戦場の真ん中で、周囲の喧騒を忘れて抱き合っている兵士とウィッチが居た。
兵士は青年と言うには幼く、少年と言うには歳をとっていて、目付きが少々悪い。似たように、ウィッチは少女と呼ばれるが、幼いとは呼ばれないであろう風貌をしており、こげ茶色の髪の毛が近くで起こった爆発の爆風で揺れていた。
「ありがとう」
少女の口から、やっとの事で絞り出したといった様子で言葉が出る。
「礼には及びませんよ」
兵士が少女を抱き締めていた手を離し、直ぐに敬礼をする。ウィッチは階級が最初から軍曹から始まり、一兵卒に過ぎない彼からしたら、全員上官に当たる存在なのだ。
敬礼を解くと、兵士は近くに放り出されていた機関銃を壁に立て掛け、ユニットを引き摺って少々放心しているように見えるウィッチの前まで運ぶ。
放心している・・・というよりは、兵士をじっと見詰めているというのが正しい。背筋に少々薄ら寒いものが駆け上がるのを自覚しながら、兵士は自身が何か粗相をしてしまったのではないのか、受け止めた時の対応が良くなかったのではないのかと、不安に思い始めた。少女がずっと無表情であったのが、その不安に拍車をかけた。
そんな不安をよそに、目の前に運ばれたユニットを履いたウィッチは魔導エンジンを再始動させ、塹壕から出ていった。その時も首を動かし、眼球を動かし、ずっと兵士の事を見ていた。
■
少々不味い事になった。あぁ、もしかしたら、あのウィッチに目を付けられたかもしれない。もしそうなら、それは余り良くない事だ。彼女達は基本的に自分にとって上官であり、上の存在だ。いや、それが好意的なものであれば構わないのだが、逆の場合の方が圧倒的に多いだろう。多感な思春期の少女の機嫌の取り方など自分は知らない。知っているのは、親友の機嫌の取り方だけだ。かの親友達は多少の誉め言葉で機嫌を取れていた。
しかし・・・気にしていても仕方が無いだろう。自分の思い込みという可能性も高いし、気にしてどうこうなる事でもない。今はこの戦いが終わるまで集中する方が重要だ。
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腕を組んで悩んでいたのが悪かったのか、塹壕の中に綺麗に砲弾が降って来て、自分は死んだ。もう慣れてしまった多大な悪寒や恐怖感を再体験しながら、塹壕から飛び出す。
あの少女は見えなかった。見えるのは残骸と化した高射砲や戦車、機関砲だけであった。
背後で爆発音がする。塹壕内から漏れ出した熱風が頬を撫で、少々戦場から離れていた自分の心を引き摺り戻した。塹壕に戻ろうにも、熱くて戻れない。
ネウロイが居る方向を見ると近くに居る数体の蟻型が、航空機からの機銃掃射で地面に釘付けにされていた。
これは幸いだ。そう思い、自分は別の塹壕に駆け出した。滑り込んだ塹壕は、積み上げられた土嚢の一部が爆発によって抉り取られており、数人分の死体が散らばっていた。その隣の円形に掘られた塹壕では血濡れになりながらも、兵士達が迫撃砲を撃ち続けていた。
右手で双眼鏡を持って弾着観測をしている兵士は、左腕の肘から先が消失しており、止血をしている布からボトボトと赤黒くなった血液が垂れ落ちていた。長くは持たない事が分かっているのか、既に彼に怪我を気にする様子は無い。
位置の誤差を報告し、正確な座標を指示する。そんな作業も、血液の急激な喪失によって不可能になる。崩れ落ちて血溜まりに沈んだ兵士から確かに、手渡しで双眼鏡を受け取り、作業を引き継ぐ。確かな光を秘めた瞳が自分の視線と交差し、僅かな煌めきを自分に伝えて、掻き消えた。
瞼を閉じてやり、弾着観測の作業を引き継いだ。胸の中は虚無感に溢れ、ネウロイの接近を双眼鏡によって間近に感じ、同時に切迫感に襲われる。鉄臭い塹壕の中で作業を黙々とこなす事で、それ等を誤魔化そうとするが、誤魔化せない。視覚に大々的に現れるネウロイの存在が、それを許さないのだ。
感情的に叫びたくなる、それを抑える事が出来たのは、単純にそんな事を言える余裕が無かったからだろう。常に変化する座標の指示に忙しく、口は罵詈雑言を吐き出す余裕が無い。
心の中が空虚にも関わらず、周囲から重圧を感じるという不思議な感覚に襲われながら、ネウロイと戦い続けた。
■
