瘴気の底で死に愛でられる   作:箱入蛇猫

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不思議な女

 クスクス、クスクス。

 そんな、耳元で響く小さく可愛らしい笑い声で、少女──リィン・フォートレイは目を覚ました。

 

「つぅっ……!」

 

 飛び起きようとして、その勢いをお腹に巻き付けられた何かで抑えられ、反動で後ろにある柔らかい何かにぶつかった。

 血は止まっているもののまだまだ深い傷が擦れ、痛みで顔を歪めてしまう。

 視界は未だに鮮明ではなく、身体に入る力の具合もいつもの半分に満たない。リィンは一度気持ちを落ち着けると、自分の腹に巻き付いたものを確かめようと視線を下ろした。

 

 屍肉で出来た膜のようなものを纏ってはいるが、その末端には確かに人の手が覗いている。

 それを認識した瞬間、リィンは自分が笑い声で目を覚ましたことを思い出した。

 つまり今、リィンは何者かに後ろから抱きしめられているのだと理解するのにそう時間は要らず、それを彼女が意識を失う前に彼女の傷を抉って弄んだあの女に結びつけるのは自然のことだった。

 

「離せ……!」

「ン、ン? ラ、ラ、ラ♡」

 

 リィンは必死になってもがき、肘打ちや腕への攻撃を繰り返すが、女はリィンが目を覚ましたことを嬉しそうにするだけで攻撃に対しては特に反応を見せない。

 そうして五分ほど抵抗を繰り返したが全くの無意味であることを知ったリィンは、抵抗するのをやめた。

 というより、ただでさえ傷つき弱った身体である。

 本来ならば歩き回るのさえ辛い身体での無茶は、彼女の全身を覆う怠さでもって彼女を蝕んでいたのだ。

 

「……ねぇ、アンタ、何者なの」

「ル、ル? ア、ハ」

 

 それは女に身を預けながらの、無聊を慰めるだけの質問だった。

 答えなど求めてはいない。そもそもこの女は人の言葉を喋らないのだから。

 リィンはそう思っていたのだが、人の言葉を喋れないだけで理解することは出来るのか、女は嬉しそうに座り込む屍肉を叩いてはぐるりと辺りを指し示す。

 

(この辺りがこの女の住処ってこと……? 趣味が悪いにも程があるし、そもそもこんなモンスターの巣窟で安全地帯を確保するならこんな所に住む必要は無いはず。何を食って生きてるのかもわからないし……)

 

「あー……この辺りに住んでる、ってこと?」

「ン、ン、ン♡」

 

 女はリィンが自分の考えを理解してくれたのが嬉しいのか、後ろからリィンに密着して頬を擦り寄せていた。

 先の恐怖で一瞬身を竦ませるが、熱心に頬擦りに勤しむ女を見て気が抜けたのか、身体の緊張は解けていった。

 

(これからどうすればいいんだろ……団長たち、無事かなぁ……)

 

 リィンは「新大陸」と呼ばれるこの土地の調査に派遣された、第三期調査団のハンターの一人だった。

 第一期、第二期に続いて派遣された第三期団はほとんどが研究者という特異な構成がなされており、リィンは数少ないハンターとして彼らの護衛を担当していたのだ。

 

 調査拠点アステラ、古代樹の森、大蟻塚の荒野、そして大峡谷。開拓者達の足を止めた険しい大峡谷を、第三期団の研究者達は気球により空から飛び越えようとした。

 そして、案の定モンスターの襲撃にあって墜落し散り散りになった。

 

 彼らは不時着した新たな環境を「陸珊瑚の台地」と名付け、リィンは数少ないハンターとして救援信号を辿って一人、また一人と研究者達を助けていった。

 その過程で見つけたのが陸珊瑚の下層を形成するこの「瘴気の谷」であり、リィンはこの遥か下層まで逃げ延びた研究者の一人を救う代償として赤い狼のようなモンスターに奇襲を受け意識を失った。

 

 そうして気がつけばこの女に拷問まがいの行為を受けていて、次に目を覚ませばソレが比較的好意を持って接してくる。

 何が起こっているのかわからない、としか言いようがない。

 とりあえずこの女がリィンを赤い狼から助けてくれたのは状況的に間違いなく、しかし同時に人の傷を弄んで楽しむ狂人であるのも事実であり、かと言って敵対の意思もなく……リィンは考えるのをやめたくなった。

 正直な話、救援は期待していない。リィンはこれでも第三期団では最強のハンターだったのだ。

 というよりは、リィンほどのハンターが他にいなかったと言うべきか。

 

