「そうだ、これ」
連れ立って歩いていた三人の中で唯一の男が、懐から木箱を二つ取り出した。
「・・・?」
「なんだこれ?」
「お土産だ」
箱を手渡された二人は、その言葉を聞くといそいそと箱を開けた。
「わぁ・・・」
「おぉ・・・」
「カールスラントで買った、懐中時計ってやつだ」
戦線に出る前に貯金を叩いて買っておいた一品だと語る。
「ルール地方を経由して前線に行ったからな。その時に買ったんだ」
その後の地獄を思い返し、扶桑の郵便局に送った判断は正しかったと彼は確信していた。
「でもこれ、結構高そうだけど・・・」
「あぁ、結構どころかかなり高そうだ」
緻密な装飾が外枠に刻まれていたりして、時計は如何にも自身が高価であると主張していた。
「給料はいいからさ」
「命をチップにしてるんだ。当然だろ」
彼が上を見上げて発した言葉は、不思議な重みと実情を持って二人の鼓膜に届いた。
そして一呼吸置いて、二人は切り出した。
「あのさ」
「あの」
「ん?」
「軍、やめねえか?」
「軍、やめませんか?」
「え?なんだって?」
二人に重なるように言われた言葉。
言われた本人は同時に言われたせいで、上手く聴き取れなかったのか内容を聞き返していた。
「だから・・・」
「いい、私が言う」
「・・・うん」
身を乗り出して言葉を紡ごうとした内気な少女を手で制して、もう一人の少女は声を上げだ。
「軍を、辞めてくれないか?」
「・・・は?」
「それは俺に、無職になれと?」
「いいや、そうじゃない。さっき東京に行くって言っただろ?」
「ああ、言ってたな」
「着いてきて欲しいんだ」
「うん、着いてきて欲しい」
「・・・」
男は少し考え込む素振りを見せたと思うと、直ぐに向き直って返事をした。
「悪いが、それは出来ない」
■
「・・・どうしてですか?」
「な、なんでだ!?」
二人は揃って詰め寄り、理由を聞き出そうとする。
それもそのはずで、男が欧州で最後に近況を知らせる手紙を出した時には、彼は辞めたい辞めたいと執拗に書いていたからだ。
「俺な、飛行兵試験に受かったんだ」
「飛行機乗り・・・?そんな危ない仕事をやるつもりなんですか?」
「やめておけ、飛行機乗りになんかになったら命が幾つあっても足りないぞ」
「・・・飛行機乗りはそんなに危険な職業だと思うか?」
「・・・はい」
「ろくな話を聞かない」
初めて飛行機が登場してからまだ二十数年、黎明期である飛行機に搭乗するパイロットの死亡率は未だ高く、この時代の飛行機乗りとは命懸けの職業であった。
「・・・だがな、だけどな、兵卒よりはマシだ」
二人の真摯な眼差しによって、真剣に忠告しているという心持ちは伝わったのか、男は諭す様に言った。
「安価な消耗品よりは、飛行兵の方がマシなんだよ」
無理に笑っているような、少々引き攣った笑みで、続けて言う。
コストの問題だ。一般兵卒よりも飛行兵の方が金も時間も掛かる。そして、扱いもそれ相応である。
「それに・・・空をな、空を飛んでみたいんだ」
彼が思い起こすのは、瘴気から自らを救ってくれたウィッチの顔と、あの雄大な景色。
何回か乗る機会のあった旅客機の窓から見た景色とは大きく違ったそれは、前世とこの世界の差異を比べる事だけが生き甲斐であった彼に、新たな目的を与えた瞬間であった。
「・・・そっか、分かった」
「ならしょうがないな」
やけに聞き分けが良い二人を見て、驚いたような顔を見せる男だったが、すぐに成長したのだなとしきりに感心していた。
■
現在刻は午後七時。
辺りがすっかり暗くなったその時間に、久方ぶりに自宅の風呂に入っている男がいた。
石鹸で体を洗い、風呂に入る準備をしていた彼の耳に、何者かの接近音が届いた。
気がついた頃には、脱衣場と浴室の間にある扉は開け放たれており、下手人の姿が明らかになる。
数は二つ。二年の歳月で大きく成長したその身体を惜しみなく晒し、目の前で台座に座っている男に接近していく。
「背中、流してやるよ」