ネウロイの攻撃は防げたが、多くの犠牲を要した。あと何回防げるかは分からない。兵士達の間に蔓延する空気は最悪で、自分はとっとと一人きりの塹壕に戻っていた。些細な事で諍いが起きたり、シェルショックの症状を示している兵士達を見るに堪えなかったからだ。手帳に今日あった出来事を書き記していると、上から少量の土が零れ落ちてきた。
塹壕の壁の一部が崩れてしまっているのかと、土が落ちて来たであろう方向に胡乱げな視線を向けると、そこには土とは違った色合いの茶色があった。
ユニットを履いたあの少女が居たのだ。
急いで身だしなみを揃えて敬礼する。
相変わらずの無表情で自分を見詰めていた少女だったが、何を思ったのか、重厚な音を立てて塹壕に降りると、ユニットを脱いで弾薬箱に座り込んだ。
自分が椅子代わりにしていたのを見ていたのだろう。
そして、此方を見上げて手を動かしていた。自分の予想が間違っていなければ、隣に座れというジェスチャーだ。
恐る恐る座ると、自分を見ていた少女は、何故か自分の方ではなく、目の前の剥き出しの土を見るようになった。時折視線を投げ掛けて来るが、直ぐに前に視線を戻してしまう。
自分は今、少々混乱している。何故少女がここに来たのか。何故隣に座っているのか。何故一言も話さないのか。疑問は尽きない。
緊張で口の中が乾燥していくのを感じながら、どうしてここに来たのかを聞いてみた。
すると、返事は至って簡潔。"なんとなく"だそうだ。意味が分からない。なんとなくで土臭い塹壕に入り、そこで座り込むだろうか。
ポスッと軽い音を立てて、自分の腕に何かが掛かった。少女のこげ茶色の頭が腕に見える。どうやら、自分は少女に寄り掛かられているらしい。
突然の事に驚きつつも、その直後に聞こえてきた微かな寝息のお陰で、状況を把握する事が出来た。
先程の戦闘で疲れているのだろう。自分の元にやって来たのも偶然で、休息出来る場所を探していただけなのだろう・・・恐らくは。
実の所、自分も結構疲れている。腕に確かな重みを感じながら、壁に背を預けるとあっという間に眠気に襲われ、そのまま目を閉じた。
■
小さく土を掘り返し、重々しい金属音を響かせるユニットを履いたウィッチが二人、行方が分からなくなった一人の仲間を探していた。
「全く、どこに行っちゃったんだろう」
「あいつの放浪癖は今に始まった話じゃないだろう」
「でも隊長、こういう時にネウロイが来たら・・・」
「その時はその時さ」
塹壕や物陰を覗き込んだりしながら、黙々と探し人を探していく。
「・・・見つけた」
「本当ですか!隊長!」
「しっ・・・静かに」
騒ぎ立てるウィッチに、片割れのウィッチが指を口に当てて制止する。そしてそのまま無言で、ハンドサインで目の前にある塹壕を覗き込むように命令した。
そこには、塹壕に身を寄せ合うようにして寝ている二人の男女が居た。少年は塹壕に背を預け、少女は少年の肩に寄り掛かって。
隊長と呼ばれたウィッチはユニットを脱ぐと、塹壕に入ってそこに落ちていた何かを拾いあげ、部下に見せた。
「見ろ、この兵士の日記だ」
「隊長、勝手に見るのは良くないですよ・・・」
「そんな所に置いてるのが悪い」
隊長ウィッチは寝ている兵士を一瞥して、仲間のウィッチと中を盗み見始める。
「・・・扶桑語、読めるか?」
「少しなら」
肝心な事を忘れていた隊長ウィッチを呆れたように見ると、彼女は翻訳し始めた。
日記の内容は扶桑での生活、訓練に対する感想、その日にあった出来事が簡略に書かれていた。
「普通・・・ですね、うん」
「まだだ。こっちに来てからの内容が無い」
そう言うと隊長ウィッチがページを一気に捲る。今まで綺麗な文字で書かれたページから、急に雑に書かれたページがあった。
「ここからだ。ここから、こっちに来てからの内容だ」
そこからは今までの日記とは一変し、罵詈雑言と感情的な内容の記述が並んでいた。
「クソッたれめ、ネットやテレビで軍隊ってのがどんな職業なのかは知っていた筈だが、どこか楽観視していた。俺も勇ましいプロパガンダの影響を多少なりとも受けていたのかもしれない」
「ネットってなんだ?」
「・・・分かりません。網の事でしょうか?」
時折出てくる謎の単語に頭を悩ませつつも、翻訳を続けていく。
「ふざけた現象が俺に付き纏ってくるが、俺は物語に出てくる主人公なんかじゃあない、義憤に駆られる必要も、正義感に駆られる必要もない。断じてだ。だからか、あの上官である筈のウィッチに少々反抗してしまった。その際に自分自身の自尊心すら傷付けた」
