あの日は月が綺麗な
妖怪である私にとっての月は、猫に当てた木天蓼だ。気が高ぶって、気ままに荒らしたくなるような、そんな気風。
薄が騒がしい、雲間から月明かりが射した平原。古を背景にあいつと出会った。
「なにしてるんだ、お前?」
『んん? おう、なんだ小さいの』
私の前に座っていたあいつの背中は、よくわからないが大きく見えた。たまに見る百年生きた畜生ほど体躯が大きいわけでもないのに、なんとなく相応しい「畏」があった。
これでも妖怪の一座を率いる手前、なんとなく威圧されたかのような雰囲気に苛ついた。
蛇が卵を食べるのに躊躇しないように、私は羽虫を払うようにあいつに手を出した。
「あれ……」
『おうおう、なにしやがるんだ。最近の京妖怪は頭が弱いのか? 人が風光を肴に一献傾けてるっていうのに手を出しやがった』
煙に刺したように男の体から私の腕は擦り抜けた。
しかしそれでも男は、文句を垂れているがこちらに見向きもしない。妖力を垂れ漏らしても危機感が無いのか、その顎先は相変わらず月を見ている。
「変な奴だな、お前」
『お前の方が変な奴だぞ、小さいの。ほら、こっちに座るといい。今夜はいつもより月が綺麗だ、月見酒と洒落込もう』
「む、私は酒虫で造ったモンか人の最穣酒でしか酔えないぞ!」
『かかかっ、随分高級な舌を持ってんだな! 安心しろ、今呑んでるのは郷から掻っ攫ってきた神酒の一つ。お前さんの舌でも満足して巻いちまうぞ』
「なっ、そんなモン呑んでるのかよ! 早く私にも寄越せっ」
『まだあるから落ち着け』
腰に付けていた瓢箪と盃を取る。瓢箪は酒虫で出来た酒が入っているが今は呑まない。
「はやくはやく!」
高原は月明かりのみで、盃に溜まって行く酒はきらきらと光っている。芳醇で上品な酒精特有の香りが鼻腔をついた。
もう呑んでいいか、と目で合図するとあいつはなにも言わずに頷いた。唇、舌、喉、そして胃に到達したのがわかるほどの熱さがあった。あまりの美味しさから、自分でも似合わないと思うほどの息が出た。
「美味い……」
『だろう? 神に捧げるってのも納得だ』
私とあいつはいつの間にか並んで座っていた。
私と、あいつと、自然を肴に酒は進んでいく。もう少しで酒が無くなるというところで、あいつは私の杯に残り全てを注いだ。
「良いのか?」
『おう。そろそろお暇しようとおもうからな。最後はお前さんにやるよ』
「どこに行くんだ?」
『さぁな。当て所ない旅を続けている、行き先は俺もわからんさ。次が会うときも、また月の綺麗な刻だ』
「な、名前はなんて言うんだ! 私の、私の名前は萃香! 京に響く大妖怪ーー酒呑童子とは私のことさ!」
初めてあいつの眉が上がった。
『ほぅ、あの手に付けられず崇められた存在がこんなちんまいとはなぁ。かかかっ、ああ不思議。ま、それもいい。俺の名前はーー』
「はははっ、すげー! どんどん入る!」
「がばごばぁ、ぶっ、べぶ、ずびぃがざま……!」
座敷では天魔が萃香によって酒に溺れさせられていた。およそ人にし得る仕打ちではないが、さすが天狗の長。畳を汚すことなく呑んでいる。
「ぐぬぅ……天魔様があのような御姿を。だが萃香様の行いゆえ止められぬ……」
三羽烏の一人は端でそれを見ていたが、止められない己を悔いていた。
「おい小さいの、あんま天魔を虐めてやんなよ。天魔は今、幻想郷と妖怪の山の板挟みで頑張ってるんだから労ってやれ。なぁ?」
「ぐはぁ。助けてくれるのはありがたいが、指差して笑っていのも知っているからな日和。覚えておけ」
「おー、怖い怖い。あのときの可愛い天魔ちゃんはどこに行ったんだろうな」
「うるさいっ、あのときは吾の気の迷いだ!」
「あのとき……?」
「よく聞け萃香。天魔はお前たちに攻めいられたときに一番に泣きついてきたのは俺なんだ」
「おー! 言うなと言っておろうがぁー!」
「ぐぇっ……! 首絞まってる!」
押し倒した日和にマウントを取り着物ごと首を締める天魔。翼で太ももをちくちくと傷付けている。
一時期は山に住んで配下だった天魔の、自分が知らない様相と、自分の知らないときに天魔と出会っていた日和になんとく苛ついた萃香は空の酒瓶を投げ付けた。じゃれ付く二人だが、もちろん適当なそれは大妖怪にあたることなく、手のひらに収めた日和が音も無く畳に置いた。
「投げることないだろう、萃香。瓶をそのまんまにしとけば八雲に怒られるからな」
