「千歌ちゃん…待ってたよ…」
途中何度も坂道から転げ落ちそうになりながら、私は何とか千十万旅館の前にたどり着いた。
どうやら千歌ちゃんはまだ帰ってきていないようだったので、志摩さんに声をかけて旅館の玄関先の囲炉裏で待たせてもらっていたのだ。
安らぎを与える憩いの空間は、切迫した私の心境と、滑稽なほど似つかわしくなかった。
私は痛む体の節々を庇いながら立ち上がる。
「梨子ちゃん?どうしたの?なんだか昨日から様子が変だよ…?」
千歌ちゃんの視点から見れば昨日の夕方より前と、その後では私の様子は全く異なっており、まるで別人のようなのだろう。
突飛な私の態度に明らかに混乱していた。
「聞きたいことがあるの。そして、きっと信じてもらえないと思うけど、聞いてほしい話があるの…」
しかし私としても、なりふり構ってられない。
私は全てをはっきりさせるために、包み隠さず全て打ち明けようと思っていた。
「私は違う世界線から来たの」
「世界線…?」
世界線とはなにか、私は簡単に説明した。
そしてDメールにより過去の改竄を行ったこと。その結果、廃校が防がれた世界線が訪れたことも。
「それでね、この世界は私が元いた世界と全然違うみたい」
千歌ちゃんは困惑した表情を浮かべる。
無理もないだろう。
「だから教えて。スクールアイドル部はどうなったの?」
「今更蒸し返すなんて…梨子ちゃんも良く知ってるでしょ?」
「教えて。この私には分からないの」
「意地悪…」
状況を十分に理解できているわけではないようだったが、あまりに真剣な私の態度に気圧されたのか、千歌ちゃんは訥々と話し始める。
「私はµ’sに憧れて4月にスクールアイドル部を結成しました。曜ちゃんと梨子ちゃんと3人で活動しました。東京のイベントに呼ばれました。上手くいきませんでした」
「それで…?」
「それで、も何もないよ。それでおしまい。なんとなくやる気なくなって投げ出しちゃいました。私、昔から飽きっぽいとこあってさ。それ以来、無期限活動休止中」
認めたくなかった事実がそこにはあった。
やはり廃校阻止という原動力がなかったため、Aqoursは活動を辞めてしまったのか。
この世界にAqoursはもう存在していない。
私の世界に当たり前のように存在していたからこそ、その衝撃は計り知れなかった。
「そっか、Aqoursはなくなっちゃったんだね…」
「あくあ…?」
千歌ちゃんは依然として困惑の視線を私に向ける。
「今度は何の話?」
しかし、一体何に困惑しているのだ…?
「なにって、グループ名でしょ?私たちの!」
「グループ名?梨子ちゃんこそ何言ってるの?」
私は思い知らされた。
私が観測した時のねじれは、まだ氷山の一角に過ぎなかったことに。
「私たちのグループ名は"浦の星少女隊"でしょ?まぁ曜ちゃんが勝手に呼んでたのが定着しちゃっただけだけど」
グループ名が違う…?
一体どういうことだ?
何の話をしているのか、分からなくなる。
話は噛み合っていたようで、全く噛み合っていなかった。
「待って、さっき3人って言ったよね?他のメンバーは?」
「…"浦女隊"は私たち3人だけでしょ?」
「どうゆうこと!?果南さんは?鞠莉さんは?ダイヤさんは?」
「え?」
「それに1年生の3人だって!善子ちゃんも、花丸ちゃんも、ルビィちゃんもいたでしょ!?」
「1年生?いないよ?善子ちゃんと花丸ちゃんは声掛けたけど断られちゃったもん。それとルビィちゃん?」
「そうだよ!黒澤ルビィちゃん!あんなにスクールアイドルが好きだったのに!?」
「黒澤…あぁ、ダイヤさんの妹ちゃんか」
この世界にAqoursはもう存在しない。
それでもまだ、考えが甘かった。
「妹ちゃんは浦女の生徒じゃないでしょ」
この世界では、
Aqoursは巡り合ってすらいなかった。
ここは、浦女の廃校を防いだ代わりに、
Aqoursが存在しなかった世界線だったのだ。
「沼津の高校に通ってるって言ってたっけな?うちは3姉妹みんな浦女なのに珍しいねって話した覚えがあるもん」
「なんでよ…」
「え?」
「なんでスクールアイドル辞めちゃったの?なんですぐ諦めちゃったの?」
感情が堰を切ったように溢れ出す。
「千歌ちゃんらしくないよ!あんなに輝きたいって言ってたのに!」
「元々思いつきみたいなもんだし、そんなに強い思い入れがあった訳じゃないし…」
「そんなことない!そんなことないよ!悔しくなかったの!?0のまま終わって悔しくなかったの!?」
「それは…」
「私の世界線では、千歌ちゃんは簡単には諦めなかった!メンバーを9人集めて、部活として認めさせて、東京のイベントでの挫折も克服して、ラブライブに出場して、予選も本戦も勝ち抜いて、決勝に進んで!」
「なに言ってるの…?意味分からないよ!そんなもしもの世界の話されても!」
感情をぶつける私に、千歌ちゃんは感情をぶつけることで応えてくる。
「思い込みだったらなんとでも言える!でも現実には、こうするしかなかったんだ!こんな田舎町じゃ諦めるしかなかったんだよ」