「歳に見合わず、中々に語彙が豊富な様で」
「結構勉強したんですよ」
「いや、そこの兵士の事だ。まだ幼い顔付きをしてる」
「・・・扶桑人は全体的に幼く見えるらしいですよ。隊長」
「・・・そういうものなのか?」
■
自分が目を覚ますと、肩から仄かな暖かさと確かな重みを感じた。彼女は未だに寝ているのだろう。自分の場合は眠ったと言うより、気絶に近かったらしい。直ぐに目を覚ました。
塹壕から二人の少女の頭だけが見えていた。ここは戦場で、一般人は既に後方に移送されていて、つまり彼女達は軍人・・・ウィッチか。
カールスラントのウィッチだろう、扶桑人とは顔立ちが違う。
隣で寝ている少女の頭を自分の肩から背後の塹壕に移し、直ぐ様立ち上がって塹壕から飛び出す。敬礼して挨拶をしようとした時に、はっきり彼女達の姿が見えた。ウィッチの二人組だ。手には見慣れた手帳を持っている。
「落としていたぞ」
「え?・・・あ、ありがとうございます」
あっけらからんと手帳を手渡され、お礼を言う。・・・ん?何かおかしい、おかしいぞ。自分は塹壕の中で寝ている少女が来るまで手帳を持っていた筈だ。だから外に落としている、なんて事は有り得ないのだが・・・。
もしかして、彼女達が勝手に手帳の中を盗み見ていたのか?いや、それを証明する証拠は無いし、推定無罪だ。
そもそも中身を見られても、カールスラント人である彼女達では扶桑語は読めないだろう。そう結論付け、この件に関しては納得した。
その時、後ろでユニットの起動音がした。例の茶髪ウィッチがユニットを履いて起動させたのだ。そしてそのまま塹壕から出てきた。
二人のウィッチと一言二言言葉を交わすと、自分を少し見てから、三人でどこかへ歩き始める。
そのまま、彼女達は見えなくなった。
なんだったんだ、一体・・・。
「ねぇ、結局あの人って誰なの?」
隊長、と呼んでいた方のウィッチが、口を余り開かない茶髪ウィッチにしつこく聞いていた。これで六回目である。
「・・・知らない」
「え?知らないって・・・」
「知らない」
そう、何も、本当に何も知らない。
名前すら。だが、次に会った時は聞くつもりだ。次、次だ。会えないなんて事は無い。そういう運命なんだから。
■
自分は運命という言葉が嫌いだ。何故なら、運命なんてものは便宜的な確率論の言い換えに過ぎず、現実の物事は必然の連続で出来上がっているのだから。
あの茶髪ウィッチが去った後、またネウロイに襲来されながら、そんな事を考えていた。あのウィッチは一体なんだったのだろうか。
光線が目の前を薙ぎ払う。文字通り爆発四散した前線から、蟻型が雪崩込む。どうやらこの戦域の制空権は完全に失ったらしい。あちこちで光線による爆発が多発している。ここはもう終わりだ。
どのタイミングで後退しようか。
その時、丁度よく戦車や装甲車が前方から後退して来たので、その一つに同乗させて貰った。タンクデサントというやつだ。
自分が乗せてもらったのは短砲身型のIV号戦車で、ネウロイに対しては力不足になりつつある戦車であった。まだ成形炸薬弾を使えば対抗出来るらしいが、それも何時までもつのか分からないとキューポラから身体を出していたカールスラントの戦車長が語っていた。
ネウロイは日々進化している。しかしネウロイを研究している学者が言うに、彼等に知能は無いらしい。それは、ネウロイが戦術等を使わず、物量による飽和作戦しかしないからだからとか。
そんなわけあるか。そんな事を言っている奴はとんだ馬鹿野郎だ。
産まれたての人間の赤ん坊を見て"知能が無い"と言っているのと同じだ。どんな知的なものも、年月を経て賢くなっていくのは、人工知能や人間を見れば分かる事だろう。
その証拠にネウロイの形状は様々な形に及び、合理的な形状を模索している事は言うまでもない。
まぁ、そんな事を考えても意味が無いのだが。
最早前線の体を成していないズタボロの戦線は、後退命令すらまともに伝令出来ていないのか、散発的な後退が目に付く。
このままだと、人類が欧州から叩き出されるのは時間の問題だろう。どうしたものか。
ちょっとした設定。
クラゲ型ネウロイの強さは重機関銃を積んだジープ程度を想定しています。
蟻型ネウロイはT-34-76程度の強さを想定しています。
大型航空ネウロイはB-17程度の頑強さ、光線の威力はストライクウィッチーズのアニメのなんか凄い爆発の威力を想定しています。