「紫なんて今はどうでもいいのさ! ……それより日和っ、いつから天魔と知り合いなんだよ!」
「いつから、だとぅ? んー、まぁ、こいつが神通力を得る前からだからな。……お前さんと会った、四〇〇年くらい前、か」
「なっーーんだと! おかしいだろ、なんでもっと早く私に会いに来なかったのさ!」
「な、なんでって言われてもな。元からお前さんに会いに行くつもりはあん時ゃまだ無かったからな」
「ぐぬぬ……」
『おお、あの酒呑童子が地団駄を踏んでおる』
『昔から、なにかと日和殿は騒ぎを持ってきておったからな』
『お、では今回も日和殿が原因かな?』
面白そうだと付喪神や小妖怪がこちらを見ながら囁いていた。柱裏などでは気になるのか小狐たちが耳を覗かせながら聞いている。
「ーーこっち見てんなよ小物共! 踏み潰されたいか!」
『わわっ、こっちを見よった!』
『逃げろ逃げろ!』
『喰われたきゃなきゃ散れ!』
慌て、それでも煽るように小妖怪たちは隙間に消えていった。座敷部屋は先ほどの喧騒は消えて大妖怪と、完全に潰れて半ば気絶するかのように寝ている者だけだ。
「ほら、そうまで怒るな」
「私は別に怒ってない!」
「どう見ても怒ってるじゃないか」
「気にくわないだけだ!」
牙を剥いてこちらを睨みつける萃香にどうしたもんかと思案する。一応元凶の片方である天魔を見るが、萃香の様子を見たからか胡座をかいた日和の腰に隠れるように寝たふりをしていた。
いつの間にかこちらを小さな体で何度も打ってくる拳を受け止めながら考えると、後ろから愉快そうな笑い声が聞こえた。
「あははっ、要するにあれだよ日和。萃香は妬いてんだよ」
珍しい純色の金、外の世界のいわゆる体操着、そしてそれを押し上げる豊満な肢体。手首には手枷のようなものを巻いている。そして、そんな個性的な姿よりも目立つのは星に似た柄を持つ、天まで伸びる赤い角。ーー鬼の四天王が一人、星熊勇儀。
「見た目はともかく私よりも長い年月鬼をやってるからね。そんじょそこらの妖怪よりも欲が深いのさ。気に入った酒があるなら誰よりも先に、たくさん飲みたいし。気に入った場所があるならば殺し合いをしてまでも奪いたい。鬼はそんな生き物だから、気に入った奴がいれば自分の目先にいて欲しいのさ」
「なに言ってんだよ勇儀!」
「私たち鬼は、知り合いである前に同胞だからね。それ以外で真に友達や知り合いと呼べるお前を萃香は大変気に入ってるんだよ」
そう言いながら、どことなく男らしく隣に座ると祭儀用並みの杯に入れた酒を呑んだ。
「そうか、萃香お前さんは要するに寂しかったんだな」
「ち、違うしっ」
「かかっ、確かに。お前さんと会うときは話を聞くばかりで、自分の話はしなかったもんなぁ。そりゃ、少し不公平だ」
日和は目の前にいた萃香の脇に手を入れ持ち上げると、父娘のように足に座らせた。勇儀が持ってきた瓶を攫い注ぎ直すと、一息吐いた。
「芸を見ながら酒を呑むのも良いが、今は話を肴に愉しもうか。俺が一〇〇〇年かけて見て知り合った妖怪たち。始まりは東の國から、北に参って西へと戻る。
「ーーこの私に断りも入れず、ずいぶんと楽しそうなことをしてるじゃないか」
「おお、どうやら客人のようだな」
一、
話し始める直前、鶴の墨画が動いていた襖が勢いよく開いた。
そこから現れたのは四人。一人は淡い青のような髪色にドレスを着た、旧約聖書にも記される大妖怪ーーレミリア・スカーレット。隣にいるのはメイド服を纏い、懐中時計を手首に巻いた従者ーー十六夜咲夜。目を丸くしながらこちらを覗くように後ろから眺めている中華服の門番ーー紅美鈴。そして最後は紫の髪を少し怠そうな目元まで垂らした魔女ーーパチュリー・ノーレッジである。幻想郷に住んでいるならば知らず者はいないとされる大妖怪、もしくは大妖怪に準ずるだけの力を持った紅魔館の一同である。わけあって当主、レミリアの妹ーーフランドール・スカーレットは来ていない。
いつのまにか、面白そうな雰囲気に惹かれた小妖怪たちが和楽器を手に雰囲気を作っている。空気へ溶けていくような篠笛と、これから始まる騒乱への道しるべへと言わんばかりに三味が弾かれる。
「ずいぶんと剣呑な気を持って来たな、娘っ子よ。錚々たりそうな面子で、なにしに参った」
「はんっ、私に断りも入れず妖怪一座を集めてると来た。かつて幻想郷に仇なそうと田舎妖怪を集めた私と同じことをしている奴がいるんだ、見に来るのが当然」
