瘴気の底で死に愛でられる   作:箱入蛇猫

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変わる、堕ちる

「くぁぁ……っ」

 

 目を覚まして身体を伸ばしていると、女としてどうなんだろうと思わざるを得ない欠伸が出る。

 

 昔師匠にもっと周りの目を気にしろと言われたことをふと思い出したが、誰に見られるわけでもなく、そもそもゴリラだらけの女ハンターの一人であるリィンに慎ましさを求めることが間違っていると言いたくなる。

 そんなどうでもいいことを考えていると、纏う服のせいで完全に屍肉と同化していた女もまた起き上がってきたようで、リィンは身体中に張り付いた肉片を適当に払ってやることにした。

 

 それにしても、だ。身体の怠さが増している。

 まともな食生活をしているわけではないから当然といえば当然なのだが、睡眠を取る事に重くなっていく身体にリィンはもどかしさを感じていた。

 

 あれから、リィンの体感では更に七日ほど時間が過ぎたように思う。つまり七回の睡眠を取ったわけだ。

 仮に救出の手が回されていたとして、そろそろ打ち切られていてもおかしくない頃だろう。

 

 元より期待はしていない。期待はしていないが、こんな所で命を捨てる気もないリィンとしては、可能性の一つが絶たれるまで行動を起こせていないのは痛手であった。

 憂鬱さに顔色を曇らせるリィンだったが、それに構わず近寄る影がいる。

 

「リィン、リィン♡」

「はいはい、おはようミアス」

「オ、ハ、ヨ」

 

 ミアス。それはリィンがあの女に付けた名前だった。

 

 結構な時間を共に過ごすうちに情が移り、いい加減「アンタ」だとか「お前」みたいな二人称で呼ぶのが心苦しくなってきた故であった。

 名前を付けてあげた時、ミアスはたいそう喜んでいた。三時間はリィンから離れなかったほどである。

 

 

 また、この七日でミアスはかなり人の言葉を喋ることが出来るようになっていた。

 元々理解はできていたのだ。ただ、それをどう声帯に反映させればいいのかに随分と苦戦していたようで、その足がかりになったのは奇しくもリィンの名前だったのだろう。

 

 そして、一度覚えればあとは慣らしていくだけである。名前だけなら流暢に発音が出るようになったし、他の言葉もカタコトながら話せるように努力してはいるようだった。

 このペースだとひと月もすれば子供くらいには話せるようになっているかもしれない。リィンはそう予想していた。

 

「ギュ、ギュ♡」

「要求できるようになってから遠慮が欠片もなくなってきたわね」

「ウ、フフ」

 

 もはや抱きつくというより締め付けると言った方が近いのではないかと思わされる抱擁を受け止める。

 

 寝起きに一回、ミアスは必ず甘えたがる。リィンとしても寝起きは疲労感と怠さで動く気もしないので好きにさせてやっていた。

 むしろ最近は積極的に甘えさせてやっているくらいで、撫でたりくすぐったりしてはミアスの反応を楽しんでいる。

 

 すっかり毒されてしまった気がするが、こんな娯楽もない死に満ちた地底世界で精神を狂わせることなく生きていられるのは「一人じゃない」という安心感のおかげだ。

 

 強引な上に一方的な所はあるが、彼女は良くも悪くも感情表現がシンプルだ。

 喜怒哀楽、怒の部分は今のところ見たことはないが、とりわけ楽しい嬉しいという感情に関しては一直線にぶつけてくる。

 コロコロと変わる表情も、くっつかれる度に感じる人肌の熱も、全てがリィンの心を落ち着かせる材料となりつつあった。

 

 そして同時に、全身を覆う倦怠感を何らかの方法で解消してくれているのもミアスなのだろうと、リィンは薄々ながら察していた。

 

 言うつもりがないようなので聞き出そうとはしないが、毎日数度繰り返される接触の度に身体が軽くなるのだ、幾ら鈍くても流石に理解が及ぶというものである。

 リィンがミアスに身体を預けているのには、そういう打算的な考えもあった。

 逆にミアスが甘えるついでにリィンを治しているのか、治す建前としてリィンに甘えているのかは判断のつかないところではある。

 

 幸せそうな彼女の顔を見るに、一石二鳥的な発想でしかなさそうではあるが。

 

 何にせよ、一方的な関係だったリィンとミアスの関係が、互いに利のある関係に変わったことは確かだった。

 

