瘴気の底で死に愛でられる   作:箱入蛇猫

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狂い出した感覚

 屍肉と骨で出来たこの閉じた空間で過ごし始めて、リィンの体感では三日ほどが経過した。

 

 とはいえ触れられるほど地脈に近い、相当な深度を誇るであろうこの空間に陽光が届くことはなく、実時間の経過は一切不明なわけで。

 リィンとしては疲労と怪我を治すべく睡眠を要求してくる身体に身を任せた回数が三回なので、とりあえず三回日が変わった事にしているだけである。

 

 どこから抜け出ていくのやら、あの屍肉の膜を纏った女はリィンが睡眠を取る度にこの空間から抜け出しているらしく、その度に彼女が食べられると言った食物を拾い集めては起きたリィンに差し出してくる。

 

 初対面で受けた拷問まがいの行動も今となってはする気配も無く、警戒したところで武器も防具もない上に身体能力では完敗している。

 食物まで彼女頼みとなっている今、彼女の不興を買うことの方が問題だと考え、リィンは警戒を解いて彼女を受け入れることにしていた。

 

 

 

 この閉じた空間の光源は、ほとんどが露出した地脈が放つ煌々とした赤い光に依存している。

 屍肉の大地、白骨の壁、それらを照らす赤い地脈と、壁の外から漏れ出している青白い液体。これはどうも極めて高い酸性を持つ液体のようだった。

 

 本来地下深くを走るはずの地脈が露出しているということが、ここが瘴気の谷の深奥に当たる部分であることの証明になる。

 それはつまりここを脱したところで瘴気の谷を駆け上がり陸珊瑚の台地を抜けなければ拠点には帰れないという、リィンにとってはなかなかに絶望的な話だった。

 

「せめて武器か……スリンガーがあればいいんだけど……」

「リィ、リィ?」

「ちょっ……待て待んぐぇ!」

「ン、ン、ン♡」

 

 地脈を眺めながら考えを巡らせていたリィンは、難しそうな顔をしていたからだろうか、心配そうに近寄ってきた女に捕まり押し倒された。

 

 ちゅ、ちゅっと音を立てながら一方的に吸い付くようなキスを落とす女は、たいそう機嫌が良さそうに笑みを浮かべている。

 どうもこの女は直接的に接触することそのものを親愛の証としているようで、とりわけこうしてキスなり抱擁なりをしてくる時は、とにかく甘えたくて仕方が無い時らしい事をリィンはこの三日間で理解していた。

 貞操を奪われる訳でもなし、いやファーストキスはとうに奪われた訳だが、現状のリィンの生命線がこの女に酷く依存してしまっている以上、ある程度は好きにさせてやる。

 

「リィ、ン♡」

 

 女は途切れ途切れの声で、リィンの名前を呼ぶ。

 声は出るし、歌うような事もしているからと教えてみた結果、驚くほどすんなりと女はリィンの名前を覚えた。

 

 それ以来、ことある事にリィンの名前を呼んでは嬉しそうにしている。まるで恋人の名前でも呼んでいるかのように。

 リィンは女の名前は知らない。聞いてみたが、答えは返ってこなかった。リィンの名前を理解しているあたり概念は知っているはずなので、要するに彼女には名前が無いのだろう。

 

「ねぇ、そろそろ離れられる?」

「ム、ム!」

「嫌ってわけね……」

 

 イヤイヤと首を振る女に、リィンは大人しく従った。

 馬乗りになって時折キスを落としたり、頬を撫でたり首に吸い付いたりと、周囲に見られれば誤解されるだろうが実際のところ大して如何わしいことはされていない。

 

 どうも馬乗りになったり抱き締めたりと、拘束するのが好みなのだろうか。

 抵抗せずにされるがままになっていると、なおのこと機嫌が良くなるのだ。

 抵抗されたからといって不機嫌になることは無いけれど、満足いくまで自由にさせてやらないと次の「甘え」までの期間が短くなる。

 

 リィンとしても、こんな閉じられた空間に居て急ぎでやらなければならないこともなければやる事もない。

 やや不本意ではあるが、彼女の相手をすること自体が気晴らしになりつつあるのも事実だった。

 

 

 

「ア、ハ、ハ」

「満足したのね」

「ウ、ン」

 

 リィンは体感で、そう、ざっと一時間くらいは経ったか。それだけの時間をめいっぱいの甘え倒した女は、ユラユラと身体を揺らしながらリィンから降りた。

 

「フ、ン、フ、ン♡」

 

 途切れ途切れの鼻歌。たいそうご機嫌だった。

 逆に長いことべったり張り付かれていたリィンはと言えば、不思議と身体の疲れが抜けたような感覚を覚えていた。

 

(まるで疲れを吸い取られたみたい。寝ても食べても疲れが取れないのに……でも、何かされてるってわけでもないのよね)

 

 疲れから睡眠を要求して来るくせに、一向に疲れを抜いてくれない身体に対してほんの少しの苛立ちを覚えていたリィンは、久しぶりに感じた爽快感に高揚を覚えていた。

 

 筋肉を解して疲れを取るというマッサージなるモノは旧大陸で受けたことがあるが、その時も酷い疲れがだいぶ軽減されたのを覚えている。

 馬乗りになってくっつくだけの行為のどこにそんな効果があるのかはさっぱりだが、この所は「甘え」の度にこういう身体が軽くなるような感覚があるのも確かなのだ。

 

