戦線はずるずると後退し、今ではカールスラントの首都、ベルリンの手前まで来ていた。
先が見えない、敗走に近い撤退戦は、既に遅滞戦術に切り替わっていた。
カールスラント国民はブリタニアやガリア、ノイエカールスラント、リベリオン合衆国へと雪崩の様に移動を開始し、そしてそれを支援する為の作戦が近く実行されるとも。
作戦名は知らない。軍機に抵触するものなのか、それらしい名前を聞いた事は無い。それとも、ここまで情報が伝達されていないのか。
思わず空を仰ぐ。絶望的な、楽観視は出来ない状況でも、空は青く澄み渡っていた。
こうして空を見ていると、この世界に記憶だけが飛ばされた、あの日を思い出す。あの日見た空を、自分は忘れる事はないだろうし、こうしてたまに思い出すことだろう。
数回の敵の襲来、それに伴う防衛戦の後に後退、それを何回も繰り返している。勝利の糸口は欠片も見えず、ひたすらにその場しのぎの防戦をしているだけ。戦場に漂う雰囲気は最悪で、全ての兵士がやつれて、疲れた顔をしている。例外は、一部の元気満点なウィッチと配属されたばかりの新兵だけであった。
破壊された民家から掘り出した、割れた鏡で見た自分は見た目も顔色も普通だった。本当に普通だった。こんな状況でも、日常の延長線上に過ぎないとばかりの顔であった。
"慣れて"しまっていた。自分は、こんな状況に!
死亡した際に時間が巻き戻るせいで体感時間が常人の数倍であるせいか、非日常が日常になっている。扶桑へ帰った時、普通の生活をまた送れるのかどうか懸念してしまう程に。
自分は変わってしまっているだろうか。主観的な視点からでは、それは分からない。誰か教えてくれないか。
誰か。
歩哨の交代時間になったので、何個かのベッドの骨組みに薄い毛布を敷いただけの粗末な休憩所で寝転がり、目を閉じた。
別に眠い訳では無い。目を閉じて、思い出に浸るだけで大分楽になるのだ。色々と。
■
いつの間にか寝てしまっていたようだ。そう気付いて目を開くと、いつもよりも透き通った蒼色の空が自分を出迎えた。・・・いや、違う、これは・・・。
驚きで、心臓が飛び出るかと思った。空かと思っていたものは瞳で、至近距離に人の顔があったのだ。
「おはよう。久しぶりね!」
「あ?えーと?」
寝起きの頭は混乱し、碌な返事も返せない。綺麗に整った顔付き、軍帽が被されている肌触りの良さそうな金髪、光を反射して輝く蒼色の瞳。この少女は、彼女は・・・。
「あなたは、あの時の・・・」
「思い出した?なら結構!」
松葉杖を突いている少女が、自分の目の前に居た。かなり前、ネウロイに包囲されていた町から脱出する際に協力したウィッチだ。
あの時とは打って変わって、全体的に明るい雰囲気だ。というより殆ど別人と言っていいだろう。
「って言っても、あれからまだ数週間しか経ってないけどね。忘れてるわけないか」
・・・数週間?数ヶ月は経っているかと思っていた。主観的な時間感覚がおかしくなっている。死に過ぎて、巻き戻る時間のせいで、おかしくなっているのか。
手帳の日付を毎日見ている筈なのに、いや、見た後に何回も死んでるのか。
「その足は・・・」
「治癒魔法を使える子が新しく配属された部隊に居てね、治してもらってるの」
腕を組み鼻を鳴らしながら、自慢げに言い放つ。
「後方に下がった方がいいのでは・・・」
「これでも盾くらいにはなるんだから」
「もしもの事があったら・・・」
「大丈夫よ。それに、またそんな事があったら、あなたがまた助けてくれるじゃない!」
「困りますよ・・・」
彼女に対して負い目がある以上、自分としては出来るだけ接触は避けたかった。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね」
「名前ですか?」
「そう、名前よ!あなたの名前!教えてよ」
そう言って勢いよく詰め寄ってくる彼女に気圧される。先程と同じ程の距離まで詰められた。
そしてそのまま自分の名前を言おうとした時。
「ーーー!」
風切り音による轟音で自分の名前は掻き消され、聴覚が麻痺する。
だが身体は既に、動いていた。
世界が途端に鈍くなり、思考が冴え渡る。この感覚は、鈍い死の感覚だ。火元に手を近付けると熱を感じる様に、死に近付くと特有の感覚を感じるのだ。それと同時に、生命の危機に瀕しているぞという刷り込みにより、脳内麻薬の過剰分泌が行われ、それによって脳が異様に活発化する。ゾーンや火事場の馬鹿力と呼ばれるものだ。
この二つの能力は、最近身に付いたものだ。
能力と言うと少々語弊があるかも知れない。自分自身が意図して身に付けたものでも、操作出来る訳でも無い。かの有名なパブロフの犬のような、条件反射に過ぎないのだから。
しかし、それ等があっても、何回も失敗し、やり直さなければならないのが現実だった。全くもって嘆かわしい。
