鳶がーー鳴いている。
穏やかな風が吹く丘の上を、高山笠を被った男が歩いていく。旅人装束に見えるが、それにしてはやけに持ち物が少ない。見渡す限りの草原、一夜を越す用意もない男はどこから来たのだろうか。
大きな桜の木があった。
花弁から差す日は眩しく、花見をすれば思わず目を細めてしまう。男はひょいと一飛びすると枝を一段、二段と上がっていく。やがて一番太い枝へと腰を付けた。
視界に映るはどこまでも空いた草原、香ったのは土と舞った桜の花である。
ふとーー声がした。
男は息を吐いた。
「またか」と呟いて桜の木から降りる。
『おーい! どこ行った妖怪野郎!』
草を分けながら桜の木、男に近付いてくる影があった。
腰丈以上に伸びた黒髪、鮮やかな光を描いている。黒の襦袢の上には白い直衣を纏っている。頭には円筒、烏帽子が乗せられている。首元に飾られた数珠。
女はいわゆるーー''陰陽師''だった。
「今日もえらく騒がしいなぁ、陰陽師」
「うるさいぞ妖怪。お前がわかりやすいところにいないのが悪いんだ」
退治してやろうか、と言うと男はからからと笑った。胸を張った女は成人した顔つきながら線は細く、残念ながら以降の成長に期待はできないだろう。
「かかかっ、お前さんに退治される奴なんて小物も小物よ。鼠を猪と言うには無理があるぞ」
「変な言い回しをするなこの戯けが」
女は懐から取り出した扇子で男の頭を叩いた。
「いっーー、なんだそりゃあ」
電気が走ったような感覚がした頭をさすりながら男が聞いた。
「ふっふっふ、見よこれを! 私が呪力を三日三晩込めに込めた最高位の対妖武器! 仰いだだけで並みの妖怪なら近づくことすらないだろう」
「おいおい、そんなもんで頭ぶっ叩くなよ……」
「ま、さすがの大妖怪ともなればちくりとするだけか」
ばさばさと扇子を開け閉じしながら女はつまらなさそうにしている。どうやら良い生地を使っているようで、多少雑に使っても壊れないようだ。布地だと思われるそれには多数の漢字が書かれている。そして、中心には金糸の五芒星が見え隠れした。
一、
人の世界か、妖の世界。
いつの世も相容れぬ存在として対立にあった。人は妖を駆逐し、妖は人を捕食する。妖には人に無い強靭な力があったが、人には妖に無い勇猛な知恵があった。関係は一〇〇〇年と続きやがて妖は衰退を辿る。もはや妖は人無くして生きることが叶わず、人は妖を置いて先に生きる。次第に数を減らしていく妖はその生存を危惧し、未だ神秘が残る霊峰や地底へと逃げた。
そして、八雲紫が一つの世界を創り上げた。名を幻想郷と呼び、人妖交わる楽園であった。
「おーい日和、どこ行ったんだー?」
「……む、萃香様」
「お、天魔。日和がどこに行ったのか知ってる?」
「庭先に歩くのを見かけましたよ」
「そっか、ありがと」
しかし、その幻想郷も何百年と経てば綻びが現れる。
人の成長が止まったのだ。
九尾の狐が追われたように、酒呑童子が討たれたように。人の真価は他の生物に無いその成長速度にある。呪術が化学と呼ばれ幻とされる時代。妖そのものの存在が否定され、妖の生命力である''畏"が枯渇した。未だ外の世界にて祀られる存在ならばいざ知らず、小妖怪などは特にそれが顕著に表れる。
人の成長が止まったことにより、人は妖を当たり前だと思うようになった。善悪は問わずとも、隣人と理解することで妖という存在に恐怖を
「だからこそ、今日がある」
日は沈み始め地が赤く染まる。
地平線が伸びた先には真っ白の月の頭が見えた。
「なにしてるんだ、日和」
「萃香か、たまには花見も良いと思ってな」
「花なんて咲いてないだろ」
「咲いてるさ、立派な花弁が今も怏々と見えやがる」
枯れた桜の木を撫でながら日和が呟いた。
萃香はどこか気まずい表情を浮かべており、次の言葉に迷っている。
「そっか……」
「ふん、えらく辛気臭いな。お前さんらしくない」
がしがしと角の間に手を置いて雑に撫でた。
「うわっ、やめろよ」
「かかかっ! ほら、行くぞ。逢魔時ーー俺たちの時間だ」
二、
「霊符『夢想封印』ーー」
「ぬわぁーっ!」
色相豊かな霊力が弾ける。土埃が立つと同時に半円を描くように白髪の少女が飛んできた。
「ぶへ」
白髪の少女ーー犬走椛は天魔が治める妖怪の山の白狼天狗である。''千里先まで見通す程度''の能力を持った彼女は優秀な哨戒として任務に就いていたが、突如現れた紅白巫女によって無差別に倒されていた。
