「そうだよ、私がダイビング部を設立した」
前世ではスクールアイドル部の部室、現世ではダイビング部の部室(倉庫)の前で、果南さんはさも当然のように言った。
この世界線では当然のことなのだから、驚くまでもないことなのだろう。
「ダイヤと一緒に、鞠莉から相談されて、私なりにもできることないかなって考えたんだ。その、Dメールってやつ?そんな話は聞いてないな。まぁダイヤと違って頭固くないから、言われれば信じたかもしれないけどね」
ダイヤさんはムッとした表情を果南さんに向ける。
私たちは7人揃って、島郷から内浦の浦女まで戻って来ていた。もっとも私や千歌ちゃん、花丸ちゃんにとっては帰り道であるが。
発端は私の嘘みたいな話とは言え、各々ことの顛末は気になるらしい。
「それで思いついたのがダイビング部。珍しい部活作ったら話題になるんじゃないかって思って。大変だったよ。活動内容考えて、インストラクターの資格持ってる人呼んで、部員集めて、ライセンス取らせて。校内規定変えたり、役所に許可取ったりもしたっけな」
部活とはいえ、ダイビングには時として危険が伴うから、と果南さんは付け加える。
「まぁ実際、事務手続き辺りはダイヤに任せきりだったし、鞠莉にも資金面の援助や広報活動をサポートしてもらってた」
果南さんはダイビング機材を弄りながら話を続ける。
「1年間はほとんど準備の期間だったよ。本格的に活動できるようになったのは、私が2年生になった去年から」
浦女に戻った頃にはすっかり日が暮れてしまっていたため、部活が終わった後、機材整備を行っていた果南さんを押しかけることになってしまったのだ。もっともどのような作業をしているのかは分からないわけであるが。
「活動を動画サイトに投稿したり、SNSで紹介したりしたのが、結構効果あってさ。今年はダイビング部目当てで入部したって言ってくれた子も多くて」
果南さんは作業する手を止めて、照れくさそうに頭をかく。
「嬉しかった。私の好きなダイビングで、この学校を救えたのかなって思うと」
そして果南さんがダイビング部を設立して浦女を救った代わりに、忙しかったせいで初代Aqoursは結成されることはなかった。
私は頭の中でその事実を噛み締める。
「でもそれもそのDメールのサポートがあったからこそ、この現在が作られたってことかな?実際、何もなければ私も設立しようとなんて思わなかっただろうし」
果南さんは経緯を矢継ぎ早に話した。
私はその話を黙って聞いていることしかできなかった。
「どっちの世界が正しいのかは分からない。でも私は、この世界の私は、この世界が好き。多分そっちの世界の私は、そっちの世界が好き」
だから、あまり私のことは気にしないで欲しいと果南さんは言う。
そんな果南さんに対して、私はかける言葉はなかったし、言葉をかける資格もなかった。
元の世界線に戻すというのは、この果南さんの想いをなかったことにするということだから。
追い求めていたはずの答えは寸分違いなくそこにあった。
「ただ、ダイビング部も結局私の自己満足なのかもしれない…。まぁその辺の細かい話は鞠莉に聞いてよ。私から話つけた方が早いでしょ?理事長に行こうか」
にもかかわらず、私は首肯することしかできなかった。
・・・
「いつかはこんな日が来るって思ってた」
私たちは果南さんに導かれ理事長を訪れていた。
入室して果南さんに促されるがままに、Dメールのことを告げるや否や、鞠莉さんは全てを悟った表情でそう言った。
「私はこの3年間ずっと怯えていたの。ズルしたツケが回ってくることに」
窓の外はすっかり夕闇に包まれている。
ちょうど初めてDメールの話を鞠莉さんから聞いた時のようだ。
「大体は梨子が調べたとおりよ。1点訂正するとすれば、私はちゃんとDメールのことを果南とダイヤに伝えたわ」
「え?」「そうでしたっけ?」