 色々と考えを巡らせては見るが、そんなことはお構い無しに鬼ニトロダケを食べて熱そうに舌を出している女を見て、リィンはなんとなく悩む自分が馬鹿らしくなった。

 

「ン、ン?」

「何でもないよ。私も何か食べようかな」

 

 じっと見つめられたからか首を傾げる女をそこそこに、早くも食料庫と化しつつある腐肉の山の片隅から、リィンはアオキノコを取って齧り付いた。

 

 はっきりと言えば、不味い。だがそれは当然のことだ。アオキノコは本来食用のキノコではないのだから。

 あくまでもこのキノコは薬草などの薬理効果を高める成分を含む調合素材に過ぎない。回復薬なり解毒薬なりを作るための素材でしかないのだ。

 故に単純に食料としては僅かなカロリーくらいにしか期待出来ない。それでもカロリーになるのであれば、無理に食べる価値はある。

 古今東西、ハンターの胃袋は無駄に頑丈なのだ。

 

 とはいえ純粋にカロリーを取るためならば、蜂の巣に齧り付いたりハチミツを舐めたりした方が遥かに効率のいいエネルギー摂取になる。

 そうしないのは単純にハチミツが貴重だからだ。

 むしろ初日にどう取ってきたのかがリィンとしては気になるのだが、裸ではないと言っても武器も道具も持たないこの女はどうやって蜂の巣をもぎ取ってきたのだろうか。

 

 疑問の目を向ける先では、リィンの目が正しければネムリ草のように見える植物をもしゃもしゃと食べる女の姿がある。

 呆れた食性過ぎて何も言えない。これほどまでに悪食ならば、確かにこの瘴気の谷においても生き抜くことは出来るのだろう。

 

 回復ツユクサのツユで喉を潤しながら、リィンは目の前の存在が果たして本当に人間であるのかを改めて疑問に思うのだった。

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

同刻。

 

 

 

 

──リィン・フォートレイ、任務より未帰還。瘴気の谷にて消息を絶つ。

 

 その凶報が第三期調査団の研究所に届いたのは、彼女が救出任務に赴いてから一週間以上が経ってからだった。

 

 三期団長は、頭痛さえ感じる頭をそっと抑えながら、己の判断を悔やんでいた。

 

 僅かな救難信号を頼りに、リィン自身が陸珊瑚の台地をくまなく探索することでようやく見つけ出した地底世界、瘴気の谷。

 

 そこで辛うじて生き残っていた研究員の救出が、困難を極める任務であろうことは明白だった。

 それでも送り込める人材がリィンしかおらず、研究員を見捨てる判断もできなかった三期団長は、出来うる限り万全の準備を整えてリィンを瘴気の谷へと送り出したのだ。

 

 その結果がこれだ。

 第三期、いや、第一期から見ても指折りの優秀なハンターを失いつつあるという事実は、ただでさえハンターが少ない第三期団に重くのしかかっていた。

 

(せめて無理やりにでも休息を取らせるべきだったわ……)

 

 気球が墜落してからの一週間。リィンはほぼ不眠不休で陸珊瑚の台地を駆け巡り、次々に散り散りになった研究員を救い出していった。

 初めて見るフィールドを身軽に飛び回り、エリアを開拓し、キャンプ地として使えそうな場所さえ見つけ出して。

 全員を助け出す頃には、陸珊瑚の台地の地形的なマッピングはほとんどが終わっていたのだ。

 

 そんな中、日に日に疲れを見せていく彼女の姿は三期団長も見ていたし、できる範囲で止めようともした。

 

「人助けもハンターの仕事ですから」

 

 笑いながらそう言って有無を言わさぬままに飛び出していくリィンを、三期団長は止めるに止められなかった。

 

 リィンが救った最後の研究員曰く。

 不意打ちで腹を貫かれ装備は壊され、血を吐きながらそれでも薬で延命し大剣を振るう、そんな凄絶な姿だったという。

 

(それでもあの子なら……生きている可能性はあるはずよ)

 

 それはなんの根拠もない希望的観測でしかない。

 けれど、そんなものに縋りたくなるほどに、リィンという人物は第三期団にとっては恩人であり、重要な人物だったのだ。

 

 そんな浮かび上がる後悔のせいで何をするにも浮ついた三期団長の前に、一枚の手紙を持った研究員が駆け込んできた。

 

「団長! 一期団に送った鳥が手紙を持って帰ってきました!」

「本当!?」

「はい! 生きていて何より、現在フィールドマスターを急行させているとの事です!」

「そう、彼女が……今のうちにハンターを編成して。リィンの捜索隊を組むわ」

「了解しました! すぐに通達します!」

 

 バタバタと慌てて走っていった研究員を尻目に、三期団長はこれから来るであろう極めて優秀な編纂者に希望を見出していた。

 手元にある瘴気の谷の資料は、リィンが発見した時のものと、死と隣合わせでありながら強かにも情報をかき集めていた研究員のものを合わせて、最低限には揃っている。

 フィールドマスターとまで呼ばれるあの編纂者ならば、これだけの情報でも的確なサポートを行える事だろう。

 

「必ず助けるわ。待っていて、リィン」

 

 資料を整理しながら、逸る気持ちを抑えることなく呟いた三期団長の言葉に、周囲にいた研究員達は無言で頷いた。

 

 

 

 

 翌日より開始された瘴気の谷による捜索活動は、異常なまでに活性化した瘴気により難航する事となる。


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