それはもう絵画顔負けとなるわけで。
「ええ。カリーナのヤツが言ってたわ。『人間の男は女に耳かきされるのが癒しの一つだ』って。アイツから耳かき棒も手に入れたし、準備は万端よ」
(それ単純にどっかから仕入れた耳かき棒さばきたかっただけなのでは……?)
無粋な疑問を抱く頭は416の膝に乗せられたと同時、思考を止めてしまうのだから、畢竟男という生き物は単純極まりない。
異物感にこめかみが跳ねた。二十六平米の空間に人形の息遣いだけが漂う。言葉はない。416はそれを忘れる集中を発揮しているし、俺は俺で微弱な電流の如き快感と秒を重ねるごとに強まる眠気に挟まれ何か会話の花を咲かせる余裕がなかった。
縁をなぞり終え、木の棒がより深くへ進む。もう一度襲ってくるはずの異物感は時を同じくして背筋を震わせた波の方が圧倒的に強く、感覚が及ばないところでかき消された。
しゃり、しゃり。姿勢の都合で見ることができない彼女の顔が、先刻とは異なり気になり始める。流血なき無償の奉仕という人形の本来の使命を、まさに果たさんと……。
「気持ちいい?」
「ああ……」
「私の価値、認めてくれた?」
「前から認めて……る」
「ふふ……眠いのね」
今や言葉尻すらおぼつかない俺だが、頭を撫でられたのは何となく知覚した。
「左耳が終わるまでは頑張ってよね。その後は私の膝を枕にしようが私そのものを抱き枕にしようが好きにしていいわ」
温い風を受けた気がする。今はそれすらゆりかごのような心地よい快楽。益々瞼が重くなった。
「ねえ指揮官。私は指揮官が命じるなら鉄血もグリフィンも、人間すら撃てる。指揮官が望むなら家事だってやってあげるしどこへ行くにも必ずお供するわ。待てと言われたら待つし、死ねと言われたら修復不可能になるまで自分を壊す用意もある。私は貴方の完璧な人形、でもそうだからこそ私は貴方に捧げるだけじゃなく与えて欲しい。何でもいいわ。物でも、言葉でも──痛みでも」
「そして貴方が私に与えてくれるなら、その気持ちを四倍にしてくれないかしら。一つは貴方によく懐いているG11に。初めてなのよ?あの子が他人のベッドを巣穴に定めたのは」
「一つはUMP9に。あの子に与えるモノは貴方の気持ちがはっきり感じられるのがいいわね。きっと喜ぶわ。『指揮官と家族になれた証!』って」
「最後の一つはUMP45に。普段は飄々としてて何考えてるかさっぱりだけど、アレはアレで貴方を慕っているの」
「ねえ、指揮官。多分貴方は眠る直前で、私の声はほとんど届いてないのでしょう。でも今はそれでいいの。いつか改めて同じ要求をもう一度貴方に突きつけます。でももし、もし貴方の脳みそがギリギリ活動しているのなら──
「いつか私達が奴等に取って代わったら……あら、もう夢の中のようね。おやすみなさい、指揮官。良い夜を」
次誰だそうか迷ってるので初投稿です。本当は全体的におバカっぽい話になるはずがドウシテコウナッタ。
「私も『M4よ』」というセリフには「お前らM16姉妹が指揮官に大切にされてるなら私も当然愛されてるよなぁ?」という牽制と「指揮官に本当に必要なアサルトライフルはお前らじゃなくこの私だそこをどけ」という二つの意味が込められています。
何で指揮官が助けを呼ぶ声が聞こえたのかって?電子機器的な愛の力を駆使したおかげでしょう。
>コルト357マグナム
シキィー(官)ハンター。
>何かに怯えているようだし
パンツ盗まれたら多少はね?