「ほーぅ。お前さんも百鬼を率いたことがあったのか。かかかっ! これは稀有。萃香、勇儀、天魔。お前さんらはあいつを知ってるのか?」
「ああ、湖の近くに居を置く妖怪だろう? 宴会で何度か会ったことはあるよ」
「私は無いな。いつか大陸の妖怪と拳を交えたかったんだ」
「うむ、確かに彼奴は幻想郷を支配しようと妖怪を集めたことがあったの。だが……畜生や外道から来た妖怪とも呼べぬ獣だったと記憶しておる」
「ほうほう……」
「ふん、新参の妖怪風情が。高潔たるヴァンパイアの私に挨拶も無しか。島に住む田舎者はよほど礼儀知らずに思えるな」
幼き吸血鬼が牙を剥く。
幼姿といえど内に秘めたる力は幻想郷屈指。大陸にて神に仇なす存在として語られるレミリアの畏が辺りを包んだ。そこには普段見せる悪戯好きな少女ではなく、一大勢力——紅魔の主人としての姿があった。
「ああ、そうだ思い出した。……萃香の言った通り、お前さんは湖の先に住む館の妖怪だな?」
それに相対す男に焦りの表情はない。力が分からぬほど愚かではなく、ただ前から圧する力を飄々としている。集まった紅魔館の仲間たちはレミリアの様子に「また始まった」と言った顔をしており、唯一従者は睨めつけるような瞳を男に向ける。
「ゔぁんぱいあ、ってなんだ?」
「なに、お前は私たちを知らないのか?」
「ああ、いかんせん俺は大陸には疎くてな。もんすたー、ってのに属するのかい?」
「……!」
「お嬢様を畜生の面々と並べるなど、愚か者が……」
紅い魔力が奔流する。レミリアを中心に砂塵のように舞う魔力は可視化されその強大さを思い知る。小さな掌を空間に翳すと、紅い槍が具現した。
「槍か」
「腕の一本は散らして、お前の血を綴らせてもらおうか」
「……別に良いが、ここで暴れるのはよしたほうが良いぞ」
「なにを」
「ああいや。俺はかまわんが、ここは宴の席。異変解決といえど酒をひっくり返されたら敵わんだろう?」
「ふん、そこにいる鬼や天狗などはいざ知らず小妖怪の十や二十、私の敵にもならん」
「かかかっ。小妖怪の十や二十、本当にそう思っているのか……?」
男はおもしろそうに喉を鳴らした。
レミリアが畳を踏んだ時にも聞こえて来た祭囃子のような音楽、今やそれは全て消えて秋の虫だけが耳に残る。
「一体なにが——」
小妖怪。レミリアが呼んだその者たちの顔は酔狂が消え、ただ一様にレミリアを見つめる。無機物が占めた異様な雰囲気に蹴落とされそうになるが大妖怪としての秩序がそれを許さない。
「見た目だけで判断してはいかんぞ、
「そんな、もの……! しょせん数ある神、相手になるわけないだろう!」
「かっかっかっ!元気が良いな、それは良い!だが呑みの席で血を見れば騒げるが無粋。外に行こうか!」
男は煙管を懐に仕舞うと二度拍手した。すると示し合わせたようにレミリアの背後も含めた二方向の襖が開いた。それに合わせて、仕方ないかと萃香と勇儀は立ち上がった。
「すまんなレミリア・スカーレット。今回私はこっち側なんだ」
「なにやら幼子が暴れていると見える。儂も最近は動いてなかったからの、相手になろう」
「日和の言った通り芸の席で暴れるのはおもしろくないぞ、血吸いの童」
「いやぁ、念願が叶うとはな。やっぱ来てよかったわ」
相対するは四人の大妖怪。
神使に匹敵すると言われる最高位の妖獣である八雲藍。地域では信仰され神格も保持している二ッ岩マミゾウ。鬼神母神、日本随一の異名を誇る伊吹萃香。細腕ながらも山を破り谷を埋める力は怪力乱神と評された星熊勇儀。
国でも滅ぼしに行くのかという連名がレミリアの前にはいた。
「あー……たしかこういうのをなんて言うんだったかなぁ」
いまいち横文字言葉を思い出せない男は唸っている。
レミリアは最初からいた二人と、まさかまだ大妖怪が現れるのかと男に悟られないように内心驚く。それに、八雲の従者も加わっている。殺し合うような行為は起こらないが、敵地にど真ん中。我ながらバカなことをしたと叱責したくなる。
「そうだそうだ、思い出した」
男はぽんと右手を打ち付けた。
「——ぼすらっしゅ」
このあとめちゃくちゃ蹂躙された。
日本の神々は、八百万全てアニメや漫画、海外の神様みたいに物理的な強さを持ってるんじゃなくて呪いとか祟り、不干渉な地点からやばそうなイメージ。