視界の隅に映った砲弾の位置を確認し、目の前の少女を引き倒してそのまま砲弾とは逆方向に転がる。
彼女の怪我をしている部位に配慮している暇はない。申し訳ないが、我慢してもらうしかない。
直後、爆発があった。一発二発ではない。この前線全体で砲弾が着弾していく。
「大丈夫ですか!」
爆発音に負けないように、少女に呼び掛ける。
「いきなりなんなの!?」
「ネウロイの砲撃です!」
砲撃の後には必ずネウロイが攻めてくる。これは最早合図のようなものだ。その戦術はWW1の戦闘を彷彿とさせるものがある。
背中に異様な熱源を感じる。
背中に手を回し、確認すると、ぐっちょりとした液体が手に着いた。
顔の前まで持ってきて、手の様子を確認する。
「クソが・・・」
「その手どうしたの!?」
「大した事はありません。気にしないで下さい」
「気にするわよ!」
手にべったりと付着した血液が、背中の異常を示していた。砲弾の破片に切り裂かれたか。だが背骨に損傷があるわけでもなく、内臓が傷付いていることもなさそうだ。致命傷じゃない。
上着を脱ぎ、背中の怪我があると思われる場所をきつく縛る。止血を終え、少女に向き直る。足は大丈夫だろうか。
「足は大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、そんなヤワじゃないわ。それよりも、あなたの方が大丈夫なの!?血が、血が出てたじゃない!」
「大丈夫です、少し切ってしまっただけですよ」
その後もしつこく自分の安否について確認してくるので、のらりくらりとそれに答えていると、
「・・・ええい、黙って私に付いてきて!」
「いえ、自分は配置に就かなくては・・・」
「あなた、階級は?」
「上等兵です」
「私は少尉!私の方が偉いのよ、従いなさい!」
「了解しました!」
士官だとは思っていなかった。姿勢を正して返事をする。
「よろしい!」
近くに投げられていた松葉杖を回収し、手渡す。
「ちゃんとついてきてね?」
「了解」
歩くと同時に揺れる金髪をぼうっと見ながら、彼女の後ろをついて行く。周囲の爆発音や怒鳴り声が何処か遠くの音に聞こえて仕方がない。
暫く歩いた後、赤い十字が描かれたテントの前までやってきた。
「ここよ、入って」
薬品や血の臭いで溢れていたそのテントの中には、重軽傷者がすし詰め状態で押し込められていた。そんな中で獣耳を生やしながら、担架で運ばれてきた兵士に治癒魔法を行使しているウィッチに、少尉は話し掛ける。
「怪我人よ、診てくれる?」
「分かりました」
治癒魔法を行使していたウィッチは、あっさりと患者を見捨てて、自分の方へとやって来た。その際に自分は近くの丸椅子に座らされた。
それもそうか。彼女が治癒していた兵士は、見た目の傷と出血量的に、人員も設備も足りていないここでは助からないのは明白だったからだ。トリアージというやつか。
自分もあんな感じになった事があるが、数分と持たなかった。あの兵士も大量の失血で直ぐに死ぬだろう。
「失礼」
ウィッチは小さく断りをいれると、自分の背中の傷を診察した。
「・・・もう少し遅かったら確実に死んでましたよ。クリューガー少尉に感謝した方がいいです」
「止血はしていたが・・・」
「傷が深過ぎます」
ウィッチが背中に手を翳すと、傷口が未知の感覚に包まれた。痒いような、痛いような、不思議な感覚だ。
少しすると、ウィッチは治癒魔法の行使を止めて、包帯を巻いた。
「よし、これで大丈夫」
「ありがとうございます」
治癒魔法とやらは一体どんな原理が働いているのだろうか。
「少尉もありがとうございました」
「別に感謝される事でもないわ」
「では、自分は持ち場に戻るのでーーー」
そこまで言って立ち上がった所で、後ろから肩を押されて椅子に座らされる。
「大人しくしてなさい」
少尉の仕業らしい。
「ですが、命令が」
「死んだら元も子もないでしょう?」
「衛生兵の私からも、待機を命じます。傷が開いたら命にかかわる」
ウィッチ二人によるダブルアタックに、自分は屈するしかなかった。上官には衛生兵に待機しろと命令されたと言えば大丈夫だろうか。
「・・・分かりました」
「治療が終わったので外に出て下さい」
「了解」
少尉と二人で外に出る。
「それともう一つ」
「はい?」
まだ何かあるのだろうか。
「あなたではない。クリューガー少尉に」
「私?」
「その怪我で前線に出ないで下さい」
「嫌よ」
どうやら、少尉は独断で前線に赴いていたらしい。
「大人しく後方に移送されて下さい」
怪我を治してから、戦線に戻るべきだろう。
「そうですよ、少尉。・・・その足では、はっきり言って足でまといです」
自分がそう言うと少尉は俯き、肩を震わせる。