「ほら、早く答えなさいよ。あなたたちの親分が今回の異変に加担していることは知ってるのよ」
「し、知りませんよ博麗の巫女! というか、天狗の上層も天魔様と三羽烏が消えて奔走してるんですからっ」
「なによ、親分の動向一人知らないなんてとんだ組織じゃない。……あ、もしかして隠してるんじゃないでしょうね? 片っ端から捜索しても良いのよ」
「それだけはご勘弁を! ただでさえ大天狗様から最近圧がかかってるのに、博麗の巫女が物理的に攻めてきたとなれば減給ものです!」
「霊夢、どうやら本当に知らないみたいだぜ?」
「当てが外れたかしら」
指の間に札を挟みながら頰に手を当てた。
どうやら天魔の行方を知らないのは本当のようで、天狗も右往左往としている。それの証拠か、妖怪の山の侵入者である霊夢と魔理沙の対処に割り当てられたのが椛だけなのだ。
「文がいれば事情を聞こうかと思ったけど、いないのなら仕方ないわね。魔理沙、人里から虱潰しに探すわよ」
「うえ? まじかよ。得意の直感はどこにいったんだよ」
「知らないわ。いつもなら適当にぶらついてたらびびっと来るんだけど、今回は来ないのよ。頭、というかなんか身体自体もやっとした感覚があるし。たぶん、異変の首謀者の仕業ね」
「萃香みたいな全体に及ぼす能力ってわけか?」
「それすらも知らないわ。せめて紫がいれば聞けたんだけど……」
「ーーあら、呼んだかしら霊夢?」
「って言えば来るだろうから……来たわね」
「なんだそりゃ」
二人の隙間に現れたのは紫色の空間。リボンに結ばれたスキマから上半身を出してくすくすと笑みを浮かべているのは八雲紫である。
「で、紫。今回の首謀者はどこ?」
「あらあら、私はあなたが攻略本片手にゲームを進める娘に育てた覚えはないわよ」
「あなたに哺乳瓶と襁褓片手に育てられた覚えもないから関係ないわ。それに、今回の異変はどっちに転ぼうが結末はそんなに変わらないんでしょ」
「さすが霊夢。天性の才能を
「うっさいわね。ていうかあんたも能力受けてたのね。どうりで最近見ないと思った」
「ええ、能力によって家でごろごろさせられていたわ」
「……まあいいわ」
「無視しないでよ……」
二人の会話に、椛は自身の尻尾を隠しながら聞いていた。博麗の巫女たる霊夢の人柄は知っている。幻想郷の均衡を保つべく働く彼女は、無闇矢鱈に妖怪を追い立てはしない。しかし、妖怪の中でも大妖怪、さらにその最高位である八雲紫の前では小心者でいた。未だ弱肉強食がある妖怪の山では天狗といえど数百年に一度、半霊獣と化した獣に捕食されることがある。それと同様、戯れに消されてもおかしくないのだ。
「とりあえず、首謀者のところに案内するのはいいでしょう。そろそろ向かわなければ時間と、そこで震えてる子犬が可哀想ですし」
「い、いえ全然……!」
「悪かったわね、椛」
霊夢と魔理沙、そして紫を含めた一行は妖怪の山を出て人里の方角へと飛んで行く。
「あなたも来るでしょ、魔理沙?」
「もちろんだぜ。異変を解決するのは霊夢と私ってのがお決まりだからな」
「そうね、今回はむしろあなたが必要。もしかすると霊夢より大変な立ち回りになるかもしれないから頑張ってね」
「どういうことだ?」
「ただ妖怪たちの相手をしてもらうだけだから気にしなくていいわ」
「さすがの私もお前や藍みたいなのを同時に相手するのは無理だぜ?」
「時間を稼ぐだけでいいのよ。それに、たぶん藍たちは手を出さないだろうから大妖怪は気にしなくていいわ」
少し人里が見えてきたところで紫は止まった。それに合わせて二人も止まると、紫は空中に閉じた扇子を向けてスキマを開けた。
「これから行くのは正真正銘、普段あなたたちが遊んでいる''幻想郷の妖怪''じゃないわ。何千年も生き、人を化かしてきた妖怪たちの巣窟と、その総大将が座す屋敷。
霊夢、魔理沙。良い機会だわ、しっかり見てきなさい。そして、あなたたちの力を示してきなさいーー」
ドレスを靡かせながら腕を振るうと、二人がスキマを包み込んだ。きっとどこかに繋がっているであろうそれに、いきなりのことに霊夢は睨みながら、魔理沙は声を上げながら入って行った。
「ーーあの馬鹿に」
誰もいなくなったそこで、紫は誰にもなく呟いた。