「背中を流しに来ました」
女性らしい高い声で紡がれる言葉は男にも届いたようで、体を洗う手を一旦止めて返事をした。
彼は頭の中で"男女七歳にして席を同じゅうせず"という故事成語を思い出していたが、今更かと思い、考えるのをやめていた。兵士として家を出る前はこんな事はしょっちゅうあったからだ。
それに彼女達の事は家族、それも兄妹のようなものだと思っていた為に、然るべき配慮をする事が出来なかったのだ。
「・・・じゃあ、お願いしようかな」
先程まで忙しなく動いていた腕がだらんと下げられ、完全に身を任せる姿勢になる。
そしてその言葉を受けた後、二人は絶句していた。
数年前まで見慣れていた背中は、大きく姿を変え、変わり果てていた。目立った傷はなく、それでいてある程度鍛えられていた背中は、今では縫合痕と銃創、火傷が散在していた。
左肩に至っては一部が抉られたように欠けており、肉が凹んでいる。
思わずといった様子で傷跡をそっと指先でなぞり、それが現実のものであると意識させられる。
「あー、グロイだろ?」
「・・・グロい?」
「グロいってなんだ?」
「・・・醜いだろ、とてもじゃないが綺麗だなんて言えない体だ」
そうか、通じないか。
そう小さく呟き、ため息をついて彼は続ける。
「あんまり見られたくないんだよ、左肩とか特に酷いだろ?」
「・・・ううん、ーーーの体だもん、全然そんな事ないよ」
「あ、あぁ、最初は驚いたけどな!」
「そうか」
同情心から出たのであろう言葉を受け止め、彼は下を向く。
「そういえば、お前ら婚約者居なかったか?」
「うん、居たよ」
「両方死んだ」
「・・・それは、気の毒に」
二人の性格の差が現れた二通りの答えを聞き、申し訳なさそうに肩を竦める。
「いいえ、親同士で勝手に決めていた話ですし、私は会った事すらありませんでした」
「私は一回会った事があるけど、私の言葉使いにずっと文句言ってて嫌だったな」
背中の傷跡をつんつんされている男も、最初は自由だと喜んでいたが、この世界で成長を経て訓練所で実情を目の当たりにし、焦って自分の付加価値を上げようとしていた。
■
ここで少し彼の考えを読み取ろう。
今の時代は男女共に結婚の自由がない御時世である。
恋愛結婚もあるにはあるが、殆どがお見合い結婚ばかりだ。
男は比較的自由だったが、上司や親戚からの紹介になると、実質的に拒否出来ないのが現実である。
結婚しているのが当たり前。老後の世話を子供がするのが当たり前。結婚しているか否かで社会的な信頼というものも変わってくる。
技術や知識を身につけようと。そうすれば軍を辞めることになっても民間に幾らでも働き口が有るだろうと踏んでいた。民間にも航空機を使用した輸送事業は既に存在するのだ。
そして飛行機乗りとは常に命の危険がある職であり、もし結婚した後に死んでしまったら責任を取れないと、婚約を持ち込まれても理論武装もする事が可能であった。
まさに一石二鳥、飛行兵試験を受ける事は、事前に脳内会議で全会一致で既決された最高の案であった。
そして実際それに合格したのだから、取らぬ狸の皮算用にならずに済んだ。
白魚のような指に背中を弄られつつ、この世の理不尽とその対処法を考えていた。
■
「さすがにそろそろ擽ったいんだが」
「あっ、ごめんね」
「あぁ、ごめん」
目を閉じ、下を向いて背中のこそばゆさに耐えていた彼だったが、そろそろ我慢の限界らしい。
「さて、俺はそろそろ出ようかな・・・」
纒わり付く二人を解くように剥がし、風呂場を後にする。
「えっ、まだお風呂入ってないですよ?」
「そうだ、まだだろ?」
「・・・そんな気分じゃなくなった」
火加減を調整してくれている父親に対して、一片の申し訳なさが彼の脳裏に過ぎったのだ。
「変わるよ」
「・・・あぁ」
服を着て外に出て、火加減の調整をしていた父親に一言声を掛け、短いやり取りの後に交代を果たす。
その後しばらく、窓越しに会話する若者の声が響いていた。
書き溜めはしない派です。