久しぶりの実家の飯は、酷く懐かしく感じるものであった。
そしてこの食卓という環境は何物にも代えがたいものだということを、自分は知っている。いや、自覚させられた。
いつもに増して何も喋らない父に、此方を見て朗らかな笑みを浮かべている母。そして、自分の両隣りに座って引っ付いてくる二人組。とても食べずらい。
「ちょっと・・・食べづらいんだが・・・」
「あ、ごめんなさい・・・」
「ごめん・・・」
そう言うと露骨に距離を開け、悲しそうな顔と声をするものだから、何をしているのかと母に睨みつけられてしまう。
「・・・やっぱりなんでもない」
「ほんと?」
「ならいいよな」
自分が折れると、瞬時に顔色と声色を変えて擦り寄ってくるものだから、最初の方は度肝を抜かれた。もう慣れてしまったが。
最早様式美と化している。母に強く反抗出来ない自分は、非難の視線の重圧に耐える事ができないのだ。
父はそれをいつも憐憫の表情で見ていた。いつもだ。いつも見ているだけだ。父は。
助け舟は期待出来ない。
「そうだ、お父さんが会いたがってたよ」
「うんうん、私の父もだ」
心の中で父を非難し、絶望していると、二人が何やら不穏な事を言い始める。
「いや、直ぐにここを・・・明日にでも出発するから、時間的に会うのは厳しい。今はもう遅いし・・・」
訓練所に旅立つ前を最期に、二人の両親とは会っていない。立場が上の人間に対しての媚びへつらいをしていたら、道理を弁えているだとかなんとか言って、多少は気に入られていたが、それだけだ。
あまり会いたい人間ではない。片方に至っては両親の生命線でもあるし、無闇に刺激したくない。
「どうしても、だめなんですか?」
「ちょっとくらい良いじゃないか」
「そうですよ」
食い下がる二人を意図的に無視し、背嚢から瓶を三つ出した。
「あっちのワインだ。マルセイユで買った。二人の父親に渡しておいてくれ」
「こっちは父さんの。はい」
二本を二人に手渡し、残った一本を父に差し出す。
「・・・俺は、あんまり酒は好きじゃないんだがな」
「もう、そんな事言って・・・」
ワインを受け取った父と、それに構う母を見て、問題の二人に振り向く。
「・・・分かった、渡しておくね」
「分かったよ、渡せばいいんだろ?」
「この手紙もよろしく・・・って開けるなよ!」
手紙も渡すと、直ぐに開けられてしまった。
「・・・なにこの文」
「こんな格式ばった文、どこで教わったんだ?」
「封筒変えないといけなくなったじゃないか・・・」
自分の非難もなんのその、手紙からこちらに顔を向けた二人は、揃ってこう言った。
「手伝おうか?」
「いや、一人でできる。それに、そろそろ帰った方がいい。親御さんが心配するだろう」
色々と疲れている。早く寝てしまいたい。その為に二人を早く家に返そうとした自分に、母がこう言った。
「それに関しては問題ないよ。私が二人の親に連絡しておいたから」
それを聞いた二人は、顔に笑みを貼り付けて自分に一歩迫って来た。
「今日は泊まっていきますね?」
「布団敷きに行くか」
「母さん・・・」
「あとは若いのだけでやりな。私はお父さんの相手しとくから」
最後の助けを求めた時に見た母の表情。それは時折見る、満面の笑みであった。
■
「・・・ここで寝るのも久しぶりだな」
「そうでもなくない?」
「そうだ・・・って私たちは時々泊まってたからな」
なにやら勝手に使われていたらしい自分の部屋は、大きくなった三人で寝るには少々狭くなっていた。
姦しく話している二人を脇目に布団に寝転がると、直ぐに二人が布団に潜り込んできて狭くて仕方が無くなる。人肌の暖かさと吹き掛けられる微かな吐息に、心臓の鼓動が早まっていく。
「・・・どうして俺の部屋に居るんだ」
「昔からそうでしょう」
「そうだ」
「・・・もう、子供じゃない」
「・・・ふふふ」
「だからだよ」
抗議の声は聞き入られなかった。というより変な空気になっている。
もう何も言いたくない。そう思って目を閉じた。早まる鼓動は欧州の日々を思い出すと直ぐに沈黙し、その後に心地よい眠気が襲ってくる。
あの地獄の日々は精神の清涼剤かなにかだろうか?・・・鎮静剤か。
「先に寝る。おやすみ」
そう言って目を閉じ、睡魔に身を任せた。
■
陽の光を浴びて、体内時計が起床時間だと意識を覚醒させる。時差ボケがないのは幸いだ。起床ラッパもない。
そして身体を起こそうとしたら四本の腕が絡み付いていて上手くいかなかった。一本一本丁寧に剥がしていく。この、しつこいぞ・・・。
やっとの思いで全て剥がし、そっと布団から抜け出す。
・・・余り実家に長居しない方がいいかも知れない。
そう思い立ったが吉日。その日の内に、自分は家を出た。異様に引き止める二人の幼馴染みに苦労しつつも、時間がないことを伝えて無理矢理出た形になる。実際航空兵学校までは遠く、元々長居する予定は無かったから、嘘ではない。少し予定を早めただけだ。
