「——よう、茨木」
深い森の中にその山小屋はあった。
手作りで造ったであろう小屋は無骨ながらも生活しやすい形になっており、こだわりなのか扉の上の雨避け屋根は花で飾られている。
「あなたは……」
その小屋の主——名を茨木華扇。
「なんか……ずいぶんとこじんまりとしたとこに住んでんなぁ。昔のお前は事あるごとに俺に
遠くに滝でもあるのか、空気には十分な湿気がまとわれている。それでも風通しが良いためか不快には感じずさらさらとした木の葉が辺りに響いた。
「どうして
「ん、昔の誼を集めて宴をしてんだ。萃香に星熊の、茨木の仲間もたくさんいるぞ」
「違います。あなたは、あなたは——外の世界にいたのではないのですか?」
「こっちに来てからは会ってなかったからな。知らないのも当然だが、一年くらい前にこっちに来たんだ。元々誘われてたのもあって、すんなり入れた」
「そう、ですか……では、あなたも知らないのは仕方ないですね」
顔を俯かせた華扇に男は怪訝そうな目をする。
「私はもう——鬼じゃなくなったのです」
華扇の言葉に危うく男は煙管を落として胡座をかいていた切り株から転げ落ちそうになった。なんとか動揺を表情だけに抑えて言った。
「そいつぁどういうことだ?」
「私の名前はただの茨木ではなく茨木華扇。鬼ではなく、仙人です」
「どうりで雰囲気が変わって探し辛いわけだ……」
——仙人。
東洋圏に伝わる功徳を積みし存在。あらゆる徳を収め、高次元の存在から認められた場合のみ元種族から昇華する形でなることができる。元来仙人とは生まれたときからなれる者が決まっているとされ、素質がない者が目指すのであれば一〇〇年を鍛錬に費やしても至れないと言われる。
「申し訳ありません、ぬーーいえ、今は日和と名乗っているのですね」
「いや、かまわんが。なんていうか、驚きだな」
「心境の変化です。あなたには伝えておきましょう、私なりの贖罪です」
「そうか。酒は呑めるんだろう?」
「ええ、それは大丈夫です」
「かかかっ、じゃあ行こうじゃないか! 祭囃子はもうなってるぞ、山に籠るのも良いがたまには騒いで見るのも楽しい」
「ダメなんです。私はもう、妖怪じゃなくなったので……あなたにはついていけない」
「そうか——」
「ごめんなさい……」
「かか、別に良いさ」
華扇の視界にいた男の身体が少しずつ曖昧になっていく。蒸した煙に解けるように、結ばれた紐を解くように弛ませて。
「お前のほうが辛そうな顔をしているのに、責めれば男が廃る」
色液を水に垂らしたように男の姿は見えなくなっていった。
『今度はお前から誘ってくれ、華扇』
「……ええ、必ず」
一、
「いいぞー!やれやれっ、そこを叩くんだ!」
「おっ、行け行け!俺はお前に賭けてるんだぞ!」
「げっげっげ、はよぅ足動かさんか!」
幻想郷のどこか。未だ人が知らない場所で集った妖怪たちは三日三晩、はたまたそれ以上騒ぎ合っていた。日が登れば眠りにつき、月が見えれば起きて酒を呑む。どんちゃん騒ぎに声を出し、下品に茶碗を叩く者もいた。叩く、というのも正しいのか?茶碗自ら箸を持って音を鳴らしていた。
「亀ぇ!頑張れ!」
「兎は負けんな、主の方が速いぞ!」
座敷から抜けた庭園では砂利の上で亀と兎が走っていた。およそ兎と亀と聞いて可愛らしい様相を浮かべるが、二体のその身は石で出来ていた。肌触りの悪い体躯は砂利道に筋を作りながら走って周りを沸かせた。
「儂が東北の野妖怪を束ねた悪路王よ。人に討たれたと言われるが、その身は未だに健在」
「ほぅ、お前さんがあの悪路王かい。鬼の中でもひときわデカくて黒いと思ったが、食ったら腹を壊しそうだ」
「うむ。じゃが汝は儂よりも強靭な畏を感じるぞ?その身は幼子だが、内に秘めたるは山に岩を敷き詰めたようだ」
「あはは!面白い例えをするねぇ。そうさ、お前が感じている畏は間違いじゃないさ、悪路王。私の名前は伊吹萃香」
「ぬっ、まさか」
「鬼名は酒呑童子。鬼神母神と謳われるモンさ!」
「ほーぅ、あの京の大妖怪も大妖怪。酒呑殿を目にかかれるとは来たかいがあるわ」
「いやぁ私も東北の鬼を見れるとはねぇ。どうだい悪路王。仮にも首魁を名乗る鬼が二人、力比べと行こうじゃないか!」
「望むところよ」