どうやらあまりに突飛のない話に、冗談かなにかと2人揃って早とちりしていたらしい。
「Dメールのことはちっとも信じないくせに、廃校阻止のことは親身になって考えてくれて、理事長・生徒会長・部長という三者三葉の立場から、廃校阻止に邁進した」
鞠莉さんは理事長室のカーテンを閉めながら話を続ける。
「そしてそれが結実したのが現在の世界線ね。ただ…果南が危惧しているとおり、少し無理が出てきた」
インストラクターの賃金や、専用器具・船舶の使用料など、ダイビング部を高校の部活としてやっていくには費用が嵩み過ぎるらしい。当然部員の部費だけでは賄えず、学校から寄付金を拠出したり、果南さんのダイビングショップの伝手でボランティアをお願いしたりしているものの、厳しい状況が続いているとのことだ。
とはいえ活動量が減ったり、活動範囲が狭まると、集客力が衰えてしまう。まさに二律背反である。
「だから梨子の話を聞いて思ってしまったの。もちろん私たちの努力を否定する訳でもないし、2人にはとても感謝しているわ。でも、もしかしたら、むりくり存続しようとせずに、廃校を受け入れて、みんなに、浦女の生徒達に、今をめいいっぱい楽しんで貰える努力をした方が良かったのかもって」
ジャンプの漫画のように引き伸ばしは良くないのと、こんな状況でも鞠莉ちゃんは冗談を言う。
逆にこんな状況だから冗談を言っているのかもしれない。
そして奇しくも鞠莉さんの言っていることは、私たちが元の世界線で辿った運命と酷似していた。
「だからね、決めていたの。Dメールの存在を知っていて、尚且つ運命探知の魔眼【リーディングシュタイナー】を有している。そんな天文学的に低い確率だけど、全てを知っている人が現れたら、全てをその人に委ねようって」
私の目を見据えて、鞠莉ちゃんは問いかける。
「梨子、あなたはどうしたい?」
私は思い返す。
この僅か3日間、時間の迷路をさまよったことを。
「私は、私には、分かりません」
初めは元に戻すべきだと思った。
その方法を探そうと思って右往左往した。
でもダイヤさんや果南さん、鞠莉さんが戦ってきた3年間のことを慮ると、どうしたら良いか分からなくなってしまった。
彼女たちの想いをなかったことにして良いはずかないのだから。
私はそう思ったことを思ったままに伝える。
「そっか…」
鞠莉さんは落胆したようにつぶやく。
室内にしばしの沈黙が訪れる。
「まぁ梨子ひとりに押し付けるのはよろしくないわね…」
鞠莉さんの長いまつ毛が瞬きするたび揺れる。
「じゃあこうしようか。Dメールを送る私に加担した共犯者は、私を含めてこの9人。奇数」
鞠莉さんは私たちを見渡してこう言った。
「私たちにはきっと責任があるわ。だから明日の夕方、どうするべきか多数決で決めましょう」
・・・
あの後私たちは、何となく暗黙の了解だったように、理事長室からばらばらに立ち去った。
怒涛の展開だった。
状況を探ろうと思って始めたAqoursのメンバー訪問だったが、思いのほかあっという間に核心に迫ってしまい、いまや大きな決断を迫られている。
昨日の私は何を思っていただろう。
元の世界線に戻るつもりで始めたはずなのに、鞠莉さんに話した通り、いまや元の世界線に戻ることを躊躇ってしまっている。
私は糸が切れた凧のように、大空を行先も知らずただ風の吹くままにふらふらと漂っている。
私は何となく今夜のうちに見ておくべきと思い、スクールアイドル部、今はダイビング部の部室に立ち寄った。
「梨子ちゃん…」
するとそこには先客がいた。
いや、客というよりむしろ主人というべきかもしれない。
「果南さん…」
「見ておきたくてさ。まがいなりにも、私の3年間が詰まってるから」
果南さん達の3年間は紛い物な筈がない。
この世界を紛い物だと今まで決めつけていた私には、到底口にできない言葉だった。
「果南さん、私…」