「そんなことないよ、なかったのに…」
「曜ちゃんは水泳部の方が忙しくなっちゃうし、梨子ちゃんだって美術部に誘われて、気がつけばコンクールで良い結果出してるし。最近もコンクール用の絵を描くので忙しいそうだったじゃん!結局…!!」
私に言い返すというより、むしろ自分に言い聞かせるような口調で千歌ちゃんは呟いた。
「結局、2人と違って、私にはなにもなかったんだ…」
「千歌ちゃん…」
「3人バラバラになって、自然消滅して、お互いそれに触れないように過ごしてきて、それで良かったじゃん!なんで今更思い出させるのさ!…思い出したくなかったのに…」
「千歌ちゃん…あの…」
千歌ちゃんと言い争いたいわけではなかった。
千歌ちゃんのこんな表情をみたいわけではなかった。
自ら今朝立てた誓いを、自らの浅薄さで破ってしまった。
大切な友人を傷つけるという形で。
私はとっさに何も言うことができなかった。
「ごめんね、梨子ちゃん。ちょっと感情的になっちゃった…」
千歌ちゃんは足早に自宅へと去っていく。
私の心におりた仄暗い後悔とともに、周囲には薄暗闇が広がっていた。
・・・
大好きだったからこそ、挫折したときの傷は大きかった。
挫折を克服できなかったからこそ、その傷は克明に刻まれ続けた。
私は自分のことばかりで、彼女の気持ちを慮ってあげることができなかった。
スクールアイドル部が、Aqoursが結成されなかった辛さを知っているのは、なにも記憶が残っている私だけではない。
むしろその事実を身をもって知っている彼女たちのほうが、辛い思いをしているのだ。
しかしなぜAqours、この世界線だと浦の星少女隊に、他のメンバーは加入しなかったのだろう。そしてなぜルビィちゃんは浦女に入学しなかったのだろう。たったひとつのメールにしては影響が大き過ぎる気がする。
「考えても分からない…」
私はベッドから立ち上がる。
二度の全力疾走で足腰はすっかり筋肉痛だ。記憶は引き継げても身体はこの世界線のもののまま。つまりAqoursとして日々の練習をこなしていない身体ということだ。どおりで身体が重いわけだ。
部屋を見渡す。
昨日は慌しかったため、その違和感に気付きはしたものの仔細渡って調べることはしなかったのだが、私の部屋の様相が元の世界線とは所々異なっている。
本棚には音楽や作曲関連の本はなくなり、代わりに絵画やデッサンの本が散見される。
運動着や衣装類はいなくなっており、絵筆や絵の具などの画材道具がその居場所を占有している。
そしてピアノの上には時計や卓上カレンダーが置かれており、まるでただのデスクか棚のような扱いを受けていた。
まるで意図的に風景に馴染ませているかのように。
まるで異物としてこの部屋の主に認識させないようにするかのように。
差異を示唆するものはたくさん散らばっていた。
様変わりした本棚、
どこにもない練習着、
使われていないピアノ。
熟慮すれば気付けた可能性はいくらでもあった。
今となっては火を見るより明らかだ。
私はそれを自らの希望的観測を優先するあまり見て見ぬふりをしてしまった。
その結果、千歌ちゃんを傷つけてしまった。
謝って済むかは分からないが、明日しっかり謝罪しないと。
私はピアノの前に腰掛ける。
置かれたものを一旦勉強机に避難させ、天板を持ち上げる。
この蟠りを払拭するために、私はそっと鍵盤に触れる。
皮肉なことにとっさに頭に浮かんだのは、9人がバラバラになってしまったこの世界には最も似つかわしくない曲だった。
私はピアノの鍵盤を叩きながら、千歌ちゃんが綴った歌詞を口ずさんだ。
―かけがえのない日々を過ごしてたんだ―
―いまさらわかった、ひとりじゃない―
―なにかをつかむことで、なにかをあきらめない―
―想いよひとつになれ、どこにいても同じ明日を信じてる―
「その曲…」
気がつくと、千歌ちゃんが向こうの窓から私に声をかけてきた。窓を半開きで演奏していたため音が漏れ出ていたらしく、途中から聴いていたようだ。
「ごめんなさい、うるさかった?」
「ううん、そんなことより、今の曲…」
「ああ、この世界線では完成してないのかな?」
東京でのイベント以来、スクールアイドル部が活動していないのであればそのはずである。
「これは"想いよひとつになれ"って曲。ラブライブ地区予選で歌った曲だよ」
「そっか…」
「私は出なかったの。千歌ちゃんに同じ日にあったピアノのコンクールに出て欲しいって後押しされて」
「私が…?」
「そう。おかげでまたピアノを弾けるように、ピアノが大好きになれた。千歌ちゃんのおかげ」
私は思わず顔を綻ばせる。
千歌ちゃんは複雑そうな表情をこちらに向ける。
「ねぇ、もっと聴かせてくれない。えっと…あくあ?の曲を。そっちの世界の私たちの軌跡を」
私は歌った。
これは"MIRAI TICKET"
ラブライブ本戦で歌った曲。残念ながら失格になっちゃったけど。
これは"君のこころは輝いてるかい?"