「分かってるわよ・・・」
「分かってるのよ!その位!でも・・・私は・・・私は!ここに、居なきゃいけないの!」
そう言うと、少尉は松葉杖を器用に使って駆け出した。
・・・ああ、ちくしょう。
俺の言葉が原因か。ならば行くしかない。行かなければならない。
それに続くように、自分も駆け出した。
■
少尉には直ぐに追い付いた。片足で走る人間と、両足で走る人間。どちらの方が速いかなど、言わなくても分かるだろう。
「少尉!少尉、待って下さい!」
「何!?」
少尉の肩に手を置き、静止を呼び掛ける。
辺りは味方陣地後方の無人地帯、話をするにはうってつけの場所だった。
「どうして、少尉はそこまでしてこんな場所に居るんですか」
肩を抑えられた少尉は走るのをやめ、その場に座り込んだ。
自分もそれに倣い、隣に座る。
少尉は頭を抱え、震えながら一言二言話し始めた。
「私は・・・私はね、一度仲間を見捨てたの」
「見捨てた・・・?」
・・・その言葉は自分にも突き刺さる。
「あなたが助けてくれた、あの場所での私の部隊の生存者は私だけだった。何故だか分かる?私だけ、逃げたからよ!」
「でもその判断で、自分は今ここに居ます」
「いいえ、それじゃ駄目なの。もう、私は逃げたら駄目なの。私は見捨てた分だけ助けなくちゃいけないの」
少尉は完全に意固地になってしまっている。
その怪我で誰かを助ける事は困難だと思うのだが。
「・・・少尉、自分を救えない人間が他人を救えるだなんてのは、傲慢に過ぎますよ」
「何?」
「他人を助けられるのは、自分に余裕がある人間だけですよ、少尉。それ以外は、気持ちの悪い、反吐が出るような自己犠牲だけです。見ているだけで気分が悪くなる!クソだ!・・・だから、そんな事はやめてください、少尉」
そんな自己犠牲をしても、何か救える方が珍しい。万全の状態で無い人間など、基本的にここでは足でまといだ。はっきり言って邪魔だ。
「これは俺のエゴです、少尉。俺がそうして欲しいから、そう言っているだけです。綺麗事を並べるつもりはありません。その怪我では誰も救えません。だから、少しだけ、少しだけ後方に下がって、治療に専念して下さい」
自分でも何を言っているのかよく分からなかった。しかし、言っていることは確かに自分の本音だった。
「・・・嫌よ」
「ああもう!この分からず屋!その怪我で無理して、貴女が死んだらどうするんですか!後味最悪ですよもう!俺が嫌な思いをする!だから俺を助けると思って、後方に下がって下さい!少尉!」
「あなたを・・・助ける?」
「そうです少尉、俺を助ける為だと思って下さい!」
その言葉を受けて、少尉は少し考え込んだ様子だったが、少しすると、泣き笑いの表情で顔を上げた。
「・・・うん!分かった。あなたを助ける為だと思って、少しだけ、治療に専念するわ!」
「ありがとうございます、少尉」
今回の事も、自分の為、自分の精神衛生の為に動いたに過ぎない。
だが、それが結果的に良い方向に向かうのであれば、それは自己満足ではなくなるだろう。
「少尉、少尉の持ち場まで送りますよ」
「うん・・・あっ・・・」
少尉は力なく座り込んだ。松葉杖を突きながら、無茶な動きをしたせいだろうか。恐らくは疲労の為だろう。
「背負いますよ」
「うん、お願いするわ」
座って背中を少尉に向ける。
「ん・・・しょ・・・」
背中に確かな重みと柔らかさと暖かさを感じて、立ち上がる。
松葉杖を掴んだ腕が首に回り、まるで首輪をされているようだと思った。
「こうしてると、あの時を思い出すわ」
「余り思い出したくはないですが・・・」
「・・・私はそうでもないわ」
少々怒ったように言われた。何か気に障ってしまったのだろうか。
その後は何も問題無く送り届ける事が出来た。別れ際、少尉が怪我が治ったら自分に必ず会いに来ると豪語していたが、適当に流しておいた。どうせ無理だろう。怪我が完治する頃には自分は欧州には居ない筈だからだ。・・・居ないよな?
■
新型ネウロイが現れた。
サイコロに直接関節肢を生やしたような見た目をしているネウロイで、蟻型よりも一回りほど大きい。ずんぐりしているせいか、蟻型よりも機動性は大きく劣るものの、装甲は蟻型を凌ぐものであった。
しかし、対処不可かどうかと聞かれたら、普通に対処出来る程度の装甲である。三号戦車の砲は殆ど弾くが、高射砲クラスは防げない程度だ。
中途半端な装甲強化だった。火力も蟻型と変わりない。
だが、奴等は手探りで進化している真っ最中である。油断は出来ない。自分単独で撃破出来るネウロイは、様々な条件が揃わないと、全く無いと言っても過言ではないのだから。
独りではクラゲすら倒せない事に腹が立つ。
だがそれでも、ここで戦わなくてはならない。
遅れてすみません。もうすぐ新年ですね。
次も遅れると思います。