 陸珊瑚の台地、そしてこの瘴気の谷は、共に強大なモンスターの巣窟だ。

 あの赤い狼は間違いなく他のフィールドの主に匹敵する力を持った強力なモンスターであり、奇襲ぬきの真っ向勝負でも勝率は五分といったところだった。

 何より瘴気の谷には、名前の由来として三期団長が挙げたように「瘴気」と呼ばれる肺を焼く霧が充満していて、下層では常に毒ガスの中での戦いを強いられる。

 

 そんな環境でまともに戦えるハンターは、驕り抜きで第三期団にはリィンしかいなかった。それほどに過酷な環境なのだ。

 そもそも第三期団自体が現在進行形で遭難の真っ最中であることも考慮すると、救援が来るのは最低でも第一期団との合流、ないしは連絡がついてから。

 それにはどれだけの時間がかかるのか。一週間や二週間では済まないことだけは確かだろう。

 

 結局のところリィンが生きている間にそれらが成される可能性は無に等しく、彼女に残された選択肢は「自力で瘴気の谷を脱出する」か「救援を待って瘴気の谷で生き抜く」かのどちらかになる。

 どちらにせよ、絶望的な話には違いなかった。

 

「ナ、ナ」

 

 上機嫌なのを隠すことなくリィンに擦り寄っていた女は、彼女が逃げ出すことがないと判断したのか、そっと両腕を解いて離して立ち上がるとリィンを手招きで呼び寄せる。

 女の指差す方向を眺めてみると、いくつかのキノコや薬草、千切り取られた蜂の巣などが散乱していた。

 恐らく女がどこからか集めてきたものなのだろう。毒テングタケ、マヒダケ、鬼ニトロダケなどおよそ人が食べられない物ばかりではあったが、アオキノコも僅かながら混じっていて、リィンは少し安心した。

 

(この閉じられた空洞がどの層にあるのかは分からないけど、探せばアオキノコはある。それがわかったのは収穫よね。蜂の巣があるってことは幼虫も喰えるし、しばらくは食い繋げるはず。しかし持ってきたものが乱雑すぎるな……もしかして毒テングタケとか食べてんの、コイツ)

 

 女が持ってきたものを見て嫌な想像をしてしまったが、さすがにそれはないだろうと思い直す。

 食べれそうなものと食べれなさそうなものを仕分けていると、リィンは背中にじっとりとした視線を感じた。

 

「ル、ル」

 

 フードの隙間から除く黄色の瞳は、物欲しそうな色を隠すことなく向けてくる。

 何か食べたいものがあるのか、と思ってから、リィンはこの大陸に来る前にオトモにしていたアイルーの姿を幻視する。見覚えのある顔だったのだ。

 何となくこの不思議な女が何を求めているのかがわかった気がして口を開いた。

 

「えーっと……持ってきてくれてありがとう」

「ン、ン、ン♡」

 

 嬉しそうに頬を染めて、女は悶えるように震えると、リィンの隣に座り込んだ。

 

(何で私は徐々に分かりつつあるんだかなぁ……)

 

 リィンが密かに頭を抱えながら分別作業を続けているのを、女は興味深そうに見ていた。

 大方分け終わった所でつんつんと肩をつつかれ、振り向けば分けられた二つを見ながら首を傾げる女がいた。

 

「ああ、こっちが食べられるやつで、こっちは食べられないやつだよ。別に使い道はあるから、捨てることはないけどね」

「ラ、ラ」

 

 ふーんと言いたげな雰囲気で頷いた女は、よりによって食べられない方と言った塊からマヒダケを取り出すと、大きく口を開けてパクリと口に放り込んだ。

 

「ばっ……何してんの!?」

「ン? ア、ア」

 

 咀嚼して飲み込む女にリィンは驚いて声を上げるが、女は少しも堪えた様子を見せずに「食べられたよ」とでも言わんばかりに口の中を見せてくる。

 

 マヒダケはそれ自体が強力な麻痺効果を持った危険なキノコだ。

 食べたところで死には至らない毒テングタケと違い、ハンターですら決して口にはしない、上手く調合させれば大型モンスターをも足止めしうるほどに強力な効果を秘めている。

 

 どれほど耐性があるにせよ、こと人間が耐えられるシロモノではないマヒダケを食べてピンピンしている姿は、明らかに人間離れしていた。

 

(ほんと、何者なんだろ、コイツ……)

 

 褒めて褒めてと言わんばかりに擦り寄ってくる女を躱せずに抱き留めながら、リィンは相変わらず身体を支配する疲労に精神的なソレが加わってきているのを感じて、そっとため息をついた。


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