言い訳を心の中に繰り返し、駅へと向かった。
■
今世における自分の出生地が"故郷"と呼べるかは分からないが、とにかく見慣れた景色が広がる土地から離れ、自分は新天地へと向かっていた。
けたたましいエンジン音が絶え間なく響く、陸軍飛行学校へと。
ここで半年修学し、戦場へととんぼ返りするのだ。
■
特に特筆する点は無い。手帳に記した日記の内容も簡潔なものになっている。
新たに出来た友人達によると、自分が乗ろうとしている戦闘機は人気がないようだ。どうやら攻撃機や爆撃機のような、攻撃に関する機体が人気があり、防御、防衛を担当する戦闘機は人気がないと。
自分は鈍重な機体は乗りたくないから、戦闘機に乗りたいのだ。そして何より、戦闘機は大概が一人乗りだ。そこもいい。
そして赴任地も人気が別れていた。本土か、大陸の扶桑領か、外国か。一番手当が厚いのが外国だったので、自分は外国を希望した。それがあんな帰結を迎えるなど、この時の自分は想像もしていなかったが。
■
福祉国家論に当てはめると、この扶桑という国は福祉国家ではなく、夜警国家である。如何に前世の社会保障が有難がったか、この世界に来てから何回も思わされている。
最低な国だ。
突然だが、自分は左遷された。
本当だ。嘘じゃない。主観的に見て、それは真実である。
顔で感じる潮風に、眩しい太陽。眼下を流れる雄大な景色に、自身の心が多少なりとも高揚しているのが分かる。
だが今向かっている場所を思うと、気が落ち込んでいくのは避けられなかった。
アフリカ。
その言葉を聞いて連想するのは、海賊やアパルトヘイト、世界の貧困等といった碌でもない単語ばかり。
アフリカといったら経済水準も生活水準も治安も、全てにおいて絶望的である。
そんな自分の中での偏見と知識不足が恥ずかしげもなく露呈しているアフリカのイメージだが、この時代・・・いや、
だが間違いないことが一つ。
アフリカなんて場所に派遣される事は間違いなく左遷と言えるだろう。
そしてそんな場所に自分を派遣する扶桑という国は、言葉で表し難い程に最低な国家である。
■
エンジンが唸りを上げ、誘導員により滑走路へと誘導される数機の戦闘機。
その中の一つに、自分は乗っている。風防で仕切られた密閉空間の影響か、これからネウロイと戦いに行くのだという実感が薄れていた。
飛び立つのは自分を含めた数機によって構成された一個分隊。
これが初戦闘であり、砂漠を飛ぶのは初めてである。その為にどんな景色が待っているのだろうかと、期待半分不安半分の心持ちであった。
今回の任務はブリタニア軍のレーダーによって探知されたネウロイを迎撃する事・・・なのだが、只の戦闘機にネウロイの相手が務まるのだろうか?
そんな疑問を兵卒であった頃の嫌な記憶を無理やり掘り起こして答え合わせしてみる。もちろん、言うまでもなく結果は絶望的だった。空対空爆撃という意味の分からない単語が頭の中を駆け巡る。
だが命令には逆らえない。
ブリーフィングもなく、心地良いとは言えないGを受けながらスクランブル発進した後は無線機によって飛行コースを誘導される。
これが慰めになるかは分からないが、自分が乗っているこの一式戦闘機、通称"隼"という機体はベテランのパイロットが言うに、中々に優秀な機体らしい。特に機動性が。これ以外に訓練機しか乗った事がない自分には他の機体との違いは分からないが。
だが、訓練機よりは性能が良い事は間違いない。それは訓練所で実感した。
巡航高度に達した後は無線機からの情報と僚機の位置によって方向を定め、トリムレバーを引いて巡航飛行に移る。接敵までは暫く時間があるからだ。
さて。眼下に広がる景色は砂一色であった。砂色とひとくちに言っても、岩や砂が入り混じって出来た濃淡の差は扶桑では見る事が出来ないだろう。
・・・いや、そうでもないか。確か扶桑が大陸に保持している領土に砂漠地帯があった筈だ。まるで満州を領有していた大日本帝国のように。
だが、この世界に
砂漠は単調な景色であるからか、直ぐに相対速度が分からなくなった。速度計が無いと自身の凡その速度すら分からない。
緊張感もない。暇なので本を読む事にした。
■
晴天の下、空を飛ぶ機影が数機存在していた。眼下に望む砂漠と似た色で塗装されたそれは、風を切って進み続けている。
エンジン音とプロペラが風を切る音だけが響くその空間に、黒と赤で構成された金属質な塊が姿を現すのは、それから間もなくのことであった。
先に敵を発見したのは此方であった。
50mほどある蜻蛉に似た形をした大型が一つ、それを護衛するようにてんとう虫に似た形の、5mほどの小型が五つを確認した。