「梨子ちゃん以外の人は、記憶が書き換わっちゃうって言ってたっけ?」
私の言葉は呆気なく果南さんに遮られる。
「…はい、私が前の世界線からこの世界線に来たときにはそうでした」
「言ったでしょ?この世界線の私は、この世界線が好き。きっとそっちの世界線の私は、そっちの世界線が好き」
果南さんは私の方を振り返って言った。
「だから気にしないで。梨子ちゃんの答えを見つけて。どっちに転んだとしても、恨んだり、呪ったりしないからさ」
今度は私に背を向けて、震える声で言った。
「でも今は独りにしてほしい」
・・・
果南さんの切実な願いを聞いて、私は部室を後にした。
とはいえ他に行くところもなかったので、早々に浦女をあとにして帰路に着いた。
結局私にはあの場所しかないんだなと思った。
どれだけ加害者のふりをしたとしても、私にはあの場所しかなかったんだ。
「梨子ちゃん」
すると後から声をかけられた。
懐かしいような新鮮なような、不思議な感覚だ。
「いつきちゃん…」
「いま帰り?」
「うん」
「じゃあ、一緒に帰ろうか」
コンクール用の絵が描き終わらなくて遅くなってしまったと、いつきちゃんは肩を回しながら説明する。
「梨子ちゃんは最近何してるの?また千歌ちゃんと曜ちゃんと、何か企んでるの?」
「えー、そんなんじゃないよ」
「梨子ちゃんが取られちゃったみたいで、最近寂しかったんだぞ」
いつきちゃんは冗談めかしてそう言う。
「ごめんね、もう解決すると思うから」
私は思わず言い訳がましいことを口する。
もっとも解決とは程遠い、妥協や欺瞞に塗れた未来しか見えていないにも関わらず。
「冗談だよ。私ね、梨子ちゃんには輝いていて欲しいの!それは私の傍じゃなくてもいい!」
いつきちゃんは一旦、言葉を区切って勇気を振り絞るように言う。
「だからね、また千歌ちゃんと曜ちゃんと、スクールアイドルとか、そうゆうの始めるってなったら、全力で応援するから!いつでも梨子ちゃんの味方だから!相談にも乗るから!」
私といつきちゃんがどのような関係なのか、
どのような話をしてきて、
どのように過ごしてきたのか、
違う世界線を生きた私には知る由もなかった。
でも、いつきちゃんがここ数日の私のおかしな挙動から異変を察して、
私の困惑や苦慮を察して、
慰めてくれようとしてくれているのは痛いほど分かった。
違う世界線を生きた私にこの世界線の記憶になくとも、
この世界線を生きた私の身体は、
私の五感は、
いつきちゃんの声を、
仕草を、
匂いを、
表情を、
雰囲気を、
その全て覚えていた。
懐かしいいつきちゃんの優しさに触れ、張り詰めていた私の感情は決壊してしまった。
「わわ、どうしたの!?」
「ごめんね、ありがとう、いつきちゃん…」
突然泣き出した私を抱き締めながら、いつきちゃんは優しく私の頭を撫でる。
その温度がやっぱり私には懐かしく、その手のひらは私に安心感を与えてくれた。
そのとき、私の脳裏に同じようにいつきちゃんに慰められる光景がフラッシュバックした。
これはきっと、この世界線の私の記憶。
Aqoursが消滅してしまったときも、
千歌ちゃんや曜ちゃんとすれ違ってしまったときも、
いつきちゃんはこの手のひらで私を慰めてくれたのだろうと私は思った。
Aqoursが結成された事で生まれた絆がある。
Aqoursが結成されなかった事で生まれた絆だってあるのだ。
果南さんと、いつきちゃんと話をしていてそんな当たり前のことに気付いた。
そして元の世界線に戻すというのは、その絆を踏みにじることなのだ。
そんな残酷さにも気付かず、あの日の私達は世界を改竄することを選択してしまった。
私はとめどなく溢れ出る涙を必死で拭いながら、あの瞬間をただひたすらに後悔していた。
同じ時が二度と戻ってこないことは、
痛いほど理解しているはずなのに。
To be continued...