酒呑童子に悪路王。鬼の代表格とも言える二人は配下の鬼を伴って裏山に跳んだ。その様子を見ていた妖怪たちは面白そうだとついていき、当分は破砕音で寝れそうにないなと苦笑いした。
「あ、あのっ。九尾のお狐様ですよね?」
「ああ。幻想郷で九尾の狐といえば私だろうな。君は?」
「わ、私は豊後のほうで守り神を務めていた一尾の狐妖怪です!」
「若いのに守り神か。一尾にも関わらず立派なものじゃないか」
「九尾のお狐様にそう言われるとは……えへへ、実は九尾のお狐様は私たち妖獣の中では伝説の伝説だったのでいつかお話ししてみたいと思ったのです!」
「伝説か……悪くない響きだな。それにしても守り神に一尾、まるで仏道を歩くような姿。君はもしかして白蔵主か?」
「わぁ、お名前を知ってもらえてるなんて。ありがとうございます、九尾のお狐様!」
「なに、同じ妖獣だ。君のことは私もよく聞いた」
白蔵主。そう指摘された女の子は被っていた白布を取った。容姿は完全に人型を取っている藍とは違い、鼻先から細い髭が伸びている。くりくりとした目、頭から伸びる尖った茶狐耳が特徴的だった。
「ね、ねぇ影狼。私たちみたいなものがここにいて良いのかしら……?」
「大丈夫だって。あの男も来いって言ってたしさ、付喪神もいるんだし問題ないよ」
「あの男は酔狂なことが好きだった。昔から小妖怪を束ねては、酒を呑んで肴を探して」
幻想郷の人里に語られる妖怪はそう多くない。人里に住む民が知る幻想の地は、本来八雲紫が創った世界より限りなく小さなものである。世界の大きさを認識したとき、人里に住む民は自分たちの非力を思い知ることになる。元より妖怪を保護するために創ったこの世界は人里に優しくはなく、妖怪を活かすために人を入れたのだ。妖怪が人間に一方的な面だが、それでも八雲紫によって強制的に共依存の生態を取らされている。
人里は妖の地が混じる半妖が守り、時折妖怪が襲い来る。持ちつ持たされつつの関係を偽っている。外の人間がこの世界を見れば、まるで箱庭だと侮蔑するだろう。
「赤蛮奇はあの人を知ってるの?」
「うん。私は元々あの男の元にいたからね、だいたいはわかる」
「えぇー。赤蛮奇ってもしかしてすごい人?」
「別に。たまたまいたい場所にあの男がいただけ」
そう言いながら赤蛮奇——ろくろ首の彼女は朱髪の間から細長い瞳を、縁にて厭らしい笑みを浮かべながら酒を呑む男に向けた。
「鬼もやって来るなんて、あの妖怪何者なのかな?」
「うんうん、たしかに気になるな。たぶん、大妖怪なんだよ」
人魚——わかさぎ姫の言葉に、狼女——今泉影狼は自信ありげに頷いた。
「そんなことわかってるよ。もっと根本的なことっ!」
「え、んー?」
わかんないなぁ、と唸る影狼と頭を捻る(ひね)わかさぎ姫にどこからか持ってきた盃で喉を潤していた赤蛮奇が少し驚いたような表情を浮かべた。
「あんたたち、あいつのこと知らないの?」
「え……、もしかして有名な人?」
「嗅いだことない匂いだもん」
「呑気過ぎるでしょ……」
赤蛮奇は自身の髪を捻るように触った。
一言、紡ぐ。
「『——今は昔、日本には多くの妖怪ありき。』」
それはいつの日から、いつの時代から語られる妖怪たちの主の話。
「『皆一様に自在に生き、恋しきに驚きて寝て歌を奏づなる。』」
意気揚々と騒ぎ、妖怪らしく気ままに生きる。
「『ぬらりくらりと飄々に——』」
すり抜け浮いて、人を驚かす。
「『契りを交わしし者は百を超え』」
その男の周りには色々な妖怪がいた。
鬼も天狗も狐も付喪神も、皆一様に騒ぎ合っている。不意に拳が当たれば喧騒が生まれ、争いが始まったら囲んで肴にする。そんな馬鹿らしくも、誰しもが羨む妖怪の一団。
「『満月の夜、雲間に隠れて妖行く。
月に照らされしその姿は百に及び、夜は彼らの刻なり。』」
赤蛮奇がまるで歌うようにその言葉を言った。二人は聞いていたが、なんのことだろうと首を傾げる。
「——百鬼夜行。さすがの二人もこれは聞いたことがあるでしょ?」
「うん……妖怪が集まる、って……」
「鬼とか、天狗とか……」
「今の状況、どう思う?」
わかさぎ姫と影狼は周りを見渡してみる。鬼の一座に三羽烏の準大妖怪。付喪神は辺りを走り回り、河童の集団は庭に備えられた池で水を吹いている。
