不気味なまでに静かな夜。祭を背にあるべき巣へ帰った戦士達が立てる寝息の間を、UMPの名を冠する二体の人形が闊歩する。
あるいはあの夜と同じ沈黙の一時。恐れるものを飲み込み、恐れぬものを踏みにじる傲岸で野蛮な鉄紺色の空を、窓を隔てて仰ぐ。嫌な顔が脳裏を過った45は妹を盗み見、次いでそっと目を閉じた。
「楽しかったね45姉!私指揮官があんな顔するの初めて見たからさっきからもうずっと胸がドキドキしてて止まんないや」
「私もよ。……ほんと、イイんだから」
冷静さを取り繕った45の胸中は穏やかではない。
最初はほんのイタズラの延長線上だった。しばらく会えてなかった指揮官に構って欲しかったという単純明快な子供染みた欲求も、多少なりとて働いていただろう。
一枚剥げばそれでおしまい。再び闇の中へ消えよう。そう立てた誓いを破ったのは他でもない自分だった、と45は回想する。柄にもなく興奮を覚え、衝動のままに突っ走って主人を素っ裸にしたあのUMP45は主観的にも客観的にも冷徹無慈悲な狩人とは言えない。むしろ──獣だ。策を弄し、退路を断ち、じわじわと追い詰める野獣。例えるなら狼だろうか。
だからこそ、「イイ」。 45は高揚を禁じ得ない。晒される引き締まった身体、りんごよりも赤い頬、茫然に囚われてなおトリックを看破してみせる天賦の才。いや、男としてのプライドか。あの火事場力が何に由来するのか、感覚で物事を捉えないUMP45には未知の領域だが、どうにも魅力的と感じるのは否めない。
だからこそ、と彼女は思う。主人の全てが自分の根っこをくすぐって止まない。
「欲しいな……」
自然に漏れた呟きに、9はただ首を縦に振って同意を示すだけだった。
そんな彼女の内心は鳴り止まぬ心拍音と少しの安堵が満たしている。
初めて言葉を交わした時からそうだった。あの指揮官なる生き物はどうにもこの心を惹きつける。導いてくれるものを求める人形の性だろうか。いや、違う。違法で組み上げられたこの身体、UMP9という人形は決して主人を必要としない。むしろ邪魔、枷になる。
では何故求めるのか。何故家族になろうなどと口走ったのか。故障したのかと怯えていた9はいよいよこの日を以て解を得た。彼が「イイ」からだ。
言葉にできない不可思議な感覚。しかしこの感情に付随する疑問を一蹴するには十分過ぎるまでの力を持った理由だ。そして同時にあの指揮官を自分のものにしたいと思うことが当然だと、少なくとも双子の姉は同じものを欲していると知り、9は臍のあたりがむず痒くなるのを知覚した。
「ねえ45姉、指揮官を私達だけのものにしちゃおうかって提案したら──45姉はどうする?」
だからつい尋ねてしまった。
「実の姉に精神攻撃を加えないで。 9がそんなこと言い出したら私、本気にしちゃうから」
「じゃあじゃあ!どうする?拉致しちゃう?416とG11も誘ってさ!」
「気が早いわよ。そんなことしたらヘリアンにどやされる。まだ大口の取引相手を失うわけにはいかないからね」
諭す口調は果たして妹に向けられたものか。それとも自分に言い聞かせる武器か。その先を思考するのは危険だと知っていたので、45は9の頭を撫でて気を紛らわせる。ふさふさの頭頂、返り血に染まってなお艶やかな髪の感触が心地好い。本音を言えば9がちょっと妬ましかった。私の髪は、ガサついてるから……。
茶鼠色のサイドテールに手櫛をかけた瞬間、ピクリ、と身体が跳ねた。何かニオう。消え入るような足音が聞こえる。命の気配を感じる。尾行されている。
「ねえ、9。G11は流石に起きてるかな?」
静かに、静かに9は右手を腰に当てる。
404部隊共通の暗号。寝坊助をからかう体を装って「尾行されている」ことを意味するそれが9を妄想の花園から現実へと引きずり戻した。
「
「
ああ、そうか。45の中央演算機関の内側で淡い光が弾け、図らずも口角が釣り上がる。
「蜂の巣にされる快感を味わってみるのはどう?M4A1さん」
これが人間でいうところの「直感」か。なるほどこれは不確定で気色悪い。こんなものに人間は頼る必要があるのか。あの人も、これを使うのだろうか。だとすれば──愛おしい。
観念したのか、闇の向こうより一体の人形が姿を晒す。
「──どうして私だと?」
「さあ?何でかしら。ふふ、もしかすると指揮官の意志の力ってヤツが私に乗り移ってるのかもね」
M4A1の顔つきはいつになく険しい。そこに込み入った話がある空気を感じた45は相棒を一歩引かせた。 舌戦において空城の計が効果的である事実を、45は熟知している。
風に流るる叢雲が月を隠し、廊下を支配する夜の闇が一段と深くなる。三者共武器こそ持たぬが、一触即発の気色を前には9の破顔は場違いだと言わざるを得ない。
「こんばんはM4、私達にご用事?」