 

 

「リィン、ゴハ、ン?」

「あー……うん、少し、食べるわ」

 

 抱きついたまま慎ましやかな胸に顔を埋めていたミアスが上目遣いで投げかけてくる質問に、リィンは歯切れの悪い言葉を返した。

 

 食欲が、ない。

 それはここ数日で浮き彫りになってきた問題の一つだった。

 

 食べているものの殆どがエネルギーとしては不十分なものばかりのはずなのに、何故か空腹感が湧いてこないのだ。

 本来ならば飢餓に陥っていてもおかしくない頃合であるはずなのに、今のリィンは異様なほどに食欲がなく、それに伴って食事も減っていた。

 例えば昨日は薬草をひとかじり、一昨日はアオキノコを二本。はっきり言って異常な程である。

 

 もしかしたら胃腸が弱ってしまっているのかもしれない、そう思うこともある。

 ただ、不思議と「それは違う」と感覚が訴えてくるのだ。原因はそれじゃないよ、と。

 

 食べ物を見ると食欲が失せてしまうので、リィンはなるべく見ないように適当な草を取って口の中に押し込んだ。

 ほとんど味のしない、食感だけの食べ物を無理やり飲み下す。

 

 

「クス、クス♡」

 

 そんなリィンの様子を見て、ミアスは小さく笑いを零していた。

 ちょっと面白いものを見たとでも言いたげに笑うミアスの反応に疑問を覚えたリィンは、何の気なしに理由を尋ねる。

 

「どうかしたの?」

「ソ、レ」

 

 リィンの手元を指差すミアスの視線を辿ると、リィンは自分が持っている草が「ネムリ草」であったことに気がついた。

 

 咄嗟に吐き出そうとして、ふとした疑問が浮かんでくる。

 

「あ、れ?」

 

 どうして(リィン)は、まだ意識を保っていられるんだろう、と。

 

「……何で、だろ」

「ネム、クナイ?」

「……うん」

 

 ネムリ草は強い睡眠効果を持った植物の一種だ。

 肉に刷り込まば罠肉として大型のモンスターさえ眠らせ、マヒダケと調合すれば捕獲用麻酔薬の素材にもなる。

 睡眠ビン、睡眠弾など、ガンナーであれば必需品のひとつと言えるポピュラーなアイテムだ。

 

 大型モンスターさえ眠らせるこの植物は、当然人が食すれば睡眠剤になる。

 というより、効きすぎて起きれないほどに強力な睡眠効果をもたらす為、直接食すなど以ての外なのだ。

 

 それを食べたというのに、リィンの身体に睡魔は襲ってこない。

 寝起きだから、などという理屈は一切通用しない。これは一種の「毒」のようなものなのだ。

 睡眠ガスのように意識を奪い去る睡眠成分を摂取してなお、リィンの意識は明瞭に過ぎた。

 ネムリ草の毒がリィンに一切の効果を及ぼせていないのは、ミアスの目から見ても明らかだったのだろう。

 

 その事実に、リィンは頭を金槌で殴られたような衝撃を受けて、立つことさえままならないままへたり込む。

 

 

 自分の身体に何が起こっているのかがわからない。

 不調だと、仕方ないことなのだと言い聞かせていた。目を逸らしていた事実が、リィンの前に立ち塞がっている。

 

 溜まり続ける疲労感、寝ても食べても回復しないソレはミアスが居なければ解消さえままならない。

 それは本当に疲労なの?

 どうしてミアスはそれを解消する事が出来る?

 

 食欲がない。食べる気が全く湧いてこない。

 無理をして食べても味がしない。

 ミアスに触れられた時にだけ、ほんの少しだけ食欲が湧くんだ。

 ネムリ草を食べたのに、どうして私は何ともないの?

 睡眠成分を食べても平然としていられるなんて。

 まるでミアスみたいじゃない。

 

 

 怖い、怖い怖いコワイこわい。

 この身体はどうなっているの?

 私は今どうなってるの?

 何かが作り変わっているの?

 

 

 

 ミアスは一体何者なの?