蜻蛉に似た大型は頭、胸、腹、と三つに別れており、胸の部分からは六本の脚と四枚の羽のようなものが生えていた。それ等が担う機能に関しては全くの未知数だが。羽に当たる部位は静止しているのを見るに、恐らくは形を真似ただけだろう。
質の悪い無線から聞こえる小隊長からの指示に従い、編隊を解散して各個敵に襲い掛かる。
先にてんとう虫の方から撃破しろとの命令だったが、相手の方が数が多い。それがどういう結果を齎すのかは分からないが。
照準器いっぱいに敵が収まるまで撃つなとの訓練を受けたが、どうやらそれは初心者である自分には正しい事らしい。偏差射撃は教わらなかった。爆撃機に配属された同期は防御銃座の担当になった際に教わったらしいが。
そんな事を思い出しつつも、訓練通りに機関銃を操作する。
発射ボタンを押すと発射時の振動が機体を震わせ、それに合わせて自分も震える。そして至近距離から放たれた12.7mm弾がてんとう虫に着弾した。
てんとう虫の装甲がバキバキと小気味良い音を立てて剥がれるが、致命傷には至っていない様子。周囲でも着弾こそしても、仕留め切れないとの報告が無線を通して聞こえてくる。
そのすぐに、被弾を免れた大型と多少被弾したてんとう虫達からの光線の反撃が始まった。
四方八方に散らされる赤い光線を眺めていると、機体を掠めるように一条の光線が通り過ぎる。どれ程高温なのか分からないが、照射された空間の空気が膨張しているせいか、低い音が風防越しに聞こえた。
当たったら大変な事になるだろう。そもそも爆発するという意味の分からない性質を持つ光線だ。当たったら即死だ。
それを証明するかのように、僚機の一機が被弾した直後に爆発した。
小さな破片が飛び散り、爆発の後に生じた黒煙に突起を発生させている。
てんとう虫はあっという間に修復を終えたのか、気付くと攻守は逆転していた。無線から聞こえる悲鳴を背景音楽に、途中から勝手に動き出した操縦桿を操る腕と赤い光線を眺める。
当事者である筈なのに、自分はどこか他人事であった。
彼等と交わした言葉の幾つかが脳裏を過る。もう聞く事の出来ないそれ等は、既に現実感を失っていた。
■
気が付くと僚機は殲滅されていた。無線は沈黙している。
滅茶苦茶に動く機体によって齎された、上下左右に変化する重力に身体が悲鳴を上げている。
操縦桿とラダーペダルを凄まじい速度と精度で操作している腕と脚の感覚だけしか自分は理解出来なかった。視界は目まぐるしく変化していき、計器を見るのが精一杯の状態に陥っている。
高度計を見るに、まだ大丈夫そうだ。
無線機をいじるが、不快な雑音を吐き散らすだけだった。この様子だと増援が来る可能性は限りなく低いだろう。
高度は下がり続けている。高度を速度に変換しているからだ。回避行動はエネルギーを多く消費する。エネルギーの消費は速度の低下という結果を齎し、速度の低下は命中率の向上に結び付く。
つまりだ。
自分に残された時間はそう多くない。
逆転する方法もない。詰みだ。1対1ですら倒す事が不可能なのに、複数を同時に相手にするなど、どう考えても自殺行為である。
視界を明滅させる赤い閃光に、聴覚を麻痺させる空気の膨張音で、緊張感は頂点に達しそうであった。心臓の鼓動数は平時よりもかなり高いものであるだろう。
ぴったり後ろに張り付いているネウロイも居れば、周囲を飛び回っているやつも居る。前方にしか機銃が付いていない戦闘機と違って、やつらは全周囲に攻撃をする事が出来るからだろう。ふざけてる。
急降下をする度に機体が軋む。限界速度が近いからだ。自分がしている戦闘機動が現代ジェット機の様な機動を想像しているのなら、それは大きな間違いだ。21世紀の飛行機に比べると余りにも貧弱な推力に、貧弱な機体強度、貧弱な武装。音速を超えて飛べる機体と、時速500km後半で空中分解する機体では、そもそも戦いが全て視界外で完結する戦闘とは、余りにも毛色が違う。
このままだと自分はずるずると高度を落として行き、そのまま緩慢な死を迎えるだけだろう。だが不思議な事に、例の感覚はまだ無い。これは一体どうしたことか。
「ーーーか!ーーーますか!」
例の感覚について疑問に思ったその時、雑音を吐き出すだけだった無線が、何かを捉えた。
「聞こえますか!聞こえていたら返答下さい!」
「・・・っ!」
無線越しに聞こえた少女の声に、自分は臍を噛む思いをしながら返答を返す。
「あー、こちら扶桑アフリカ支隊所属、秋山分隊所属機だ」
「私はガリア空軍所属、ジョーゼット・ルマール軍曹です!」
どうやら戦場の実情は変わっていないらしい。反吐が出そうだ。
・・・そして自分は、そんな感情を抱きながら。
またもや
素人ながらに少々調べながら執筆しているのですが、分からない点が多過ぎて筆が進みませんでした。おかしい点があったら指摘して頂けるとありがたいです。