「百鬼夜行の主。妖怪の総大将——それがあいつの正体さ」
二、
「ーーお酒の匂いがするわ」
ずず、と音を立てながら茶を飲んだ霊夢が呟いた。
さすがに肌寒くなって来たのか、火入れのされていない炬燵に座布団を敷いて入っている。
「なにかしら、このぼやっとした感じは……」
どこかでなにかが起きている。
煙を焚いたような感覚が頭の中に浮かぶ。解決すべきような、別に解決しなくても良いような感覚だ。もしこの勘(・)と言えるものが一大事ならば紫が起きて飛んで来るだろう。
「あー、あいつね」
卓に置いた茶の柱を、湯呑みを弾きながら揺らす。未来予知とでも断言しようか、博麗の巫女は今の感覚の犯人に目星を付けた。
考えるのは先日落ち葉を撒き散らしながら訪れた烏天狗。文は日和という妖怪について聞いて来た。つまり、そういうことなのだろう。
「どうしよっかなー」
たぶん今回もくだらないことだろう。というか、と霊夢は軽く憤る。
「そもそも、私は最近働きすぎなのよ。博麗の巫女で、この世界の調和を護ることはわかるけど、宴会の片付けなんてしなくてもいいじゃない。むしろ宴会に客として招かれて寝床も用意される立場。
基本的に
自身の体温で暖かくなった炬燵布団から出ようか出まいか。心地の良い環境を捨てたくないと思いつつも、別に異変の元を探し出しても良いと囁いている。
とりあえず急須が空になったら一考しようと思っていると、外から慌ただしく霊夢の名を呼ぶ声がした。
「おーい、霊夢ー!」
「うげ、この声は」
先の烏天狗同様、空から降りて来た者が一人。以前のように落ち葉は散らぬとも、砂埃が立った。
そして、地面に足をつけたのは金糸を黒高帽ーーそれは中世の魔女の装いをしたーーで留めた少女だった。
「なーに、魔理沙」
霧雨魔理沙。それが少女の名前である。人里にある霧雨道具店の一人娘であり、今は家出兼放蕩して自由に生きる自称「魔法使い」である。
「ーー異変だ!」
「わかってるわよ」
「行こうぜ!」
「どうしようか迷ってるの」
「紅魔館組はもう行ったぜ?」
「どうせレミリアが面白そうだとかで行ったんでしょう」
「図書館が閉まってたから暇!」
「はぁ……。ま、話の通じなさは今に始まったことじゃないわ。とりあえず上がって、お茶でも出してあげる」
「えー、お茶は別にいいけど異変の解決には行かないのか?」
「迷ってるのよ。さすがに悪霊や妖怪の山なんかが関わってると出るけど、今回の異変はいつか花が咲いたときや宴が繰り返される異変みたいな変な感じのものっぽいし」
「もうそこまで目星つけてるのかよ……」
「当たり前でしょ、楽園の巫女様よ。少ない情報を整理してやらなきゃ、めんどくさいってもんよ」
霊夢らしいな、と魔理沙は言うと靴を脱いで縁側から上がった。箒を適当に払って床に置くともう一度口を開いた。
「人里周辺では妖怪を見なくなったらしい。二、三日に一度、柵を越えようとした小妖怪を夜警が対処してたけど最近ではそれもなくなったって慧音が言ってた」
「あら、良いじゃない。仕事が減るわ」
「で、それと同時期に、私は会ったことはないんだが里の端に住んでた二ッ岩マミゾウっていう化け狸の大妖怪が消えたらしいんだ」
「二ッ岩、マミゾウ……あー、いたわねそんなやつ。確か神格も持ってる化け物」
「慧音にそれを聞いたあと、里の人間に話を聞いていると一週間前ほどに藍が大量の食材を買い込んだ以来里に来てないらしい。
さらに付け加えると、途中で会った文が『天魔様が消えた』って言ってた」
「藍に天魔、マミゾウって……どれもこれも
魔理沙はさきほどなんて言っただろうか。「藍が大量の食材を買い込んだ以来里に来ていない」ーー一週間ほど前に。そして、霊夢は知っていた。同時期ともいえる頃に消えた知り合いがいることを。
「そっちもかぁ」
あーあ、とやけになりながらも辻褄が合ってしまった。呑んだくれ鬼である萃香はどうやらそっちに加担してる故に最近姿を見せなかったらしい。以前の異変を起こした張本人であり、愉快なことが好きなぶん喜んで行くだろう。ましてや多くの大妖怪が関わっている。
行かない理由が見当たらない。
「ーーはぁ、仕方ないわね」
「お、その反応は」
「行くわよ、異変の解決にーー」
心にある畏を餌に、妖怪はやってくる。