 

 

 

 自問を繰り返し、しかし答えは返ってこない。

 へたり込んでブツブツと呟き続けるリィンは、不意に柔らかな熱と共に抱き寄せられる。

 ミアスがリィンを後ろから抱き締めたのだと理解するのにさえ、今のリィンには時間が必要だった。

 

「いや……離して……」

 

 疲労が、倦怠が、吐き気が、憔悴したリィンの精神を掻き乱す。

 普段なら安心感を覚えるミアスの抱擁でさえ今の彼女には恐怖を与えるものでしかなく、力ない抵抗で腕を解こうと身をよじる。

 ミアスはそんな子供のように幼い抵抗を見せるリィンをそっと、しかし離さぬように抱き締めたまま、ポンポンとお腹を摩る。

 

(あった、かい……)

 

「リィン、オチ、ツク」

 

 諭すように耳元で囁かれるミアスの言葉に、混乱していたリィンの思考は徐々に落ち着いていく。

 早鐘のように鳴り響いていた心音が緩やかになっていくのを感じる。

 冷や汗は止まり、震えも収まっていった。

 

 

 

 それでも、二十分くらいはそのまま抱き締められたままだっただろうか。

 リィンは幼子のように取り乱した事に気恥ずかしさを覚えながら、ミアスに礼の言葉を紡ごうと口を開いた。

 

「ミアス、ありがと……」

「ン♡」

 

 リィンのお礼を頬へのキスで返してきたミアス。

 そのまま腕を解くと、改めて首元に吸い付いてから離れていった。

 ホントはただ甘えたかっただけなのでは、なんて恥ずかしさを誤魔化すような邪推をしてしまうリィンだったが、動揺はなりを潜め、いつも通りの自分に戻れたような気がしていた。

 

 ミアスが何者なのかはわからない。けれど、それは()()どうこう言い出すような話だろうか。

 そんな事を言い出したら、初めから彼女は謎の存在だった。

 生態系の最下層、死の世界で生きる女。悪食で、頑強で、それでいて子犬のように甘えたがりな不思議な存在。

 たとえ彼女が何者なのだとしても、今、この場で、ミアスだけがリィンを救ってくれていることだけは確かなのだ。

 

 

 これが願望でしかないことはリィンが一番よく知っている。

 目を逸らしているだけで何一つ問題は解決していないことも分かっている。

 それでも、たとえミアスが何者だったとしても、最後にはきっとリィンの味方になってくれるはずなのだと。

 リィンがどんなに苦しくなっても、ミアスがきっと助けてくれるのだと。

 

 リィンは、無自覚に壊れた心を繕うために。

 都合のいい夢を見ることにしたのだ。

 

 

 

 

 そうしてリィンが己の心を組み上げている時に、ミアスはほんの小さな声で呟いた。

 

 

「コンナニ、ハヤイノ……?」

 

 

「……ミアス? 何か言った?」

「ン、ン」

「そっか」

 

 ミアスが否定したのだからそうなのだろうと、否定の言葉をすんなりと受け入れたリィンは、今日は何をしようかなぁなんて他愛のない事を考え始める。

 

 考え事にふけるリィンを見つめるミアスの顔には、普段ならば考えられないほどに深刻な表情が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

 

 同刻。

 

 

 

 リィンの捜索が始まったあの日から、既に二ヶ月が経過していた。

 

 と言っても、既に捜索は打ち切られている。三期団長は未だにリィンを振り切れない自分を情けなく思いつつ、当時の事を思い返す。

 

 

 

 まるで第三期調査団を拒むかのように瘴気を色濃くしていく瘴気の谷を前に、当然のことながら調査は難航した。

 

 リィンが当たり前のように駆け下りて行った陸珊瑚の台地も、本来ならばそう簡単に抜けていけるほど甘いフィールドではない。

 救出に赴いたのは一期団の応援を含んだ四人パーティであり、ソロ故に身軽であったリィンに比べて幾らか動きが重くなってしまうのは致し方のない事ではあった。

 それでも二日足らずで瘴気の谷に辿り着いた彼らもまた優秀なハンターであり、だからこそ初めてのフィールドにはより一層の緊張を持って臨んだのだ。

 

 拠点足りうる場所に最低限のキャンプを作り、いざゆかんと瘴気の谷に踏み出した彼らを待っていたのは、上層まで侵食した瘴気の歓迎だった。

 瘴気が発生しているのは中層以降の深度であるという情報を初見でひっくり返された彼らは戸惑ったが、すぐに立て直して深層を目指して進んだ。

 研究員の情報では、リィンが最後に消息を絶ったのは中層より深い場所のはずだからだ。

 