学校説明会で歌った曲。いつきちゃんたちも手伝ってくれて、校庭にステージ作ったり、シャボン玉浮かべたりしたの。
こっちは"Awaken The Power"
Saint Snowっていう函館のスクールアイドル…そっか、会ったことあるか。その娘たちと一緒に作ったの。歌うことの意味を再確認できた曲。
こっちは"MIRACLE WAVE"
ラブライブ予選で歌った曲。振り付けの中にバク転があって、千歌ちゃんは見事成功させたの。1番盛り上がる曲。
私たちの物語を聞かせながら。
私の想いのすべてを吐き出すように。
世界線を超えて、Aqoursのみんなに伝わるように。
私はここにいるよって、伝わるように。
「すごいね、そっちの世界の私たちは。こんなにたくさん曲も作って」
「結局、廃校は阻止できなかったんだけどね…」
「そっか…上手くいかないんだね…」
「でも、最後に浦女の名前を残そうってことで、廃校は決まっちゃったけど、ラブライブの決勝に出ることに決めたんだ」
元の世界線では廃校式を終え、ラブライブ決勝を控えた私たちAqoursは練習に明け暮れていた。
そんな最中もたらされたのが、鞠莉さんによるDメールの話であったのだ。
「最初は梨子ちゃん何言ってるんだろう?ちょっと変になっちゃったのかな?って思ってたけど」
それはそうだろう。
私だって私がおかしくなったのかと、未だに疑っている。
「こんなにたくさん曲を聴かせてくれると、本当なのかもって思っちゃうや」
「いいよ、信じてくれなくても。私もあっちの世界が夢なんじゃないかって思い始めてるもの」
「でも東京のイベントのあとから、梨子ちゃんはピアノに触ろうとしなかったもん」
音楽の授業の合唱の伴奏も断るほどだったと、千歌ちゃんは補足する。
「スクールアイドルのせいで、また音楽を、ピアノを怖くさせちゃったのかなって、すごく後悔してたんだ…。でもいまはすごく楽しそうに弾いてた。まるで別人みたいに」
確かに、ラブライブ予選とピアノコンクールの件がなければ、私はピアノを楽しく弾ける日は来なかっただろうなと思う。
「それに歌詞もすごく伝わってくるというか、染み渡るというか…」
「そりゃそうよ。全部千歌ちゃんが書いたんだもの」
「そっか、そう言えば作詞担当だったもんね」
「作詞ノートに書き留めていたフレーズもあったんじゃない?」
「うん、実は最初の曲は思い当たるところが多くて、それで思わず梨子ちゃんに声掛けちゃったんだ」
この世界に存在しない曲が、世界線を隔てて私たちを繋げてくれた。
奇跡みたいに。
「梨子ちゃん、元の世界に戻ったほうがいいよ」
おもむろに千歌ちゃんは口を開く。
「いや、元の世界に戻したほうがいいって言うのかな?」
世界線の解釈はまだ曖昧なようだが。
「もしかしたら廃校を防げたこっちの世界のほうが、幸せになる人は多いのかもしれない」
そう前置きして千歌ちゃんは言った。
「でもやっぱり世界に手を加えるべきじゃなかったんだ。廃校という現実をなかったことになんてしちゃいけなかったんだよ」
何でもできた元の世界線の私たちに出せなかった答えに、何もできなかった今の世界線の千歌ちゃんは辿り着いた。
たったひとつの当たり前の答えに。
挫折や困難をよく知っているこの世界の千歌ちゃんだからこそ、この優しくて悲しい答えを出せたのかもしれない。
「私も手伝うからさ。友達だもん」
「千歌ちゃん…」
「そっちの世界の私と比べると役に立たないかもだけどね。いやぁかっこいいなぁ、そっちの世界の私は」
「こっちの千歌ちゃんだってかっこいいよ。困ってる友達に手を差し伸べてくれた。私ひとりでは出せなかった答えをだしてくれた」
「おお、おだてるねぇ。なにも出ないよ?」
「やっぱり千歌ちゃんは千歌ちゃんだね。どの世界でも千歌ちゃんだ」
私は堪えきれずに目を潤ませてしまう。
孤独と不安が氷解するように、とめどなく涙が溢れてくる。
「わー!どうして泣いているの!?」
「ごめんね、なんか安心しちゃって」
窓の外には疎らな人家と街灯の明かりがあるだけで、深い夜の闇に覆われている。
でも、空を見上げれば星が瞬いている。
真っ暗でなければ気づかなかった優しい煌めきが、空いっぱいに広がっている。
To be continued...