「こんばんはUMP9。ええ、貴女の姉に少し」
それがUMP9という人形の精神構造だった。重苦しい雰囲気を嫌い、仲間達が笑い合う時間を愛する。戦場において欲張りな願いだと理解こそしているが、一度たりとて捨てる真似をした経験はない。
それは「家族」であれば身分立場の違いに関わらず誰に対しても適用される。AR小隊が陽ならば404小隊は陰。M4とは相容れぬ烙印をされた9だが、彼女に対しては大して悪感情の類を抱いていない故にかの如く挨拶をしたわけだ。ならばM4が一瞬、一秒にも満たない瞬きの間に栗色の人形へ微笑み返したのは思いが理解されている証左に違いない。
だが一瞬は一瞬。再度45を睥睨したM4は静かに口を開いた。
「単刀直入に言うわUMP45。貴女、指揮官の部屋にカメラを仕掛けているでしょう」
「あら?M4も他人を糾弾できる立場じゃないでしょ?」
あまりにもシンプルで本質を穿つ返答に、M4は胸のあたりに鋭利なナイフが突き立てられた幻覚を得ることとなる。 それでもなお狼狽を断て、気丈であれと己を鼓舞したが、末端に熱がこもって思うように動かせない事実に変わりはない。
何故──と思う自分はいなかった。当然の帰結と解を得るに長考は不要、盗撮の設備を設置するにあたって部屋中を入念にチェックするのは間抜けか阿呆でなければ必ず踏む過程である。むしろ背信の炎に包まれ単純な想定すら怠った自分に忸怩たる思いを抱くばかりだ。
ならばその私に今やれることは。
「その調子だと盗聴器、最悪合鍵まで作ってそうね。答えなさい」
努めて冷静であろうとする女を値踏みする狩人。あるいは勝敗はここで決したのかもしれない。
「卑怯ね。自分を棚にあげるに留まらず狂気を厚い面の皮で隠して真面目なフリをする。指揮官の前では清楚で従順な「人形」を演じて、そうしていれば自然と寵愛が身体と心を満たすからやめられないんだ。恥ずかしいよね」
「何を……」
額が触れ合う。二つの鼻先が擦れ、M4の視界を燻んだオレンジ色が塗り潰した。
「アナタは私達と同じよ、M4A1。指揮官が欲しくて欲しくて堪らない強欲な人形。アナタの姉は指揮官が自分を必要としてくれればそれで満足みたいだけど、アナタは違う。指揮官を自分の腹の中に収めるまで決して満たされない欲深い女。それがM4A1という戦術人形よ」
澄んだ声がメンタルの礎を覆し、M4A1はUMP45に絶対勝者の影を見つけた。頭が、計算が追いついても、植えられ育まれた心が。造りモノで紛いモノではあるが心という器官が、追いつけない。
対照的に45は病的なまでに自若としていた。暗視モードに切り替えられた橙色の楕円の中で衰弱した獲物が揺れる。
全ては狩人が掌中。最早ここからは彼女に言わせれば工場のライン作業と何ら変わりはないのだ。
「ち、違う。私は指揮官の力になりたいだけ」
なおも繕わんとするM4に多少の感心を覚えた45は審判者を予感させる、色のない平坦とした声で問い詰める。
「じゃあ何故あの人の私室、衣類にペルシカ謹製の薄型盗聴器を仕掛けているの?指揮官のプライベートすら欲しいからでしょ?」
「あ、アレはペルシカに押し付けられただけで!それにアレを上手く使えば指揮官を効率的にお守りすることができるの!前だって9A-91やKarを取り押さえることができた……」
その45を音源とする狂った笑声が三人の間を満たす剣呑を壊す。9もまた無条件に愛しめるものを見るような、穏やかで優しい微笑みをM4へ向けた。
ちょうど、黒雲の切れ目から女王が現れた。無慈悲な夜の女王、弱者を庇護下に置くことも強者の理論を盤石なものにすることもない。ただ事態を静観するそれの反射する光がM4を照らした時、捩れる腹を堪えて45が再度開口する。
「最高よM4A1。 9も何か言ってあげて」
「うんうん。M4は指揮官が好きで好きでもう壊れちゃいそうなんだね。今はそれを目一杯抑えてるけど、あんまり我慢してるといつか爆発しちゃうよ?」
ぞわり、とおぞましい感覚が体温を奪う。M4は首筋に指が這っているのを知った。
「ねえM4?私達が蜜月を教えてあげましょうか」
「な、にを」
「知ればクセになって抜け出せなくなる快楽の沼。アナタの本性を暴く真実の湖」
「M4もきっと好きになってくれる。そうすれば指揮官にももっと素直になれるし、ストレスも発散できるし、いいこと尽くめだよ」
「その先で──アナタが私に賛同し協力者になることを期待するわ。さあM4、耳を貸して……」
☆
「でもどうしてM4を目覚めさせるようなことを?」
「どんな美味しい料理も毎日食べればいつかは必ず飽きる。そうならない為のローテーションを組む選択肢が必要なのよ。それに……」
「それに?」
「ふふ、私達もたまには休ませてもらわないと、ね?」
M4ちゃんこわれる