 深く降りれば降りるほど、瘴気は色濃く彼らの視界を奪う。

 古代樹の森に生息するジャグラスの亜種──後にギルオスと名付けられる小型モンスターを追い払いつつ、腐臭で鼻が曲がりそうなのを我慢しながら奥へ奥へと進んでいった。

 

 後の調査で深層と定義される直前、中層の終わりに差し掛かったところで、彼らは血に濡れたリィンの装備を発見する。

 カガチシリーズ。古代樹の森に生息するトビカガチというモンスターから作られる防具であり、彼女のトレードマークでもあった装備だった。

 複雑な爪傷、明らかに貫かれたような傷跡が、彼女が負ったであろう傷の深さをよく表している。

 鎧は千切れ、脱ぎ捨てられていた。恐らく防具の耐久力を遥かに上回るモンスターと戦ったのだ。そうなった時、鎧は枷にしかならないこともある。

 

 装備の回収は帰りにすることにして、彼らは更に深くへ降りていく。腐肉で歩きづらい坂を下りきった先で、彼らは驚くべきものを発見した。

 

 リィンを襲ったであろう赤い狼のようなモンスター。その無惨な死体が転がっていたのだ。

 

 死体の傍らにはリィンのポーチと愛剣が転がっていて、ここまでは確かにリィンが生きていたのだろうという証になっていた。

 

 既に分解者たちに食い荒らされつつある死体を検分すると、恐らくこのモンスターを殺したのはリィンでは無いのだろうということが判明した。

 というのも、モンスターの腹部に何か強力な攻撃によって貫かれたであろう大穴が空いており、それは腐肉と骨で覆われた地面さえも抉り壊すほどの破壊力を秘めていた事が伝わってきた。

 

 

 リィンでさえ勝てなかったこのモンスターよりも遥かに強力な「何か」がいる。

 そして恐らく、リィンはその「何か」に食われたか、殺された可能性が高い。

 

 彼らはリィンの装備を回収して、一度キャンプへ帰還した。

 

 

 翌日。彼らは再び下層に向けて歩を進めた。

 リィンがもし「何か」と出会い、逃走に成功していた場合。恐らく下層のどこかに隠れているであろうというのが救助パーティの結論だった。

 瘴気の濃度は相変わらず視界を遮るほどに濃く、歩いているだけでも消耗を強いてくる。

 

 赤いモンスターを目印に更に奥へと進んだが、その日は特に得られるものもなく捜索が終わった。

 

 翌日も、その翌日も。彼らは持ち込んだ食料が尽きるまで瘴気の谷を捜索した。

 しかし、滞在の日数が長くなればなるほど瘴気は濃くなるばかり。

 

 到着してから一週間が経ち、食料もあと僅かというところで、彼らは最後の捜索で恐れていた「何か」と出会った。

 

 遥か深層に広がる瘴気のない清涼な空間。青白い地底湖が広がり、そこかしこに回復ツユクサが生えている幻想的な光景だった。

 実際には全てが超がつくほどの強酸で出来た死の湖だった訳だが。

 

 その地底湖の奥。およそ生物が生存できるはずのない湖の中を、悠々と歩き回る四足歩行の「何か」。

 まるで屍が歩いているかのような、おぞましい見た目。鈍い光を放つ黄色い瞳が、真っ直ぐに彼らを捉えていた。

 

 

 アレは戦ってはいけないものだ。

 

 

 全員が共通の認識を持ち、即座にその場を逃げ出した。

 幸い、と言うべきか。

 「何か」は彼らを追うこともなく静かに見届け、彼らは無事にキャンプ地へと帰還した。

 

 この邂逅を機に、パーティの長である一期団の女ハンター、フィールドマスターと呼ばれる彼女の一言で、この捜索は打ち切られることとなる。

 

 第三期団の研究所へ帰投した彼らは、瘴気の谷の探索による調査資料を作成すると共に、三期団長にフィールドマスターはある言葉を伝えた。

 

「あの龍の外皮の中に、リィンの篭手が混じってたのが見えたわ。残念だけど、生きてはいないでしょう」

 

 

 消息を絶ってから三週間足らず。

 

 奇しくもリィンの捜索が打ち切られたのと時を同じくして、瘴気の谷を覆う瘴気は元の姿へと戻っていた。

 

 三期団長は死を纏うかのようなその龍の名前を「ヴァルハザク」と名付け、以降一度も現れることがなかった彼の龍に深い悲しみを預けたのだった。


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